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2011年3月27日 (日)

大津~京都付近の路線の変遷

大阪環状線関係への寄り道をしてしまいましたが、元の流れに戻ります。

京都の記事を書くにあたって膳所・大津~京都付近の線路の変遷を調べていたら、いろいろと興味深い事実を知りました。官設鉄道関係だけでなく、京阪や近鉄との関係など、今まで知らなかったことが多々ありました。
皆さんから見れば「そんなことも知らなかったの?」と思われてしまいそうですが、個人的には結構驚かされたこともありますので、このあたりをちょっと整理してみたいと思います。

まずは1882年(明治15年)5月時点。

18820501

・京都~神戸間で営業を開始していた官設鉄道は1880年(明治13年)7月に大津まで延伸を行いました。
・続いて1882年(明治15年)3月に官設鉄道が長浜~金ケ崎(敦賀港)間を開通(一部徒歩連絡)させ、同年5月の太湖汽船による長浜~大津間の連絡船就航により航路を介在させながらも京阪神と敦賀地区が結ばれました。
・馬場~京都間の線路は現在線とは異なり、大谷を経由するルートです。
・また馬場駅はスイッチバック構造でした。
・この後1887年(明治20年)4月には武豊~長浜間も全通し、中京地区とも航路を介して結ばれるようになっています。

続いて1889年(明治22年)7月時点。

18890701

・関ケ原付近~馬場間が開業し、これにより新橋~神戸間が鉄道により全通しました。この区間が東海道線としては最後の開業区間だったということですね。
・また同年9月には山陽鉄道の延伸により、神戸での接続を介して姫路まで鉄道で結ばれることになります。
・鉄道の開通により太湖汽船航路は廃止され、馬場~大津間は旅客営業を廃止して貨物線となりました。

続いて1907年(明治40年)10月時点。

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・馬場~大津間は1898年(明治31年)8月に旅客営業を再開させています。
・京都から園部方面に路線を開通させていた京都鉄道及び同じく京都から奈良方面に路線を開通させていた奈良鉄道(→関西鉄道)が1907年に相次いで国有化されました。

続いて1913年(大正2年)6月時点。

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・1909年(明治42年)10月に線路名称の制定が行われ、東海道本線のほか馬場~大津間は大津線、旧京都鉄道線は京都線、旧奈良鉄道線は奈良線と定められましたが、路線の延伸により1912年(明治45年)には京都線は再度山陰本線に変更されています。
・1913年(大正2年)3月、大津電車軌道が大津~膳所間を開業し、これと並行する大津線は再度旅客営業を廃止しました。この時大津線は東海道本線の貨物支線という扱いに変更されています。
・そして1913年(大正2年)6月に馬場→大津、大津→浜大津と駅名の改称が行われています。
・かつては京都線、大津線という名称が存在したわけですが、いずれも2~3年間という短期間で消滅してしまいました。
・大津電車軌道線は官設線を共用する形で設けられたようですが、軌間が1435mmであるため3線軌が用いられたようです。なおかつ大津電車軌道線は複線だったようですので、複線の片方が標準軌と狭軌の3線軌、他方が標準軌のみという、大変珍しい構造だったようです。

続いて1921年(大正10年)8月時点。

19210801
・1921年(大正10年)8月、新逢坂山トンネルを経由する新線が開通し、一気に様相が変わりました。
・新線上に大津駅が開設され、旧大津駅は貨物駅化のうえ馬場駅と改称されました。昔の名前に戻ったわけですね。
・東海道線の新線の開通により大谷経由の旧線が廃止されたのであれば事は単純だったのですが、実際には稲荷付近~桃山間に新線を建設の上東海道旧線の稲荷付近~京都間を転用して奈良線のルートを大きく変える変更を行っています。結果だけ見れば奈良線→東海道旧線→東海道新線という玉突き状態ですね。
・奈良線のルート変更の理由はよくわかりませんが、珍しいケースではないでしょうか。
・旧奈良線のうち、桃山~伏見間は貨物線として残りました。

