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2011年2月22日 (火)

吹田操車場の進入・進出ルート その1

吹田操車場における貨物列車の進入・進出ルートについて、1985年(昭和60年)の配線図をもとに整理してみます(現実にはこの時点ではすでに吹田信号場になってしまっていますが)。
再掲になりますが1992年(平成4年)時点での写真を交えながら。

今回は進入側です。

 

最初に東海道線下り到着列車の場合です。1985031r
・茨木駅を出た貨物列車は外側線から分かれて貨物線に入り、旅客線をまたぎます。
・またいだところに第1場内信号機2RA・2RB・2RCがあり、ここから先が吹田操車場の構内になりますね(茨木駅の記事にも書きましたが、旅客線と貨物線の分岐部分は茨木駅の構内です)。
・ハンプにかからない列車は2RAにより下り貨物線に進入し、ハンプにかかる列車は2RB及び2RCにより到着1~5番線及び着発6・7番線に進入します。
・到着1~5番線及び着発6・7番線に到着した列車は着機が切り離され、後ろに押上機が連結されてハンプにかけられます。
・後述しますが、着発6・7番線からは大阪貨タ方に進出できますので、東京方面から大阪貨タに向かう列車は着発6・7番線に進入すると思われます。

19920704a56
・1992年(平成4年)7月です。
・到着2~5番線は使用できなくなっています。

1985032r
・下り貨物線の先には第2場内信号機8Rがあって神戸方に進めますが、逆に言えば神戸方に進めるのは下り貨物線だけで、それ以外の到着線には先に進む進路はありません。

1985033r
・やがて第3場内信号機1LA1・1LA2が現れて、着発1・2番線に到着です。
・通過する列車は着発1番線を通ります。着発2番線は通過できません。

 

次に大阪貨物ターミナルからの到着列車の場合です。

198503r
・大阪貨タからの場内信号機は1RA・1RB・1RCです。
・進路は東京方からと同様で、そのまま神戸方に向かう列車は1RAにより下り貨物線に進入し、ハンプにかかる列車は1RB及び1RCにより到着1~5番線及び着発6・7番線に進入します(大阪貨タからのハンプにかかる到着列車が存在したかどうかはわかりませんが)。
・前述の通り着発6・7番線からは東京方に進出できますので、大阪貨タから東京方面に向かう列車は着発6・7番線に進入すると思われます。
・下り貨物線から先は東海道線下り到着列車の場合と同じです。

 

次に東海道線上り到着列車の場合です。

1985031r_2
・吹田駅の旅客ホームを過ぎるあたりに第1場内信号機2RH・2RFがあります。

1985032r_2
・ハンプにかかる列車及び通過列車は2RHに従って上り貨物線に進入します。
・ハンプにかからない入換を行う列車は2RFに従って上り着発1・2番線に到着です。
・これも後述しますが、上り着発1・2番線からは梅田線・城東貨物線方面に進出できますので、この方面に折り返す列車は上り着発1・2番線に進入すると思われます。
・上り貨物線を先に進むと第2場内信号機ハがあります。

19920704a22
・直接関係ありませんが、土工線の分岐部です。

1985033r_2
・さらにその先の第3場内信号機イを過ぎると出発信号機10LH4及び第4場内信号機10LH1・H2が現れます。

1985034r
・通過列車は10LH4に従って上り貨物線に進出しますが、これは出発列車の場合の項で説明しますのでこの先は省略します
・ハンプにかかる列車は10LH1・H2に従って上り到着1・2番線に到着します。
・到着後着機がそのまま推進で上り押上線群に押し込み、分解を待つことになります。

 

次に梅田線及び城東貨物線からの到着列車の場合です。

1985031r_3
・最初に現れるのは梅田線第1場内信号機4R及び城東貨物線第1場内信号機5Rです。
・これにより両線は合流し、以降は同一の線路上を進みます。

19920704a13
・左が4R、右が5Rです。
1985032r_3
・やがてその先に第2場内信号機3RG・3RFが現れます。東海道線の場内信号機と同じ位置に建植されていますが、東海道線は第1場内、梅田線は第2場内です。
・通過列車及びハンプにかかる列車は3RGにより上り梅田線に進み、ハンプにかからない入換を行う列車及び神戸方に折り返す列車は3RFに従って上り着発1~3番線に到着します。
・上り着発4番線からも神戸方に進出できるのですが、上り着発4番線への進入ルートがないのがちょっと不思議。
・上り梅田線の先には第3場内信号機ニがあります。

19920704a08
・右側が梅田線第2場内(上位が3RG、下位が3RF)です。
・左側は東海道線上り貨物第1場内の2RHと2RFです。
・これを見ると東海道線・梅田線ともに上り着発1~4番線に進入可能なようで、このほうが自然ですね。

19920704a32
・実際に上り着発4番線に列車が到着しているところです。

1985033r_4
・上り梅田線をさらに進むと第4場内信号機ロを経て、出発信号機11LH4及び第5場内信号機11LH1~3に到達します。

19920704a43
・右が梅田線上り第4場内ロ、左が東海道上り貨物第3場内イです。

19920704a46
・上り到着線への第5(4)場内信号機は撤去されて出発信号機9LH4~11LH4だけが残っています。

1985034r_2
・通過列車は11LH4に従って上り貨物線に進出しますが、これは出発列車の場合の項で説明しますのでこの先は省略します
・ハンプにかかる列車は11LH1~3に従って上り到着1~3番線に到着します。
・東海道線上りは上り到着1・2番線にしか到着できませんでしたが、梅田線上りは上り到着1~3番線に到着できます。

下り線の場内信号機は第3までですが、梅田線からの上り場内信号機は第5まであります。さすがに広い構内です。

 

次回は出発関係です。

 

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

東海道本線の吹田市内は、操車場が隣接して反対側に機関区があり、まるで操車場の中を旅客列車を通っているみたいで、今は貨物駅になった。
廃止の話があった時は、地元では宅地化を望んでいた。
信号所となり、乗務員の交代や山陽本線から日本海従幹線への機関車の付け替えが、主となった。
昭和35年に、国鉄の動力近代化が始まり、まだ蒸気機関車の全盛期であった。D51が入れ替えをやり、前が見にくいことで前の除煙版を外していた。貨車を突き放したり、ハンプから貨車を降ろしたり、思い出せば危険な作業であった。
当時のコンテナは、東京(汐留)~大阪(梅田)の高速貨物(たから)をEH10が牽いていたぐらいで、2軸貨車が主であって、蒸気機関車のときまだしも、その時期の新制電気機関車では、直流のEF60、交流のEF70、硬直両用のEF80と、最高スピード85㎞/h以上で、100㎞/hのスピードに対して75㎞/hの2軸貨車では、昭和30年代はまだしも、昭和40年代に入り、電車のスピードが上がり、歩調を合わせて、貨車がついていけなくて空転を起こして、競合脱線が問題になった。今はコンテナ輸送になって、積み替えがなくなりそれ以上に客車と同じボギー車にすることであった。
吹田操車場から関西本線の龍華操車場の城東貨物線は、昭和46年まで大阪市内をD51が走っていた。

ニッシーさん
昭和40年頃までは吹田はケムリの絶えない街だったんでしょうね。

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