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2010年12月20日 (月)

籠原配線図

籠原駅については過去一度記事にしていますので、合わせてご覧ください。

まずは1978年(昭和53年)3月。

197803
・まだ貨物取り扱いが行われていた頃です。
・秩父セメントと日本鋼管の専用線も現役ですが、専用線関係がだいぶ省略されていますので全貌はちょっとわかりませんね。
・7番線は到着専用ではありますが立派な本線です。
・上り出発信号機4Lは8番線用? 低柱です。

続いて1984年(昭和59年)3月。

198403
・貨物扱いは廃止されてしまいました。
・その関係と思われますが、7番線も8番線も本線ではなくなりました。
・点線で描かれている線路が日本鋼管の専用線だと思われるのですが、籠原駅構内で国鉄線と線路がつながっているのかどうかは微妙です。
・上り入換線との分岐も描かれていません。

最後に1993年(平成5年)3月。

199303
・日本鋼管の専用線は消滅してしまったようです。
・かつての貨物側線は電留線に衣替えでしょうか。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

籠原駅を意識的に感じたのは、既にもうE〜系となっていた車両の行先表示だったでしょうか。

かなり以前から始発終着駅だったようですが、こちらで言えは、小振りな野洲駅のような感覚なのでしょうか、なかなか視点が向かない駅でした。

最近話題の日本鋼管ですが、その後はNKKと名を変え、そして車両メーカーの同系会社と合併して今はJFEスチールとなっているようです。(ケビン・コスナー主演映画のJFKを思い浮かべてしまいます)
日本鋼管の名前は変わって専用線だった姿も変わってしまいましたが、専用線の痕跡の一部は変わらず遺稿として残っていますね。

熊谷貨タ籠原 2010/12/18の記事に白抜きの写真が見られます。
私の経験値から察するに、f54560zgさんの影ではないかと思いますが、もしそうなら白抜きにしているのは f54560zgさんのお人柄なのでしょうか。

籠原 1978/9/27の記事の最後のほうに籠原駅の駅前風景がありますね。
懐かしい自家用車が写っています。
右側は日産チェリーでしょうか、たしか当時はロケットチェリーと呼んでいたような‥。左側の車もツードアのラクジュアリー車で、当時の個性化が進んで来た社会を表しているように感じます。
また、上野発長岡行のクモユニも、確たる印象は薄いのですが山陽路に於いても同じような荷物電車が走っていて、こちらなら大阪発糸崎行きの感覚でしょうか、いずれも懐かしさを感じてしまいます。

これまで、籠原駅のような丸印や扇形マークの無い項目へ私がコメントするのは異例だったのですが、それは自身の動力近代化を少し急ぎ過ぎているのかも知れません…。

当時の籠原駅について記憶をもとに・・・。

昭和53年は2つの専用線はもちろん籠原接続ですね。
4Lは8番出発信号機です。ご指摘のとおり低柱で3灯です。
以前の記事の1978年の写真の1枚目、ヨ6000の左側に小さく写っています。もちろん国鉄貨物列車の上り列車用で、2つの専用線から受けた貨車をけん引していきます。上り本線に至るまで、たくさんの分機器や渡り線をEF15に引かれた貨車の列がくねりながら、賑やかにとジョイント音を立てて出発していきました。

この写真には遠くに秩父セメントのDLも写っていますね。踏切(新寄居)に人がいますが、たぶん入れ替えの作業員でしょう。踏切に黒い柱が2本写っていますが、ここが秩父セメント専用線と国鉄線の境目で警報機が立っていた場所です。

昭和58年ころの日本鋼管ライトスチール専用線が入替線とどのようにつながっていなの詳細の記憶がありません。線路図でも不明ですね。
寺前踏切付近までは旧秩父セメント専用線をつかい、S字カーブ状で入換線に繋がっていたのはほぼ確実なのですが、はたして分機器でつながっていたのかどうかよく思い出せません。
また線路図の入換線終端部には分岐がありませんね。なんでかはわかりません。

2番線の下り出発が書かれています。写真でご紹介の長岡行きの729Mは数少ない2番線出発の下り列車です。4番線は貨物列車が特急を退避、2番線が長岡行き(小荷物の扱いも)だったと思います。
クモニ83、クモユ141(ともに新ナカ)で郵便車に郵便を出すと鉄道郵便の消印を押してくれました。

電車の引き上げは従来より基本的に高崎方で、貨物扱い廃止後は上り入替線の線路は国鉄の使用は稀だったと思います。線路も錆が目立っていたような・・・。日本鋼管ライトスチールの貨物列車は1日1往復程度で、しかも無蓋車が数両でした。

この付近は今でも列車撮影のファンがいますが、当時は、撮影に来た人はこの入替線は使用停止中(廃線)と誤認する人も多かったようで、線路内に三脚を立てるファンもいたほどです。
「ここは廃線ではないよ。たまに貨物が走るから・・・」というと「ええっ!」と驚く人も珍しくありませんでした。

最後の線路図で電留線が増えています。ご指摘の通りかつての貨車の留置線です。

1978年の籠原駅の写真、大変懐かしく拝見しました。
2枚目の貨物上屋の写真で、柱(古レール使用の柱)に白い板が貼ってあるのがわかると思います。「禁煙」の看板なのですがこれは古サボに白ペンキで書かれたものです。

ご存じのとおり籠原は電車区があって、サボも下りホームの階段下のサボ置き場に本棚のの本のようにたくさん並べられていました。
駅構内にはダイヤ改正などで不要になったサボは、ペンキで上塗りされ「指差確認」「注意」とか、駅前にも「自転車放置禁止」だとかいろんな看板になって貼ってありました。

ペンキの下に隠された文字を観察すると、沼田行だとか、急行用だとか珍品サボも多かったです。貨物上屋の「禁煙」看板は、青地に白文字で「上野-熊谷」の高崎線電化時のサボでした。これはコレクター的には垂涎かも・・・。上屋の禁煙看板はほとんどがこの「熊谷」サボでした。

貨物取扱所の写真にドラム缶が写っていますが、このようなドラム缶のひとつに危険物用のドラム缶があって、切れた蛍光灯とかよくわからない電気機器の部品などの危険物に交じって、古サボ看板の使用済み(ペンキが薄くなって剥げたものとか)が投げこまれていました。
駅員に「これ貰っていい?」なんて聞くと「ゴミだから好きにしていいよ・・・」、ということで、何枚かを頂きましたが、熊谷サボは持っていません(熊谷サボも貨物廃止時に貰っておけば・・・。廃止後もしばらく柱にはってあったなあ。残念)。

とりとめのない思い出話になってしまい申し訳ございませんでした。
線路図を使って各駅の紹介、素晴らしいです。次回以降も興味深く拝見させていただきます。

ケムリとはあまり縁のない籠原へのコメント、E10さんとしては確かに珍しいかも。
電車区という組織がありながら電車の配置がなかった、という点ではおっしゃる通り野洲と共通する部分がありますね。
シルエットですので別に影を気にする必要はないようにも思ったのですが、やっぱり恥ずかしいのでカットしました。神秘のベールに包まれた存在ということで(汗)。
車には古臭さを感じるのですが、そのチェリーの前を歩くお兄さんには全く古臭さを感じないのが不思議です。

2325レさんは実に籠原駅に詳しいですね。それもハンパじゃなく。昔も今もこの付近にお住まいなのでしょうか。

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