隅田川配線図
私にとってはとにかく「古い駅」という印象の駅ですね。歴史も古いのでしょうが、時代に対して設備が古い、そんな感じでしょうか。
汐留は東京貨(タ)に生まれ変わりましたが、こちらは相変わらずです。もっとも最近の隅田川駅を私もよく知らないので、だいぶ近代的な駅になっているのかも知れませんが。
まずは1969年(昭和44年)3月。
・岩沼方の線路の取付方が特徴です。田端操の山手貨物線と似ていますね。
・岩沼方へは推進で折返線に出てから出発、岩沼方から到着の場合は折返線から推進で、ということになります。スイッチバック駅なんです。
・日暮里方は単線です。
・「下り」「上り」の方向は常磐線基準になっています。当たり前といえば当たり前なのですが、東北線を考えると逆になるのでちょっと混乱します。
・貨物上り本線及び折返線からの第2場内信号機は進路が10進路もありますが、信号機としては進路表示機があるものの1基だけです。
続いて1978年(昭和53年)10月。
・1969年の配線図は相当省略されていたのでしょうか、やたら広い構内です。
・この図では細部がわかりづらいと思いますので、拡大版を。
・日暮里方に引上線が設けられましたが、なんともビミョーな引上線ですね。
・ところで隅田川駅には転車台をはじめとする機関車関連設備はないのでしょうか。田端がすぐそばにありますので必要なし?
続いて1981年(昭和56年)5月。
・大きくは変わっていませんが、下のほうの陸1~陸4ホーム及び石炭部につながる線路が撤去されています。
・陸羽踏切のとなりにあった跨線人道橋も消されています。
以下、1976年3月の隅田川駅の写真です。2/3は再掲ですが(汗)・・・。
先ほどの跨線人道橋からの撮影です。
3051列車です。コキ10000系の100km/h列車ですね。多分札幌方面行き。
EF65の右側に写っているのが陸2ホームでしょうか。
荷1041列車、仙台行きです。推進でここまできてこれから出発です。
右上は平行き425列車で、荷1041列車はこの425列車のすぐ後を追いかける格好になります。
入換作業中の初期型DD1323です。入換には控車を使っていたんですね。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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バックナンバーはこちらからどうぞ。
雑誌等でまま掲載される同駅ですが、正直当初の姿を知りません。古くは隅田川に繋がる船渠(いわば船溜まり)が三つあり、扇状に広大に拡がっていたのが同貨物駅の姿で、船渠と貨物ホームが直に接した構造を持ち、南側の「陸ホーム」という呼称が、逆に艀を介していない取扱いという意味合いで現場において慣用的に引き継がれていることを物語っているんだと思えます。
千住側、北側の用品庫等の敷地が検車区用地として営団に譲られ、ついで上野駅の手小荷物を引き受ける構造になり、ついには、飯田町駅に設けられていた紙流通センター(印刷業の中心地に位置し、さらになんと新宿駅が飯田町駅への貨物組成にあたっていた!)の役割を、新座駅(自信がなく多分)と同駅が担うようになりました。飯田町の旧敷地には在京の人には当然でしょうが、JR貨物の本社社屋が建ち上がりました…漱石の文章で飯田町から列車に乗り込む、そんな記述があったように覚えています…記憶さえ煙に立ち消えそうな感じで、やはり今は昔、と言うべきか…。
なかなか知り得ない変遷の断片を知り得ただけでも満足しており、心底深謝申し上げます。
投稿: SY | 2010年7月 8日 (木) 23時22分
SYさん、水運との連絡が考慮された駅構造という時点で時代を感じてしまいます。
正直、汐留と同じ運命をたどるのではないかと思っていたのですがそうではありませんでしたね。ただ、いろいろと多くの問題を抱えた駅のような気がしてなりません。
投稿: f54560zg | 2010年7月 8日 (木) 23時53分
隅田川駅といえば、子供の頃(20年ほど前?)に日比谷線ホームから見た控え車と突放入換が記憶に残っています。
「ロ」表記(控え車)を初めて見たのもここですし、3つ全部白色でしかも両面式の「信号機」を初めて見たのもここでした。
#それが突放入換標識だと知るのはずっと後のことでした。。。
そういえば、こんなこともありました。
突放入換を目で追っていたら、留置車と連結するかと思いきや「ガキン!」という音と共に
留置車が動き出し・・・自連が留置車・突放車ともに閉じていたようです。
つい先日近くを通った際には、突放入換標識が停止現示で点灯しているのは見ましたが、
現在も使っているのでしょうか。
貨物も突放入換はやめた、と聞いたような気もしましたが・・・
さて、そんな隅田川駅も生まれ変わろうとしているようです。
詳しくは下記のプレスリリースをどうぞ。
http://www.jrfreight.co.jp/common/pdf/news/200907-03.pdf
投稿: 名無し信通区 | 2010年7月 9日 (金) 00時26分
名無し信通区さん、私は始めて突放による入換を見たとき、自走する貨車を見て「へぇ~、貨車にもエンジンが積んであるんだ」と思ったものです(汗)。
1987年頃に小山や宇都宮貨タで見かけた突放はワムやワキばかりで、タキやコキは突放禁止のようでしたから、そいうった貨車ばかりになってしまった現在では突放なんてなくなってしまったんでしょうね。
突放入換標識はクセモノでしたね。信号機と間違えやすいんです・・・。
隅田川は今の延長で今後も活躍していくんですね。機関車留置線まで設けられて・・・。
投稿: f54560zg | 2010年7月11日 (日) 22時59分
そういえば、隅田川と言えばJRになっても控車が活躍してましたね。
投稿: イゴマル | 2010年7月20日 (火) 13時27分
イゴマルさん、へぇ~、意外ですね。
ほかの駅ではあまり控車って見かけた記憶がないのですが、隅田川では控車を使わなければならないような事情があったのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2010年7月20日 (火) 23時33分
構内の側線にワムを押しこむのですが、機関車が急カーブで入れずに、控車を使いました。
投稿: C63 | 2010年7月21日 (水) 18時53分
初めまして!
