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2011年5月25日 (水)

尼崎港線配線図

○○港シリーズ第三弾は尼崎港です。

まずは1955年(昭和30年)1月。

195501r
・尼崎港駅は神戸港や兵庫港のように直接外海に面してはおらず、内陸に入り込んだ運河に接しています。
・従って○○港駅といっても船との関係はそれほど強くはなさそうで、どちらかといえば臨海工業地帯の工場との接点のような感じを受けます。
・もともとの名前を神崎駅に取られ、しかたなく後ろに「港」をくっつけられたような気もしますので、そう考えると最初から港とはそう強い関係はなかったのかもしれません。
・「西神崎」という名前の停車場は停車場変遷大事典にも掲載がありませんので通称なのでしょうか。この時点での正式名称は尼崎乗降場だったようです。

続いて1981年(昭和56年)4月。

198104r
・この図と同じ1981年4月に尼崎港線の旅客扱いは廃止され、尼崎臨時乗降場及び金楽寺駅は廃止されました。
・そして3年後の1984年(昭和59年)には貨物営業も廃止されてしまいました。

歴史的には福知山線の最初の開業区間になるわけですが、官設鉄道への短絡線が完成後は一時は休止されるほどに地位が低下してしまいました。旅客営業が廃止される直前の頃は、本当にこれが大阪駅からわずか8kmしか離れていない場所なのか、と思うような列車が運転されており、強いインパクトを与えてくれました。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

時じゃなくて寺ですね。

すみません、失礼しました、
訂正しておきます。

尼崎港線は日本初の自動遮断機が設置された線だという記憶があります。
また西に延びる専用線跡も遊歩道になっていますが、今でも遺構が見つかります。
住友金属工業の専用線は運河を鉄橋で渡っていましたが、その跡も分かります。
その住友金属工業には今でもトロッコが道路を横断して鉄道ファンを魅了しています。
門の前はだいたい11時頃に横断するようです。

こうして路線全体の配線図を見れば解りやすいですね。今回の記事で、ようやく塚口駅の役割がピンと来ました。
前出の尼崎配線図や以前の1977尼崎の記事と、各項の皆さんのコメントを拝見すれば興味深さが増します。
清水港線、和田岬線、飾磨線等も類似していたのでしょうか、細島線とかはどうだったのでしょう。
港へ向かう線路には、その先の海原へ向かう視界が開けているようで、現実と違う明るいイメージだったのですが…。

yukawaさん、それはそれは貴重な情報ありがとうございます。専用線が現役のころはトロッコの軌道と平面交差していたのでしょうか。
E10さんのおっしゃる通りで、個々の駅をバラバラに見るだけではなく、線区全体を見るとより一層理解しやすい部分が結構ありますね。なかなか難しいのですが・・・。

尼崎臨時乗降場駅の北側に尼崎線乗り場の丸い看板が立っていましたが撤去したのは何年前のことでしょうかとのことです、

尼崎港駅構内に自動券売機が設置をしたのは昭和何年頃から始まったのでしょうかとのことでの質問です、

巽孝一郎さん、いろいろ質問をいただいてうれしく思うのですが、すみません、ちょっとわかりません・・・(汗)。

尼崎港線の昭和31年11月19日のダイヤ改正について尼崎港発川西池田行きと尼崎港発塚口有希のダイヤを教えてくださいいうことで、

巽孝一郎さんのお尋ねの件ですが、

復刻時刻表の昭和31年11月号と12月号を見比べましたところ、尼崎港発川西池田行きは4本、尼崎港発塚口行きは2本で本数は同じです。ただ時刻が若干変わっています。
11月19日にダイヤ改正があったということですので、おそらく12月号がその時刻だと思います。
以下に尼崎港発と終着駅到着時刻を記します。

尼崎港発川西池田行きは4本
 7時48分発~8時21分着
 15時12分発~15時49分着
 18時19分発~18時57分着
 20時2分発~20時36分着

尼崎港発塚口行きは2本
 5時59分発~6時12分着
 17時35分発~17時48分着

となっています。私の持っている時刻表では1959年7月号でも同様の本数と時刻ですが、次の1961年9月号を見ますと、塚口行きは無くなり、川西池田行きは昼間の1本が無くなって3本だけになっています。

