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2011年2月 1日 (火)

吹田操車場配線図

とにかく規模の大きい停車場ですので配線図を掲載しづらいのですが、全体図や拡大図を織り交ぜながらご紹介します。

(1992年の吹田操車場はこちらこちらこちら。)

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004r

さすがにちょっと見づらいと思いますので、分割した拡大図を。

1950041r
・旅客線はまだ複線ですが、千里丘駅のホームは複々線化を見越した配置になっています。

1950042r
・ハンプは上下それぞれに独立して設けられています。
・下りのハンプの脇には転車台も見えます。
・吹田工場に出入りするための引上線付近には架線が張られているようです。
・また工場の試運転線にも架線が張られています。

1950043r
・架線は上下の機走線及び上り着発1、2番線の神戸方の部分に張られています。

1950044r
・吹田駅のホームも複々線化を見越した配置になっています。
・北方貨物線と城東貨物線に架線が張られています。城東貨物線は淀川電車区の入出場用ですね。

続いて1960年(昭和35年)頃。

196000r
・旅客線が複々線化されました。

続いて1969年(昭和44年)5月。

196905r
・特に大きな変化はないようです。

続いて1972年(昭和47年)1月。

197201r
・下りハンプ付近にあった転車台が姿を消しました。

続いて1986年(昭和61年)4月。

198604r
・操車場機能は廃止となり、吹田信号場に名前が変わってしまいました。
・大阪貨物ターミナルに至る連絡線が開通しています。

最後に1992年(平成4年)1月。

199201r
・配線図としてはほとんど変化がありませんが、実態上はかなりの変化があったものと思われます。
・最後ですので、これも拡大図を掲げます。

1992011r

1992012r

1992013r

1992014r

結局、1950年から1992年までほとんど変化がありませんでしたが、これ以降仕訳線群等はかなり撤去が行われたと思われます。
また、梅田の機能移転で新たに整備も進んでいるのでしょうか。
吹田に貨物取扱基地が設けられた場合、大阪貨物ターミナルの存在意義が個人的にはかなり弱まってしまうように感じてしまいます。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

配線図を見ただけで、吹操の壮大さが伝わってきます。
ただただ感心して眺めてみました。

仰るとおり現在は寂しい限りですが、梅田貨物駅の機能が移ってくれば変化はあるかと思います。

吹田操車場が廃止されてから27年になるのでしょうか。これだけの施設が廃止というのは本当にショッキングな出来事でした。貨物駅ができてまた賑わってくれるとよいですね。

  少々違った観点から、言を始めたいと思います。
 平成4年の図の吹田駅の右下に「土工」の文字がうかがえ、その先には国鉄の、旧関西鉄道学園がありました。この「土工」とは採土地にいたる線路を意味していて、採土の跡地に研修施設が設けられた次第です。多分軟弱な土地に存立を強いられた梅田や宮原といった、広大な鉄道施設の地盤強化、路面整備に吹田から土砂が運ばれたのでしょう。大昔トラックやダンプをひっきりなしに行き交わせることなど到底不可能で、それらの頻繁な往来は高度成長期以降の姿です。
 ひるがえって、首都圏では採土地として大井や松戸などが、自身とすれば思い浮かべ得ます。
 確証が無いのですが、大井は品川駅から北への臨海部、もしかすると東京駅の高架の盛り土は大井から採られたものかもしれません。
 松戸は赤羽~日暮里間の、隅田川右岸の広大な鉄道施設に土砂を供したのだと思えます、西側は赤羽台等の洪積台地なのですが。松戸から一直線です。松戸電車区が本線に沿わず、また右岸の広大な鉄道施設がおおよその完成した5年の後、開区していることは注意しても良いでしょう。より早い常磐線の電化に跡地利用という側面があったというのが、愚見です。

関西鉄道学園についてはよく知りませんが、松戸電車区=採土地は納得ですね。特に電車区の東側がガケのようになっていたのを覚えています。

関西鉄道学園、懐かしいです。
関西一円の国鉄の乗務員はここで養成されていたそうですので。
私の師匠は国鉄在職時代、ここで教えていた事もあるそうでした。
現在はJR西日本の社員研修センターとして、乗務員や駅員の養成をしているようです。

関西鉄道学園への線路はいつ頃撤去されてしまったのでしょうか。それとも採土が終わった時点でただちに撤去されてしまい、鉄道学園自体は線路とは無縁だったのかな?
乗務員の養成には線路は不要だったんでしょうか。

友部の項での、メジロのめ次郎さんの吹田空中写真と、宮原の項での SYさんの昭和11年吹田平面図も興味深いですね。
空中写真の三角線や扇形庫の下側(神戸方)に、ひょうたんを細長くしたような形をした白い空地部分が見えます。
当時の吹田機関区は100両超のSL配置があり(梅小路機関区約80両、姫路第一機関区約90両)飽和状態の構内を拡張すべく、その形状から車両基地の建設用地にも見えるのですが‥。(姫路第一機関区の英賀保三角線も類似点が有りそうです)
昭和11年の図には、25番線級扇形庫の向かい側に独立した3番線ほどの扇形庫が見て取れ、また、扇形庫の検修線は端に寄っていなく、珍しい部類に入る中央付近に5線ほど有しているものと思われます。

