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2011年6月15日 (水)

加古川線配線図

今回は加古川から分岐するもう一つの支線、加古川線です。

過去の記事(厄神粟生野村)と合わせてご覧ください。

1955年(昭和30年)1月時点のものだけですが、一気に。

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・出発信号機が設けられているのは加古川・厄神・粟生・野村のみで、これ以外の交換設備のある中間駅には出発信号機は設けられていません。
・貨物営業が行われていたのは貨物側線を持つ12駅ですが、
 1962年(昭和37年):厄神、市場、小野町、青野ヶ原、野村、比延
 1964年(昭和39年):黒田庄、本黒田
 1968年(昭和43年):滝野
 1973年(昭和48年):久下村
 1974年(昭和49年):粟生、社町
 の順に廃止されています。
・市場駅上りは1・2番線のどちらにも進入できますので、列車交換のないときは上下とも1番線発着となるのではないでしょうか。
・比延駅のホームが?ですが、おそらく下りホームの記載漏れかと思います。
・特徴的なのは野村以南で見られる「梃子集中(及)第二種機械」連動装置です。
・これに関しては以前の三木駅の記事でLJさんからコメントをいただいております。
・第一種機械連動装置の場合は、
  1)信号てこを信号扱所に集中して配置
  2)主要な転てつ器のてこを信号扱所に集中して配置
  3)連動機はてこ付近に第一種機械連動機を配置
 であり、第二種機械連動装置の場合は
  1)信号てこを信号扱所に集中して配置
  2)転てつ器はすべて現場扱い
  3)連動機は転てつ器付近に第二種機械連動機を配置
 なのですが、てこ集中第二種機械連動装置の場合は
  1)信号てこを信号扱所に集中して配置
  2)主要な転てつ器のてこを信号扱所に集中して配置
  3)連動機は転てつ器付近に第二種機械連動機を配置
 となります。
・転てつ器もてこ集中にするならば最初から第一種機械連動にしたほうが保安度が高いように思われますので、なぜてこ集中第二種機械連動を採用したのかが若干疑問なのですが、想像するに当初は第二種機械連動であったものをなるべく安いコストでてこ集中に改修したためなのではないか、と思っています。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

私にとって国鉄で最も馴染みのある加古川線ですから、とても興味深く拝見いたしました。
市場、小野町、青野ヶ原、比延,、本黒田、滝野、久下村の各駅は、上述されているように順次貨物扱いが廃止されていました(他の駅より早く)が、交換設備というより貨物取り扱いのために交換設備が設置されたのでしょうか。確かに本屋の向こう側に一段低いホームが残っていたりする(市場駅は電化の際に交換設備が復活)のですが、機廻り線として使用されていたと考えたほうが自然ですよね。実際にこれらの駅で旅客列車が行き違いをしていたという事実は時刻表から確認できませんし。
それから、粟生駅の本屋横の貨物設備(現在の神戸電鉄のホームの辺り)の配線図も詳細に分かって、面白いです。

連投すみません。
追記させて下さい。
日岡・神野両駅には場内信号機のみで出発信号機が見当たりませんが、列車の交換はなかったのでしょうか。
両駅、旅客と小荷物だけの扱いでしたが、私が物心ついた頃には列車の行き違いはしていたように思います。
それから、市場駅の専用線、何でしょうか。私が小さい頃、地元の地図に市場駅から髭のようにほんの少しだけ分岐する鉄道記号を見た覚えがあります。ずっと気になっていました。

すみもとさん、お待ちしておりました。
確かに交換設備と考えるとちょっと数が多すぎるのでは?と思います。ただ、機回しのためだけの設備と考えるとちょっともったいない気もしますね。
出発信号機は日岡・神野駅に限らず、主要駅を除いてすべて設備されていません。おそらく駅長の手信号だったのでは? ですので列車交換は可能だったと思います。
市場駅の専用線、「日本綿業」(?)でしょうか。このあたり綿業が盛んだったのでしょうか。

