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2010年7月 8日 (木)

隅田川配線図

私にとってはとにかく「古い駅」という印象の駅ですね。歴史も古いのでしょうが、時代に対して設備が古い、そんな感じでしょうか。
汐留は東京貨(タ)に生まれ変わりましたが、こちらは相変わらずです。もっとも最近の隅田川駅を私もよく知らないので、だいぶ近代的な駅になっているのかも知れませんが。

まずは1969年(昭和44年)3月。

196903

・岩沼方の線路の取付方が特徴です。田端操の山手貨物線と似ていますね。
・岩沼方へは推進で折返線に出てから出発、岩沼方から到着の場合は折返線から推進で、ということになります。スイッチバック駅なんです。
・日暮里方は単線です。
・「下り」「上り」の方向は常磐線基準になっています。当たり前といえば当たり前なのですが、東北線を考えると逆になるのでちょっと混乱します。
・貨物上り本線及び折返線からの第2場内信号機は進路が10進路もありますが、信号機としては進路表示機があるものの1基だけです。

続いて1978年(昭和53年)10月。

197810_1600

・1969年の配線図は相当省略されていたのでしょうか、やたら広い構内です。
・この図では細部がわかりづらいと思いますので、拡大版を。

1978101

1978102

1978103_2

・日暮里方に引上線が設けられましたが、なんともビミョーな引上線ですね。
・ところで隅田川駅には転車台をはじめとする機関車関連設備はないのでしょうか。田端がすぐそばにありますので必要なし?

続いて1981年(昭和56年)5月。

198105_1600

・大きくは変わっていませんが、下のほうの陸1~陸4ホーム及び石炭部につながる線路が撤去されています。
・陸羽踏切のとなりにあった跨線人道橋も消されています。

以下、1976年3月の隅田川駅の写真です。2/3は再掲ですが(汗)・・・。

19760314a02
先ほどの跨線人道橋からの撮影です。
3051列車です。コキ10000系の100km/h列車ですね。多分札幌方面行き。
EF65の右側に写っているのが陸2ホームでしょうか。

19760314a03
荷1041列車、仙台行きです。推進でここまできてこれから出発です。
右上は平行き425列車で、荷1041列車はこの425列車のすぐ後を追いかける格好になります。

19760314a01
入換作業中の初期型DD1323です。入換には控車を使っていたんですね。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 雑誌等でまま掲載される同駅ですが、正直当初の姿を知りません。古くは隅田川に繋がる船渠(いわば船溜まり)が三つあり、扇状に広大に拡がっていたのが同貨物駅の姿で、船渠と貨物ホームが直に接した構造を持ち、南側の「陸ホーム」という呼称が、逆に艀を介していない取扱いという意味合いで現場において慣用的に引き継がれていることを物語っているんだと思えます。
 千住側、北側の用品庫等の敷地が検車区用地として営団に譲られ、ついで上野駅の手小荷物を引き受ける構造になり、ついには、飯田町駅に設けられていた紙流通センター(印刷業の中心地に位置し、さらになんと新宿駅が飯田町駅への貨物組成にあたっていた!)の役割を、新座駅(自信がなく多分)と同駅が担うようになりました。飯田町の旧敷地には在京の人には当然でしょうが、JR貨物の本社社屋が建ち上がりました…漱石の文章で飯田町から列車に乗り込む、そんな記述があったように覚えています…記憶さえ煙に立ち消えそうな感じで、やはり今は昔、と言うべきか…。
 なかなか知り得ない変遷の断片を知り得ただけでも満足しており、心底深謝申し上げます。

SYさん、水運との連絡が考慮された駅構造という時点で時代を感じてしまいます。
正直、汐留と同じ運命をたどるのではないかと思っていたのですがそうではありませんでしたね。ただ、いろいろと多くの問題を抱えた駅のような気がしてなりません。

隅田川駅といえば、子供の頃(20年ほど前?)に日比谷線ホームから見た控え車と突放入換が記憶に残っています。
「ロ」表記(控え車)を初めて見たのもここですし、3つ全部白色でしかも両面式の「信号機」を初めて見たのもここでした。
#それが突放入換標識だと知るのはずっと後のことでした。。。

そういえば、こんなこともありました。
突放入換を目で追っていたら、留置車と連結するかと思いきや「ガキン!」という音と共に
留置車が動き出し・・・自連が留置車・突放車ともに閉じていたようです。

つい先日近くを通った際には、突放入換標識が停止現示で点灯しているのは見ましたが、
現在も使っているのでしょうか。
貨物も突放入換はやめた、と聞いたような気もしましたが・・・

さて、そんな隅田川駅も生まれ変わろうとしているようです。
詳しくは下記のプレスリリースをどうぞ。
http://www.jrfreight.co.jp/common/pdf/news/200907-03.pdf

