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2010年7月 2日 (金)

大宮配線図

大宮駅につきましては過去一度記事にしていますが、その後T.Mさんから各種年代の配線図をご提供いただきましたので改めて。

まずは1958年3月。

195803

・片面ホーム1面に島式ホーム3面、うち1本は電車用に一部が切り欠かれています。このほかホームのない本線が3本あり、本線は合計11本です。
・京浜東北線は列車線と共用で、上下の列車線の間に発着線が設けられています。
・列車用の本線は上下とも2本づつしかなく、とくに上りはその2本が東北線用と高崎線用に固定されてしまっているため待避すらできないのがちょっとオドロキです。
・東京方の旅客線と貨物線の交差は立体ですが、青森方の東北線下りと高崎線上りは平面交差です。
・よくわからないのが川越線上り貨物。高崎方で高崎線に合流し、東北上り中線を経由して大宮操の上り到着線に至るのでしょうか。

続いて1969年3月。

196903

・だいぶ変わりましたね。ホームは5面、本線は14線になりました。単純にいえば、京浜東北線用1面、東北線上り用1面、高崎線上り用1面、下り列車用1面、川越線用1面ということになります。
・京浜東北線は旅客線から分離されています。
・東京方では上り東北旅客と大宮操へ向かう貨物の競合を避けるためのルートが新たに設けられています。この新ルート、従来の上り線と合流するのは1km以上も先です。
・また東京方には電車折り返し用の電留線が設けられています。
・青森方では東北下り線と高崎上り線の平面交差が立体化されています。
・東北線下り貨物と高崎線下り旅客の競合が回避されているのも見逃せません。結構至れり尽くせりな改良が行われています。
・7~9番線の下り出発信号機の場合、高崎線への進路は東北線に対して右側になりますが、10・11番線の場合は逆に高崎線が左側になるというのもおもしろいですね。

続いて1972年2月。

1972021

1972022

・東大宮操が開設され、これとを結ぶ回送線が設けられました。回送線は本線ですので、下りの出発信号機はますますグシャグシャ状態になってしまいました。
・川越線からは10番線に進入するルートがあります(105LPD。1969年でも存在したかもしれませんが)。これは川越線上り貨物用でしょうか。高崎線から5番線経由というルートも残っているため、川越線上り貨物のルートに興味津々です。

続いて1978年3月。

197803

・大きな変化はありません。

続いて1980年3月。

1980031

1980032

・青森方の配線が変更され、東北線から7番線への進入が可能になりました。1958年当時はホームのある線路への進路は1つだけでしたが、これで4つにまで増えました。

続いて1984年3月。

1984031

19840321

・よくわからないのですが、従来の川越線用の12番線を廃止して川越線ホームを11番線部分まで拡幅したような、そんなイメージでしょうか。
・従来川越線は12・13番線でしたが、どちらかというと12番線(旧13番線)だけになったような感じですね。
・従来は貨物用でホームのなかった11番線にホームを設け、ここに貨物線の旅客列車が発着できるようになっています。

最後に1993年3月。

199303

・埼京線が開業して川越線は地下ホームに移動したはずですが、旧川越線ホームあたりはほとんど変化がありません。
・川越線にしか進路を持たない12番線や13番線はどのような使われ方をしているのでしょうか。
・配線図には12・13番線用の下り出発信号機が描かれているのですが、その一方で右上の下り出発信号機の一覧表に12・13番線が記載されていないのも気になります。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 単調な急勾配で描かれるような山越えの勾配図と、実際の地図とを照合して、設計者達の努力や工夫の片鱗を読み取れるのですが、同様にこの大宮駅では配線より、何故かしらその勾配に関心が移っていまいました。若干余裕のない厳しい線形をとって、オーバークロスで、客貨の区別はもとより運転系統を的確に捌く、その努力の跡が勾配図に集約的に読み取れます…変わった関心を抱いてしまいました…貴重で正確な図面故に、多様に情報を絞りうる、そう御理解下さい。
 深く謝します。

