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2011年6月20日 (月)

姫路配線図

今回は山陽線を軸に、播但線、飾磨港支線、姫新線が分岐する姫路駅です。

1979年(昭和54年)8月に手柄山のYHに宿泊しているのですが、姫路駅に関しては写真も撮っておらず、正直全く記憶がありません(汗)。

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004r
・この時点では山陽線を含めすべて非電化です。
・旅客駅の部分と貨物駅の部分が直列に配置されているため、全体としてはかなりの長さになっています。
・旅客駅、貨物駅のそれぞれに転車台が設けられています。
・姫路客貨車区が設けられているはずなのですが、この図のどの部分なのかはよくわからないですね。旅客駅部分の海側の南1~7番線あたりでしょうか。

続いて1958年4月。

195804r
・ちょうど姫路まで電化が延伸された頃です。
・貨物駅部分の上下本線が広がって貨物線群がその間に入る、いわゆる抱き込み式に変わっています。
・貨物駅の転車台付近には「第一機関区」、旅客駅の転車台付近には「第二機関区」の文字が。「第一機関区は蒸機・ディーゼル機、第二機関区は電機」というのがよくあるパターンですが、姫路の場合はどうだったんでしょうか。広島と同じく旅客と貨物?

続いて1966年(昭和41年)3月。

196603r
・この時点では山陽線は全線電化が完成しています。
・旅客駅にあった転車台が姿を消しました。
・但し1984年(昭和59年)3月までは姫路第一・第二の両機関区組織が存在していますので、特に第二機関区は乗務員区的性格が強くなったのかもしれません。

続いて1986年(昭和61年)4月。

198604r
・第一機関区と第二機関区が統合されたのでしょうか、旧第一機関区部分が姫路機関区となっています。

続いて1992年(平成4年)4月。※※

199204r
・飾磨港支線が廃止されました。

最後に1999年(平成11年)10月。

199910r
・高架化工事の関連と思われますが、貨物駅部分はそっくり廃止されて数本の電留線に姿を変えました。
・旅客駅付近の側線群も大幅に規模を縮小しています。

貨物駅は御着駅付近に姫路貨物駅として1994年(平成6年)移転・開業しています。

199910r_2

この後姫路駅は高架化工事が行われ、2008年(平成20年)に工事が完成しています。
加古川や明石、兵庫、神戸などもそうでしたが、高架化の際には車両基地と貨物設備がいつも邪魔者扱いされます。
姫路の場合は車両基地は余部駅付近に、貨物設備は御着駅付近に移転し、結果として姫路駅本体部分は、機能的ではありますが個人的には味気ないものになりました。

また、姫路駅の配線はいろいろと細かいところで興味深い点があります。これについてはまた別の機会に。

配線図はT.Mさん及びKASAさん(※※印)よりご提供いただきました。

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コメント

飾磨港支線を乗りに行ったとき新幹線高架から駅構内全域が眺められたように記憶しています
すでにDE50も留置されていたような…
姫新線もそのとき乗りました

ほとんど馴染のない駅ですので思い出も何もないのですが
その訪れたとき配置図には関係のない
姫路市モノレールの廃墟跡を巡った記憶があります
当時はまだ高架路線もほとんど残っていてビックリしました

 姫路駅以西が単線で描かれている明治期の図を見れば、姫路駅西南西の機関区には15線を擁する立派な扇形庫が描かれ、片や東北東に伸びる播但線に分岐していくような側線等が全く絡まず、(至って想像で恐縮ですが)まず姫操が駅とともに設けられず、後に設けられたのであろうと思えます。
 よく調べてはいないのですが、従って操車場奥の姫路第一機関区の方が歴史的には新しいのでは?と判断しております。後の姫操の設置に伴い、駅側の本来の機関区が第二機関区になり、旅客担当を課されたのではないかと、図上から思えます。
 客貨車区については,播但線ホーム北側と第一機関区東側に検車線があり、目を引くような建屋なく、分散した位置関係にあり続けたであろうとおもえます。
 とあれ、第二機関区や電留線があった所に在来線の高架が建ち、新幹線に沿う形になりました。それは恰も浜松駅と同様の姿で、しかも至ってシンプルな形になりました。新幹線が設計上の基準線です。無論高架過工事途中では、地平の播但線へ繋がる市川以西の臨時の構造は、工程的に興味が持たされました。 

いくつか思い出のある駅です。
山陽本線車窓からよく見えたモノレール。今でもかなり廃線跡が残り、最近は手柄山駅に保存されていた車両が公開されました。
昭和40年代の岡山までの山陽本線沿線では、加古川と共に蒸機を見られる駅でした。姫新線・播但線・赤穂線のC11・C57・C58。
1969(昭和44)年には姉と二人、子供だけで姫新線沿線の伯父の家へ出かけました。大阪から急行「みまさか3号・但馬4号」の併結列車に乗りました。この駅で分割され前部の「みまさか」が先に発車し、後部の「但馬」は(後に知ったことですが)、4両増結してからバックして豊岡へ向かうのでした。
大阪から姿を消した80系電車も、ふんだんに見られました。ぜひカメラに収めたかった113系との新旧快速電車の2ショット、カメラを手にし始めた頃にこの駅で撮りました。
新幹線車窓から何気なく撮った姫路機関区に憩うDD54・EF60や様々な貨車も、今となっては貴重な記録となりました。
悔やまれることは、1974(昭和49)年4月に播但線経由で、豊岡駅に残るC57 128号機の廃車体の撮影に出かけた時のこと。この駅で、わずか3両しかないDD54一次型の1号機と2号機に出逢い、喜んでカメラに収め、1号機牽引の列車で和田山まで乗車したのですが、フィルムがカメラに巻き取られておらず、全て撮影失敗。間もなくDD54は急速に姿を消し、一次型に出逢うことは二度とありませんでした。

姫路配線図ありがとうございます。
山陽本線を少しずつ西進して来て期待感が高まり地元の駅が登場して、これまで他項の駅等、それら地元の方々のお気持ちはこんな感じだったのかと気づかされました。
今回の配線図は、特に姫路第二機関区辺りには感慨深いものがあります。
SYさんからも解説をいただいており、手持ち資料を少し整理して地元の私なりのコメントを改めてせていただきいたいと思います。

f54560zgさん、T.Mさん及びKASAさん、嬉しさのあまり感謝の言葉か見つかりませんが、本当にありがとうございます。

ヒデヨシさん、私もホントに記憶がありませんで・・・(汗)。
SYさん、そうですよね、創業期は旅客に貨物に車両基地もall in oneですが、成長するに従って貨物は分離され車両基地は分離されというのが一般的ですから、旅客駅付近の機関区のほうが歴史がありそうですね。客貨車区の一部は播丹ホーム北側ですか。ちょっと意外でした。
スミノエさん、貴重なお写真、いつか拝見したいですね。私も一度カメラの中でフィルムがちぎれて記録がパーになったことがあります。
E10さん、真打登場ですね。期待しています。

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