以前から閲覧はしていましたが、隅田川の記事が出たので書きこませていただきます。
控え車ですが、ヒ743…だったと思います。
意外にも最後の1両でした。20代の自分でも見た記憶があるので、割と最近まで生き残っていたと思います。
投稿: くま | 2010年7月22日 (木) 18時56分
先ほどの投稿で間違いが・・・
失礼しましたorz
どうやらヒ724だったようです。2000年代に入ってからも使用されていたようで、ものすごい長生きだったみたいですね。
投稿: くま | 2010年7月22日 (木) 19時02分
C63さん、情報ありがとうございます。
急カーブで機関車が入れない線路に貨車を押し込むときとか、連絡船に貨車を押し込むときとか、なるほど、という感じですね。
くまさん、コメントありがとうございます。
1986年度末の在籍はヒ300が2両、ヒ500が8両、ヒ600がなんと118両も。主な活躍場所は函館、青森、宇野、高松、そして隅田川?
投稿: f54560zg | 2010年7月22日 (木) 23時27分
ブログ上でやっとお目にかかれた隅田川駅配線。ありがとうございます。とかいう私も東洋一の貨物駅と認め、かなり以前から配線に興味深々でした。かつての交通博物館で図書室より戦前の国鉄資料をあさり、貨物フロントについての専門書をみつけ、この駅の戦前の配線図をコピーしてもらいました。(もちろん有料、現在は著作権問題で複写厳禁。てっぱくになってもかわらず)この当時の配線から見ると、炭部と称する部分が結構きにぎやかな配線になっており、まだ日比谷線の千住検車区に用地を明け渡す前の用品庫線が結構余裕のある配線を取っておりました。ホームベースのような形の巨大な用地に運河が2~3本はいり、壮大さが伝わります。おそらく明治29年開設時はもう少し用品庫がない分一回り小さい配線であったと思われますが、少なくとも新橋をむりやり貨物フロントへ改変した汐留や昭和になってから苦しく用地を確保した梅田より広大な貨物駅に見えます。手持ちの配線図上はS36年では用品庫線が省かれており、S54年では上記の様に一様化すると上下の折込図とならざるを得ないため、一部配線が別記の形になっています。この駅は駅規模縮小後は以前雑誌ダイヤ情報でもJR後の駅上空写真が、構内配線が巨大であった頃はかつては国鉄東京工事局からの綺麗な上空写真(白黒)がでており、感慨深いです。
投稿: MT | 2010年8月29日 (日) 20時15分
小さい頃、常磐線の電車から隅田川駅はしばしば眺めていたのですが、電車から見える範囲はごく一部であってその広大さを知らされたのはずっと後のことでした。
最近の「○△貨物ターミナル駅」と比べると古い貨物駅という印象が払拭できないのですが、梅田や汐留と違って今後も発展していきそうですね。
投稿: f54560zg | 2010年8月29日 (日) 22時19分
1950年代頃隅田川に国鉄用品庫が有り構内に急曲線が存在していた為国鉄制式蒸気機関車が入線出来ず日本鉄道で作り国有化後の形式920形蒸気機関車が使用されてました 用品庫が廃止されお役御免になりました 現在跡地は地下鉄日比谷線の南千住車庫に転用されました 話は変わり隅田川を挟んで反対側には東武鉄道の千住貨物駅が有りました 規模は隅田川程では有りませんが私鉄規模では大きい駅でした1950年代此方はピーテンやネルソンが活躍して居ました川を挟んで明治の機関車が対当していたのですね
投稿: yyoshikawa | 2014年6月11日 (水) 21時56分
追記 隅田川用品庫で入れ替えに使われていた機関車の形式を間違えていました 920形で無く900形でした 日本鐵道時代上野大宮間のローカル用にアメリカ スケネクタディー製の2‐4‐2タンク機関車でした動輪径が大きい割に固定軸距離が短い為小廻りがきく機関車でしたそんな関係で急曲線が多い用品庫での入れ替えに重宝していたのでしょう 三輌が田端機関区に属していましたが老朽化に伴い1955年廃車となりました 後継機は用品庫の構内曲線緩和させて2120形が使われ其の後DD11形に替わりました
隅田川駅は構内配線が熊手状に広がっており各所に急曲線が存在していた関係で控え車の必用性が他の駅に比べ高かったのではと思います
投稿: yyoshikawa | 2014年6月12日 (木) 09時37分
2017/10/29台風の中、貨物フェスタに行ってきました。