名無し信通区さん、私は始めて突放による入換を見たとき、自走する貨車を見て「へぇ~、貨車にもエンジンが積んであるんだ」と思ったものです(汗)。
1987年頃に小山や宇都宮貨タで見かけた突放はワムやワキばかりで、タキやコキは突放禁止のようでしたから、そいうった貨車ばかりになってしまった現在では突放なんてなくなってしまったんでしょうね。
突放入換標識はクセモノでしたね。信号機と間違えやすいんです・・・。
隅田川は今の延長で今後も活躍していくんですね。機関車留置線まで設けられて・・・。

そういえば、隅田川と言えばJRになっても控車が活躍してましたね。

イゴマルさん、へぇ~、意外ですね。
ほかの駅ではあまり控車って見かけた記憶がないのですが、隅田川では控車を使わなければならないような事情があったのでしょうか。

構内の側線にワムを押しこむのですが、機関車が急カーブで入れずに、控車を使いました。

初めまして!
以前から閲覧はしていましたが、隅田川の記事が出たので書きこませていただきます。
控え車ですが、ヒ743…だったと思います。
意外にも最後の1両でした。20代の自分でも見た記憶があるので、割と最近まで生き残っていたと思います。

先ほどの投稿で間違いが・・・
失礼しましたorz
どうやらヒ724だったようです。2000年代に入ってからも使用されていたようで、ものすごい長生きだったみたいですね。

C63さん、情報ありがとうございます。
急カーブで機関車が入れない線路に貨車を押し込むときとか、連絡船に貨車を押し込むときとか、なるほど、という感じですね。
くまさん、コメントありがとうございます。
1986年度末の在籍はヒ300が2両、ヒ500が8両、ヒ600がなんと118両も。主な活躍場所は函館、青森、宇野、高松、そして隅田川?

ブログ上でやっとお目にかかれた隅田川駅配線。ありがとうございます。とかいう私も東洋一の貨物駅と認め、かなり以前から配線に興味深々でした。かつての交通博物館で図書室より戦前の国鉄資料をあさり、貨物フロントについての専門書をみつけ、この駅の戦前の配線図をコピーしてもらいました。(もちろん有料、現在は著作権問題で複写厳禁。てっぱくになってもかわらず)この当時の配線から見ると、炭部と称する部分が結構きにぎやかな配線になっており、まだ日比谷線の千住検車区に用地を明け渡す前の用品庫線が結構余裕のある配線を取っておりました。ホームベースのような形の巨大な用地に運河が2~3本はいり、壮大さが伝わります。おそらく明治29年開設時はもう少し用品庫がない分一回り小さい配線であったと思われますが、少なくとも新橋をむりやり貨物フロントへ改変した汐留や昭和になってから苦しく用地を確保した梅田より広大な貨物駅に見えます。手持ちの配線図上はS36年では用品庫線が省かれており、S54年では上記の様に一様化すると上下の折込図とならざるを得ないため、一部配線が別記の形になっています。この駅は駅規模縮小後は以前雑誌ダイヤ情報でもJR後の駅上空写真が、構内配線が巨大であった頃はかつては国鉄東京工事局からの綺麗な上空写真(白黒)がでており、感慨深いです。

小さい頃、常磐線の電車から隅田川駅はしばしば眺めていたのですが、電車から見える範囲はごく一部であってその広大さを知らされたのはずっと後のことでした。
最近の「○△貨物ターミナル駅」と比べると古い貨物駅という印象が払拭できないのですが、梅田や汐留と違って今後も発展していきそうですね。

 1950年代頃隅田川に国鉄用品庫が有り構内に急曲線が存在していた為国鉄制式蒸気機関車が入線出来ず日本鉄道で作り国有化後の形式920形蒸気機関車が使用されてました 用品庫が廃止されお役御免になりました 現在跡地は地下鉄日比谷線の南千住車庫に転用されました 話は変わり隅田川を挟んで反対側には東武鉄道の千住貨物駅が有りました 規模は隅田川程では有りませんが私鉄規模では大きい駅でした1950年代此方はピーテンやネルソンが活躍して居ました川を挟んで明治の機関車が対当していたのですね

 追記 隅田川用品庫で入れ替えに使われていた機関車の形式を間違えていました 920形で無く900形でした 日本鐵道時代上野大宮間のローカル用にアメリカ スケネクタディー製の2‐4‐2タンク機関車でした動輪径が大きい割に固定軸距離が短い為小廻りがきく機関車でしたそんな関係で急曲線が多い用品庫での入れ替えに重宝していたのでしょう 三輌が田端機関区に属していましたが老朽化に伴い1955年廃車となりました 後継機は用品庫の構内曲線緩和させて2120形が使われ其の後DD11形に替わりました
 隅田川駅は構内配線が熊手状に広がっており各所に急曲線が存在していた関係で控え車の必用性が他の駅に比べ高かったのではと思います

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