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2011年3月 3日 (木)

大阪環状線配線図 1958年

大阪環状線関係のコメントを多くいただいておりますので、急遽予定を変更して大阪環状線の配線図を掲げたいと思います。

今回は1958年(昭和33年)4月です。

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・この時点ではまだ城東線ですね。城東線が天王寺~大阪、大阪~桜島間が西成線です。
・関西線が湊町及び浪速方面に続いているのですが、配線図には記載されていません。
・1番線はホームに面しているように見えますが、本線ではないようです。

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・このあたりは特にコメントありません。

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・猫間信号場から分岐する線路が描かれています。
・玉造付近の高架化に伴い、玉造駅の地平の貨物設備と本線とを接続するためのものでしょうか。
・猫間信号場から玉造貨物駅の間には入換信号機が見えますので、この間は列車ではなく構内運転でしょうか。

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・京橋から淀川方面に分岐する線路は本線ですね。
・電車の入出区だけなら入換信号機でよいのでは?と思いましたが、先ほどの玉造貨物駅方面からの貨物列車がここを通るようです。
・逆に、回送電車も「回送列車」として運転されていた、ということですね、きっと。

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・この時点では城東線と西成線とは直通運転がされていたようですが、大阪駅の雰囲気は終端駅の様相です。大阪止まりの城東線電車も多く運転されていたということでしょうか。

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・野田駅付近はまだ地平ですので、貨物用の線路が普通に分岐しています。
・西九条から先は桜島方面につながっているのですが、今回はここまでです。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 環状線化以前の、城東・西成線の、貴重な配線図を掲げて頂き、厚くお礼申し上げます。
 反対方向から。大阪市場駅の配線構造は思い出せるのですが、地平時の野田駅の姿は頭で思い描けず、改めて考え直されました。福島~野田駅間を阪神電車がオーバークロスしていて、今では想像だに出来ない様を想像します。天満駅の先、堀川という水路だったところには、地平時の煉瓦積みの橋台跡が高架を走る車内から望めました(後に内回り専用ホームが設けられました)。桜宮駅では、大川(旧淀川;大阪市内を貫流する:新淀川は中心部をさける半ば放水路)を渡っていた古い架橋が思い出されます。天守閣を正面に臨める猫間信号所だった付近。国土変遷のアーカイブを見て、天満橋・上本町駅という私鉄のターミナルの曽ての姿も窺えるのですが、城趾の周辺の着弾跡が生々しくて、引くのをやめました。
 玉造駅、東側に地平時のホームがS50年位まで残遺しており、高架下に運輸事務所があって、自身は10代後半、そこが貨物施設に転用されたため、ずっと遺っているんだと殆ど思い込んでおりました…いやはやです。ここへ至る単線の配線跡をさがして訪ねて歩いたこともあるのですが、中途の赤い提灯に否応なく誘われて…。
 寺田町・鶴橋駅手前の渡り線は記憶にあります。
 そして、天王寺駅ですが、関西鉄道が大阪駅に連絡するための出発点で、いうなら関西鉄道から旅客・貨物を大阪駅に向かわせた事になります。
 城東線サイドは城東貨物線による客貨分離を含め、S10年位までに電化・高架化を整え、掲げておられる配線図から旧型国電最大6輌が走る市内線の様が読み取れます。
 その後、自身は101~201系の色に長らく馴染んで来たのですが、ヴァリエイションも増し、新たに改装されるターミナルの近未来的な姿に、走る車両も充分相応していると信じてやみません…関西人のささやかな、多分意地と希望なのでしょう。。。

 

