« 稲沢の貨物列車運転ルート その1 | トップページ | 稲沢の貨物列車運転ルート その3 »

2010年10月14日 (木)

稲沢の貨物列車運転ルート その2

今回は1967年1月の上り列車のルートです。

まずは到着ルートから。

1967011
・第1場内信号機934Lで旅客線と別れるとその先には第2場内信号機933LA/933LBがあります。

1967012
・ハンプにかかる列車は933LBの進路に進み、到着4番線・到着5番線で分解を待つことになります。流れに逆らう下り列車と違って、上り列車の場合は素直に一発で到着線に進入できるわけですね。
・ハンプにかからない列車は933LAの進路である貨物上り本線1区に進みます。

1967013
・貨物上り本線1区に進むと次に現れるのは第3場内信号機414A/414Bです。
・これにより貨物上り本線または貨物上り1番線に振り分けられ、ハンプにかからない継送車の入換などが行われるのではないかと思います。

到着ルートはここまでで、次に出発ルートです。

1967011_2
・貨物上り本線または貨物上り1番線からは第1出発信号機401A/401Bにより出発することになります。
・少し進むと第2出発信号機101Rがあります。

1967012_2
・ハンプで分解されて仕訳線で組成された貨車は出発4番線~出発7番線、出発0番線、出発8番線~出発17番線に据え付けられます。
・下りの出発線は4線だけだったのに対し、上りの出発線はなんと15線もあります。上下でずいぶんと差がありますね。神戸方は東海道線だけですが、東京方は東海道線、関西線、中央線、西名古屋港線、名古屋港線と5方面もあるからなのでしょうね。
・但し、出発4番線~出発7番線、出発0番あたりは笹島方←→東京方の折り返し用として使用されるほうがメインかもしれませんが。
・これらの出発線からは、出発信号機104RA、104RB・・・(中略)・・・103RG、103RHにより出発します。15本の信号機が並んでいるわけですね。
・貨物上り本線用には第3出発信号機「リ」が図には記載されているのですが、これはちょっと「?」ですね。ひょっとしたら先の第2出発101Rが正しくは「リ」で、第3出発が101Rが正解なのではないかなと思ってしまいます。

上り列車のルートは以上のとおりです。
下り列車に比べると競合関係が少ないため、上り列車の場合はいたってシンプルですね。
ハンプ継送列車に対しては場内信号機は第2まで、出発に至っては1つだけですし。
こんなことを言っては申し訳ないのですが、趣味的には下り列車のほうが面白いですね。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 稲沢の貨物列車運転ルート その1 | トップページ | 稲沢の貨物列車運転ルート その3 »

コメント

 国鉄末期に設けられた事例や、田端や品川といったごく初期の事例は別にし、一般にハンプ(=小高い丘)による貨物操車場は、標高差を利用しており、比高上上位側に押上線、到着線が設けられております。我々はどうしてもフラットなレベルを考えがちなのですが、稲沢駅に関しては、木曽川が形成した沖積地のより上流側にハンプ等の施設があり、低い地域に出発線群が形付けられました。丘陵部に近いところにある新鶴見にしても吹田にしても違わずそうです。まず地形上の高度が設計基準であり同時に制約で、地形上高い地点から、貨車を重力の力を借りて散転させ一定の整序をとった列車群を形成していた言えます。
 稲沢に関しては、東海道線の運行上から下り線の扱いが立体交差等並行的で、一種魅力有るのですが、多分中央線等駅別仕訳に小ハンプを用いている点、地貨仕訳線、また上り出発線群を多さから、実は構造上流れがスムーズな上り方に重点があろうと個人的には思っております。
 また、南方貨物線や愛知外環状線(岡崎から豊田・春日井・勝川を経て稲沢に至る)の頓挫で、貨物は東海道本線名古屋駅を通過して同駅に達することに結果しました、貨物列車による圧力はかからないという判断だったのでしょう。ですが、南方貨物線を介し、現名古屋貨タ付近に準操車場施設をもった貨物駅を構築するプランが古くは描かれ、名古屋駅への圧迫を危惧されていた具合で、頓挫した結果としての、現在の稲沢~名古屋貨タ間の手間は残念なことです(それも織り込み済み?)。一時東海地区が経済をリードしていた時期もあるのですが、殊鉄道施設となれば、いっときのトレンドに左右されることない、流動性にも対応しうる半ば盤石の施設を呈して行かなければなりません…。その意味では首都圏以上に時の試練を名古屋地区は与えられているかもしれません、大げさですが。

