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2011年4月 5日 (火)

塚本配線図

東京に向かっての旅は野洲駅でいったん終了です。
今回からは大阪に戻って西に向かいます。

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004
・東海道線、北方貨物線及び連絡線によって三角形が構成されていますが、東海道線は1874年(明治7年)、北方貨物線は1918年(大正7年)、連絡線は1934年(昭和9年)の開通です。
・東海道線は電化されていますが、北方貨物線及び連絡線はまだ電化されていません。
・信号機の配置を見る限り東京方から宮原方への連絡線に入れるのは外側線からだけで、宮原方から東京方へ向かう場合も外側線にしか入れません。塚本駅ホームの神戸方に設けられている渡り線は非常用のようで、列車の通過はできません。
・北方貨物線と神戸方も同様で、外側線からしか出入りができません。

続いて1960年(昭和35年)頃。

196000
・上り線の外→内の渡り線が消えていますが、これは気のせいかもしれません。

続いて1966年(昭和41年)3月。

196603
・神戸方の渡り線は相変わらず側線のようですが、架線は張られていますね。

続いて1972年(昭和47年)1月。

197201
・上り線の神戸方に内→外の渡り線が設けられ、内側線から北方貨物線への進入が可能になりました。

最後に1986年(昭和61年)4月。

198604
・北方貨物線から神戸方内側線に進出できるようになりました。
・ホームの神戸方の渡り線は消滅したようです。

大きな変化はないものの、渡り線が微妙に変化している様子が伺えますね。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

配線図を見て気になったのですが、下り線ホームの神戸方に保線用の横取り線か何かありませんでしたっけ!?
どの図にも記載がありませんし、私の記憶違いでしょうか・・・。

塚本駅と言えばデルタ線の形成での固定座席車両の方向転換ですね。
つばめ はと かもめ はつかり、の昼行客車特急だけの特権のような仕業だったでしょうか。
昭和時代の遠い記憶の昼行客車特急が、この塚本駅を介していたのは、現今の4枚扉車両の停車駅の塚本駅から想像もつきません。
更に、混同しやすい福知山線の塚口駅には緩行列車が同駅発着の列車あったこともあり、イメージ的には格段の段落ちを感じてしまうのですが、近年のデビュー当時の500系が姫路駅まで回送され転線していたような、時代考証を感じさせてくれます。
もう今では、当時の様な国鉄旗艦列車が入線していた姿を想い起こす人々は、ほとんどいないのでしょう。
当時の「つばめ」「はと」は、今では例えようのない特別列車だったのでしょうけど…。

すみもとさん、私が掲載している配線図は運転向けのものと思われ、この類の配線図には横取り線は記載されないようです。もし保線向けの配線図があるのであれば、そちらには記載されるのかもしれませんが。
E10さん、編成丸ごとの方向転換なんて、現代では全く想像できないですね。それ以外にも補機の走行中の開放やミキの連結などからも、当時の「特別扱列車」としての扱いが感じられてきます。

昔この部分の保守を受け持っていましたが、塚本駅から北方貨物線に合流する線を宮操西連絡線と呼んでいました。
コレに対して新大阪駅構内にある連絡線を宮操東連絡線と呼んでいました。
1986年の図ですが、西連絡線と北方貨物線がクロスする場所のクロッシングが可動クロッシングになっていず、西連絡線の安全側線が抜けています。
1972年の図では描かれているのですが。
それと神戸方の横取り線は無かったと思うのですが。
連絡線から先(本線)は別の保線管理室が受け持っていたのでハッキリした記憶は無いのですみません。

床屋のシンサンさん、細かいところまでご覧になっていますね(笑)。配線図には微妙にヘンなところがあったりするのですが、それが間違いなのか事実なのかよっくわからいない場合も多いですね。

 複々線区間の外・内の渡り線の変化が記されて興味深いのですが、これらは非常用のみでなく夜間の保守作業のために使用されていました。(現在は?)
 外側線は夜間も列車が走るため、これらを内側線に変更して外側線の線路保守を行っていました。数時間の保守間合いが確保できれば作業効率は格段に向上します。
 内側線は外側線より規格が低く特急も95km/hに抑えられていました。したがって深夜に通過するブルートレインもその速度で設定され、平常時も外側線を静々と走っていました。

C6217さん、内側線を走行することを想定して本来よりも低い速度で設定されていたとは初めて知りました。情報ありがとうございます。

塚本駅は一時期島式一面で運用していた時期がありました。小生は昭和45年5月から近くに引っ越し当時小六でしたが、梅田へ行くのに時折利用しました。高校通学時にはもう47年の配線図のようになっていました。下淀川橋梁の架け替えにより線路が山側へずれることになり、並行する阪神高速道路との間に高架駅が作られました。詳しい工程はすべて見ていたわけではないのでわかりませんが、下り線が高架上へ上がった状態で本来は列車線と電車線の間にホームがあるのですが、さらに海側に臨時に列車線を敷いて、列車線、電車線、ホーム、上り電車線とした時期がありました。ほかにも例はあると思いますが東武鉄道の梅島とか名古屋市の栄のように真ん中で割り片面ずつ使う使い方をしていました。その後旧線跡が整備され本来の上りホームが建設されて昭和47年のような形になりました。今も下り列車線の外側に線路の引けそうな余分なスペースがあり、ホーム下り端に立つと市道を渡るガーダーが一つ余っているのを見ることができると思います(GoogleMapの航空写真でもわかります)。島式時代はそこにも線路が引いてあって、最終的に余ってしまったわけです。配線的には島式二面が上下電車線間の一面になっただけで信号系統は変わらなかったのだと思います。横取りの話が出てましたが神戸方で宮原西連絡線が分かれてのちに下りの列車線と電車線の間に保守用線路があります。

山側へずれたのではなく海側でした。失礼しました。

マツシマヒロキさん、情報ありがとうございます。
工事の間だけ島式一面になっていたのですね。鉄橋架け替え工事ですからそこそこ長期間だったのではないでしょうか。

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