着弾跡は確かに生々しいですね。ちょっとドキッとしました。
赤提灯の誘惑に負けず線路跡探訪ぜひお願いします。

予定を変更してまで急遽配線図を掲げてくださり、ありがとうございました。感謝いたします。
放出の項でコメントいたしました貨物列車の事ですが、あれを見たのは大阪環状線(当時は城東線)の京橋駅内回り側で、まだ城東線の下の地平を走っていた京阪電車の北側と国道1号線の間にあった親戚の家の2階の窓からでした。正面は城東線の京橋駅ホームの北端あたり、右手方向地平に京阪の踏切が見える位置でした。片町線は京阪よりさらに南側だったので、それは知りませんでした。
飽きずにオレンジ色の電車ばかりの城東線を眺めていた時に、突然大きな汽笛が聞こえ、森ノ宮方向からゆっくりと長々とした蒸機牽引の貨物列車がやってくるのが見えました。それが京橋駅を通過して、轟音と共に国道1号線上の橋梁を渡って行くのを茫然と眺めていました。強烈な印象が残りました。幼かったので、形式は判然としないのですが、今から考えると、汽笛の音が太くて、形的にはD51かC58だった様に思います。.なにぶん物心ついた頃の記憶なので、小運転列車ということを考えると8620だったのかもしれませんが。
それが何処から何処へ向かう列車なのか解らず、成長して鉄道誌を読めるようになり知識も付いた頃は「湊町か大阪臨港線から淀川駅への列車が、何らかの事情で城東貨物線が不通になって、京橋経由で来たのだろうか?」などと想像していました。
大阪環状線を走る蒸機牽引貨物列車といえば、梅田から西九条を通って桜島へ向かうD52や大阪臨港線の8620が有名で、雑誌等では写真入りで紹介されています。また城東貨物線から淀川への連絡線についても、市電と平面交差する踏切を通過する8620や、蒸機ではありませんが商店街を突っ切るDD51の写真も見ました。しかしあの列車については雑誌や写真集では全く見たことがない。ずっと後の成人後かなり経った頃、やっと「昭和36年4月までは玉造に貨物駅があり、そこから淀川へ貨物列車が運転されていた」と知りました。もっと早く知り、せめて玉造貨物駅跡地だけでも見たかった。
より詳しく知りたくなり、交通科学博物館の図書室で調べたり、いろいろな人に尋ねましたが、それ以上の事は全く謎でした。今、玉造貨物駅やあの列車がたどった配線図を見る事が出来て、大変嬉しいです。市電との平面交差も2か所あり、想像するだけでわくわくします。

すみません。お詫びして訂正します。
上記の文中「正面は城東線の京橋駅ホームの北端あたり」と記しましたが、親戚の家の正面は、城東線京橋駅ホーム端よりもっと北でした。ホーム北端は現在高架の京阪と交差していますが、地平時代の京阪はそれより更に少し北側です。跡地は歩道付き道路となって環状線下をくぐり抜けています。そこから当時市電も走っていた国道1号線までの間、僅か50メートル程の一角に親戚の家がありました。
ちなみに現在高架の京阪京橋駅は環状線内回り側にホームがありますが、地上駅は外回り側でした。

交通科学博物館で大阪環状線開業50周年記念企画展が開催されるので、何かまたわかる事があるかもしれないので行ってみます。

淀川貨物駅のSL仕業ですが、文献を調べてみたのですが中々無く、「淀川貨物駅」でネット検索してみますと、吹田機関区のD51(SLファンには有名な吹田のデフなしナメクジも)が担当していたことや、8620(所属不明)が入換していたと知りました。
もしスミノエさんがSLの汽笛をご記憶でしたら「ボォー」ならD51、「ポォ−」なら8620の可能性が有るのではないでしょうか。内容的に的確さがなく申し訳ございません。
なお、検索上位の『な・に・か・は・ず・れ・た』さんのサイト内に航空写真のジャンルがあり、淀川貨物駅を含む貨物駅ばかりが15ヶ所程ピックアップしてありました。(猫OGさんもご興味がありそうな港周辺区域も)
この機会に淀川貨物駅周辺の鉄道を調べてみましたが、京橋駅を中心に、この辺りもかなりの変遷が有りそうで実に興味深いです。
あと、いつもの余談ですが、私にとっての鉄道趣味の出発点とでも言える、徳山の項でお話させていただいた昭和34年11月号の小型時刻表なのですが、時刻表内の路線図は当然当時は配線図のように環状線として繋がっていなく、大阪駅からは桜島駅へ、京橋駅からは片町駅へ、天王寺駅からは湊町駅へのそれぞれ終着駅となっていました。
私の中ではこれが基本形で、次に入手したの昭和46年の大型時刻表で大阪環状線を目にして、当時は幼心に大いに違和感を感じたものでした。
先日、実家から発掘してきたその昭和34年の時刻表は、もう何十年も前にセロテープで補修をしていたのですが、今となってはそれも茶色く変色し、そっと触ってもバラバラになりそうなほど劣化が激しく扱い方に注意が必要なのですが、絵表紙はビジネス特急こだま号運転とありクロ151(当時は20系電車?)の簡素な絵が印象的です。
また、見開きの写真入り広告ページには開聞岳にバスの写真があり、当時、指宿線山川駅までしか開業していなかったのですが、何故か鹿児島本線山川駅から開聞岳駅まで国鉄バスで50分とあります。他には、稲佐浜、鮎川港、三津浜、鳴子峡、有馬温泉に、変わったところでは土佐犬の広告が掲載されています。時刻表路線図に行く前のその最終ページには伊豆の達磨山キャンプ場の広告があり、美しいススキが生い茂る山肌の斜面に白い小さなコテージ風の建物が点在し、その下にコート姿の一人旅風の女性がベンチに座っている姿が掲載されているのも印象的です。
今では旅先の情報などは溢れ返っていますが、もう50年程も前の当時はこの広告写真を見て旅立った方々がたくさんいらっしゃったのでしょうか、昔の小さな時刻表に、小さなロマンを感じてしまいます…。

