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2011年2月28日 (月)

山科配線図

以前、「梅小路」という駅名に風情を感じる、と書きましたが、「山科」という駅名にも何とも言えない爽やかな雰囲気を感じてしまいます。「科」を「しな」と読む読み方に「蓼科」などの高原を連想してしまうせいでしょうか。一方で、「更科」だとお蕎麦屋さんですから、必ずしも爽やかさとは結びつかないことはわかっているのですが・・・。

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004
・すみません、半分しかありません。
・神戸方がしっかり3線になっています。

続いて1960年(昭和35年)頃。

196000
・普通の複線区間に戻っています。

続いて1966年(昭和41年)3月。

196603
・3線時代の残骸が記載されています。
・3番線からの上り出発信号機が、2L:3~内東京方、2R:3~外東京方と、まるで東京方が複々線であるかのように描かれています。これも3線時代の残骸?

続いて1972年(昭和47年)1月。

197201
・複々線化されました。
・若干の貨物側線が残っていますが、1971年(昭和46年)10月に貨物扱いは廃止されています。
・待避線がありませんので、貨物扱いが廃止される以前は本線をふさいだまま入換を行っていたのでしょうか。

続いて1986年(昭和61年)4月。

198604
・複々線化と貨物扱いの廃止で個人的には興味が半減してしまいましたが、湖西線の開業で一気に復活です。
・このくらいの時代に新たに設けられた幹線同士の分岐駅ですと、個人的には線対称的な整然とした線路配線を想像してしまうのですが、ここ山科駅はそんな簡単な配線ではありませんね。
・6番線から湖西線に進出ができますが湖西線から1番線には進入できない、2番線から神戸方内側線に進出ができますが神戸方内側線から5番線に進入できないなど、下り線側と上り線側を違う人が設計したのかと思うような非対称ぶりです。

最後に1992年(平成4年)1月。

199201
・特に変化はありません。

分岐駅といっても山科駅始発・終着となる列車があるわけではありませんので比較的簡素な配線ではありますが、いろいろとクセの強い配線の駅だと思います。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 十代に湖西線の、まっすぐに伸びていく高架工事を比良山系から望んだことがあり、後に同線の無人駅を利用したこともあます。言わずと知れた、超一級の線形です。
 有している略図では、湖西線内分岐番数が記され、トンネル内で合流するとは、と何という設計かと思ったものです。とは言え、恥ずかしながら、面白山トンネル等、トンネル内で分岐や合流の存在を後から知った次第です。
 湖西線が繋がった86年の図に、向日町駅同様、分岐側の進入速度制限が描かれ、敷かれた分岐の番数を再認識しました。
 因みに山科駅から南方向へ新線を設ける計画もあったのですが、京都市営線が実際上は取って代わりました。実はその辺り、勧修寺・醍醐寺とその庭園がマイ=フェイバリッツで、戯けたことによく沈潜しております、庭の奥行きや彩り、移ろいが心の波長を整調してくれるような…。一種有機的に感得する場で、非鉄道的な空間です。。。

SYさんの非鉄道的な空間は勧修寺・醍醐寺ですか。ちょっとカッコよすぎる気が・・・。
私の非鉄道的空間は・・・職場ですネ。

>因みに山科駅から南方向へ新線を設ける計画もあったのですが
これなんですが、片町線を接続する計画だったようです。

名無しさん、情報ありがとうございます。

 JR線の話しでは有りませんが複線トンネル同士のトンネル内分岐と言う信じれれない場所が有ります
 東京臨海高速臨海線の品川埠頭分岐部が其れです 天王洲アイル東京テレポート間に有ります元々は武蔵野線東南部になる筈の線で東京貨物ターミナルに連絡する筈でした既に国鉄分割民営化の時代工事は終了して居りましたが暫く利用されずにいましたが京葉線に転用新木場からの線は第三セクターの東京臨海高速に譲渡されました暫定的に新木場東京テレポート間が開業其の後大崎迄延伸して全線開通となりました 既に出来上っていた東京貨物ターミナルへのトンネルから平面分岐して大崎へのばされました 通常ですと立体分岐で工事するのが今のセオリィーですが此処では平面分岐とされました 一つには東京貨物ターミナル側の線はは実際には東京貨物ターミナルには繋がらず臨海高速線の車庫線となっております多分其の為敢てトンネル内平面分岐としたものと思います其の方が工事費用が安く済むから
 実際臨海線に乗車してこの部分を通過する時の異様な光景は何時見ても感動てきです

yyoshikawaさん、なかなかそっち方面に行くことがないのですが、機械があればぜひ感動したいですね。

湖西線の配線は貨物列車のためにわざとこうしたんではないかと思います。
配線にはないのでわかりにくいですが、実は図左のトンネルから山科駅へは全体的に下り坂になっています。従ってただでさえ重い貨物列車は列車線をまたぐきつい坂が登れないので、金沢方面へは列車線からゆるい坂のまま直接分かれて北陸方面のトンネルに入るようにしているんでしょう。特急は坂がゆるい分スピードに乗れるので使わせてもらってると思いますね。
逆に大津京から京都方面へは、貨物列車はやはり重くてブレーキが効きづらく、更に編成が長いために合流地点ギリギリまで伸ばして減速させてるんだと思います。特急もギリギリまでスピードに乗っていた方がいいですし。
ちなみに大津京から京都方面への配線は門司駅で交直転換をする時と似ていると思います。あれも関門トンネルの出口が上り坂なので長く重い貨物列車用の線路だけ直流区間が非常に長いです。

名無しさん、図面ではわかりづらいですが、山科駅ホームから湖西線が東海道線を跨ぐあたりまでは1.5kmぐらいあるんですね。さすがに主要幹線同士の分岐らしく、ものすごくスケールの大きい駅だと思います。

数日前のプレスリリースによれば、2029年度供用開始を目指して構内大改良を行い、〔はるか〕を山科駅で折り返しできるようにするようです。
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/241122_00_press_yamashinaeki_2.pdf

最後の配線図を見ても、上り下りで(湖西線が)非対称になっているのは維持されています。

北東航21さん
貴重な情報ありがとうございます。
そうですか、山科駅が変わるんですね。

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