« 大阪環状線配線図 1961年 | トップページ | 大阪環状線 1976~1978、1992 »

2011年3月 9日 (水)

大阪環状線配線図 1979年

大阪環状線の配線図はこれが最終回になります。
1979年(昭和54年)10月時点とのことなのですが、後述の通りちょっと怪しい気がします。

1979101
・環状線のりばは環状1番・2番です。
・東海道線との渡り線、まだ残っているのでしょうか。

1979102
・高架化されてさっぱりとした駅になってしまいました。
・貨物列車は環状線とは別に設けられた貨物線を走ります。
・1992年の福島駅~野田駅の様子はこちら

1979103
・前述の「1979年は怪しい?」という根拠がこの西九条です。問題なのは環状線と梅田方面への貨物線を結ぶ渡り線です。
・この渡り線は1989年(平成元年)7月のくろしおの新大阪・京都乗り入れ開始に対応するものだと思うのですが、そうであればこれより10年も前の1979年にすでに渡り線が完成しているとはちょっと考えづらいですね。
・それに、過去の西九条の記事と比べていただくとわかるとおり、1992年(平成4年)時点とは配線が違っているんです。またWikipediaの西九条駅の項には最新と思われる配線図が掲載されています。
・渡り線が設けられる以前の配線をA、1992年の記事の配線図をB、上の1979年時点の配線図をCとすると、Wikipediaの配線図はCです。
・従ってこれをそのまま信用すると、西九条駅の配線はA→C(1979年)→B(1992年)→C(Wikipedia)と変化したことになります。これはおかしいですよね。
・推測ですが、配線がBからCに変更されたのは1994年(平成6年)のはるかの運転開始時ではないかと思うんです。すなわち、A→B(1989年頃)→C(1994年頃)ではないかと。
・よって上の1979年(昭和54年)と称する配線図は、実は1994年(平成6年)以降のものではないか、という推定です。

1979104
・まだ境川信号場も現役です。

1979105_2
・今宮駅に環状線ホームが描かれていますので、1997年(平成9年)以降の配線図、ということでしょうか。

1979106
・阪和線との連絡線を見ると2008年(平成20年)以前のものではあるようです。

1979107
・このあたりは特にコメントありません。

1979108
・森ノ宮電車区の入出区関係は少し複雑そうですね。
・内回りから入庫の場合、3LGで入出区2番線に入り(当然回送電車として)、方向を変えて13Rで入庫というパターンと、3LE~5Lで京橋駅2番線まで客扱いで入り、方向を変えて17R~入出区2番線~13Rで入庫、という2種類が可能なようです。
・外回りへの出庫も同様で、11Lで入出区2番線に入り、方向を変えて回送電車として20Rで出発するパターンと、11L~入出区2番線~15Lで京橋駅1番線まで入り、客扱いをして6Rで出発、という2つのパターンがありそうです。
・京橋駅ホームの桜ノ宮方に車両停止標識が1つしか描かれていないのが解せませんが。

1979109
・ここも特にコメントはありません。

19791010
・森ノ宮電車区です。
・明石電車区も同じなのですが、このテの電車区に設けられている試運転線、いったい何が走るのでしょうか。試運転線が設けられている車両基地って、あまり見かけないと思うのですが。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 大阪環状線配線図 1961年 | トップページ | 大阪環状線 1976~1978、1992 »

コメント

地元出身者として一言……

西九条もヘンですが野田の貨物線の分岐も抜けてますね。92年の探訪の画像で
「ガードをくぐらずに直進する他の専用線もあったようです」
とある所が3線あったヤードの跡で、ヤードとその奥の専用線は59-2の改正で廃止されました。大阪市場駅は駅としては59-2で廃止されましたが野田駅構”外”側線として60-3改正まで存続しました。

大阪市場(→野田駅構外側線)行は梅田方から直接高架を降りて行きましたが、野田行は1日2回11:40と20:30頃に安治川口方から来て推進で地上へ降りて到着と発送を取替え、梅田へ向かっていました。