前出の私のコメントに記載ミスがあり、本項や徳山の項での昭和34年小型時刻表は、「昭和33年11月号」でした。一年擦れており、お詫びして訂正させていただきます。
34年11月号をお持ちの方は怪訝に感じられたと思います。申し訳ございませんでした。

あと、京橋駅の配線なのですが、私が付近の大阪環状線を利用したのは昭和60年代以降だったと思うのですが、当時、1番線と2番線の間に中線が有ったのではないかと微かに記憶があります。79年(昭54)の配線図にも記載されておらず、私の記憶違いだったでしょうか。
大阪方に本線から分岐した辺りに中線に向かう斜めのガーター橋が有ったようにも思います。
その後も、381系などが中線に停車していたような記憶があるのですが、私の全くの思い違いなのか、それは79年以降の敷設だったのでしょうか…。

私が持っている時刻表は、最も古いものでも昭和47年4月号で、すなわちすでに新幹線は岡山まで開業しており、東海道在来線の華やかな頃はうかがい知れません。昭和33年の時刻表だけでなく、他にももっとすごいお宝が眠っているかもしれませんね。
京橋駅の中線は私の知る限り(たいして知っているわけではありませんが)、現在に至るまで存在していないと思います。「381系が停まる中線」というと・・・阪和線関係?
大阪寄りのガーダー橋は、京橋駅の配線図に描かれている、内回りと外回りを結ぶ渡り線だと思います。

 “ f54560zg”さんの仰せの通り、環状線京橋駅に中線はありませんでした。単線時分の京橋駅には、南側に本屋が有り、高架上東側に狭いホームがあり、大正期に複線化され、そのホーム跡が内・外回りの軌道間になったと聞いております。よって外回り線が増線化されたのでしょう。
 なお、同駅の渡りの下に地平時の京阪線(複線)が走っておりました(万博時に複々線高架化)。記憶では国鉄京橋駅の北口を出ると、京阪線を地下道でくぐっていて(上下線の改札口は別々)、この狭い商店街が連絡道になっておりました。なお、京阪線京橋駅のホーム東端部は国道2号を越えるために勾配が付いておりました。さらに北に向い、国道を越え、京街道(平たく言うと江戸時代の国道2号)だった商店街の中途に淀川区・駅~吹田・放出駅の連絡線が横切っておりました。
 さて、皆様にあっては事なきであられることを深く願っております。
 分かり難い喩えで申し訳ないのですが、深いトンネルを掘った際、応力解放が故に「山はね」という現象があります。高い圧力で山体を支えていた岩辺が、トンネル、つまり1気圧側へと跳びはがれる現象です。よって、今回の自然的事象は謂わば圧倒的な応力解放である以上、その西側にある地質学的な歪みを有した弱線や地域では、程度の違いはあれ、今までの歪みを解消する自然現象がたびたび生起すると思えます。
 皆様にあられては、くれぐれもご自愛なされますように。

E10様、どうもありがとうございました。
私があの時聞いた汽笛は、間違いなく「ボォーッ」と、腹の底まで響くような音でした。
また、私の住んでいた近所には蒸気機関車は走っておらず、日ごろ身近に接することはなかったのですが、どこかへ出かけた時に見た蒸機の汽笛もすべて「ボォーッ」でした。だから幼少の頃から遊びで蒸機の汽笛をまねする時はいつも「ボォーッ」と、言っていました。
「ポォー」という甲高い汽笛は、現役蒸機末期の1974年に北九州で9600型を見た時、初めて聞きました。そんな汽笛の音があるとは、それまで知りませんでした。

大阪環状線京橋駅は1番線と2番線の間に中線があってもおかしくないほど広いですが、私の知る限り中線の記憶はありません。環状線で381系というと、「くろしお」以外では今回の3月12日改正で廃止された「やまとじライナー」が思い浮かびます。御存知の方の話によると、それは基地の日根野から一旦JR難波まで来て、そこから天王寺に引き返して環状線ホームと関西本線ホームの間にある中線にしばらく留置された後、環状内回り線経由で始発駅大阪まで回送されます。ですから、その時に京橋駅は通過します。
その他、環状線京橋駅の381系で思い出すのは、1990年(平成2年)開催の花の万博の時に運転された「エキスポくろしお」です。天王寺から環状線西九条~大阪経由で京橋まで乗り入れていて、京橋到着後森ノ宮電車区で休んでいました。又その時485系の「エキスポ雷鳥」も、京橋~天王寺~西九条~梅田~新大阪~北陸という経路で運転されていました。

京橋駅の線間にはかつてはホームがあったのですか。あいかわらずSYさんには脱帽です。
また、381系と大阪環状線に接点があるとは知りませんでした。加えて485系まで乗り入れたことがあったとはオドロキです。情報ありがとうございます。

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