時刻は
 7時45分発~8時34分着
 18時19分発~18時56分着
 20時1分発~20時39分着

です。

尼崎港発川西池田ゆきの4往復と塚口ゆきの2往復は客車での運行だったのかそれともディーゼル車での運行をしていましたかとの事ですが、

巽孝一郎さん
 
全て客車列車です。
牽引していたのはこの当時はC11型蒸気機関車です。

昭和31年11月19日のダイヤ改正による川西池田発と塚口発尼崎港ゆきの時刻についてとの事ですが、

巽孝一郎さんは尼崎港線の歴史に強い関心がおありなんですね。
スミノエさん、いろいろお調べいただいて大変感謝いたしております。ご面倒をおかけして申し訳ありません。

巽孝一郎さんが尼崎港線をご利用になったのは大阪の八尾市にすんでいたときの事だったかも知れませんが、

昭和31年11月19日のダイヤ改正による川西池田発と塚口発尼崎港行きの、発時刻と到着時刻を記します。

川西池田発尼崎港行き4本
 5時10分発~5時45分着
 14時20分発~14時53分着
 16時08分発~16時42分着
 19時18分発~19時48分着

塚口発尼崎港行き2本
 7時18分発~7時31分着
 18時発~18時13分着

(日本交通公社時刻表昭和31年12月号より)

一編成の客車列車が6往復していますね。

スミノエさん、ありがとうございます。
終着駅に着くたびに素早く機回しが行われていたんでしょうね。
それにしても尼崎港着18:13→尼崎港発18:19はちょっと忙しすぎるのでは?まさかプシュプル?

尼崎仮乗降場駅は北側と南側に2ヶ所金楽寺駅は南側に1ヶ所尼崎港駅は北側に1ヶ所ありました、

尼崎港線では深夜から早朝までの間にレール交換は昭和24(1949)年から昭和55(1980)年頃までの間に取り替えしたことがありますかとのことです、

巽孝一郎さん、いろいろ質問をいただいてうれしく思うのですが、すみません、ちょっとわかりません・・・(汗)。

尼崎港発福知山行きの普通列車は昭和何年頃に運行をしていましたかとのことです、

図書館にあった復刻時刻表の明治・大正・昭和の時刻表を見たのですが、尼崎港から福知山まで直通する列車はありませんでした。ただ、大正時代には尼崎港(当時の駅名は尼崎)発生瀬行き、三田発尼崎港行き、武田尾発尼崎港行き等が一日一本ありました。
また初めて知ったのですが、大正から昭和初期にかけて気動車も走っています。気動車と言ってもおそらくディーゼルカーではなくガソリンカーだろうと思います。大正14年4月では尼崎港に発着する8往復中3往復、昭和5年9月では10往復中8往復が気動車です。その後、戦争期に入り燃料不足により気動車は姿を消したようです。
f54560zgさん、昭和31年の尼崎港着18:13→尼崎港発18:19はたしかに忙しいですね。でもより以前の時刻表を見るとわずか5分で折り返していたものもありました。例えば、昭和21年3月時刻表によると川西池田発の列車が8時58分に尼崎港に着いて9時3分にまた川西池田に向かっています。これらがプシュプルだったかどうかはわかりません。
また昭和30年10月1日の列車回数表という資料によると尼崎港線の列車は次のようになっていました。
旅客列車
 川西池田⇒尼崎港1本
 塚口⇒尼崎港2本
 尼崎港⇒川西池田2本
 尼崎港⇒塚口2本
混合列車
 川西池田⇒尼崎港3本
 尼崎港⇒川西池田2本
貨物列車
 吹田操車場~尼崎港3往復

それぞれの詳しい時刻はわかりませんが、5分や6分で折り返す列車は混合列車ではないだろうと思います。

大正時代に尼崎港発生瀬行きと三田発尼崎港ゆきと武田尾発尼崎港ゆきは客車での運行をされてたのかそれとも気動車で運行をしていましたかとのことですが、

スミノエさん、図書館にまで出向いてお調べいただき、感謝に堪えません。ありがとうございます。
スミノエさんの情報を見ますと、尼崎港線っていろいろと不思議な運転が行われていたことがよくわかりますね。