表紙には確かに「昭和54年10月」と書いてあったのですが、どこかで中身が入れ替わってしまったのかもしれませんね。
安治川口からきて推進ですか・・・。
コメントを読んで、今あわてて43-10貨物時刻表を開いて見ています。おっしゃる通りで、梅田方から野田に向かう列車はなく、安治川口から11:43着と20:23着の2本が設定されていますね。
またこの当時大阪市場には下り11本、上り8本もの貨物列車が発着していたんですね。さぞかし賑わっていたんだろうと思います。

おっしゃる通り、私もこれは1979年の配線図ではないと思います。以下、述べられていることとダブることが多いですが、箇条書きで記します。

・今宮駅に環状線ホームが出来たのは、1997年。
・天王寺駅の関西本線と阪和線を結ぶ短絡線が出来たのは、「くろしお」が新大阪に乗り入れた1989年7月。
・京橋駅から淀川方面への連絡線が途切れ、土木側線のみになっているが、1985年までは淀川電車区へ出入りする回送電車が運行されていた。
・西九条駅
梅田からの貨物線と環状線を結ぶ渡り線が出来たのは、「くろしお」新大阪乗り入れ以前、1988年4月~10月開催ならシルクロード博時の快速「なら・シルクロード博号」(新大阪~梅田~西九条~天王寺~奈良・加茂)運転開始直前。この電車には私も何度か乗りました。この時の配線図がBだと考えます。
天王寺方から来た列車が西九条駅ホームを通過する前に貨物線に渡れるようになったのは、1994年9月の「はるか」運転開始の時。この時以降の配線図がCだと思います。

結局、今宮駅の事を考えるとこの配線図は1997年以降のものと思われます。

参考文献
 鉄道ピクトリアルNo.520(1989.12)
           No.819(2009.6)
 トレイン工房 桜島線と大阪臨港線1998年版
 JTBキャンブックス 鉄道廃線跡を歩くⅢ

 試運転線は大規模な整備を受けた車輌の動作確認などを行うところで、起動、停止などがきちんと行えるか、チェックするみたいです。そこで異常が見られなければ、本線試運転に出すと。
 逆に、重要部検査以上の高度な整備を行える車両基地に構内試運転線がない方が珍しいかと。

こちらでは2度目のコメントになります。近場で環状線をよく利用していたので。紹介されている配線図ですが所々おかしいものがありますね。私の記憶も曖昧で現在に至るまで、特に西九条駅の変遷が…環状外回り線と貨物線との亘り線はスミノエさんが言われてる通りで間違いないかと。ただ環状外回り線にポイントが1つ追加(現在の位置は外回り線西九条駅の手前)されています。ここに出来るまでは西九条駅発車すぐにあったと記憶(鉄橋の前後どちらかだったような?)しています。あと配線図のご参考までに前回と同じくマニアックであろうと思われますHPを。
railway maniax -城東貨物線・阪和貨物線・その他-
で検索してみて下さい。鐵路回顧録には野田から分岐する大阪市場線や、そこから分岐する三菱専用線、桜島貨物線など載っています。

追記です。環状外回り線と貨物線との亘り線1992年は鉄橋越えてすぐにありますね。見落としていました。あと桜島線(中線)の大阪寄りの安全側線が現在は無くなっていると思います。

スミノエさん、環状線・梅田貨物線間の渡り線はくろしお新大阪乗り入れの1年以上も前に設けられていたんですね。
3060F・1801F・2601F好きさん、お久しぶりです。
大阪市場線や三菱専用線、市電との平面交差など貴重な写真がいっぱいですね。ご紹介ありがとうございます。

亀レスですみません。
大阪駅の東海道線との亘線はもうありません。いつなくなったのかは覚えていませんが、今朝ないことを確認してきました。また反対の天満方に環状外回り線から東海道線に亘線らしき線が設けられています。しかし分岐器は横取り方式ですから保線用に限られているようです。この線の存在は川島令三氏の「東海道ライン」に記入されていますが、一般の線の扱いで書かれています。

yukawaさん、採りたての新鮮な渡り線情報ありがとうございます。
そうですか、やっぱりなくなってしまいましたか。個人的には大阪駅で東海道線と環状線は繋がっていてほしかったなと・・・。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大阪環状線配線図 1979年:

« 大阪環状線配線図 1961年 | トップページ | 大阪環状線 1976~1978、1992 »

過去の記事

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