線路と架線
これはすでにご紹介済みの1950年(昭和25年)の大阪駅です。
よく見ると線路を示す線のあちこちに突起と言いますか、マークのようなものがついています。
コレです。
さして気にも留めていなかったのですが、つい先日、ふとヒラメキました。
「ひょっとして、もしかして、これって架線が張られている線路、って印?」
もちろん勝手な推測なのですが、そういった目で他の駅を見ると、かなり確からしい気がしてきました。
「え? 今頃気づいたの?」って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私個人にとってはちょっと衝撃。
そういう前提で改めて大阪駅の配線図を見ると、いろいろ新しい発見があります。
・複々線となっている神戸方は4線とも架線が張られています。実際の電車の運転がどのように行われていたかはわかりませんが、少なくとも内側・外側どちらも電車が走れるようにはなっていたようです。
・駅構内にはほとんど架線が張られていますが、3番線と12(11)番線には架線がありません。3番線は下り本線ですので、列車専用ということでしょうか。但し上り本線である11(10)番線には架線が張られていますが。
・荷物用と思われる、ホームを切欠いた部分の側線にも架線が張られているのはちょっと意外。客車だけでなく荷物電車も入線するってことなんでしょうね。
・2~3番線間の渡り線にも張られています。以前のSYさんのコメントによれば西成線電車は宮原持ちとのことですので、この渡り線を通って出入りしていたんだと思います。
大阪駅の記事で、「電車運転開始の際、架線は電車線側だけ張られていたのか、それとも列車線側にも張られていたのか」と書きましたが、その疑問も一気に解決です。
今度は高槻。
・内側線・外側線のみならず、副本線の1、6番線にも架線が張られています。ここにも電車が入ることが想定されているんですね。
続いて茨木駅。
・客貨が分離される神戸方は、貨物線側には架線が張られていません。東京方から吹田操車場に電車が入ることは想定していないようです。
続いて宮原操車場。
・大阪方の回送線から南着発線群を経由して宮原電車区まで架線が張られていますが、10線ある南着発線群のうちだけ架線が張られているのは4線だけです。
・北方貨物線が宮原まで電化されているのはちょっとオドロキ。北7番線~東引線~南機走線を介して電車区につながっていますね。何のためでしょうか?
以前、列車の運転を窺い知るには線路配線だけでなく信号機の配置も重要、といったようなことを書きましたが、架線の有無も結構重要なポイントですね。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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父親の友人で西成線で入換え作業をされていた方が衝突事故を起こした話を伺い、その後工員を運んでいたガソリンカーの炎上の話へ移って行きました。目が白黒です。20歳前後で蒸機を扱うとは。戦時下で、若者不足、公にならない状況だったのでしょう。その炎上事故については字面では知っておりましたが、その事故後昭和19年に西成線は電化を果たしております。
ぼんやり西成線の回送は、宮原のループを成す位置関係上東海道下り線のみを使い、区への入区は塚本側へと送っていたと思っていましたが、そうじゃなかったんですね。
なお、北方貨物線の吹田方の電化は間違いなく、電車の全検、区では負えない修理・改造を吹田工場に輸送するためです。さらに吹田工場を起点にして、宮原・淀川区の位置を考慮すれば、城東線と西成線の向きの逆が理解できるかと思います。環状化に伴い、旧西成線の電車は編成ごと反転させられました。
以上、付言です。
投稿: SY | 2011年1月29日 (土) 23時10分
たった数週間でも SYさんのコメントは待望のコメントです。
月一ではなく、せめて週一にそのお言葉を拝見したい読者の方々がほとんどではないでしょうか。
私の小学生並のコメントでブログのレベルダウンをしてしまっているのを、SYさんの社会人のコメントで均衡を図っていただいているようです。
梅田の項で架線の存在を感じ、その想いを馳せられたのですが、やはり宮原配線図の北7番線の途中までの架線表記に俄然眼が行ってしまい、当時の電車の有効長もなんとなく思い浮かびました。
やはり今回も、SYさんの解説に納得です。
投稿: E10 | 2011年1月30日 (日) 00時22分
SYさん、E10さん、コメントありがとうございます。
実は今吹田操の記事の準備をしているのですが、まさにおっしゃる通りの図が描かれており、注意力のなさに情けない気持ちです。
投稿: f54560zg | 2011年1月30日 (日) 22時22分
電化区間がまだ少ない時代電化線と非電化線を配線図上区分けして表示する為何等かの表示方を配線図に記載する様にしたのでしょう
首都圏の一連の1935年配線図に実線と一点鎖線で書き分けたり関西圏の1950年頃の配線図に実線に突起を付けて表したして解るようにしたのでしょう
投稿: yyoshikawa | 2015年1月 7日 (水) 21時37分
yyoshikawaさん、首都圏の1935年配線図をよく見ると、実線・一点鎖線・二点鎖線の3種類の線種が使用されているのですが、これの意味ってお分かりになりますか?
投稿: f54560zg | 2015年1月11日 (日) 13時50分
おしゃるとおり大崎のコメントで実線一点鎖線二点鎖線に関した回答を貴下は述べておりましたねえ其れを踏まえてコメントさせていただきました 1935年代東京圏大阪圏の電車区間を除くと幹線電化区間は東海道本線東京沼津間吹田神戸間
中央線東京甲府間 総武線御茶ノ水千葉間上越線水上石打間のみ電化比率が低い時代電化区間でも駅の側線全て電化していた訳ではなく区別の為実線一点鎖線で区分けした 更に電車区間も区別したのでしょう
投稿: yyoshikawa | 2015年1月21日 (水) 09時46分
yyoshikawaさん、そうですね、以前コメントしていましたね。大変失礼いたしました。
投稿: f54560zg | 2015年1月25日 (日) 18時08分