浜松配線図
以前E10さんから、「沼津からいきなり名古屋に飛ぶのはいかがなものか」とお叱りをいただいてしまいましたので、今回は浜松を。
(1960年(昭和35年)頃の配線図はこちら。)
まずは1967年(昭和42年)1月。
・地平時代です。
・本線関係だけ見れば、上下ともホームに面した2線と貨物用の2線が点対称的に整然と配置されています。
・下り本線及び下り1番線からは東京方へ出発できますので、これらを使用すれば東京方に対してはホームでの折り返しが可能です。
・しかしながら神戸方に対してはホームでの折り返しはできません。上り列車が折り返す場合にはいったん引き上げる必要がありますが、東京方には引上線がなく本線引き上げになります(中2番線への引き上げは可能ですが、そうすると下り本線・下り1番線への据付けはできなくなります)。それとも神戸方の浜松工場への側線を使用するの? いずれにせよ、全体としては始発・終着列車のない中間駅的な雰囲気を感じる配線ですね。
・側線関係はバラエティに富んでいます。左上部に浜松機関区、中央上部は浜松客貨車区でしょうか。浜松工場への入出場線に遠州鉄道線(遠州馬込のスイッチバック)など、見どころたくさんですね。
・図では下り仕訳線群と客貨車区は隣り合っているように見えますが、実際には間に新幹線が通っています。このあたりは国土画像情報カラー空中写真と比べながら見ると位置関係がよくわかりますね。
・上り貨物側線部に入換標識1R・1Lが設けられているのは、遠州鉄道線を横切る関係でしょうか。
続いて1972年(昭和47年)4月。
・一見するとさほど変化していないように感じますが、神戸方の渡り線と出発信号機69R・70Rが設けられ、上り本線及び上り1番線から神戸方に出発できるようになりました。列車の運転上は大きな変化だと思います。
続いて1975年(昭和50年)1月。
・1971年(昭和46年)4月に西浜松駅が開業し、浜松駅は一般車扱貨物の取り扱いが廃止されて専用線貨物及び遠州鉄道との連絡貨物だけになりました。その関係でしょうか、下り仕訳線や上り貨物線など一部の側線が撤去されています。
・さらに1976年(昭和51年)4月には連絡貨物が廃止され、同年10月には専用線貨物も廃止されて旅客専用駅となり、高架化を待つことになります。
続いて1983年(昭和58年)4月。
・1979年(昭和54年)10月に高架化が完成し、機能的ではありますがずいぶんと素っ気ない配線になってしまいました。
・それでも東京方・神戸方の両方に電留線があり、かつ西浜松駅に隣接する電留線への入出区線、下りにはホームのない貨物用の本線があるなど、趣味的には多少はマシ、といったところでしょうか。
・貨物扱いについては前述の通りですが、機関区や客貨車区、浜松工場への入出場線など、高架化に際してはネックが多かったように思います。結局はすべて西浜松に持って行った、ということになるわけですが。
続いて1990年(平成2年)8月。
続いて1997年(平成9年)3月。
続いて2006年(平成18年)4月。
・細かいところで変化があります。
・ひとつは入換信号機の誘導信号機。各所に設けられています。国鉄時代はホーム中ほどなどにも入換信号機を設置するのが一般的だったように思います。JR東日本もその流れを受け継いでいるように感じるのですが、名古屋や笹島といい、JR東海では誘導信号機を設けるのが一般的なようですね。
・もう一つは上り本線神戸方の入換信号機38L、47R等の設置。これにより電留3番線と通路1区線がふさがっている時でも上り本線を通路や引上線として利用できるようになりました。ただ、西浜松の電留線に入る時は上り本線を1km弱ぐらい逆走するわけで、これはスゴイなと思いますが。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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名古屋や稲沢のコメントも終わっていないのに浜松駅へのコメントです。
f54560zgさんのブログに浜松や静岡の文字が躍るのをどれだけ夢見たことでしょう。
浜松の高架化が昭和51年以降だったとは意外でした。
おそらくたぶん、同年に修学旅行で新幹線にて上京しており、当時の浜松駅の姿を目の当たりにしていた可能性があります。