尼崎港線には客車の他にガソリンカーや気動車も走っていましたとのことです、

巽孝一郎さんお尋ねの件です。古い順に列記します。
・大正元年2月の時刻表
生瀬発尼ヶ崎(後の尼崎港)行き(客車)が現れ以後大正の終わりまであります。以後まぎらわしいので尼ヶ崎(後の尼崎港)駅は尼崎港と表記します。
・大正2年10月号に
三田発尼崎港行きが出てきます。これも大正の終わりまであり、こちらは一貫して気動車です。なお下り方向は神崎(現尼崎)発三田行きの気動車です。
・大正4年3月号
武田尾発尼崎港行き(気動車)が出ています。
また尼崎港発生瀬行き(客車)も初めて出てきて以後大正の終わりまであります。
・大正7年6月
武田尾発尼崎港行き気動車が中山寺止まりになりました。
・大正7年11月
武田尾発尼崎港行き気動車が復活しています。
・大正10年8月
武田尾発尼崎港行き気動車が無くなりました。
・大正13年3月
この時点であるのは尼崎港~生瀬間1往復の客車と神崎発三田行きと三田発尼崎港行きの気動車です。
・大正16年1月号(昭和2年1月と思われます)
尼崎港~生瀬間1往復の客車が無くなっています。代わりに尼崎港発三田行きが初めて出てきます。この時点では尼崎港~三田間の列車は1往復になっていますが、これは気動車ではなく客車です。
・昭和5年9月号
尼崎港発着の列車は全て池田までの区間列車になっています。

なお、大正年間には宝塚駅と生瀬駅の間に惣川駅があり客扱いしています。この駅は近年まで貨物駅としてありましたが、客扱いもしていたのですね。ただし全ての列車が停車していたのではなく、大正3年4月では大阪発着の列車2往復と尼崎港線の列車下り2本と上り3本だけが停車しています。
それが大正4年になると大阪発着の列車は停車しなくなり、尼崎港線も上りが2本になりました。
さらに大正10年8月号では神崎発三田行きと三田発尼崎港行きの1往復の気動車だけの停車となっています。
そして大正16年1月号では惣川駅が消えています。

スミノエさん、たびたびありがとうございます。
惣川駅は大正15年3月に旅客営業を廃止しているようですが、もともと宝塚~惣川間は700mと異様に短く、また開業時は「大阪三田間各駅及金楽寺、尼ケ崎駅に発着する旅客の取扱を開始す」(停車場変遷大事典)のように、ちょっと特殊な取り扱いをされた駅のようですね。

悠川駅が開業をしたのは明治何年頃でしょうかとの事です、

巽孝一郎さん、停車場変遷大事典によれば、惣川駅は1913年(大正2年)9月1日開業(旅客及び貨物)、1926年(大正15年)3月15日に旅客営業を廃止、1979年(昭和54年)7月1日廃止です。

新年明けましておめでとうございます尼崎港線の尼崎駅仮乗降上の真後ろにはジュースやビール関係の工場もありましたがさて今はなき何になっておるのでしょうかとのことです、

巽孝一郎さん、あけましておめでとうございます。
キリンビールのことではないかと思います。詳しくは知りませんが、URとかココエあまがさきになっている場所だと思います。

尼崎港線で活躍の場を見せていましたC11型燕気機関車は昭和何年頃まで走っていましたかとのことですが、

巽孝一郎さん、すみません、C11に関してはちょっとわかりかねます・・・(汗)。

尼崎港駅からは昔の貨物列車におきまして大阪の龍華操車場行きと京都の舞鶴港行きの貨物列車の運行はありましたかとの事ですが、

C11について、資料やネットで尼崎港線について調べて、考えられることを記します。
福知山線のC11はかつては宮原機関区が担当していました。「1975世界の鉄道別冊 日本の蒸気機関車」巻末の隔年毎の蒸気機関車配置表を見ると、1955年(昭和30年)にはC11は宮原機関区に5両、および宮原機関区所属川西池田機関支区に2両配置されています。ところが1958年(昭和33年)4月10日大阪~姫路間電化完成と同時に、宮原機関区のC11は吹田第一機関区に転属になり、川西池田機関支区は吹田第一機関区所属に変更されました。それにより貨物用機関区の吹田第一機関区が尼崎港線や大阪~篠山口間の区間旅客列車も受け持つようになり、それはDL化後も続きました。
「昔日の福知山線写真集」というページがあります。
http://warheads.s5.xrea.com/tetsuro/fukuchiyama/fukuchiyama_01.html
それを見ると1962年(昭和37年)5月撮影の尼崎港線C11とDD13の写真があります。この頃が過渡期だったのではないでしょうか。
先の隔年毎の配置表でも吹田第一機関区のC11は1961年(昭和37年)には8両あるのですが、1963年(昭和38年)には4両に減っています。この残りは1967年にDD51に置き換えられるまで大阪~篠山口間の区間列車を担当していました。

