英賀保配線図
三角線の話題が冷めないうちに、英賀保駅の配線図をご紹介します。
まずは1950年(昭和25年)4月。
・三角線が健在ですが、思っていたイメージとちょっと違いましたね。
・右側、門司方が少しカットされてしまっていますが、この先がどうなっているのかちょっと興味があります。特に上下本線間の2本の側線。
続いて1958年(昭和33年)4月。
続いて1966年(昭和41年)3月。
最後に1986年(昭和61年)4月。
・連動装置は継電化されようです。
・4番線が副本線として残っていますが、今はどうなっているのでしょう。
・左上の「特殊な現示」も面白いですね。第一閉塞~場内間が300mしかないせいか、場内Yの場合、第一閉塞にもYが現示されるようです。普通だったら第一閉塞を5現示にして、YG→Yにするところでしょうか。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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新春の初夢とお年玉が同時に来たみたいで感謝感激です!
友部の項で、駅舎の反対側に三角線の頂点があったようだとお伝えしましたが、配線図ではかなり西側に寄っていますね。
少し検証してみます。
三角線から分岐している線路も興味深いです。
20年程前に地元近くの年配者の方から、先端は英賀保駅北方の山の裾近くまで伸びていたようだと聞いた事があったのを思い出しました。
当時の姫路機関区のSL達がたくさん入線していたのでしょう、英賀保駅の三角線にもロマンをいっぱい感じます。
あと、配線図東部左の2線の側線ですが、たぶん保線車両用として今も残っており、こちらも現場検証してみます。
貴重な英賀保駅の配線図ありがとうございます。
それと名古屋での f54560zgさんのコメントですが、私もずっと気掛かりです…。
投稿: E10 | 2011年1月 1日 (土) 23時59分
E10さん、配線図はあくまで略図ですから、実際の位置関係とは必ずしも一致しないかもしれません。
三角線の頂点からの分岐、気になりますね。どのような使われ方をしていたのでしょうか。
これからE10さんやSYさんのホームグラウンドに殴り込みをかけていきたいと思っています(笑)。
投稿: f54560zg | 2011年1月 3日 (月) 20時31分
先日、英賀保駅の三角線跡の現場に行ってみました。
携帯からでも手軽に見れる航空写真等(Yahoo!地図、兵庫県姫路市飾磨区富士見ケ丘町周辺)を見ていただきますと一目瞭然なのですが、門司方からの三角線跡が道路に転用されており、頂点部分から神戸方へは20メートル程のあぜ道が痕跡として残っています。
現場を歩いてみて三角線は想像以上の規模で、おそらく徳山、友部、秋田、吹田と同等、若しくは頂点部分からの分岐線を含めるとその規模を上回っているのではないかと思われます。
三角線の延長分岐線部分はちょうど山の谷間に入り込むような状態で、戦時中に姫路機関区のSL達を、低空で襲撃してくる艦載機の空襲から守るのに好立地だったのだと想像できます。
東部の側線ですが、航空写真を右手にずらして見ていただくと分かるのですが、配線図よりもかなり神戸方に位置しているのが分かります。今は本線から分岐する一線だけの保線車両基地となっており、現場に行っても当時からの部分だったのかは判別出来ませんでしたが、敷地の形状からその部分だったのではないかとも思われます。
大阪駅同様、後年の配線図にも表れていませんので、どのような扱いなのでしょう。
数年前までは存在していたと思われる4番線は既に撤去されていました。たぶんSL白鷺号はそこに入線していたのかも知れません。
配線図の門司方切り欠け部分の先ですが、山陽街道より一本南側の旧来からの地元街道の踏切があり、今は2番線からの側線が踏切手前まで一線だけ有りました。当時、本線内側の二側線は機待線(東部側の二側線も?)だったのではないかとも思われます。ここで門司方の機関車が付換えられ、三角線の奥で整備されて梅小路機関区や米原機関区に帰って行ったのでしょうか。
それで結論ですが、掲げていただいた配線図と現場を見て、英賀保駅の三角線(デルタ線)は、給水転向所の新設、若しくは小さな機関区の開設にも匹敵するような出来事だったのではないかと感じました。ですので、33年の配線図で消えた三角線を含む側線群は、機関車用に増線された線路だったのではないでしょうか。
それと海側の貨物側線ですが、二線だけの割には敷地規模が大きく、臨海地域の重工業地区に引込線を有していたといえ、当時の富士製鉄の最寄駅だったことを物語っています。
今回、短い時間でしたが「駅」を訪れてみて、好きなことが出来るのは幸せなことだと、つくづく実感さされました。
あと、余談ですが、今日の夜行列車で久しぶりに上京します。横浜の妹を訪ねるのが目的なのですが、できれば大宮と青梅に脚を伸ばし、25年ぶりくらいにE10と対面出来ればと思っています。
投稿: E10 | 2011年1月 8日 (土) 08時52分
E10さん、ご訪問お疲れ様でした。
私も改めて新しい地図や古い地図を見てみましたが、確かに三角形の頂点から先は結構奥が深そうで、まさに山に隠れるように続いているように見え、単なる転向だけの設備とは違うように思えますね。
配線図に記載されない幻の側線ですが、おそらく普通分岐器ではなく横取装置で分岐する側線ではないかと思います。
http://www.isok.jp/rail/term/term_yo/sos.htm
列車の運転には全く関係がないので配線図には記載されないのですが、ちょっと見は分岐器ですので、少しやっかいなシロモノですね。
E10さんとE10のご対面、楽しみですね。
投稿: f54560zg | 2011年1月 9日 (日) 00時22分
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do
から辿れる
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=326861&isDetail=true
と、
現代
https://www.google.co.jp/maps/place/%E8%8B%B1%E8%B3%80%E4%BF%9D%E9%A7%85/@34.8153943,134.6444527,720m/data=!3m1!1e3!4m2!3m1!1s0x0:0x2f474bc20c176e19!6m1!1e1
を比べますと結構奥まで伸びていたようです。
元姫路市民ですがまったく知りませんでした。機関車の避難場所だった話も非常に興味深いです。
投稿: 元姫路市民 | 2015年8月23日 (日) 17時33分
元姫路市民さん、ホントに興味深い施設ですよね。E10さんの情報に感謝です。
投稿: f54560zg | 2015年8月29日 (土) 14時54分