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2010年12月27日 (月)

岡部配線図

籠原駅の高崎寄りの2つ隣りの岡部駅です。
一中間駅であり、さほど特徴のある駅とは思っていなかったのですが、昨今では専用線貨物の取り扱いがいまだに行われている駅として有名(?)になりましたので取り上げました。

まずは1978年(昭和53年)3月。

197803
・「さほど特徴のある駅ではない」と書きましたが、よくよく見るといろいろありますね。
・まず、この当時の高崎線の駅はなぜか上り線が本屋側の片面ホーム、下り線が島式ホームといった形態が多くありました。上尾・桶川・北本・鴻巣・吹上・熊谷・深谷・本庄・神保原・新町がそうです。例外だったのが宮原・行田・籠原・岡部・倉賀野で、行田は島式ホーム1本のみ、岡部を含む他の4駅は島式ホーム2本でした。すなわち、岡部駅は高崎線の中では島式ホーム2本を有する例外的な駅だった、ということです。
・それと、下り1番線の使い方。この下り1番線、上り列車の発着ができるんです。中線があるのにわざわざ下り線を横切ってまで上り列車を下り1番線に発着できるようにした理由はちょっと不可解ですが、このような使い方をしている駅はめずらしいのではないかと思います。

続いて1984年(昭和59年)3月。

198403
・特に変化はありません。

最後に1993年(平成5年)3月。

199303
・やはり変化はありません。

何の変哲もないように見える駅でも、よく見ると何かしら変わったところがある、という例でした。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

苦手な関東シリーズへのコメントチャレンジが続きます。
岡部駅の記事を見て、野洲駅から少し米原寄りの安土駅と三角線で話題の英賀保駅を思い浮かべました。
昭和40年代後半頃からしばらく姫路方面からの安土行き快速電車があって、安土駅ってどんなところなんだろと思い巡らせていたました。後年、通り掛かった安土駅の配線を見て、どうしてこの駅が行き先だったのか不思議なくらい簡素な配線だったのを覚えています。
また、英賀保駅ですが、SLブームの終わりの頃、梅小路蒸気機関車館の C622と C612がSL白鷺号として姫路駅まで運行された時(日時は別々、重連ではありません)、終着の姫路駅から英賀保駅まで列車(たぶん12系客車12両)ごと回送となり、英賀保駅から姫路駅までバック運転で戻って姫路第一機関区の転車台で転向したように記憶しています。
それこそ、英賀保駅の三角線が健在で、そこで方向転換していたら今の私達には抜群の話題性だったでしょうね。
強引過ぎる関東から関西への引き寄せになってしまいすみません。

岡部駅、今回の記事で初めて知りました。
やはり国鉄全線5000駅の壁は厚いです。

それと籠原のコメントですが、車両の連結部分は子供時代は鬼門でしたね。
幼い頃、母に連れられ列車に乗り込み、空いてる隣の車両に移動する時、母は隣の車両にすんなり入って、私が移ろうとしたその時に限って連結部分が激しく揺れ動き、踏み板と幌の洗礼を受けていました。
大人になってから広島市電の連接車か、どこかの新交通システムだったでしょうか、隣の車両内が一望出来る連結部分を見た時、それはもう天国の門のように見えたのは言うまでもありません。

関東の、それも決して派手ではない岡部駅に対するE10さんのチャレンジ精神に敬服いたしますと同時にコメントに感謝いたします。
今は知りませんが、安土行き、ありましたね。京都以遠行きの東海道上り快速の行先は、草津、野洲、米原、大垣、それにこの安土が記憶にあります。安土行きが一番地味かも。
子供の頃は連結部分に立つという試練を自らに課して、勇者気取りしていましたが(笑)。

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