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2011年4月10日 (日)

甲子園口・西ノ宮配線図

今回は甲子園口駅及び西ノ宮駅です。

(1977年(昭和52年)の西ノ宮駅の配線図はこちら。)

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004
・「西宮」と書くか「西ノ宮」と書くか若干迷ったのですが、1950年時点ですでに「西宮」ですね(笑)。
・下り線側に隣の甲子園口駅付近まで並走する線路があります。Wikipediaによれば川西航空機の工場に至る1067mm軌間の阪神電鉄の貨物線のようで、この先の武庫大橋から先は三線軌になっていたようです。
・隣りの甲子園口駅は単純な島式ホーム2本です。

続いて1960年(昭和35年)頃。

196000
・特に大きな変化はありません。

続いて1966年(昭和61年)3月。

196603
・阪神の貨物線は姿を消しました。
・また甲子園口駅には電車の折り返し設備が設けられました。
・再度Wikipediaによれば、貨物線の用地を下り外側線に転用して甲子園口駅の折り返し線のスペースを確保したようです。
・尼崎駅の記事にも書きましたが、この頃尼崎駅の電車折り返し設備が廃止されていますので、今まで尼崎駅折り返しだった電車を甲子園口駅まで延伸したのでは、と思っています。
・下り線の東京方には外→内の渡り線も設けられており、外側線→2番線、外側線→3番線のルートも用意されています。下り線側にだけ渡り線があるのが不思議です。

最後に1986年(昭和61年)4月。

198604
・突如「西ノ宮」に変わりました。国鉄内部でも「西ノ宮」か「西宮」か混乱していたってことのようですね。
・下り線の外→内の渡り線はなくなりました。まあ、これが自然といえば自然ですね。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 昭和50年過ぎこの辺りを逍遙したことがあります。甲子園球場が武庫川の支流に設けられ、その支流の跡地を訪ね、瀟洒な住宅地の中に微高地を辿りました(阪神国道線の跡も見たかったのですが)。
 国道を東進し、武庫川の土手沿いの松林にかつての線路があり、実際に撤去されていない線路がありました・・・上流側へと辿り、甲子園口駅脇の廃線路は園芸用の花を育成する敷地になっていたと記憶しております。

SYさん、久々のコメント、ありがとうございます。
YAHOOの今の航空写真を見てみますと、甲子園口駅から武庫川までのカーブに線路の痕跡が見て取れますね。
また国道2号線から南側は、旧線路敷と思われる土地に沿って、同じような家が微妙なカーブを描きながら見事なまでに連続しているのには一種の感動を覚えてしまいました。

神戸方からの車中から、長いバラストに車止めで下り内側線の行き止まりを目撃した時は衝撃的でした。
甲子園口行きの緩行列車は知っていましたが、甲子園口駅の配線には大いに違和感を覚え、東京方の3番線から上り内側線に渡る分岐を見て、妙に納得したように思います。
高槻、西明石は緩行列車の電車区があるし、京都、神戸などは需要や、それなりの配線が施されていて甲子園口行きの列車には不思議を感じるのですが、これも大阪を中心とした需要なのでしょう。
西ノ宮駅は、まだ昔の雰囲気が少しだけ感じられる駅ですね。
阪急電鉄などがJR新快速停車駅の競合駅から撤収している現状をみると、ここ西ノ宮駅は、まだまだ私鉄の脅威に曝され続けるのでしょう。

この区間の電車の折り返し線はそれなりにスマートな形態のものがほとんどな中で、この甲子園口駅だけはいかにも急造、という違和感がありますね。
以前にも書いたのですが、私の中ではいまだに日中の緩行電車は京都←→甲子園口、吹田←→西明石という系統に分けられているイメージしかありません。今はだいぶ変わってしまったかと思います。吹田や甲子園口の折り返し線は使用されているのでしょうか。

甲子園口に昭和49年(幼少期)より住んでおりましたが、2番線の折り返しは当時よりありました。電車区も無いのに、折り返し駅となったのには、おそらく組合の関係だと思います。(楽に通勤したい)
甲子園口にはとてつもなく大きな国鉄官舎の団地がかつて存在しました。小学校の生徒の半数位はは国鉄職員の子供でしたから。
朝から夜まで甲子園口始発の普通電車は有りましたが、現在では確か夜間の留置として1往復あるくらいだと思います。ちなみに今はその官舎はほとんど残って無いと思います。

kzn00380さん、情報ありがとうございます。今ですとそうはいかないでしょうが、昔はそのようなことがあったかもしれませんね。

ピクトリアル臨時増刊阪神電気鉄道に澤内一晃氏投稿の阪神電気鉄道の貨物輸送に武庫川線貨物関係の記事が有り1952年の洲崎の写真が二枚掲載されてます 米軍関係の貨物が主体で1951年のダイヤでは定期変運用不定期含め一日上下合計6本設定されてました 1947年には140.000屯の輸送量が有りました 以上ご参考迄

日中の甲子園口折り返しは、当時内側線を走行していた新快速に高槻で抜かれた緩行電車が、足が遅いために次の退避駅である芦屋まで逃げ切れないので、やむなく京都-甲子園口、吹田-西明石に系統分割したため発生したものですね。

その後、新快速が更なる到達時間短縮のために外側線走行へ移行したのと103系の撤退で系統分割の必要はなくなりましたが、民営化移行後の利便性向上から神戸、さらには西明石まで運転区間が延伸され、現在は甲子園口折り返しはほとんどなくなりました。

 甲子園口の折り返し新設は名無しさんのダイヤ構成のとおりですが、輸送量の段差への対応もあったかと考えます。吹田~甲子園口の緩行の本数が倍になったのですから。それまで緩行も15分間隔でした。(現在は7.5分間隔)
 折り返し設備を設置する前の貨物線はよく覚えています。西宮から伸びた用地は今も残っている筈です。甲子園口駅部分は折り返し用地に転用されましたが。
 当時は阪神と国鉄を結ぶ連絡線を旅客営業すればと考えていました。需要はある筈だし、貨物列車は少ないのでダイヤの支障はありません。

国鉄時代武庫川線の先に臨港線を建設する計画があった様です
武庫川の貨物線は当初阪神洲崎に軍需工場への貨物輸送の為阪神の線路に三線で乗り入れ輸送していたが終戦で工場閉鎖後跡地は米軍施設となり引き続き利用されてました武庫川貨物線向け貨車は京阪神間方向別複々線下り線のみ接続ですからワンウエー
で送り込まれたと思いますが米軍専用列車であれば編成ごと着発してたでしょうから武庫川線向け到着貨車は吹田操車場発送西の宮で武庫川線にはいる武庫川発送の貨車は西の宮経由鷹取操車場へ其の先各地へ送られたのでしょう

yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。
名無しさん、C6217 さん、甲子園口折り返しは新快速を運転するための対応策だったということですね。

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