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2010年12月18日 (土)

熊谷貨タ~籠原 2010/12/18

KASAさんと2325レさんから籠原の日本鋼管ライトスチールの専用線に関するコメントをいただきました。機会があったら現地に行ってみたいと思いました。機会があったので本日行ってきました。

というわけで、今回は専用線の遺構めぐりですね。

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熊谷貨物ターミナルの高崎寄りの最初の踏切、久保島踏切です。さっそく発見です。
向こう側の2線は高崎線、手前は三ヶ尻線で、その間に踏切部分だけ残された線路があります。

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大宮方です。
東武熊谷線は踏切部分だけ線路が撤去されていましたが、こちらは全く逆ですね。
でも外側と内側のレールの間隔がちょっと広いように見えますので、走行用のレールは撤去されてガードレールだけが残されているのかもしれません。

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その先のほうです。枕木で閉鎖された線路がかすかに見えます。あれがこっち側に続いていたわけですね。

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反対側です。

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その先のほうです。高崎線と三ヶ尻線の間の1線分のスペースが続きます。

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籠原寄りの隣の踏切に移動しました。
こちらは踏切部分の線路も撤去されていますが、痕跡はあります。

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大宮方です。

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高崎方です。

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その先のほうです。
正面の車止めは籠原駅の上り入換線です。
手前に短い橋梁の遺構のようなものが見えますが、この時は気づきませんでした(汗)。ただしこれは2325レさんの情報の第二仲橋用水ではありません。

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第二仲橋用水開渠はもう少し籠原寄りにあります。

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手前の赤いのは三ヶ尻線、向こう側は・・・

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向こう側2線が高崎線、その手前の水色が上り入換線、一番手前のサビサビが旧日本鋼管ライトスチールの専用線ですね。

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さらに籠原寄りの踏切に移動しました。
専用線は上り入換線の右側を通り、車止めの先で上り入換線の延長線上に移動していたということですね。ただ上り入換線の右側には電柱などの障害物がありますので、ひょっとしたら以前の上り入換線はもう少し短かったのかもしれません。

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すぐそこが第二仲橋用水開渠なのですが、雑草でちょっとわかりづらいですね。

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反対側、高崎方です。

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専用線の痕跡は微妙です。このあたりで上り入換線と専用線が分岐していたということでしょうか。

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これは三ヶ尻線です。
かつては左にカーブしていたわけですが、痕跡はほとんどありません。

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これは2010年9月26日撮影の三ヶ尻線場内信号機です。
このあたりには9月にも来ているのですが、その時は専用線の遺構には全く気づきませんでした。特に1枚目の写真の久保島踏切、ここにも行っているのですが、遠くばかり見ていて足元の線路に気づかないとは何とも情けない・・・(汗)。

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コメント

早速のご確認、うれしく思います。

前回の書き込みは記憶によるもだったのですが、やはり実地検証は必要ですね。
踏切ともう一つの橋梁の件は忘れてました。

八幡踏切から籠原方を見た写真でご紹介の橋梁(土橋用水)も日本鋼管ライトスチール専用線の橋梁です。
入換線の終端部ですが、多分変わっていないような気がします。

専用線は入換線から分岐してすぐに入換線の延長線上にもどっって三ヶ尻線と並んで貨物ターミナルに進んでいたのは間違いないのですが、このあたり、線路の敷設位置に変更があったかどうか記憶が定かでありません。
なお、入換線分岐部に関しては、もう遺構は残っていないと思います。

今は入換線の南側に沿って側道がありますが、昭和の終わりころまで入換線のすぐ南は田んぼと畑で道はありませんでした。側道はこのあたりの耕地整理で造られたものです。

写真でご紹介の通り三ヶ尻線の籠原と貨物ターミナルへの分岐点は、写真(三ヶ尻線4号踏切)のすぐ北側だったと思います。

貨物ターミナルへの線路の工事は昭和51年前後から始まったような記憶があるのですが、完成1年
くらい前には分岐器が設けられたと記憶しています。

分岐完成後、貨物ターミナル開業に向けての試運転や訓練列車(秩父鉄道の電機)と籠原へのDL牽引の貨物列車はここで振り分けられていました。

貨物ターミナル開業後、籠原への専用線もしばらく残置していましたが、廃線跡は前述したこのあたりの耕地整理で跡形もなくなってしまいました。

当時の籠原駅付近の記憶がだんだん蘇ってきたのですが、写真をあまり写していなかったのが悔やまれます。

まあ、今と違ってカメラはもちろんフィルムも高価だったので、じゃんじゃん記録写真を撮れなかったのは仕ないのかもしれませんが・・・。


 

今年の9月に熊谷付近を訪問しました。それらを今頃記事にしているわけなのですが、熊谷貨タの配線図の記事を書いているうちに、「アレ?」と思い始まめした。
私はてっきり日本鋼管の専用線は籠原の貨物取扱い廃止と同時に廃止と思い込んでいましたので、籠原~熊谷貨タ間に「第三の線路」があったとは夢にも思いませんでした。
ですので、9月の訪問時にはそのような意識もなく、かつ踏切の足元にも気づかないような散漫な注意力での撮影でした(汗)。
2325レさんから貴重な情報をいただき、感謝しております(それでも家に帰って写真を見て初めて気づくような相変わらずの不注意もありましたが)。
上り入換線の車止め(砂利盛り)と三ヶ尻線との間には1線が入るような隙間がなさそうに見えましたので、車止め(砂利盛り)のほうに何か変更があったのではないか、というような気がするのですが・・・。
デジカメはホントに便利ですね。フィルム代・現像代を気にせずバンバン撮れますから。昔はそうはいきませんでしたね。

初めてコメントさせていただきます。
八幡踏切のある籠原3線の一番南側、現在の電留線が日本鋼管線だったと記憶しております。そのまま籠原駅の南側の現有料自転車置き場を通り、そのまま北西に向かっておりました。現在でも籠原電留線東端にある焼却場の前に線路が残っております。そして更に線路沿いを北西に向かって歩くと線路沿いの駐車場が日本鋼管線跡地で更に1か所線路あとが残っております。
下手くそな写真だったと思いますが、八幡踏切付近を走っているサイドからの写真があったと思ったので探してみようと思います。
思わず懐かしい記事を見つけ、失礼かと思いましたがコメントさせていただきました。熊谷、籠原と楽しく拝見させていただきました。ありがとうございました。

日本鋼管専用線の件ですが、元々籠原駅で貨物扱い(秩父セメントと日本鋼管)をしていたので籠原駅南端から工場まで日本鋼管が取得して敷設されたものです
秩父セメントの貨物扱いは籠原駅のほか熊谷駅でも扱われていたのですが両駅での貨物取扱量の増加により捌ききれなくなったことから熊谷駅・籠原駅で貨物扱いを廃止し熊谷貨物ターミナル駅まで延伸、これにより籠原駅構内(寄居踏切のすぐ東に分岐器を設置しJR(当時国鉄)籠原駅の入替線を経由、さらに高崎線と秩父・三ケ尻線に挟まれた国鉄敷地に専用線用の線路を日本鋼管が敷設。
日本鋼管専用線の廃止に伴い日本鋼管が敷設した線路は全て剥がされ用地も売却されたようですが熊谷貨物ターミナルから籠原電車区までは国鉄からの借地であったので遺構として残ったようです

地元民さん、情報ありがとうございます。
国鉄が何でそんな土地を保有していたのか興味が湧きますね。

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