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2011年4月30日 (土)

鷹取配線図

今回は鷹取駅です。

(1977年(昭和52年)頃の鷹取駅の様子はこちら。)

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004r
・神戸方からの方向別の複々線は鷹取駅東方の立体交差で線路別となり、さらには鷹取駅西方で複線に収束しています。
・最初は鷹取駅西方の平面交差で電車とそれ以外を振り分けていたと思っていたのですが、いろいろ細かいところを見ていくと、どうもそうではないような気がしてきました。
・考察その1:山陽線の下り場内信号機を見ると、信号機についての進路の説明が「神下旅-・・・」「神戸下貨-・・・」という表現になっています。また上り1~3番線の出発信号機についても「・・・-神上貨」という表現になっています。つまり複々線を「旅客線」と「貨物線」の複々線ととらえてるように思えます。ただし2番線の出発信号機が「2-神戸上旅」でなく「2-神戸上貨」となっているのが解せませんが、これは書き間違いではないかと。
・考察その2:同様の観点で前回記事の兵庫駅の配線図の1950年(昭和25年)版を見ると、門司方に対しては鷹取駅と同様「旅客線」と「貨物線」の複々線ととらえてるように思えますが、神戸方に対しては「外側線」と「内側線」の複々線ととらえているように思えます。
・すなわち、兵庫~鷹取間の複々線は「旅客線」と「貨物線」の複々線であり、鷹取駅西方の平面交差では旅客列車と貨物列車の振り分けを行い、電車と列車の振り分けは兵庫駅で行われていたのではないかと思うわけです。そりゃそのほうがいいですよね。少なくとも旅客列車同士の競合は発生しなくなるわけですから。
・その他では、和田岬線の関係と思われますが、門司方から下りの貨物着発線に進入するルートが設けられています。
・また、電車用の折り返し線が設けられています。
・海側(配線図の上側)にも貨物側線が設けられているのですが、入換は本線引上げ以外に方法はなさそうです。

続いて1958年(昭和33年)4月。

195804r
・新長田駅が開業しました。
・鷹取以西が複々線化され、信号機の進路説明の表現が「旅客」「貨物」から「列車」「電車」に変わりました。
・門司方から下り貨物着発線へのルートはなくなりました。
・電車の折り返し線もなくなりました。
・海側の貨物側線に対しては、引上げ線から電車の複線を一気に横断する形になりました。

続いて1966年(昭和41年)3月。

196603r
・鷹取駅西方に、列車線下り→電車線下り、電車線上り→列車線上りの渡り線が新たに設けられました。
・同じ機能を持つ渡り線が兵庫駅に設けられているのに、わざわざ平面交差までさせて鷹取駅に渡り線を設けたということは、単純に考えれば鷹取始発→下り電車線、上り電車線→鷹取終着というルートが必要になったため、と思うのですが。鷹取を通過するのであればそれこそ兵庫で転線させれば済むことですから。
・ただし上記ルートを走る列車が思い浮かびません。鷹取工場関連かとも思ったのですが、明石電車区と鷹取工場とは直接の関係がないような気がしますので、勝手な想像の域を出ません。

最後に1986年(昭和61年)4月。

198604r
・海側の貨物側線が廃止されたほかは変化はないようです。

この後震災の被害を受け、工場機能は網干へ移し、逆に貨物駅機能を神戸港から移して、今では神戸地区の貨物の顔として機能し続けています。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

すみません、一番上の配線図は何年のものなのでしょうか?
それと、二番目の配線図は1958年(昭和33年)4月で、「鷹取以西が複々線化され」とありますが、鷹取~西明石間が複々線化されたのは1965年(昭和40年)3月28日だと思うのですが・・・?