旅客本線からはパンプが死角になり見えなかった転車台が操車場北部に有って、稲沢操車場と同様に多忙を極めていた当時の様子がうかがえます。付近に入換機や折り返しの本務機がたむろしていたのでしょう。

関西鉄道学園は吹田教習所と呼ばれていて、引込線(空中写真左下)も国鉄末期頃まで一部残っていたようです。
今は梅小路で保存されている C5345号が、C53全機97両中、他機が全て解体(テンダの一部が貨車に改造された例あり)され消滅した後に吹田教習所内で発見され、その後、鷹取工場に収容され昭和37年に復活運転の後、弁天町に保存されていました。紀和の頃でお話した同蒸気機関車誌に亀井一男さんの「追想・京阪神の蒸気たち」と言う記事があり、「吹田の山奥にC5345発見のたよりをきいてかけつけてみた。そこにあったものはC53実物大の鋼鉄のくずであった。さらにこれが修繕され、有火回送の知らせを受けたが、私のイメージのC53をこわしたくないため、ついに見にいかなかった。」とあります。今となっては、なんとも贅沢な心情ですが、今では私もその心情が解って来たような気がします。
近年では同じく 呉線等で活躍したC59166号が保存されていましたが、こちらは梅小路に移管されることもなく、関わりたくないような理由で解体されてしまったみたいです。
平成の世で、吹田の山奥に昭和の想い出がまた一つ消えてしまいました…。

ひょうたん型の白い空地、確かに気になりますね。ただ、その後の空中写真を見てもその部分に線路が敷設された形跡がありませんので、結局は計画だけで終わったものでしょうか。
全車解体されたはずの機関車が見つかったけれどそれは鉄くず同然・・・。喜びと落胆と、氏のC53に対する思い入れの強さが伝わってきますね。

旧吹田操車場の跡地は大阪貨物ターミナルが移転するそうです

吹田操跡地には大阪貨タではなく梅田駅が移転してくる、という話を聞いたことがあります。但し仮にそうだとしても、大阪貨タが今のまま残るとは考えづらいですよね。

「国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システム」の写真で採土線の様なものが写ってますが、
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MKK612&courseno=C8&photono=11

この写真を見た感じでは、私が国鉄職員時代に関西鉄道学園で保線の授業を受けたのですが、その当時の保守用車の実習線が採土線の終端あたりの場所っぽいので、もしかしたら一部転用したのかもしれません。

関西鉄道学園では乗務員以外にも保線・電気・建築など全てを教えてましたよ。

床屋のシンサン さん、関西鉄道学園に関しては何人かの方がコメントに記して下さったのですが、実際にそこで講習を受けられた方というのはおそらく床屋のシンサンさんが初でしょう。個人的には何ともうらやましい経験をお持ちで・・。

いよいよ2013年3月16日吹田貨物駅開業と噂が漏れ聞こえてきました。まだ正式なアナウンスはありませんが、梅田駅廃止と吹田貨物駅開業がこの改正の目玉になりそうです。ただ、吹田貨物は地元との約束で、業務用(通勤や食堂の搬入車なども含みます)を合わせて一日千台しか自動車の進入ができないそうで、梅田の代替は多くが百済へと移るようです。いずれにせよ、西側の仕分け線群には架線下荷役可能な発着線と広い貨物ホームが既にできていて、岸辺の橋上駅舎とともに昔の広い操車場のイメージを遠くにおいやっています。ぜひ機会があれば、最近の変貌した吹田跡地を見てくださいね。

わだらんさん、情報ありがとうございます。あれだけの広大な用地がありながら梅田の機能をすべて移管できないのはちょっと残念(?)な気もしますね。ところで大阪貨物ターミナルは残るのでしょうか。神戸港駅→神戸貨物ターミナルとよく似た状況のような気がするものですから・・・。

大阪貨物ターミナルはそのままです。もともと梅田と大タは棲み分けしていますし、吹田貨物が上述の通り大規模になれませんので。ちなみに神戸タは完全な神戸港代替ですので、むしろ吹田貨物と梅田の関係になります。
吹田貨物はE&S対応なので、今までの梅田終着列車がどうなるか、東海道山陽直通列車の吹田扱いができるのかどうか、なかなか面白いダイヤ改正になりそうです。
ともあれ、入換用線が若干あるものの、車窓から見る限り比較的単純な配線のようで、貨物駅で配線の楽しみを見ることはこの吹田貨物では期待できなさそうです。

