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2011年1月22日 (土)

高槻配線図

高槻といえば高槻電車区なのですが、京阪神地区の電車区としては宮原、明石に続く3番目で、戦後の東海道線全線電化完成の頃の開設ですので比較的新しい電車区ですね。

(1977年の高槻駅はこちら。)

まずは1950年(昭和25年)4月。

195004r
・まだ高槻電車区は開設されておらず、全体の雰囲気としては茨木と似た感じです。
・それでも東京方に引上線と思われる線路が設けられていますので、高槻折り返しの電車が設定されていたのかもしれません。

続いて1960年(昭和35年)頃。

196000r
・電車区が設けられました。
・駅部にホームが描かれていませんが、おそらく現在のように外側線の上下本線はホームのない線路を通過するようになっているのではないかと思います。

続いて1966年(昭和41年)3月。

196603r
・電車区は若干増強されたようです。
・下り第1場内~第2場内間で外側線→内側線への渡り線があるはずなのですがモレていますね。

続いて1972年(昭和47年)1月。

197201r
・電車区が1960年レベルに逆戻りしています。

続いて1986年(昭和61年)4月。

198604r
・今までの配線図はホーム部分と入出区線をつなぐ渡り線の配置がどれも微妙に怪しかったのですが、これは信頼できるような気がします。

最後に1992年(平成4年)1月。
199201r
・また電車区が昔に戻ってしまいました。

それにしても上り場内信号機は外側線4進路、内側線3進路ですので計7基の信号機が並ぶ様子は壮観ですね。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

実際に高槻電車区の横を通り過ぎると、とても配線図の規模を感じられないような気もします。
極端過ぎる表現をするなら、府中線や飯田線の電車区のような感じもしないではありません。
しかし、収容線と洗浄線で20線級の規模を誇り、オーバークロスしている出入区線が本線の電車区なのだと証言しているのでしょう。
近年は、関わりたくないのに強制的に塗色変更された車両達の住家となっています。

そうですね、確かに明石電車区と比べるとこじんまりした印象ですね。検修庫などはもう不要ではないかと思うのですがまだそのままなのでしょうか。
私の昔の印象としては、高槻といえば明石と並んで京阪神緩行を担う重要な車両基地でした。高槻がなくなったと思ったら明石まで網干の派出のような形になってしまって、時代の移り変わりにただオドロキです。

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