101Rと「リ」の件ですが、逆になってるわけではないのでは・・・と思います。
101R、103R、104R、・・・と終点方から順番に並んでいるので、これでいいのかなと。(102Rが見当たりませんが・・・)
多分、配線図上の「リ」のシンボルの位置がおかしいのではないかと。本当は、136イの起点方、上り線がすべて1本に集まった先にあったのではないでしょうか。
機能的には単なる閉そくで十分なのですが、キロ程的に下り場内の終点方=駅構内、ということで閉そく信号機ではなく出発信号機としたのではないでしょうか。

SYさん、なるほど!です。
確かにあれだけの広さの土地となるとどうしてもどこかが高くどこかが低くなるわけで、それによってハンプの散転方向・貨車の流れる方向が決まってしまうわけですね。
名古屋貨タへの出入りの不便さを考えたとき、ついつい大阪貨タも同様に考えてしまうのですが。

名無し信通区さん、そうなんです、「リ」の位置が微妙なんですよね。私は名無し信通区さんとは逆に、本来の「リ」の位置はもっと終点側、136の分岐器よりも終点側ではないかと思ったんです。
起点側にあると、たとえば104RAで出発4番線から進出した場合、次の「リ」までがちょっと近い(約400mくらい?)かな、と思ったので。
「リ」がもっと終点側だとすると101Rと入れ替わらないとおかしいかな、と勝手に想像したわけです。
しかし場内信号機150Lと「リ」の距離が70m程度ですから、おっしゃる通り起点側と考えたほうがよさそうですね。
なお15本の出発信号機は順に104RA~104RE、102RA~102RB、103RA~103RHですので、102Rもあります。

 庄内川沿いの、東海道新幹線の日比津基地は、戦時中弾丸列車計画のために用地が取得されたのですが、その計画略図には新幹線電留線の南脇に、新幹線貨物設備としてコンテナ一面が描かれておりました。新幹線の貨物は幼いときに見たイメージ図だけで、驚きです。
 同鳥飼基地の東京方には新幹線をオーバークロスする未使用の遺構があり、貨物用だと仄聞しておりました。鳥飼の大阪方の、現#21番~の留置収容線群は当初設けられておらず、その区域は当時大動脈になる予定の中央環状線に面しております。もし貨物計画があるとすれば、台検・臨修庫の北を抜け、現第二車両所辺りが着発線で、中央環状線に面した部分がホーム群、そんな素描だったと思えます。言及されておられた在来線の大阪貨タは、新幹線鳥飼基地に北接した位置にあり、新幹線貨物計画を引き継いだ形で、そこから吹田操車場と繋ぐには現状の路線しかなかったように思えます(防音のための半チューブ構造の高架線です)。
 そこで肝心の東京方はと言うと、旧品川基地の配線やその辺りの地図を思い起こしても、貨物にふさわしい空間がありません。恐らくいざとなれば浜松町駅手前あたりから降り、在来線の一大貨物駅の敷地、その半分程度の用地を譲り受け設備を設ける、そんな漠然とした考えであったかもしれません(無論勝手な憶測に過ぎませんが)。
 新幹線でコンテナを運ぶということは、東海道・山陽新幹線ではもはや考えられないのですが……。
 大阪貨タへの言及と、名古屋地区からふと思い浮かべて仕舞いました。

鳥飼基地に新幹線貨物駅構想があったのは記憶にあるのですが、名古屋についての構想は初めて知りました。また、SYさんおっしゃる通り、東京についても?ですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/49712668

この記事へのトラックバック一覧です: 稲沢の貨物列車運転ルート その2:

« 稲沢の貨物列車運転ルート その1 | トップページ | 稲沢の貨物列車運転ルート その3 »

過去の記事

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