大阪貨物ターミナルは東京方に対してはスイッチバックという運転上の制約がありますので、吹田に貨物扱い設備を設けるのであれば吹田に集約できればそのほうがいいのでしょうけれど、吹田の規模に制限があるのでは難しいですね。
稲沢はどうなんでしょう。名古屋貨(タ)もスイッチバックだし・・・。

はじめまして。吹田第七付近で生まれ育った者です。幼少期は毎日そこで発着する貨物列車や東海道線の列車を眺めていました。そのせいか複雑な配線に興味を持ち「配線鉄(?)」になってしまいました。高校時代に吹田操車場の配線図を起こしてみようと挑戦しましたが完成せず、先日こちらのサイトを初めて拝見させていただき感動してしまいました。
土工線と関西鉄道学院についてもさんざん調べましたが、こちらのコメント欄が一番詳しいですね。伯父が国鉄職員で関西鉄道学院周辺の官舎に住んでいたのでよく遊びにいきました。昭和52年頃は吹田駅東側の地下道はまっすぐ府道14号線の片山3丁目交差点につながっていて、土工線は地下道を上がった所を斜めに横切り、今の片山町2丁目東交差点手前まで伸びていて、そこに保線車両がよく停まっていました。昔はその先、府道14号線を横切ってゆるやかに右にカーブしながら勾配を上がり、現吹田市民病院方面に線路が続いていたと父に教わった記憶があります。当時はそこから続く名神高速の下をくぐる広い道はなく、その廃線跡はやたらだだっ広い車が入れない歩道でした。昭和58年頃には保線車両がいた所は自転車置き場になり、線路は地下道の道の手前までとなりました。
関西鉄道学院の正門あたりに静態保存されている蒸気機関車もよく見に行きましたが、高い塀の向こうで形式まではわかりませんでした。いつかここで学んで機関士になるんだと思っていましたが、夢は叶わず、結婚して大阪南部に移り住み、吹田の実家も移転して何年もたちます。
吹田貨物ターミナルですが、たしかに立地条件は悪いですね。北側の府道14号線も南側の幹線道路も片側1車線で高速道路や内環・外環・新御堂などとも中途半端に距離があるので、阪神高速降りてすぐの梅田や、中環沿い大阪貨タに比べるとトラックのアクセスはに制限があると思います。
なつかしくなって長文になってしまいました。これからも更新期待しています。

そーざんさん、コメントありがとうございます。
>高校時代に吹田操車場の配線図を起こしてみようと挑戦
果敢なチャレンジに敬服いたします(笑)。関西鉄道学園って関東の私にしてみればかなり神秘的な存在なのですが、関西の方にとっても結構知られざる施設なんですね。

どなたかご存知の方がおられれば教えて頂きたいのですが、国土地理院の空中写真閲覧サービスで
1947/03/27(昭23)の吹田操車場の写真を見ていたところ、吹田機関区の東側にデルタ線が写っています。
車両の方向転換には機関区の転車台があるし、編成ごとの方向転換にしては有効長が短いようです。
どの様な目的でこの場所にデルタ線があるのか、ご存知の方がおられれば教えていただけませんでしょうか。

床屋のシンサンさん、確かに不思議なんですよね。吹田以外にも各地で転車台とデルタ線が共存しているところがありますし。
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-a361.html
軍事的な理由でしょうか。

f54560zgさん、こんばんは。床屋のシンサンさん、初めまして。

軍事的な理由であることに触れているブログもあるようです。

下記ブログで触れられている、

「戦時中は空襲でターンテーブルが破壊された時のために三角線を引いていた」

というのはわかるような気がします。

http://mejimeji.shumilog.com/2012/07/03/%E8%AC%8E%E3%81%AE%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%B7%9A%EF%BC%81%E3%83%BD%EF%BD%80%E2%8C%92%C2%B4%EF%BE%92%E3%83%8E/


f54560zg様・KASA様、ご返答ありがとうございます。

なるほど、転車台が使用不能になった場合の方向転換の為の配線だったんですね。

この様なデルタ線は、軽便鉄道や開拓時代の北海道の写真等では知っていましたが、国鉄の幹線で配置されているとは知りませんでした。

配線は時代考証も含めて見ると、その時代ならではの理由があるのですね。
ますます配線についての興味がわいてきました。

KASAさん、情報ありがとうございます。
床屋のシンサンさん、鉄道に対しては国策が色濃く反映されてきましたので、設備の変化を見ると時代の流れが感じられますね。

昭和50年代前半に片山界隈で遊んでいた小学生です。
関西鉄道学院は平日は門が空いていて機関車までは普通に入っていけた記憶があります。

その頃は産業道路を渡る踏切は無くなってましたが、市民病院が移転してくる前は線路あとと思わしき草むらが国鉄バスの車庫の横あたりを通って続いてました。

で。さん、関東人の私にとっては関西鉄道学園はナゾの施設なのですが、当時の地元の子供にとっては身近な遊び場だったんでしょうね。

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