スミノエさん、ありがとうございます。
私もちょっと調べてみたのですが、鉄道ピクトリアル1962年5月号には、昭和37年2月末時点でのC11の状況として「吹田一の8両は福知山線大阪-園部間(原文のまま)の客用とDD13形の予備車に」と書かれていますので、おっしゃる通りこの頃が過渡期かも。8両のC11はおそらく215、253、255、271、280、316、362、363、残った4両は271、280、316、363ではないかと思います。DD13は昭和37年度~39年度で吹一に30両投入されていますのでこれにより尼崎港線でのC11は終焉を迎えたのでは?

訂正とお詫びのお知らせです(誤)1961年昭和37年とあるのは(正)1962年昭和37年の誤りでした、

巽孝一郎さん、すみません。私の2012年1月23日 (月) 21時58分の投稿文下から4行目の「先の隔年毎の配置表でも吹田第一機関区のC11は1961年(昭和37年)には8両あるのですが」は「1961年(昭和36年)」の誤りでした。

f54560zgさん、ありがとうございます。少し補足しますと、昭和40年4月1日現在の配置表では、吹田第一機関区には271、280、316、363に164号機も加わって5両になっています。龍華機関区から転属してきたようです。

スミノエさん、ありがとうございます。
DD13もすでになく、DD51もずいぶんと寂しくなりましたね。

何度も申し訳ありません。2012年1月21日 (土) 22時28分の私のコメントにまた間違いがありました。
文中7行目『1958年(昭和33年)4月10日大阪~姫路間電化完成と同時に、宮原機関区のC11は吹田第一機関区に転属になり、川西池田機関支区は吹田第一機関区所属に変更されました。』と記しました。川西池田機関支区が吹田第一機関区所属に変更されたのは姫路電化と同時なのですが、C11はそれより先に吹田に転属していたようです。1955年(昭和30年)8月1日現在の配置表によるとC11は宮原に5両川西池田支区に2両配置されていますが、1957年(昭和32年)11月の配置表では、吹田第一区の所属になっています。
「鉄道ピクトリアル」等によると1956年(昭和31年)11月の東海道本線大阪電化完成の前後にそれまで宮原機関区に配置されていたC59・C62は他区に転属になり、宮原は蒸機機関区から旅客用の電機機関区に改修され、EF58が配置されています。おそらくそれに合わせて福知山線用のC11も吹田に転属になったのだろうと推測します。
ちなみに未電化の大阪以西の本線及び大阪駅における構内作業上、全列車の電機から蒸機付替えが困難なため一部残った京都~大阪間の蒸機牽引列車は、姫路電化までC59・C62が残った梅小路機関区が担当していたようです。

スミノエさん、ありがとうございます。
ふと思ったのですが、大阪以西が未電化のときには、直通する列車の機関車交換は大阪駅でも行われたのでしょうか? 大阪駅の配線や単行機関車の回送等を考えると大阪駅での機関車交換はちょっと難しそうですので。

f54560zgさん、「鉄道ピクトリアル」1956年(昭和31年)11月号から11月19日大阪電化完成の関連記事を抜粋します。

「運転計画
①大阪始発終着列車は全部電機牽引。
②大阪〔※『以西』の文字が抜けているのではないかと思います〕直通列車は京都で機関車付替え、以西蒸機。
③京都始発の山陽本線列車は蒸機牽引。
④東海道特急の転向(大阪~尼崎~塚口~宮原操)は電機牽引。
〔この区間も電化。それまではC62が塚口まで乗り入れていた〕
⑤貨物列車の電機・蒸機の付替えは吹田。
⑥神戸始発終着の急行『銀河』の回送(神戸~鷹取)は電機による。
〔※『銀河』は例外的に鷹取まで電機で、尼崎以西で見られる唯一の電機だったのではないでしょうか〕
⑦草津線~本線直通列車は草津で蒸機・電機の付替え。
⑧北陸本線列車は米原で付替え。
 以上に伴い、機関車付替えをする草津・京都、急行『銀河』が回送される鷹取で配線の変更が行われる。」

