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2010年12月 6日 (月)

熊谷配線図

熊谷は1958年(昭和33年)の配線図を過去ご紹介していますが、それ以降の年代のものを改めて。

まずは1978年(昭和53年)3月。

197803
・本線関係は1958年当時から変わっていないようです。
・秩父線・東武熊谷線関係は残念ながら省略されています。

続いて1984年(昭和59年)3月。

198403
・1979年(昭和54年)10月に熊谷貨物ターミナルが開業し、同時に熊谷駅は貨物の取り扱いが廃止されてしまいました。貨物側線は撤去されて代わりに上り副本線の1番線が設けられ、島式ホーム2面のレイアウトになりました。
・また1983年(昭和58年)6月には東武熊谷線が廃止されていますが、配線図には東武着発線の文字が見えます。

最後に1993年(平成5年)3月。

199303
・相変わらず東武着発線の文字が見えます。
・秩父線関係は省略されていますので、これが全てというわけではありません。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

いつも楽しく拝見させていただいています。
私が、秩父鉄道を初めて利用したのは、昭和47年です。そのころは、羽生方面と秩父方面の列車は、熊谷で分断されていたようです。羽生の時刻表はすべて熊谷行きだったと記憶しています。当時小学生でしたので、間違っていたらご容赦ください。羽生からの列車は、東武線と相対する行き止まりホームに発着していました。33年の路線図では分断されている線路は、つながっていました。なぜ線路がつながっているのに、通し運転をしないのだろうと、当時不思議に思ったのを思い出します。羽生から寄居まで乗るのによく待たされました。

くろくまさん、コメントありがとうございます。
羽生~秩父方面が直通するようになったのは昭和48年頃らしいですね。なんで一つの会社の線なのに熊谷で分断されていたのか不思議です。

第三熊谷堤あたりだったかの踏切で
上り方を見ると、新幹線の高架柱を利用して普段は網目フェンスで線路を閉鎖。踏切から余計な奴が侵入しないように感。踏切が作動する頃にはフェンスが開いてた…って記憶があります。かなり小さいころなので記憶があやふやですが、今思えば珍しい設備だったのかもしれません

それは珍しいですね。情報ありがとうございます。

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