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2011年5月20日 (金)

湊川配線図

前回の神戸配線図その2に書きました通り、1928年(昭和3年)に神戸駅は貨物取り扱いを廃止してその業務を新設の湊川駅に移管しています。

そこで、貨物営業が行われていた頃の神戸駅の設備に注目しながら湊川駅を見てみたいと思います。

まず、前回の記事の再掲になりますが、1921年(大正10年)の神戸駅です。※

1921t10r
・東海道線~山陽線が左右方向を横切り、これとは垂直に上下方向に伸びる線路が桟橋に達しています。
・桟橋の左側にちょっと見づらいですが「東京倉庫専用側線」と書かれた線路があります。

この線路、途中で途切れていますが、その先はこんな感じだったようです。※※※

4
・向きを合わせるために反転させています。
・1913年(大正2年)に高濱地区の埋め立てが行われて建設された東京倉庫高濱埠頭です。
・線路が格子状に張り巡らされています。スゴイですね。

続いては神戸駅の客貨分離の計画図です。※※※

R
・神戸駅を旅客駅として分離し、小野浜までの貨物線を延長して上で既存の貨物設備を湊川駅として独立させる計画であることがよくわかります。
・桟橋に至る線路はそのまま残っていますが、今までは頭から桟橋に突っ込む形だったものがスイッチバックしてお尻から突っ込む形になっています。
・東京倉庫の専用線も図の下方からの進入が左方からの進入に変わりました。
・計画図ですので実際とは若干異なる部分があるようで、たとえば下のほうに見える神戸駅の配線は実際とは違いますね。

SYさんからも同じような図をご提供いただいています。※

R_2
・記載されている文字が上の図とよく一致していますので、もとは一緒かもしれません。

続いてこれは実際に神戸駅の客貨が分離された後の図のようです。※

R_3
・計画図では記載されていた転車台が見当たりません。

客貨分離後の東京倉庫高濱埠頭専用線です。※※※

Photo
・あいかわらず線路が碁盤の目のようですね。

続いて1955年(昭和30年)。

195501r
・埠頭に至る線路は大きな変化がありません。本線と直角方向に交わる特徴的な配置が延々と受け継がれてきたのですね。
・以前の記事に掲載したものと同じレベルの図なのですが、今回の記事の図は情報量が多い図がほとんどでしたので、それらと比べると寂しく感じてしまいますね。

恥ずかしながら神戸駅と湊川駅が元は一つの駅であったことを、一連の記事を書いている中で初めて知りました。神戸地区臨港貨物線の記事の中でも堂々と「神戸駅と湊川駅もずいぶんと近かったんですね」と書いてしまっていますし(笑)。

従って、湊川駅が真の関西地区鉄道発祥の地であり、この付近には1874年(明治7年)の関西の鉄道の創成期の頃の貴重な遺産があちらこちらに眠っていたのだと思います。

配線図はT.Mさん及びSYさん(※印)及びナイショさん(※※※印)よりご提供いただきました。

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コメント

多くの貴重な資料を拝見させていただき、ありがとうございます。

湊川というのは、汐留のような貨物駅だったのですね。

貨物駅のあった場所は、もちろん再開発されているわけなのですが、その一部にJR西日本の「大阪資材センター」という施設があり、JR西日本関連会社でトラックによる荷物輸送業務を行う会社がその施設を利用しているようです。

まさに物流の形態が変化してしまったということなのでしょうね・・・。

素晴らしい配線ですね。まさに、物流の拠点神戸にふさわしい堂々たる貨物取扱い施設ですね。

そうなんですよね、新橋→汐留と神戸→湊川って似ていると感じますよね。
個人的には、「神戸駅」と聞くと「高架の旅客専用のシンプルな駅」というイメージしかなかったのですが、歴史をさかのぼると貨物に車両基地に工場と、ものすごい駅だったことを改めて知った次第です。

なるほど
湊川駅は神戸駅の生まれ変わりなんですね。
それで神戸駅に近いのも納得です。
まったく知りませんでした。
横浜の桜木町駅も同じようなものでしたかね?

そうですね、横浜→桜木町ですね。
高架の桜木町駅の足元の地平部に東横浜という貨物駅がありました。高架の旅客駅&隣接する地平の貨物駅・・・とくるとプンプンにおってくるのですが、詳しくは知りません、すみません。

 東京倉庫高濱埠頭の碁盤目に引かれた側線ターンテーブルのオンパレードは見事ですねえ 貨車をターンテーブルで90°方向転換して倉庫群の間に貨車を移動させるのに距離的には可也長いのに如何貨車を移動させていたのでしょうか?内燃機関の小型貨車移動機が無い時代小型の蒸気機関車を使ったのか人力移動なのか其れとも馬力牛力での移動だったのか?昔は人件費が安かったので一両の貨車を数人の人力で動かせば移動は簡単で有るが ナローゲージサイズの固定軸距離が短い小型蒸気機関車も存在していますので其れを使用していた可能性も有りますが如何でしょうか

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