失礼しました。最初の図は1950年(昭和25年)4月です。
鷹取以西の複々線化についてはWikipedia等でおっしゃる通りの記述がされていますが、1958年の配線図には若干異なる記載がされています。詳しくは次回の記事をお待ちください。

33年の配線図では無くなっている門司方の電車折り返し線の有効長が絶妙で、住吉の項での usabonさん等のお話のように、鷹取-住吉間の電車が4両編成だった事と活躍時期が読み取れます。
この鷹取駅を通過する時、上りなら鷹取工場の風景と、新長田駅まで続いているヤード引上線に、下りは鷹取機関区の転車台に短形庫と駐泊車両を見るのが楽しみで、数両のDLと、それに運用上の都合なのか必ずEF65-1000番台が機関区周りに待機していて、入換小運転が主務の鷹取機関区で異彩を放っているようでした。
それとやはり鉄道工場の最寄駅で、様々な車両達に偶然巡り会える緊張感も絶えず持ち合わせていました。

鷹取の特徴として、構内に河川が通っていることでしょうか、転車台と短形庫の3線の車止右側と6線程の車止群の間に河川がありました。
これは中津川機関区に次ぐ珍しさではないでしょうか。
更に、超大型SLの D52が素早く配されたのも鷹取機関区の特徴で、稲沢-吹田間の米原機関区、梅小路機関区と同様、吹田-姫路間は鷹取機関区だったのでしょう。
戦後は D52(11両)と港湾地区用の B50(10両)に 8620と、古典タンク機に C12で 30両規模の内容を擁しています。
その後、D52は整理され、D51 D50に変わり、30年代半ばには 8620(14両)と D51(3両)の陣容で地道な活躍が続きますが、東灘機関支区同様、40年代までに無煙化を迎えます。
この鷹取機関区と似通っている機関区は思い付かず、大宮機関区や新小岩機関区では性格が違うし、同じ港湾地区の横浜機関区と浜川崎機関区が似ているようですが、隣接する主要工場と重幹線上に位置する点は異なり、そうかといって苗穂機関区や名古屋第一機関区でもなく、やはり鷹取機関区は数有る機関区の中でも独特の役割だったような気がします。

上り線で先程の河川から山側を見ると、鷹取工場への引込線のガーター橋が見え、たぶん今でも河川法面にその面影が残っています。
また、鷹取工場移転後も長らく試運転線跡辺りの上り線山側に小さなクレーンのような機器が残っていて、鷹取工場の名残りのように感じました。

昭和54年夏の北海道からの帰り、寝台特急のデッキの折戸が開き大阪駅のホームに降り立つと、二週間程いた北の大地とのあまりにも違う気候で、その蒸し暑さと座れない新快速の混雑さに、快速で冷房が効く普通グリーン車なるものを初めて利用してみました。
車内が空いていて誰気がねなく車窓の写真が写せる状況で、日よけのため右側に座っていたのも幸いに、快速の車内からこの鷹取構内の写真を写しました。
早い速度の車内から、たった二枚だけの撮影でしたが、意外と鷹取機関区の転車台を含めた、いい雰囲気の写真が写せ、それに満足感を得ていたのか、その後、約20年間に渡り数え切れないほど鷹取機関区を車内から見ましたが、遂にその地面に降り立つことはありませんでした…。

1966年の配線で、折返し線を突き抜けるように設けられた渡り線のことですが、鷹取工場と吹田工場などを結ぶ配給列車のためにあったような記憶があります。
また海側の専用線はシェル石油の専用線で、山陽本線とはほぼ直角で南下し、道路をいくつか横切っていた記憶があります。もう40年ほど前の記憶ですから間違っているかもしれませんのでご容赦ください。

鷹取機関区、私にとってもちょっと不思議な機関区ですね。吹田と姫路の間にD52のような本線用の大型機関車を配置する機関区が必要だったのかどうかが不可解なところですね。港湾関係用の入換機関車基地、ということであれば納得できるのですが・・・。
構内を流れる川、う~~ん、鋭いですね。転車台付近とその神戸寄りの側線群(多分鷹取貨車区)が妙に寸断されているのが以前から不思議だったのですが、空中写真を見て目から鱗状態です。配線図だけ見ていたのではわからないことですね、ありがとうございます。
yukawaさん、情報ありがとうございます。そうですよね、やっぱり鷹取工場がらみの渡り線ですよね。

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