尾久・赤羽・川口・蕨配線図 追加
上野とともにこれら各駅にも紹介し忘れがありましたので、まとめて掲載します。
まずは尾久(過去の記事はこちら)、1984年(昭和59年)3月です。
・1980年(昭和55年)の図と比べると客車区付近の転車台がなくなっているのですが、どうもこれはあやしい気がします。
同じく尾久、1993年(平成5年)3月です。
・大きな変化はないと思うのですが、どうもこのスタイルの配線図は好きになれません・・・。
続いて赤羽(過去の記事はこちら)、1984年(昭和59年)3月です。
・1980年(昭和55年)の図と比べると貨物線の単線区間がちょっと長くなったように思います、特に青森方が。
・また貨物線での旅客電車運転が始まっており、貨物線には単線ながら旅客ホームが出現しています。
・埼京線の開業は1985年(昭和60年)ですのでこの時点ではまだ赤羽線が存在していたはずなのですが、図には記載がありません。
同じく赤羽、1993年(平成5年)3月です。
・青森方に東北上り~京浜東北下り間の渡り線が描かれていますが、これもちょっとあやしいですね。
続いて川口(過去の記事はこちら)、1984年(昭和59年)3月です。
・1980年(昭和55年)からの変化はほぼないと思われます。貨物線が健在です。
同じく川口、1993年(平成5年)3月です。
・貨物線がきれいさっぱりなくなりました。立派な高架橋はそのままで、線路も敷かれているようですが本線とはつながっていないようです。興味の対象外になってしまいました。
続いて蕨(過去の記事はこちら)、1984年(昭和59年)3月です。
・1980年(昭和55年)にはまだ残っていた貨物側線がなくなりました。貨物上下線間が膨らんでいるのはその名残でしょうか。川口同様興味の対象外になってしまいました。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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コメント
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「川口配線図」の項にてyyoshikawaさんが2014/11/15にコメントされているとおり、現在の川口駅構内には、以下の方向に走行可能な片渡り線があります。
・客下(赤羽方)→貨上→貨下(浦和方)
・貨上(浦和方)→客下→客上(赤羽方)
物理的な形状としての渡り線は上記「→」の部分4箇所ですが、実質的には旅客線と貨物線の各上下線同士を結ぶ複線仕様の片渡り線と言えます。
(そのため、旅客線・貨物線とも川口駅にホームはないものの、停車場となっているため各列車の通過時刻が設定されています。)
浦和駅高架化に伴い、段階的に何度か行われた線路切替工事で、上野発着列車を川口~大宮間で貨物線経由に迂回(浦和・さいたま新都心は通過)とした際に、この渡り線が大活躍しました。
その初回(←たぶん)の迂回運転(2004/5/30)の前日(5/29)、私は所用で青森におり、上り「あけぼの」に上野まで乗車。つまり、迂回運転当日(5/30)の朝、大宮~川口間で貨上を走行し川口で転線して客上に戻る「あけぼの」に乗車(上り側の渡り線に乗車)したことになります。
残念ながら、下り側の渡り線には乗っていないのですが、当日(2004/5/30)は別の珍列車に乗車しました。その話題は、線路の話から逸れてしまうかもしれませんが、次回この項にコメントいたします。
投稿: my2000 | 2015年8月30日 (日) 18時21分
コメント補足
先述のコメント(川口上り渡り線乗車)に際し、「残念ながら、下り側の渡り線には乗っていないのですが・・・」と書きましたが、実は、当日(2004/5/30)の下り旅客列車は迂回運転しておらず、乗りたくても乗れなかったのです。
その後の段階的切替工事で迂回運転が実施された際、下り渡り線も活用されたようですが、行けずじまいのまま浦和駅高架化工事は終了してしまいました。ちょっと後悔モノです。
