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2011年6月17日 (金)

三木線・北条線・鍛冶屋線配線図

今回は加古川線内の駅を起点とする盲腸線の三木線、北条線、鍛冶屋線です。

過去の記事(三木北条町西脇鍛冶屋)と合わせてご覧ください。

1955年(昭和30年)1月時点のものだけですが、まずは三木線から。

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・三木線は営業キロ6.6kmとこれら3支線のなかでは最も短く、駅数もこの時点ではわずかに4つ(厄神を除く)でした。
・場内信号機は設けられているものの出発信号機が設けられていないのは加古川線と同様です。
・石野駅はてこ集中第二種機械連動で、これも加古川線と同様です。
・てこ集中の目的が要員の削減であるならば、両端の転てつ器を発条転てつ器にする方法もあったかな、と思うのですが。
・石野駅は1962年(昭和37年)、三木駅は1974年(昭和49年)に貨物扱いが廃止されているのですが、停車場変遷大事典には別所駅も1962年まで貨物扱いが行われていたと記載されています。
・貨物側線のない、いわゆる棒線駅ですので、どうやって取り扱いを行っていたのかが不思議ですが、取り扱っていた貨物の種類が小口扱貨物のようですので、ホームに止めた貨物列車の貨車の扉を開けて貨物を積み下ろししていたのでしょうか。
・1985年(昭和60年)に三木鉄道に転換され、1986年(昭和61年)には4駅が新設されましたが、2008年(平成20年)に残念ながら廃止されてしまいました。

続いては北条線です。

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2r
・営業キロは支線中最長ですが、それでも13.7kmです。
・網引駅~法華口駅間に田原駅があったはず(1952年(昭和27年)開業)なのですが、完全に無視されてしまっていますね。
・網引、法華口、播磨下里、長の各駅は1962年(昭和37年)、北条町は1974年(昭和49年)にそれぞれ貨物扱いが廃止されています。
・網引、長駅には貨物側線の分岐器がありますが場内信号機は設けられていません。交換ができない駅ですので通票鎖錠装置付きの転てつ器として場内信号機を省略したのではないかと思われます。
・ただ播磨下里駅にも場内信号機がないのが解せません。2番線が側線なのか、もしくはは記載漏れかと思います。
・1985年(昭和60年)に北条鉄道に転換され、3支線の中では唯一現役の鉄道です。

最後に鍛冶屋線です。

1r_2

2r_2
・羽安駅~中村町駅間に1961年(昭和36年)に旅客専用の曽我井駅が新設されていますが、それ以外の駅ではすべて貨物扱いが行われていました。
・1959(昭和34年)に市原と羽安、1962年(昭和37年)に中村町、そして1974年(昭和49年)に西脇と鍛冶屋の貨物扱いが廃止されています。
・特に西脇までの区間は3支線の中では最も需要の大きい路線だったようで、そのためか唯一JRに承継されたのですが、残念ながら第3セクターに転換されることもなく、逆に1990年(平成2年)に3支線の中では最も早く鉄道としては姿を消してしまうことになりました。

私が加古川線及びその支線を訪れたのは1980年(昭和55年)で、まさに気動車天国といった感じで正直面白みに欠ける印象でした。
貨物営業が行われている頃に訪れていればもっと興味をひかれる点も多かったのではないかとも思ったのですが、キハユニ15、粟生や野村での分割・併合、野村でのスイッチバック、てこ集中第二種機械連動など、十分興味深い線区だったと思い直しています。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

こんばんは。このところいつもお世話になります。
ところで、早速ですが、三木線の別所についてです。
配線図では棒線駅になっていますが、厄神方に側線が一本納まりそうなスペースがあるのです。ワムでしたら1~2輌入ったでしょうか。
ホームの南側(厄神方)にトイレがあるのですが、ホームとトイレの幅が線路一本くらいでした。そして、その南側の空き地があるので、貨物を持ち込むスペースもあったのでは、と推測しています。

リンク先の鍛冶屋駅の終端の一見変な線路配置もこれを見ると以前は通常のようにまっすぐ突き抜けていますね
そちらは何故か線路が無くなってしまってる
あの写真の方の車止めはおそらく機関車駐泊所か給炭台でもあった側線への引き上げ線でしょうね

三木線は、10粁にも満たない路線だったのですね。時刻表で見ていた路線図からは想像外でした。港などへ通ずる線区以外でこのような短距離区間は他に存在したのでしょうか。
配線図で見ると、西脇駅の廃止は衝撃的ですね。名寄本線の紋別駅等が廃止されてしまったことを思い起こされるほどでした。加古川線の項でのヒデヨシさんのおっしゃるように、野村-西脇間の廃止が致命傷だったのでしょうが、交通体系の視点からすれば、踏切障害の方がネックだったのかもしれません。
更に、鍛冶屋駅のヒデヨシさんの視点には敬服です。
寺前駅や佐用駅の駐泊設備を認識している立場からすれば、この鍛冶屋駅にも駐泊設備が‥と、考えが及ばなければならなかったはずでした。
鍛冶屋駅の項での最後の写真に写り込む畑が、かつての3番線跡だったのでしょうか、古い配線図から読み解く楽しさですね。また、鍛冶屋駅の貨物側線の3線に及ぶ貨物ホームにも視点が向いてしまいます。
配線図の1番線から長く延びる線路が播但線の何処かの駅を目指していた名残りのように感じ、彼方にそびえ立つ山々に行く手を阻まれたのでしょうか、物流網構築を目指した加古川線系のその後の命運を暗示していたように感じてしまいます…。

末尾になりましたが、今回の記事は f54560zgさんの加古川線系に対する思い入れを感じさせる、そんな内容だったのではないでしょうか。

すみもとさん、実は別所駅に関しては加古川線及びその支線の駅の中で唯一の特徴があり、それは最初旅客駅として開業後に後から貨物営業を開始した、ということなのです。他の貨物扱いを行っていた駅は開業当初から貨物扱いを行っているんです。別所駅の場合は1947年(昭和22年)に貨物営業を開始し、1962年(昭和37年)に廃止しています。上記の配線図は1955年ですので、ひょっとしたら記載漏れがあるかもしれませんね。
但し、今回は公開しませんでしたが、1959年(昭和34年)の配線図もあり、やはりこちらも棒線駅状態であること、また別所駅の貨物扱い範囲が小口扱貨物と限定されていること(これも別所駅が唯一の特徴)がちょっと引っかかりますが。
ヒデヨシさん、多分その通りではないかと思いますす。
E10さんもお気づきのようですが、3番線の痕跡が少し不自然な感じがしますね。畑が周囲とほとんど一体化していて、いかにも線路跡、という感じがあまりしない気がします。

f54560zgさま、別所駅は旅客駅として開業していたのですか。これは私の知識不足でした。
別所駅は暫定的に三木線の終点として開業した事、そして現地を知る者として、貨物側線はあったのではないかと思っていました。
本屋からも独立し、且つ、ホームから線路一本分程度隔てて建っているトイレが謎です(石野駅のトイレはホームに隣接しています)。

すみもとさん、貨物側線がなかったとは言い切れないのですが、貨物側線を有していた他の貨物取扱駅と比べると別所駅の場合は多少異なる事情があったようです。計画されたものの実現しなかった、という可能性もありますね。

初めまして、加治屋駅の一番線から延びる線路ですが鉄道敷設当初、加美町まで延伸する計画でしたのでその名残のようですよ。

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