米原駅でのDD50の姿を目撃したのは記憶にあるのですが、肝心の浜松や静岡の姿はすでに忘却のかなたのようです…。
浜松機関区は改造新製なった陸の女王C62の配置機関区であり、架線の張られた転車台の姿を趣味誌で知っているだけに、電化前後の配線図や戦前の浜松構内の様子を知りたい願望もありますが、おそらくEF58の塒(ねぐら)になっていたであろう3線式短形庫時代の浜松機関区の姿を垣間見ることができ、大動脈としての東海道本線中間駅の機関区の役割を担ってきた姿の配線図なのでしょう。
名古屋や遠江二股を訪問した時、浜松や静岡の機関区や扇形庫の様子を尋ねたことを思い出しました。
いつの頃からか、私にとって電化前の東海道本線上の機関区の姿が幻のようであり、その姿を追い求めたい願望が強く有ったのでしょう。
国府津、沼津、名古屋、稲沢に次いで、今回は浜松と、その片鱗に触れられたことに大変感激しております。
今現在、私の知り得る浜松機関区については稿を改めたいと思いますが、皆さんの御尽力に改めて感謝したいと思います。
投稿: E10 | 2010年10月23日 (土) 23時29分
高校時分に得た模式図では、北端に駅舎があり、分岐する支線もなく、南側に扇形庫、二面のホームを有し、副本線上に灰坑がしかも設けられ、てっきりその図は新幹線建設以前の浜松駅だと思っておりました。灰坑、本線上で遠距離を走る蒸機のための必要とおぼしき設備。されど、静岡駅であったことを知ったのは最近で、遠州鉄道との有無を知った由です。
東京~大阪間、沼津~名古屋間の大凡の中間地点、それが浜松駅なのでしょう。夜間ダイヤ上昔から深夜2~3時頃に見頃にクロスします。図中から実際の様はどうあれ、運転停車によって乗務員の交代がなされたのでしょう。地平時の構造は、確然と牽引機の交代に堪えうる構造が示されております。
やはり地平時の同駅と、「名門浜松区」の様が窺えて、深謝申し上げます。東海道新幹線に設置で消えた庫等、それ以前の姿をなかなか得難いのだと思った次第です。
投稿: SY | 2010年10月24日 (日) 17時56分
今までの流れでおそらくE10さんは扇形庫を期待されているだろうな、ということは十分わかっていたのですが、今回の配線図は新幹線開業後のものでして、ご期待にそえず申し訳ありませんでした。
私も浜松は新幹線で通過したことしかなかったのですが、あまり記憶がありません。車窓からは見えづらい状況だったのでしょうか。
名門浜松機関区、私の印象はEF58なのですが、今は見る影もありませんね。
投稿: f54560zg | 2010年10月24日 (日) 20時56分
機関車牽引時代の大幹線の中間拠点駅として、いかにもの貫禄を感じさせる駅だったのでしょうね。
紹介いただいた空中写真でもわかりますが、機関区の東京方引上げ線(上入区)が有効長を確保するために川の途中まで伸ばして終端になっている渡れずの鉄橋があります。
EF58がこの片鉄橋の上に鎮座している写真を鉄道趣味誌でみた覚えがあります。
投稿: コスモス | 2010年10月26日 (火) 23時48分
コスモスさん、お久しぶりです。
スゴイですね、確かに見えますね、「渡れずの橋」が。全然気が付きませんでした。
鎮座するEF58の写真、ぜひ見たいものです。
貴重な情報ありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2010年10月28日 (木) 19時56分
名古屋のところで、入換信号機の誘導信号機(便宜上、入信誘導とします)のことをコメントしたのですが、本当はここでコメントしようとして巡り巡って名古屋の記事にたどりついたのでした。
JR東海ではたぶん場内信号機の誘導信号機は設置されてないように思えるのですが(見かけないような気がします。たしか衝突事故かなにかあったんでしたっけ)、逆に入信誘導が増殖してますね。亀山の引上げ線にもありました。
JR東日本管内でも入信誘導(色灯式)を多く見かけるようになってきました。
米坂線米沢駅は櫛状の米坂本線、米坂1番線、留置線の3線なんですが、ここの留置線に縦列留置する場合に入信誘導を使います。かつてであれば運転の人がいて、入信と共用の入標というところだったのでしょう。しかし山形新幹線が開業して、線路が分断された現在では米沢構内も今泉CTCの管理下にあり運転士単独で入換できるようにしているようです。