投稿: my2000 | 2015年8月30日 (日) 18時55分
my2000さんは、各種路線の乗車だけでなく、「渡り線乗車」の記録もお持ちなんですね(笑)。
投稿: f54560zg | 2015年9月 1日 (火) 22時51分
渡り線自体の乗車は本意ではなく、駅間の全ての線路に乗ることを主体としつつ、駅構内(全ての番線ではない)との接続パターンごとに乗ることを主眼としています。渡り線の乗車は、その副次的な結果にすぎません。
さて、2004/5/30の朝、「あけぼの」で上野に着いたあと、大宮へ戻りました。当日は、時間帯により、京浜東北線が大宮~北浦和間または大宮~浦和間で折返し運転が行われていたので、それに乗るためです。当然、北浦和にも浦和にも折返し設備はなく、複線の線路を単線×2として使用し、2編成が転線することなく同区間を往復運転していました。つまり、半数は逆走運転をしていたのです。
私は、まず北行線を「大宮発北浦和行き」と「北浦和発大宮行き」で往復し、次に南行線を「大宮発浦和行き」と「浦和発大宮行き」で往復。この4本のうち、1本目と4本目は貴重な逆走列車に乗ったわけです。
最前部(運転室)には、腕章を巻いた係員が通票代わりに添乗していました。
投稿: my2000 | 2015年9月 3日 (木) 21時46分
my2000さん、「青森での所用」と「貨物線迂回運転・京浜東北線折り返し運転」のタイミングがドンピシャなのは偶然でしょうか(笑)。
投稿: f54560zg | 2015年9月 6日 (日) 20時32分
前回この項では、川口渡り線と浦和・北浦和折返し列車の話題を書きましたが、今回の話題は尾久です。
2012/9/9未明から早朝にかけて、尾久駅から700mほど上野寄りにある都道との交差地点の跨道橋架替工事が実施され、当日は初電から10時30分頃まで上野~赤羽間の列車線を運休とし、上りは赤羽止まり・下りは赤羽始発(赤羽~尾久間回送・尾久駅の着発1・2番にて折返し)という運転形態が実施されました。
しかし、当日上野到着の「あけぼの」「北斗星」「カシオペア」の3本は、大宮や赤羽を終着とするわけにはいかなかったと思われ、尾久駅の客本線を通過させる必然性がないこともあり、尾久駅の着発線に入線して一旦停車後、そのまま通路線~回送上り線を上野方向へ運転する、という方策が採られました。
(回送線は、当該工事の都道との交差は踏切なので、跨道橋工事の影響は受けず、列車走行は可能だったのです。)
赤羽方から尾久駅の着発線への進入や、尾久~旧井堀信の回送線など、通常旅客列車が走ることはありえない線路を通るのですから、乗らないわけにはいきません(笑)。当日早朝、大宮から上野までの短距離ではありますが、「あけぼの」に乗車してきました。こういう時、ゴロンとシートの料金は魅力的です。
(ちなみに、尾久駅では着発1番に入線しました。)
今後、こんなことはまずありませんから、貴重な乗車体験でした。
投稿: my2000 | 2015年12月 9日 (水) 22時29分
my2000さん、これまたすごいルートの乗車体験ですね。と言いますか、そんなルートで列車が運転されるということ自体がすごいですが・・・。
投稿: f54560zg | 2015年12月13日 (日) 22時39分
蕨駅の中線は現在も保線車輛の留置線として機能してます当然横取り分岐です
貨物線の赤羽付近の単線は東北上越新幹線上野延伸工事の為一時的に単線化され工事終了後複線に戻されました同様なものとして品鶴線の目黒川蛇窪間の単線も東海道新幹線工事で一時的に単線化されてました何れも人口密集地に新たに線路増線する為の苦肉の策でしたのでしょう
湘南新宿ライン運転時当初小杉と浦和には駅が有りませんでしたが両駅共狭い用地によくも無理矢理ホームを建設したと感心します特に小杉は南武線とかなり離れておるのに同じ駅と云う状況は東京駅の京葉線ホームと同様でしょう
投稿: yyoshikawa | 2017年9月27日 (水) 21時04分