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2010年7月 2日 (金)

大宮配線図

大宮駅につきましては過去一度記事にしていますが、その後T.Mさんから各種年代の配線図をご提供いただきましたので改めて。

まずは1958年3月。

195803

・片面ホーム1面に島式ホーム3面、うち1本は電車用に一部が切り欠かれています。このほかホームのない本線が3本あり、本線は合計11本です。
・京浜東北線は列車線と共用で、上下の列車線の間に発着線が設けられています。
・列車用の本線は上下とも2本づつしかなく、とくに上りはその2本が東北線用と高崎線用に固定されてしまっているため待避すらできないのがちょっとオドロキです。
・東京方の旅客線と貨物線の交差は立体ですが、青森方の東北線下りと高崎線上りは平面交差です。
・よくわからないのが川越線上り貨物。高崎方で高崎線に合流し、東北上り中線を経由して大宮操の上り到着線に至るのでしょうか。

続いて1969年3月。

196903

・だいぶ変わりましたね。ホームは5面、本線は14線になりました。単純にいえば、京浜東北線用1面、東北線上り用1面、高崎線上り用1面、下り列車用1面、川越線用1面ということになります。
・京浜東北線は旅客線から分離されています。
・東京方では上り東北旅客と大宮操へ向かう貨物の競合を避けるためのルートが新たに設けられています。この新ルート、従来の上り線と合流するのは1km以上も先です。
・また東京方には電車折り返し用の電留線が設けられています。
・青森方では東北下り線と高崎上り線の平面交差が立体化されています。
・東北線下り貨物と高崎線下り旅客の競合が回避されているのも見逃せません。結構至れり尽くせりな改良が行われています。
・7~9番線の下り出発信号機の場合、高崎線への進路は東北線に対して右側になりますが、10・11番線の場合は逆に高崎線が左側になるというのもおもしろいですね。

続いて1972年2月。

1972021

1972022

・東大宮操が開設され、これとを結ぶ回送線が設けられました。回送線は本線ですので、下りの出発信号機はますますグシャグシャ状態になってしまいました。
・川越線からは10番線に進入するルートがあります(105LPD。1969年でも存在したかもしれませんが)。これは川越線上り貨物用でしょうか。高崎線から5番線経由というルートも残っているため、川越線上り貨物のルートに興味津々です。

続いて1978年3月。

197803

・大きな変化はありません。

続いて1980年3月。

1980031

1980032

・青森方の配線が変更され、東北線から7番線への進入が可能になりました。1958年当時はホームのある線路への進路は1つだけでしたが、これで4つにまで増えました。

続いて1984年3月。

1984031

19840321

・よくわからないのですが、従来の川越線用の12番線を廃止して川越線ホームを11番線部分まで拡幅したような、そんなイメージでしょうか。
・従来川越線は12・13番線でしたが、どちらかというと12番線(旧13番線)だけになったような感じですね。
・従来は貨物用でホームのなかった11番線にホームを設け、ここに貨物線の旅客列車が発着できるようになっています。

最後に1993年3月。

199303

・埼京線が開業して川越線は地下ホームに移動したはずですが、旧川越線ホームあたりはほとんど変化がありません。
・川越線にしか進路を持たない12番線や13番線はどのような使われ方をしているのでしょうか。
・配線図には12・13番線用の下り出発信号機が描かれているのですが、その一方で右上の下り出発信号機の一覧表に12・13番線が記載されていないのも気になります。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 単調な急勾配で描かれるような山越えの勾配図と、実際の地図とを照合して、設計者達の努力や工夫の片鱗を読み取れるのですが、同様にこの大宮駅では配線より、何故かしらその勾配に関心が移っていまいました。若干余裕のない厳しい線形をとって、オーバークロスで、客貨の区別はもとより運転系統を的確に捌く、その努力の跡が勾配図に集約的に読み取れます…変わった関心を抱いてしまいました…貴重で正確な図面故に、多様に情報を絞りうる、そう御理解下さい。
 深く謝します。