ちなみに、なぜか前からの写真が見あたらないのですが、山形新幹線の本線引上げの入信も後ろから見る限り入信誘導が設置されていそうな感じです。山形新幹線の場内信号機も副本線は誘導信号機付です。
そのほか米坂本線米坂1番線ともに場内信号機にも誘導信号機が設置されています。あくまで連結のためではなく、本線に縦列で留置するためです。
上越線渋川駅の貨物扱いが廃止されて配線が整理されたのですが、このときに新たに設置された入信も入信誘導(色灯式)付です。
投稿: tercel | 2010年11月 5日 (金) 21時17分
機関車牽引列車、特に貨物列車がまだいっぱい走っていたころは連結・解放を含む入換作業(すなわち誘導を必要とする作業)がしょっちゅう行われていたのでしょうが、このような入換作業は現在ではかなり減って、ほとんどの入換は構内運転扱い(すなわち無誘導)で十分なのでしょうね。
構内運転で十分なのに設備上の都合で誘導を必要としなければならない不合理を解消するための入信誘導、というわけですね。
いたるところで増殖しているようですが、比較的地味な設備なので見落としやすそうです。tercelさんは各地の入信誘導をよくご存知ですね。
投稿: f54560zg | 2010年11月 6日 (土) 19時34分
浜松で生まれ、1970年まで浜松で暮らしました。
幼少の頃、新川の橋上などでC50やEF18などによる入替えや特急つばめ、はとなどを眺めていたのが懐かしい思い出です。
当時は豊橋方面への折り返し列車は設定されておらず下り側の渡りがなくても事足りたのでしょう。
当時駅の西側には交通量の多い平田(なめだ)踏切があり、本線列車以外に下り入替えの引上げや浜松工場の試運転列車などで長時間踏切を遮断していたものでした。
貴重な資料をありがとうございました。
投稿: わんこ | 2011年5月28日 (土) 21時25分
わんこさん、コメントありがとうございます。
幼少のころは皆さん大なり小なり特急や入換を眺めた記憶があるのではないでしょうか。
私の場合はEF80とDD13ですね・・・。
投稿: f54560zg | 2011年5月30日 (月) 23時21分
浜松というと下り本線から
上り方へ折り返せる構造になっている
ので
下りホームでの同一ホーム乗り換え
の頻度が高い気がします。
沼津・浜松は発車ホームが入り乱れているためか
発車ホームのみを表示する電光掲示板も設置されています。
上りホームである1/2番線から発車する上り列車の場合は緑色のLEDで表示するのに対して下りホームの3/4番線から
発車する上り列車は赤色のLED、という具合に色を使い分けているようです。
投稿: 伊26 | 2018年5月 4日 (金) 20時56分
伊26さん、下り終着列車は神戸方の、上り終着列車は東京方の引上線に引き上げて、その後それぞれ上りホーム、下りホームに据え付けるようにして同一ホーム乗り換え及び上下ホームを分離することはできないのでしょうか・・・。
投稿: f54560zg | 2018年5月 6日 (日) 20時26分
配線図ではわかりませんが、地上時代の浜松駅は、ホームが曲がっていた記憶があります。高架となり、新幹線と並んだ現在でもカーブしていますが、地上時代はかなりの急カーブだった気がします。この点は渋谷駅と似ています。
投稿: akunin | 2021年1月18日 (月) 17時32分
通常の配線図は基本直線で書かれます其の方が描くのに楽だからですですので実際とかけ離れて描かれる場合も有ります本来なら左分岐なのに右分岐になってたり等 建設土木配線図ですと実際と同じ状態で描かれます例えば駅構内にカーブが存在しておれば其の通り描かれます 唯建設土木配線図は中々出て来ません 鐡道院発足時に発行された配線図では略実体配線で描かれてます現在関西方面(東海道本線米原から神戸関西線関係全区間)が以前鉄道資料保存会より復刻されましたが現在は絶版で入手出来ません
投稿: yyoshikawa | 2021年1月19日 (火) 16時01分
おっしゃる通りかなり簡略化されて描かれますので、これを信用すると現地に行ったときに戸惑うことがあるかもしれません。
投稿: f54560zg | 2021年1月20日 (水) 22時01分