そうですよね。
殆どの駅に交換設備とホームがあるのですから、客扱いも行われたのでしょうね。貨物列車のダイヤが分かりませんが、旅客列車と貨物列車の交換があったのかもしれませんね。
三木線には石野、北条線には法華口が同様の形態の駅としてあります。「法華口は昔、行き違いをやっていた」とOBの方から聴いた事があります。
ところで、市場の「日本綿業」と読める文字。聴いた事がないんです。綿業が盛んな地域でもないですし、専用線を必要とするほど大きな工場もありません。すぐ近く(専用線が分岐している側と反対方向)に大きな採石場がありますので、ここの専用線なら納得できるのですが。

加古川線にとって不利な出来事は
鍛冶屋線の西脇を廃止してしまったことでしょうね
先端の鍛冶屋は確かに輸送人員は少なかったですが西脇はとても多く、ほぼすべての加古川線の列車が西脇発着でしたからね
反対に加古川線野村~谷川は筑豊本線の桂川~原田のように閑散としています
加古川から多層建てで発車した列車が分割しながら運転されtる合理的な運転方法もよくダイヤに組まれていたと思います
とにかくこの線は単体では考えれない路線だと思います
私も昭和53年頃全線および視線を完乗しました
もう貨物も支線系は無かったと思いますが、古き良き時代を残していたのを記憶しています
関係ないですが鍛冶屋線といえば四国に鍛冶屋原線と言うのがありました

野村駅の谷川方の出発信号機の数と役割が少しわかりませんね多い気がします
1番線に対する3が加古川線出発
3番線に対する8が加古川線出発
3番線に対する7が鍛冶屋線出発
4番線に対する6が加古川線出発
4番線に対する5が鍛冶屋線出発
で良いのでしょうか?
運転本数が圧倒的に多い鍛冶屋線側を運転上主としていたのでひょっとしたら信号機も鍛冶屋線側を主として建てられていたかもわかりません
建設は西脇までの方が早かったこともありますしね

それと2番線は信号機もないので完全な留置線、細線で描いた方が良いような気がしますがなぜなのでしょう?
誤記かもしれませんが本屋側の貨物側線の終端が繋げて書いてあるのはトラバーサーでもあったのでしょうか?

その後野村駅のほうも拝見しまして信号機写真があったので自己解決しましたキハユニ15写真も撮られていたのですね
たしか加古川線には3両?5両?いたのですね

加古川線には谷川方面から入られたこともあるのですね。
他方や、特に瀬戸内側にいると加古川線や播但線など中国山地を横切る線区へは山陽本線から入るのが定石に感じるのですが、敢えて日本海側から入るのも線路好きならではの旅の醍醐味だったのではないしょうか。
近年の加古川線はカラフルな車両が行き来し、加古川線のイメージも変化してしまいましたが、脆弱さの残る阪神間の災害迂回路線として電化された西脇市内から谷川駅までの区間は、微速で進行する単行列車に、まだまだ素朴さが感じられる線区です。
多くの盲腸線を擁した加古川線ですが、現在は加西市へと通ずる北条鉄道のみとなり、魅力も半減と言ったところですけど、沿線には闘龍灘と呼ばれる隠れた観光名所もあり、今の季節なら川魚料理に舌鼓をうちなからの加古川線の旅路も、レールファンの方々にはオススメなのではないでしょうか。
今回の記事に、私にとっては40年程も前の加古川線で活躍していた、タンクロコC12の面影を求めて再度訪問してみようと感じさせられた、そんな魅力的な加古川線です。

下記の私のブログでも加古川線について触れました。
「旅と野球と日本酒と」
http://blog.goo.ne.jp/fmab77xb/
貴ブログについても簡単に紹介させて頂きましたので、ご報告致します。

すみもとさん、三木線については本日記事を書きました。法華口駅にはおっしゃる通り交換設備が設けられていますね。
多分「日本綿業」ではないかと思うのですが・・・。
加古川線から直角方向に伸びる専用線が確認できますね。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R514-2&photono=10
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckk-74-11/c2/ckk-74-11_c2_68.jpg
今は加古川上流浄化センターになっているようです。
ご紹介いただきありがとうございます。すみもとさんには数えきれないほどのコメントをいただいているんにもかかわらず、すみもとさんのブログにはコメントさせていただいたことがありませんで大変もうしわけありません。
ヒデヨシさん、旅客流動的には鍛冶屋線が主でしたが、設備等はやっぱり谷川方面を主として設けられていましたね。おっしゃる通り2番線は本来細線で描かれるべきと思いますが、貨物側線の終端部もそうですがきちんと描かれていない場合が多々見受けられます。キハユニ15は3、6、9の3両が在籍していました。
E10さん、加古川線は電化によって大きな変貌を遂げましたね。C12が活躍していたころ、見てみたかったですね。