大阪以西直通旅客列車は急行「銀河」以外はすべて京都で機関車付替えを行なったような記述ですが、別項「時刻改正」の記事では
「大阪以西に直通する旅客列車については、大阪駅における構内作業上、全列車の付替えは困難な為、一部京都~大阪間に蒸気機関車牽引の列車が残る」とあります。
そして「電気車の科学」1956年11月号では
「東海道・山陽直通列車は、原則として電機・蒸機の付替えを大阪駅で行うものとし、作業不能のものは京都駅で付替えすることとした」
と記述されています。どの程度かはわかりませんが、大阪駅でも付替えが行われたと考えられます。
当時東京発福知山線経由大社行きの急行「出雲」は、様々な資料によると大阪までEF58、大阪からC57(後にDF50)が牽引しています。電化以前の大阪駅での付替えの様子が述べられているページがありました。東海道本線を下ってきたC62もしくはC59牽引列車の到着前に、C57が大阪で増結する編成を牽引して待機していたようです。
http://www.mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/LOG-E59.html

山陽本線電化後の話で、私は付替えを目撃した事は無いのですが幼少時の1965年(昭和40年)に、大阪駅3番ホームから東京方のホームはずれに茶色旧塗装のEF58が停まっているのを見ました。配線図から2番線端の側線だろうと推測します。付替え前後の待機だったかと思います。また1975年(昭和50年)頃、山陰本線出雲市~京都間の普通夜行列車「山陰」が福知山線経由で運転されたことがあり、大阪~京都間はEF58牽引でした。

スミノエさん、相変わらずの緻密な情報のご提供ありがとうございます。個人的には前半の「運転計画」なら納得なのですが、必ずしもその通りではないんですね。
大阪駅には機関車の駐泊設備もなく、目立った機待線も設けられていませんので機関車の付け替え作業というのはどうもピンと来ないのです。実際付け替えが行われていたとすれば、大阪~宮原、宮原~大阪間に単行機関車列車が設定されていたんでしょうね。

出雲市発山陰本線、福知山線、東海道本線回りの寝台普通列車京都行きは昭和50(1975)年7月何日から運転を始めましたかとの事ですが、

巽孝一郎さんお尋ねの件です。
時刻表によると、山陰本線出雲市~京都間の普通夜行列車「山陰」が福知山線経由で運転されたのは、出雲市19時9分発の日付で、
1975年(昭和50年)
11月10・12・18・25・28・30日 12月4・8・14日
1976年(昭和51年)
2月19・24日 3月3日
です。当時行われていた山陰本線京都~二条間高架工事のための迂回運転だったと記憶しています。

ちなみに大まかなダイヤは、福知山着翌日2時49分、普段なら福知山発3時、京都着5時25分。
福知山線経由の場合は、福知山発3時38分発、大阪着6時23分、東海道本線経由京都着7時26分。この福知山~大阪間はこの日に運転されていない臨時急行列車「だいせん2号」のダイヤです。大阪~京都間はノンストップ。大阪発時刻はわからないのですが、おそらく大阪で20分程度停車していたと思われます。京都へ行く人は快速電車に乗り換えた方が早く着きます。
福知山線経由は上りだけなので、下り京都発出雲市行きの客車回送の必要上、京都まで運転されていたのだと思います。前述のように大阪~京都間はEF58電気機関車でしたので、福知山線内を牽引してきたDL(おそらくDF50)は宮原へ単機回送されたと思います。

スミノエさん、大変申し訳ありません、ありがとうございます。姫路電化以降での大阪駅での機関車交換って、珍しいですよね。
東京駅でのブルトレの段落としは一種の機関車交換でしたし、上野駅でも成田線~東北線等の団臨は機関車を交換していたのですが、大阪駅での機関車交換というのは正直なところイメージがありませんでした。

巽孝一郎さんご本人が福知山線の通称でもあります尼崎港線に乗ったのは尼崎仮乗降場駅から金楽寺駅までの間だと思います、これは巽孝一郎さんご本人が大阪府の八尾市に住んでいたときです。

巽孝一郎さん、尼崎港線には深い思い入れがあるんですね。

ちょっと調べ物をしているのですが、尼崎港駅からの側線でS金属に貨物を運んでいた線路がありました。30数年前の記憶ですが。
尼崎港駅からS金属までの貨物が、いつごろ廃止、廃線になったのかが解りません。
誰か、記憶のある方、お返事をお願いします。

宜しくお願いします。

どなたかそのあたりをご存知の方がいらっしゃいましたらコメントお願いします。

尼崎港線にある尼崎港駅の新駅舎ができたのは今から何年前のことでしょうか、

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