« 浜大津支線配線図 | トップページ | 加古川配線図 »

2011年6月 2日 (木)

土山配線図

港関係を終わりにして、また西に進みます。
今回は土山駅です。
過去の記事も合わせてご覧下さい。

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004
・別府鉄道線が接続しているのですが、残念ながらほとんど省略されてしまっています。

続いて1966年(昭和41年)3月。

196603
・微妙なところで変化があります。

続いて1969年(昭和44年)4月。※※

196904
・社1番線が本線となり、10RHにより門司方に進出できるようになりました。

続いて1979年(昭和54年)8月。

197908r
過去の記事からの転載ですので説明は割愛します。

続いて1986年(昭和61年)4月。

198604
・点線の線路が描かれていますが、別府鉄道はすでに廃止されてしまっています。
・当然10RHも抹消されています。

最後に1992年(平成4年)4月。※※

199204
・別段特徴のないごく普通の中間駅になってしまいましたが、中線が撤去されていないだけまだ幸せ(?)でしょうか。

未公開写真を少しだけ。
いずれも1979年8月撮影です。

19790830e03
・門司方からです。
・最後尾のワフ、懐かしいですね。

19790830e06
・神戸方からです。

19790830e12
・門司方です。
・EF652の引く上り貨物列車です。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 浜大津支線配線図 | トップページ | 加古川配線図 »

コメント

土山駅の2番線は今でも重要な役割を持っています。それはダイヤが乱れたとき、加古川行きの快速を土山で打ち切り、神戸方に折返し運転をするために活用されています。
そのために車両にも駅の行き先表示器にも「土山」の表示が準備されています。
米原付近で雪が降ったときや事故などで遅れたときによく見られる運転整理です。でもこの打ち切りのおかげで新快速が止まらない東加古川で乗降する人にたいへんな不便を掛けていることも事実です。

山陽本線在来線時代の旅を想い巡らせば、六甲の山並みに須磨から明石の海岸に西明石の車両基地を見て、この土山駅からレールファンの眼は山陽路旅の味わいを深めて行きます。以前の土山駅の記事にあるように、まるでタイムスリップしたような別府鉄道の風情に、これから西進して行く旅路の期待感が高まっていったことでしょう。この先、加古川駅、姫路駅の車両基地にヤード。宝殿駅の側線、網干駅から浜田港への専用線と真新しい電車区。有年駅では赤穂鉄道に想いを馳せ、広い構内の上郡駅からいよいよ明治期のスイッチバック跡が点在する船坂峠を超え、以前 TOさんがひとやすみの頃で描写されていた山あいの三石駅へ。そして土山駅で別府鉄道を見て頭を過ぎったことでしょう和気駅の同和鉱業片上鉄道に、山陽路旅の醍醐味はまだまだ続いて行きます…。

ここからは配線図音痴の私が、いつもとちょっとだけ違う切り口で。
住宅都市圏の重幹線に風情溢れるローカル私鉄が不似合いですが、土山駅は昔ながらの国鉄本線タイプの標準的な配線と見受けられ、有効長500米級は本線の証なのでしょう、でも信号機の数も少なく、本来なら下り線外側に数本有ってもおかしくない側線群が私鉄線に取って代わられています。貨物扱い量や列車ダイヤ等の具体的な知識も無いのですが、本屋側の貨物線も本数こそ4線で、それなりの広さを持っていたように思うのですが、ローカル線とかにでも見受けられる引き上げ用の側線もなく簡素にも見えるこの配線に、よくこれで、在来線時代の優等列車がビュンビュン走っていた時に貨物の入換や列車待避等が間に合っていたものだと感じます。昭和40年代の高度成長期からの時代に、沿岸部一帯の工場群に別府鉄道や近隣工場の荷役で、相当の貨物受給が有ったのではと感じるのですが(東加古川駅には貨物ヤード敷設計画が有り敷地も確保)それが44年配線図の私鉄線の本線昇格の理由なのでしょうか。
いずれにしても奥深い線路配線を語るのは、私には不似合いなことは確かなようです。

以前の土山の記事の、おびとけさんのトラックバック先が無くなってしまっていますね。どのような形であれ、繋がりが切れてしまうのは寂しいものです…。

この駅の線路配置は別府鉄道抜きには語れないでしょう。
いちどだけ別府鉄道から乗り換えて降り立ったことがあります。
過去記事と見比べると良く判りますが、社1番線の架線が門司方から半分しかないので、こちら側からのみ国鉄との受け渡しが行われていたのでしょう。
そのため貨車が目いっぱい門司方に両渡り7イロをふさぐように留置されています。

yukawaさん、このあたりでは曽根と竜野の中線が撤去されてしまったようですが、土山の場合はまだまだ活用されているわけですね。
E10さん、プレッシャーですね・・・。
おっしゃる通り、優等列車がビュンビュン走っていた頃は入換も合間を縫うのに大変だったと思います。線路を移動するたびに列車をやり過ごし、結果としてかなりの時間停車していたのではないでしょうか。
ヒデヨシさん、確かに社1番線の中間部分には架線が張られていないのですが、神戸方にも機関車が出入りする程度の長さ分だけ架線が張られていますので、こちら側からの受け渡しもあったのかな、と思っています。

曽根・竜野と異なり大久保・土山・東加古川は
高頻度で通過待ちに利用されているというのも
大きいですね。
土山は朝夕ラッシュ時の普通が新快速の通過待ちで
中線を利用します。
ネットで列車ごとの時刻表を見ると
土山で3分程停車している列車が
中線停車の列車です。

御着は以前は貨物列車のみが待避してましたが
東姫路開業の影響で
朝夕ラッシュ時の普通が新快速や特急から
逃げきれなくなって中線で待避するようになりました。

伊26さん、今後の状況いかんによっては撤去された中線の復活、なんてあるかも(笑)。

この秋、加古川市と たつの市でささやかな鉄道展が開かれています。
加古川市はこの別府鉄道関連。たつの市は姫新線関連の内容のようです。
別府鉄道の方は日にちがありませんが、ご興味のあるかたは秋の行楽を兼ねて訪問されては如何でしょうか。

E10さん、「鉄道展」が各所で開かれるんですね。鉄道に対する関心・興味の広がりが感じられてうれしいことです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 土山配線図:

« 浜大津支線配線図 | トップページ | 加古川配線図 »

過去の記事

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