航空写真を見れば一目瞭然ですね。
日本綿業について、少し調べると、市場駅付近にあった可能性があります。
私の思い違いで失礼致しました。

加古川駅の配線図を見て不思議に思ったことを一つ。加古川線や高砂線から山陽本線下りの貨物列車や直通列車が宝殿の方へ行くためにはどうしていたのでしょうか。3番線を通って1~2番線の方まで持っていったのでしょうか。

1089さま
加古川駅には、上り方、下り方にそれぞれ引き上げ線がありました。これを利用して、入換で加古川線・高砂線と山陽本線の間で転線していたようです。

1089さん、基本的にはすみもとさんの通りかと思います。若干個人的な想像で補足しますと、加古川・高砂線から山陽線に向かう貨車はいったん5・6番線あたりに仮置きされ、上り方面行きの場合は4番線に進入した貨物列車が引上線から折り返してこれを連結し、下り方面行きの場合は2番線に進入した貨物列車が引上線から折り返して上下本線を横断してこれを連結してそれぞれの方向に向かっていったのでは、と思っています。

なるほど、よくわかりました。遅くなりましたがありがとうございました。

昨日、加古川線に乗りました。
青野ヶ原駅と滝野駅の旧行き違い線跡が白い砂利のようなもので綺麗に整地されていました。
滝野駅は、JR化後以降の駅舎改修時には行き違い線ホームも撤去されているのですが、そのホーム跡も綺麗になっていました。
今後、加古川線に何か変化が起こるのか気になるところです。

すみもとさん、今後起こるかも知れない「変化」って、もしかして「復活」?

小野町駅は全く何も手が加えられていないんですよ。というのも電化に合せて厄神-粟生間のほぼ中間に位置する市場駅に行き違い設備が復活したからなのかもしれません。
JRは粟生以北も粟生-社町間の青野ヶ原駅、社町-西脇市駅間の滝野駅にも行き違い設備を復活させて輸送能力増強を狙っているのかな、と勘ぐっている次第です。

すみもとさんの「勘ぐり」が的中するかどうか、今後の楽しみですね。私も期待してみます。

帰省の際に加古川線にも乗ってきました。
市場駅の専用線跡は痕跡すらありませんでした。年月の経つのは早いものですね。
青野ヶ原・滝野の両駅へは行けませんでしたので、行き違い設備が復活するのか否かは今後確認したいです。

すみもとさん、ひょっとしたらもう復活しているかも(笑)。

昭和40年代の加古川線を知る者してとても懐かしく嬉しい気持ちになりました。

厄神、粟生、野村、西脇駅の2面3線+側線のある配線図は自分の記憶とほぼ同じ…
日岡や神野駅での列車交換とか
貨物用の列車が走ってたり、
夕方に加古川発鍛冶屋谷川北条町行の6両列車とか…
野村駅でスイッチバックする谷川-鍛冶屋(西脇)とか色々思い出しましたよ。

お盆に帰省したものの行きそびれてしまったのですが、小野市の好古館で下記のような特別展が催されています。
http://www.city.ono.hyogo.jp/~kokokan/
ちなみに、チラシに乗っている写真は、実家の近くを走る加古川線(かなり昔の)貨物列車でした。

10ちゃん56さん、加古川線は分割・併合があって、結構バラエティに富んだ列車が運転されていましたね。懐かしく感じていただければ嬉しく思います。
すみもとさん、加古川-西脇間は開業100年になるんですね。それにしても鍛冶屋線(特に野村-西脇)の廃止が腑に落ちません。

つい先日、小野市立好古館へ加古川線開業100年の展示を見に行ってきました。
国鉄時代、更には播州鉄道時代の史料や写真展示もあり、学芸員氏とお話ができたのが収穫でした。

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