続いて1934年(昭和9年)9月。

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・大津電車軌道は会社の合併・分割を行いながら線路を延伸し、1927年(昭和2年)9月には京阪電気鉄道として坂本まで開通していました。
・また同じ頃江若鉄道も線路の延伸を行い、1931年(昭和6年)1月には浜大津~近江今津間が開通していました。
・1928年(昭和3年)9月には桃山~伏見間の貨物線が廃止され、同年11月には旧奈良線跡を利用して奈良電気鉄道が開業しています。奈良電気鉄道→奈良線→東海道旧線→東海道新線と、玉突きが1段階増えました。
・1934年(昭和9年)9月、馬場貨物駅は旅客営業を再開し、名称を膳所駅と変えました。
・なお、1925年(大正14年)5月には京阪電気鉄道京津線(旧京津電気軌道)が浜大津まで延伸していますが、国鉄線との直接の関係がないためこれについては省略しています。

続いて1949年(昭和24年)12月時点。

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・江若鉄道は1947年(昭和22年)1月より国鉄線(厳密には運輸省鉄道総局線?)を介して膳所駅まで乗り入れを開始しました。
・京阪電気鉄道は戦時中、一時的に京阪神急行電鉄に合併された時代がありましたが、1949年(昭和24年)12月に元の京阪電気鉄道に戻っています。

続いて1969年(昭和44年)11月時点。

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・1963年(昭和38年)10月、奈良電気鉄道は近畿日本鉄道に合併されて近鉄京都線となりました。
・1965年(昭和40年)10月に江若鉄道の膳所乗り入れが廃止され、続いて1969年(昭和44年)11月には膳所~浜大津間の貨物支線とともに江若鉄道の全線が廃止されました。

最後に1974年(昭和49年)7月時点。

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・湖西線が開業し、現在の姿になりました。
・江若鉄道の一部の線路敷は湖西線用地に転用されています。

航路を介しての鉄道連絡、大谷経由から新逢坂山トンネル経由の新線への切り替え、旧線の奈良線の転用、旧奈良線跡を使用しての現近鉄奈良線の開通、 大津電気軌道の3線軌、江若鉄道の乗り入れ、馬場・大津・浜大津等の駅名の度重なる変更と旅客営業の廃止・再開の繰り返し、わずかな期間だけ存在した京都線と大津線という名称、江若鉄道用地の湖西線への転用など、興味深い事実がいっぱいある地域ですね。

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コメント

奈良線のルート変更の経緯は本当に興味深いですね
東海道線の線路を流用した区間は確か複線だったはずですが、いつ単線にしちゃったんでしょうかね?
太平洋戦争での鉄材供出時の記録はないので切り替え直後でしょうか?
御殿場線は複線のまま残してたのなぜ奈良線は?と思いました

う~~ん、確かに。
御殿場線には万が一時のバイパスを想定してとりあえず複線のまま、奈良線は一介のローカル線なので切換時から単線で・・・、すみません、勝手な想像です。

いつも楽しく拝見しています。
ところで、配線図から少々話が逸れますが、現在の近鉄伏見駅は高架になり、同駅及び周辺には貨物駅があったという雰囲気は皆無ですよね。
丹波橋駅では、近鉄線と京阪線の連絡線跡(廃線跡)は窺い知る事は出来ますが、奈良線桃山駅から近鉄丹波橋駅周辺へ国鉄の線路がかつて存在していたという痕跡もありません。
桃山駅の貨物用地跡はかろうじて分かりますが(一部はマンションや住宅)・・・。

すみもとさん、情報ありがとうございます。
さもよく知っているかのような記事を書いていながら現場には行ったことがありませんで、まさに会議室で議論しているようなものですね。ちょっぴり情けなく思います、ハイ。

京都近辺は山地に囲まれていますし
明治初期で土木技術も未熟でしたから他の地域に比べて遥かに線路の付け替えが多いです
個々より東の米原付近の東海道線も何度か
付け替えられています
奈良の方にも山地が続いていますが
近鉄線も山越えの関係でこちらも線路の変遷がありいろいろ興味深いです

そうですね、米原付近も付け替えが行われていますね。機会があったら整理してみたいと思います。

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