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2011年1月 8日 (土)

神戸配線図

神戸市の代表駅、神戸駅です。

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004
・1~5番線までが本線で、6番線は側線です。
・外側線東京方からは3~5番線、内側線東京方からは3・4番線に進入可能なようですが、場内信号機の配列がちょっと変ですね。 

次に1958年(昭和33年)4月。

195804
・変化はありません。

次に1960年(昭和35年)頃。

196000
・やはり変化はありません。
・相変わらず下り場内信号機はヘンです。

次に1966年(昭和41年)3月。

196603
・微妙な変化があります。
・内側線東京方から5番線にも進入できるようになりました。
・3・4番線の東京方のシーサスが片渡りになりました。

最後に1986年(昭和61年)4月。

198604
・結局1950年の時点からほとんど変化はありませんでしたね。
・1930年頃の貨物取扱い廃止及び高架化の段階で現在に至る姿が形作られたようです。

神戸市の代表駅、そして東海道本線の終点・山陽本線の起点という、営業的には重要な位置づけの神戸駅ですが、列車運転上そして線路配線的にはなんとも微妙な印象を受けてしまいます。
私の知る1975年~1980年ころの神戸駅は、1番線ホームはボロボロ(失礼)といった印象で、多分1番線は使われていなかったように思います。
深夜・早朝にのみ神戸始発・終着となる電車があったように思いますが、「何でわざわざ神戸発着なの?」と感じたものでした。
あまり使用された形跡のない側線群がなんとも中途半端な印象で、いずれは元町や三ノ宮のような、いわゆる棒線駅になるのではないかと思っていました。

ところがところが、最近は1番線も復活したようで、何とも微妙な神戸駅がまだまだ続きそうです。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

鉄道少年の頃、神戸駅1番線ホームは憧れの場所の一つでした。限られた人々しか利用出来ないような国鉄の旗艦列車が過去に入線していたからです。
f54560zgさんのおっしゃるように、その後の神戸駅1番線を見た時、錆びたレールと閉鎖され荒れたホームに、長年持ち続けていた憧れの気持ちが落胆したものでした。
しかし、時は移ろい、その1番線のレールが光り輝いているのを発見した時、鉄道少年だった頃の心のときめきがよみがえるのを感じました。
今では6番線も活用されて、神戸駅の面目躍如と言うところでしょうか。

話しは飛躍しますが、東海道本線と山陽本線の境目と言う意味合いの強い神戸駅ですが、我々の年代では、東海道新幹線と山陽新幹線の境目は新神戸駅で、その後の新幹線の延進の様は無情感が漂います。
山陽新幹線は小倉駅までで、その先、鹿児島中央駅ではなく西鹿児島駅までは鹿児島新幹線の呼び名でなくては旅情が半減と言ったところでしょうか。
東北新幹線が東京駅と新青森駅の間で全通したのが新幹線最後の旅情なのかも知れません。
時代に取り残された落陽の機関区好きが戯れ言を言っています。

神戸と横浜、同じ港町の観点から見ればよく対比されるのですが、鉄道の視点で観るとどうなのでしょうか。その神戸駅へのコメントを横浜の地から投稿するのも、これも何かの縁なのでしょう…。

E10さん、「神戸駅が棒線駅」とは、大変失礼いたしました。いっそのこと6番線にもホームを作って神戸始発・終着列車をバンバン走らせましょう。
神戸と横浜、鉄道的にもよく似ていますよね。
・鉄道創成期に新橋-横浜/大阪-神戸が開業。
・乗降客は多いが、近くに東京・大阪という大ターミナルがあるため列車の運転上は中間駅に近い。
・付近に臨港貨物線があり、高島/神戸港といった貨物駅がある。
などなど。
E10さんとはご対面できましたか?

はじめまして、
3,4番線の渡り線は東京方からしか
入れないのを配線図ではじめて知りました。
私事で恐縮ですが阪神大震災の時に上り電車の
先頭車からこの渡り線を使って下り内側線に転線した時の様子を撮影しておりました。
今の時期にサイトのリンクを張るのは不謹慎かと
思いましたがご参考までに・・

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/shindo/Jap/Photo/PhotoV4002.html

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/shindo/Jap/Photo/PhotoV4003.html

運転士一人だけで指導式の代用閉塞はされていなかったと記憶しております。

HIROさんの紹介されたサイトを拝見し、私も当時に何度も被災地に入っていながらほとんど鉄道の写真を撮っていなかった事に、HIROさんの勇気と行動力に敬服です。
当時の被災地における心情と、今と違いフィルムカメラによる一発押しでの記録にはご苦労が有ったのではないかとも思います。
次元の低い私が起こした行動は、当時、関西九州間に寝台列車の迂回運転で播但線に設定され、DD51を前後に従えゆっくりと走行しながら最終章の活躍中だった20系客車を深夜の野里駅仁豊野駅間に見た事と、被災地に復活した一部の鉄道模型店巡りを慰問のようにしただけでした。

この度の震災大被害と、その後の人災ではとも感じる災難被害に言葉もありませんが、被災地域と鉄路を通じて繋がることにより、希望や夢を持ち続けて行きたいものです。

今回の震災があまりにも衝撃的過ぎて神戸の震災時の記憶が若干薄れかけてしまっていましたが、HIROさんの写真を拝見して、改めて神戸の震災の激しさを思い起こしました。これだけの被害がありながら見事復興を果たしたわけですから、東北も必ずや復興してくれるものと信じております。

 神戸の一番線ホームボロボロ時代の状況を私も見て居りました 殆ど手が入れられて無い状態が逆にレトロな感じで其れ也に良かったと感じていました 然し何故此の一番線が存在して居るのか不思議でなりません
 地平廃駅の場合はホームを壊せば済む高架駅の場合高架橋と一体で建設される場合が有り廃駅になると施設徹去が難しい
 東京付近では中央線萬世橋駅跡鶴見線総持寺駅跡東武鉄道浅草公園駅跡京急平沼駅跡等
 高架廃駅もそうですが地下廃駅の場合も解体出来ず地下巨大迷宮として永遠に残ってしまうのではと思います
 
 

現在1番線ホームに発着が有るのかは分かりませんが現在の使われ方はイベント等での新型車両のお披露目会に使われています。
この1番線は過去に皇室ようホームと言う用途が有ったので想像ですが歴代の管理者も触れなかったのかもと...
JRに為ってからも駅構内の貴賓室は保存されていたのですが駅構内スペースを有効活用したいと言う事で取り壊す話も出ましたが現在は一部保存?でガンコ寿司の店内の奥にガラス張り越しに貴賓室が観れるようです。
全く公開されていない時よりも良かったのかなーと?です。

 1930年代の「鉄道趣味」によると1番線は始発の「つばめ」が使用しています。一般ホームと分けるために作られたのではないでしょうか?

yyoshikawaさん、メメロンさん、C6217さん、諸説あるようですが、皇室がらみが有力?

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