立ち入りは構内の一部でしたが、金太郎、ブルーサンダー、ヨ、シキ、DE10、他多くのコンテナが目の前で見れて幸せでした。
でも帰り、昔のサイロやセメントの軌道跡がホームセンターに変わりビックリです。
投稿: 猫OG | 2017年10月31日 (火) 00時47分
猫OGさん、いろいろ各地でイベントが行われているんですね。展示物もさることながら線路を眺めるいい機会ですね。
投稿: f54560zg | 2017年11月 5日 (日) 21時11分
今日のNHKBS2で南千住で隅田川駅を取り上げてました
投稿: yyoshikawa | 2019年2月25日 (月) 19時27分
yyoshikawaさん
BS見れないっす(泣)。
投稿: f54560zg | 2019年2月25日 (月) 19時54分
隅田川駅から三河島方へ折返し線という線路があります。その第二出発信号機17Rですが、引用されている線路図では、どの年度も信号柱に取り付けられているように書かれています。
今日、上り快速でかぶりつきをしていたら、この信号機は、低柱式になっていました。隣接する、旅客線の上り本線の信号機と紛らわしいから、改めたのでしょうか?
近くで発生した三河島事故の原因として、機関士の信号誤認が挙げられていますが、誤認しやすい信号機の設置のしかただったという説もあります。
この場所も、折返線の機関士が隣接する旅客線の信号機につられて、冒進して安全側線に突っ込んでしまうと、最悪脱線転覆し、上り電車に衝突、さらに、下り線を支障し、そこに下り電車が衝突すると、三河島事故と同じ状況に至る危険があります。
南千住駅の旅客線上り出発信号機には、特殊信号発光器が取り付けられていて、「限界中継」の冠が付いています。その時は、何が限界を支障するのか気づかなかったのですが、貨物列車が旅客線を支障するのに備えたものなのだろうと考えられます。
投稿: NZ | 2020年4月 6日 (月) 22時41分
NZさん
情報ありがとうございます。
おっしゃる通り誤認防止かもしれませんね。このような事例はほかにもあるのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2020年4月 7日 (火) 20時12分
隅田川構内にJR貨物の機関車基地を新設というニュースを覚えています。田端が信号場になったいま、列車体系から見て隅田川に移転するのは納得しますが、どんな基地が出来たのか最近のニュースを希望します。基地というからには乗務員も一緒でしょうか。
投稿: C6217 | 2020年4月 8日 (水) 10時40分
隅田川貨物駅構内の機関車留置線ですが、平成25年3月(2013年)改正から使い始めています。6線ありまして、1線あたり2両ほどは留置できそうです。ピットや検修庫はなく、単に機関車の留置線群です。以前は、到着後次の仕業まで間があるときは、田端運転所留置線まで回送していましたが、単線区間があり、回送が少なる分貨物列車の増発ができるようになります。同時に乗務員区の田端機関区も「2013年(平成25年)3月16日-乗務員区所・機関車留置区所としての機能を隅田川駅構内に新設された隅田川機関区に移転し廃止」されたそうです。
構内配線図は以下にあります。
https://www.jrfreight.co.jp/storage/upload/56720354ea9f98b98115493422d2c6b6.pdf
投稿: コスモス | 2020年4月 8日 (水) 16時27分
コスモスさま、ありがとうございました。
投稿: C6217 | 2020年4月 8日 (水) 16時54分
こんばんは。
コンテナを効率的に輸送することに重きを置く今の体制になってからしか訪ねたことはありませんが、配線図を拝見しますと、以前には相当大きな貨物駅だったことのイメージが湧きました。
今の隅田川駅に隣接するエリアには新しい商業施設が建ち並び、道も新しく、過去の貨物の施設の姿は窺い知れませんが、多くの線路が敷かれていたのだろうと想像しながら歩いたことがありました。
いつか田端までの貨物線も見に行ってみたいと思っています。
楽しく拝見させて頂きました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
投稿: 風旅記 | 2020年5月16日 (土) 02時28分