SYさんらしい目のつけどころですね(笑)。
特に東北下り線は高崎線の上をまたいだり回送線の下をくぐったりと、線路設計者の苦労がしのばれますね。

1958年の配線図には、三番線が行き止まりで、京浜東北のホームがありませんが、ひょっとするとこれを京浜東北が使っていたのでしょうか。

イゴマルさん、その通りですね。
さらに言うならば、その3番線の東京寄りの切欠きホームも京浜東北用です。ちょっと短いですけど。

 1958年当時赤羽以北の複々線区間は東海道本線と同じく旅客線と貨物線の路線別複々線でした
赤羽以北京浜東北線が延伸の折は旅客線に乗り入れの形で大宮迄伸びました其の為三番線を京浜東北線の折り返しにした 上下線間に折り返しホームを設けた ダイヤ上旅客列車の合間に京浜東北線電車が乗り入れる形でしたのでホームはメインの三番線一本とおそらく基本編成若しくは付属編成だけ使用の切欠けホームとの使い分けをしていたのでは此の時代はまだ京浜東北線は旧形国電全盛時代基本編成5輌に付属編成3輌を繫いでラッシュ時8輌編成で運行していました 昼の間付属編成を切離し基本編成だけで運用していた
何時から昼間の時間帯も8輌編成運行になったかは不明ですが103系導入頃から終日8輌編成運用になったのかと思います 103系は当時山手用は両端先頭車はクハ103ですが続いて導入された京浜東北線では初めて大宮方がクモハ103となり当時の編成はMcMMcMTMMTcの8漣でした
 因みに当時の京浜東北の旧国編成は大宮方からMcMTcMcTMMTc TcMMcMcTMMTc McMTMTMMTc TcMMTcMMMTc(79 72 920番台)
等でした
 1960年代後半殺人的ラッシュ時代を迎え京浜東北線を分離して赤羽大宮間を三複線化並びに南浦和電車区の開設今日に至った次第1971年旧形国電が京浜東北線から撤退後全車103系10輌編成化 当時の編成はMcMTcMcMTTMMTcの10輌編成でした其の後103系を首都圏大量配置の前兆でした
 

 

 先日もうじき無くなる北斗星を写そうと思い大宮迄出掛けた 上野見たく鉄ちゃんで混み合っておるかと思いつつ大宮に着き京浜東北線ホーム北端に行くと意外に誰も居ない5 6番線北端には望遠レンズを付けたカメラを抱えた吾人が三名居た到着が早く北斗星が来る迄暫し待つ其の間231系や233系等が入れ替わり立ち替わりやって来るスーパーひたちから運用変更したあかぎ号とか185系あかぎ号時々EF210 EH200 EH510 EF65等がコンテナや空タン回送 205系使用の大宮発八王子行と海浜幕張行しもうさ号(八王子行とは編成向きが逆)と云う列車が有った与野から武蔵野連絡線に入り其々の方へ向かうのでしょう 北斗星の写真撮影が無ければ乗車して見たい列車でした 京浜東北線ホームからは順光ですので撮影は楽でした 北斗星は大宮停車ですので当然進入時減速しますので編成中の全車両を撮影出来ました 上野大宮間沿線で見かけた鉄ちゃんは皆西側でカメラを構えて居ますが4分の3の確率で被る可能性が大ですので私は敢て京浜東北側から撮影した次第です

yyoshikawaさん、103系投入当初はMcMMcMTMMTcだったんですか。2両目のMの貫通路を施錠していたんでしょうか。
前にもお願いしましたが、yyoshikawaさんの写真、ぜひ拝見したいですね。

 103系は貫通戸が必ず有りましたので此の当時の編成では2両目の後部貫通戸は施錠しておりました 
 73形国電では貫通戸の無い車両が一部有りました此れは桜木町事件の影響で貫通戸を省略したのでした 隣接車が非貫通車の前に貫通戸の無い車両が連結された時は戸が無いので締めきれませんので蓋を取り付けておりました
 旧形国電は一両単位で管理されて居ましたので度々編成替えが有りました其の為偶に此の様な事が起きました

yyoshikawaさん、「蓋」とはいったい?
旧型客車列車の最後部もデッキに立てば扉なし状態でしたね。

 鉄道博物館で企画展大宮駅宇都宮線開業130周年記念企画展OH! MIYA HISTORY を見に行きました 本当は同時開催の企画展ボルチモア&オハイオ博物館展を楽しみに行ったのですが余りにもショボクれた(殆ど写真パネル展示のみ)でガッかりしました 其れに比べOH! MIYA HISTORY展の方は流石に地元ならでは色々な資料を展示しておりました 中でも配線図関係の展示は1885年頃の配線図を1917年に模写した配線図 明治30年頃の大宮工場全景写真1932年に赤羽大宮間電化開通の報知新聞記事(空撮写真)1972年版大宮操車場(含大宮駅)配線略図等展示されておりました 当初日本鐡道が宇都宮線(現東北本線)の分岐予定駅は熊谷 伊勢崎 桐生 足利経由の予定であった等 本命のボルチモア&オハイオ博物館展がショボかっただけにお腹一杯の展示でした お近くの御方は見学に出向いてみては如何でしょう

 OH! MIYA HISTORY展に展示されていた1885年の大宮駅配線図 丁度宇都宮線(東北本線)が開通分岐駅として設けられた当時の配線図です
 本線は未だ単線 駅舎は東側のみ当時は日本鐡道社内では前橋方面がメインライン宇都宮方面が支線と考えていた模様 前橋方面が相対式ホーム下り線ホーム裏に側線が一本駅舎側上り線ホームの外側に宇都宮方面用ホームと機廻し線二線の客車庫が機廻し線に合流機廻し線の先宇都宮方に二股に別れターンテーブルと二線機関庫 前橋方から宇都宮方へ亘線が有る 宇都宮方面ホーム東京方は行き止まりではなく其の侭上野方へ抜けられる様になっており駅舎から直接上りホームには出られぬ構造おそらく跨線橋で各ホームを結んでいたのではと思います 当時は未だ大宮工場は無く操車場も無い明治時代のシンプルな分岐駅其の物です1894年に汽車課として工場操業1896年大宮工場と名称変更当時の写真で既に現在と同等の規模の工場であった様です 流石に当時日本最大の私鐡であった証拠でしょうか  

yyoshikawaさん、東北線と高崎線の分岐となったことで大宮は大きく発展したわけですね。
貨物がなくなったとはいえ、工場の存在でまだまだ元気ですね。

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