« 向日町配線図 | トップページ | 京都配線図 »

2011年2月15日 (火)

梅小路配線図

今回は京都の貨物の窓口、梅小路駅です。
「梅小路」、なんとも風情のある駅名ですね。

(梅小路駅の記事はほかにもこちらこちらにあります。)

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004r

細かいところがわかりづらいので拡大図も。

1950041r

1950042r

1950043r
・旅客と貨物の線路別の複々線区間にあります。
・従って西大路駅にはホームは1本しかありません。
・下り列車用には通過用の貨物下り本線のほか、貨物上り本線を横切ったところに南1~7番線の副本線があります。東京方からは南1~3番線に到着が可能で、神戸方へは南1、2、4~7番線から出発が可能です。すなわち南3番線は到着専用、南4~7番線は出発専用です。
・上りはちょっと複雑です。通過用の貨物上り本線のほか、西8、9番線、東2~7番線の副本線があるのですが、西8、9番線は到着専用で東2~7番線は出発専用となっており、なおかつ到着線と出発線が本線では結ばれていません。すなわち西8、9番線に到着した上り貨物列車が東京方に出発する場合、入換で東2~7番線まで移動する必要があります。何とも不思議な構造ですね。
・山陰線方面は西1、2番線の発着ですが、「市場線」という短い出発線も設けられています。

続いて1960年(昭和35年)頃。

196000r
・上りの仕訳線群などあちこちで変化が見られますが、全体としてはそう大きな変化はありません。

続いて1966年(昭和41年)3月。

196603r
・神戸方が5線になっていますが、一番下の1線はこの先で行き止まりになっています。

1966031
・こんな感じ。ですのでまだ使用されてはいないようです。
・ただ、東京方貨物下り線から南3~5番線に入るための渡り線の位置がヘンだったり、南3~5番線から神戸方貨物下り線に入れないなど、おかしなところがいくつかあります。

続いて1972年(昭和47年)1月。

197201r
・大きく変わりました。
・従来の線路別の複々線は方向別となり、旅客線としても複々線化が完成しました。
・梅小路に入る下り貨物用に立体交差が設けられ、また梅小路から出発する下り貨物は神戸方に新たに設けられた5番目の線路を経由して向日町手前で立体交差で下り線側に出るようになりました。
・従って、梅小路から出発する下り貨物と梅小路に入る上り貨物が神戸方で競合するという、ちょっと変わった現象が起きています。
・梅小路に入った上り貨物が、一度入換を行わないと出発できない状況は変わっていません。

続いて1986年(昭和61年)4月。

198604r

これも拡大図を。

1986041r

1986042r

・大きな変化はありません。
・この頃の貨物時刻表を見ると、新守山発梅小路経由松尾寺行きなんていう貨物列車が設定されています。南1~3番線に到着し、出発は西1番線だと思うのですが、南1~3番線から西1番線までどういうルートで移動するのでしょうか。

最後に1992年(平成4年)1月。

199201r
・仕訳線群が大幅に整理されました。
・かつての南1~6番線あたりが着発1~5番線となって上り列車も発着できるようになったほか、着発6、7番線も設けられてようやく上り列車も入換なしで発着できるようになりました。
・ただしこの配線図、ちょっとおかしな図ですね。山陰線も梅小路機関区も描かれていません。

かつては線路別の複々線だったところが方向別の複々線になったわけですから、4本の線路のうち2本はそこを通る列車の進行方向が逆になったわけですよね。こういう事例って結構珍しいのではないでしょうか。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 向日町配線図 | トップページ | 京都配線図 »

コメント

 せっかくの梅小路(貨)駅ですので、正直何とか言を付したいと思いますが…
 まず機関区の形状の美しさは、審美眼すらない自身が言うのも変ですが、だれも殊更あらがいようもないと思います。やはりたとえ紙片にでもしっかり銘記しておくべきものと思える程貴重でしょう。
 次いで上り線の扱いはそうであったのか、と思い知らされます、着線側と出発線サイドの扱いで。無知な自身が躓く複雑さです。
 加えて西側の5線部分ですが、西大路・梅小路駅すぐ西の桂川架橋の設置に関わっているのでしょう、架橋部分がややすこし前に完成した…。
 最後に総じて私見ですが、客貨分離のプリミティブな形態を有しているのが、梅小路操車場・駅と言えるかも知れません。以降特段の需要と、その後の金融世界・恐慌不況対策としての対策に支えられ、例えば大阪・名古屋等、昭和初期に重要な駅がその分離を果たして行きました…そこで品川・田端駅がその中途特化したことは改めて注目しても良いと思います…そう言いながら、名古屋や大阪駅が単に不況対策によって高架化された、と言えば、皆からお叱りを受けると思いますが。単純に不況対策といえども、です。 

古い記事へのコメントで恐縮ですが、本日、京都鉄道博物館から京都駅へ歩いている途中、京都貨物駅の構内東端付近に給水塔が残っているのを見つけました。
Google Earth: https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%A7%85/@34.9856421,135.7489226,114m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x0:0xb61a446e74a21c08!8m2!3d34.985849!4d135.7587667

配線図では山陰本線第一場内信号機の右側、機待線と思われる短い線路がある場所です。

こんな所に今まで給水塔が残っていたとは、思って見ませんでした。

平岡さん、情報ありがとうございます。
ただ、申し訳ありません、どれがそれなのかよくわかりませんです(汗)。

給水塔は今でも残っていて、どうも現役のようです。場所はスチーム号ホーム前の食堂?の東側。上記の写真にも見えます。
 蒸気機関車が居るのですから給水塔は必要で、あえて新設するよりも残したと考える方が自然だと思います。

梅小路の鉄道博物館の展示車両とは、どこの鉄道館の車両を見れば、国鉄時代に実際に利用した車両と思うと、懐かしさと年齢を感じるものである。
生まれる前の車両は、特に蒸気機関車とコンビを組んだ客車は、歴史を感じるもので、東京~大阪間を1日掛かっていたかである。
車両以外でも、駅の設備や当時動力機器を見れば同様である。特に名古屋リニア鉄道館の違いは、梅小路は蒸気機関車が主であるが、リニア鉄道館は、新幹線が主になっている。大阪の交通科学館の車両で、DF50とD512は津山へ行った。
東京から大宮へ移った鉄道博物館は規模は大きいけど、梅小路の特徴は蒸気機関車がミニ客車が牽き、乗れることである。同じ場所に乗り合わせたり、最寄駅ができる前にバス停で若い者、家族
に隣を通っている。山陰本線の終点を聞くと、今は園部までの快速とか、城崎温泉までの特急電車を見ていないのか下関(幡生)と言えば、驚いた顔するする。
東京から、寝台特急‟出雲”とか、大阪から福知山線経由の看板特急‟まつかぜ”最後までローカル客車が最後まで運行していた。急行‟だいせん”が2~4両で、行先がばらばらで急行寝台でもあった京都から、特急‟あさしお”とか、急行‟白兎”が、米子付近まで行っていたことは、想像が付かず。
鳥取、島根県は新幹線を岡山で乗り継ぐ時代である。城崎温泉の電化区間過ぎると、はっきり言ってローカルであり、貨物列車を運行するには、線路規格と、電化出来る様に頭の低いトンネルを変える必要もある。旅客会社が管理している以上は無理である。
梅小路貨物駅に停まっている‟EF510”の4071貨物の写真とれないかである。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 梅小路配線図:

« 向日町配線図 | トップページ | 京都配線図 »

過去の記事

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