« 姫路の列車運転ルート その2 | トップページ | 飾磨港線配線図 »

2011年6月29日 (水)

網干配線図

英賀保駅はすでに記事にしていますので飛ばして、今回は網干駅です。

まずは1958年(昭和33年)4月。

195804

・網干といえば網干電車区と北沢産業ですが、この時点では電車区は影も形もありません。
・北沢産業もこの時点では鉄道ではなく専用線的な扱いだったようです。配線図にははっきりとは描かれていませんね。
・3番線と4番線の間にある短い行き止まりの側線が妙ですね。普通だったら4番線の外側に設けると思うのですが。

続いて1966年(昭和41年)3月。

196603

・特に変化はありません。

続いて1969年(昭和44年)4月。※※

196904

・網干電車区の前身である明石電車区網干派出所が設けられ、13本の電留線が配置されています。
・北沢産業線は地方鉄道に変わったようですので、「閉塞が行われた本線で貨物列車が運転される」形態になったことになります。配線図上は特に変化はありませんが。

続いて1986年(昭和61年)4月。

198604

・網干派出所は独立して網干電車区となりました。検修庫や洗滌線が設けられて電車区らしくなりましたね。
・1982年(昭和57年)に北沢産業線連絡貨物以外の貨物扱いが廃止され、1番線側の貨物側線は保守用線になってしまっています。
・4番線側の側線に初めて「北沢」の文字が登場していますが、その北沢産業線連絡貨物の取り扱いも1984年(昭和59年)に廃止されてしまい、この時点では北沢産業線は休止状態です。

続いて1992年(平成4年)4月。※※

199204

・北沢産業線は1989年(平成元年)に廃止され、4番線側の貨物側線は撤去されてしまいました。
・3番線と4番線の間にある短い行き止まりの側線は相変わらずです。

最後に1999年(平成11年)10月。

199910

・鷹取工場の機能が網干に移転してきたのは2000年(平成12年)4月ですので、この配線図はその半年前のものになるわけですが、すでに移転準備はほとんど完了しているようですね。
・結構大きい変化があります。
・今まで上下本線間にあった電車区設備は、下り線の移設によって外に押し出されました。さすがに工場設備をいれるだけのスペースがなかったのでしょうか。
・4番線側に新たに5~7番線が設けられましたが、4番線を含めてこれらはすべて本線です。1~7番線すべてが本線という、珍しい配置ですね。
・しかも、上下本線である1・2番線と行き止まりの7番線以外は、上下どちらの方向からも進入でき、どちらの方向にも進出できます。
・行き止まりの7番線の目的がちょっと?ですが。

北沢産業網干鉄道というのは、言ってみれば西濃鉄道のような貨物専業の私鉄、というわけですよね。珍しい存在ではないかと思うのですが、正直よく知りませんでした。厨房機器メーカーの専用線だと思っていましたもので(汗)。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 姫路の列車運転ルート その2 | トップページ | 飾磨港線配線図 »

コメント

子供の頃、家族で海水浴に出かける時、北沢産業の線路を越える国道を通っていて、地図(一般的な)にない同線路を見て、毎年不思議に思っていました。
飾磨港線飾磨駅から新日鉄に分岐する貨物線も子供心に興味津々でした。

北沢産業網干鉄道は想い出深い鉄道です。
いつも機関車が網干駅構内にちょこんと控えており、廃止後も同じ位置に保存されていました。
途中の東芝工場への引き込み線や浜田の機関庫、終点部分の西芝電機への引き込み線や臨港線など、現役当時からトワイライトを満喫できました。
揖保川橋梁はなぜか架線柱があるけれど歩み板はなく、廃止後に調査しようとしてまくら木をたどってこわごわ渡った記憶もあります。
また浜田には「南海鉄道」の銘が付いた木造客車もありましたが、いつの間にかきれいになくなっていたので地元の人に聞いたら「好事家が買い取っていった」とのことでした。
あるとき、機関車が動いていたので撮影していたら、網干駅まで乗せていただいたこともあります。もちろん1閉塞1列車で閉塞装置はなかったように思います。
今はなき北沢産業網干鉄道、久しぶりに思い出しました。
浜田には「南海鉄道」の銘が付いた木造客車もありましたが、いつの間にかきれいになくなっていて、地元の人に聞いたら「好事家が買い取っていった」とのことでした。
あるとき、機関車が動いていたので撮影していたら、網干駅まで乗せていただいたこともあります。
今はなき北沢産業網干鉄道、久しぶりに思い出しました。

加古川~網干のあたりは、高砂線、別府鉄道、日本毛織、飾磨港線、北沢産業網干鉄道と、ツワモノぞろいだったんですね。残念ながら私はその一部しか訪れることができませんでしたが、皆さんはいろいろな形で関わりを持たれていたようですね。

 網干駅1969~1992年配線図に謎の側線が存在していますが何方か御存知のお方はおりませんでしょうか 神戸よりのダブルクロスポイントからホーム迄の側線なのですが此の時代ですので機待ち線でもありますまい 其れより此のダブルクロス自体無意味な設備に思うのですが 其れとも北沢産業線関係の貨車の遣り取りに使われたのでしょうか

yyoshikawaさん、確かに意味不明ですね。有効長も記載されていませんし。いったい何なのでしょう。

神戸寄りのダブルクロスのこと、神戸方に伸びる有効長120mの側線は増結車の入換線です。連結・解放ともここに引き上げていました。配線が変わった今でも解結は行われています。
ダブルクロス部の理由は、将来4番線を下り本線とする予定があり、クロス下り方の行き止まり線が3番線につながり、下り本線は4番線へつながる計画でした。3番線の折り返しを考えるとダブルクロスは合理的な配線です。
この配線は網干電車区の準備とともに設置されました。
現地を見ると将来計画がよく理解できたのですが現在は配線が変わってしまい何も残っていません。

3番線と4番線の間の側線について。線形は4番線が側線を避けるためにS曲線で1線分左へ移動していました。つまり4番線をまっすぐ下り方へ延長すれば側線につながります。
本当に何の理由だったのでしょう?

4~7番線は回送列車の着発線として活用されています。ほとんどが上りの姫路方面なので下り方への出発と上り場内は過剰とも思えます。しかしどの線でも対応可能というのはダイヤ混乱時に大きな強みとなります。

 C6217様有難う御座います実態配線で無い為解りずらかったのですでも御蔭様で理解出来ました
 やはり現地で確認せねば解らない事は多いものです

C6217さん、ありがとうございます。ナルホド、そういうわけですか。
yyoshikawaさん、その通りですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/52077866

この記事へのトラックバック一覧です: 網干配線図:

« 姫路の列車運転ルート その2 | トップページ | 飾磨港線配線図 »

過去の記事

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