SYさんらしい目のつけどころですね(笑)。
特に東北下り線は高崎線の上をまたいだり回送線の下をくぐったりと、線路設計者の苦労がしのばれますね。

1958年の配線図には、三番線が行き止まりで、京浜東北のホームがありませんが、ひょっとするとこれを京浜東北が使っていたのでしょうか。

イゴマルさん、その通りですね。
さらに言うならば、その3番線の東京寄りの切欠きホームも京浜東北用です。ちょっと短いですけど。

 1958年当時赤羽以北の複々線区間は東海道本線と同じく旅客線と貨物線の路線別複々線でした
赤羽以北京浜東北線が延伸の折は旅客線に乗り入れの形で大宮迄伸びました其の為三番線を京浜東北線の折り返しにした 上下線間に折り返しホームを設けた ダイヤ上旅客列車の合間に京浜東北線電車が乗り入れる形でしたのでホームはメインの三番線一本とおそらく基本編成若しくは付属編成だけ使用の切欠けホームとの使い分けをしていたのでは此の時代はまだ京浜東北線は旧形国電全盛時代基本編成5輌に付属編成3輌を繫いでラッシュ時8輌編成で運行していました 昼の間付属編成を切離し基本編成だけで運用していた
何時から昼間の時間帯も8輌編成運行になったかは不明ですが103系導入頃から終日8輌編成運用になったのかと思います 103系は当時山手用は両端先頭車はクハ103ですが続いて導入された京浜東北線では初めて大宮方がクモハ103となり当時の編成はMcMMcMTMMTcの8漣でした
 因みに当時の京浜東北の旧国編成は大宮方からMcMTcMcTMMTc TcMMcMcTMMTc McMTMTMMTc TcMMTcMMMTc(79 72 920番台)
等でした
 1960年代後半殺人的ラッシュ時代を迎え京浜東北線を分離して赤羽大宮間を三複線化並びに南浦和電車区の開設今日に至った次第1971年旧形国電が京浜東北線から撤退後全車103系10輌編成化 当時の編成はMcMTcMcMTTMMTcの10輌編成でした其の後103系を首都圏大量配置の前兆でした
 

 

 先日もうじき無くなる北斗星を写そうと思い大宮迄出掛けた 上野見たく鉄ちゃんで混み合っておるかと思いつつ大宮に着き京浜東北線ホーム北端に行くと意外に誰も居ない5 6番線北端には望遠レンズを付けたカメラを抱えた吾人が三名居た到着が早く北斗星が来る迄暫し待つ其の間231系や233系等が入れ替わり立ち替わりやって来るスーパーひたちから運用変更したあかぎ号とか185系あかぎ号時々EF210 EH200 EH510 EF65等がコンテナや空タン回送 205系使用の大宮発八王子行と海浜幕張行しもうさ号(八王子行とは編成向きが逆)と云う列車が有った与野から武蔵野連絡線に入り其々の方へ向かうのでしょう 北斗星の写真撮影が無ければ乗車して見たい列車でした 京浜東北線ホームからは順光ですので撮影は楽でした 北斗星は大宮停車ですので当然進入時減速しますので編成中の全車両を撮影出来ました 上野大宮間沿線で見かけた鉄ちゃんは皆西側でカメラを構えて居ますが4分の3の確率で被る可能性が大ですので私は敢て京浜東北側から撮影した次第です

yyoshikawaさん、103系投入当初はMcMMcMTMMTcだったんですか。2両目のMの貫通路を施錠していたんでしょうか。
前にもお願いしましたが、yyoshikawaさんの写真、ぜひ拝見したいですね。

 103系は貫通戸が必ず有りましたので此の当時の編成では2両目の後部貫通戸は施錠しておりました 
 73形国電では貫通戸の無い車両が一部有りました此れは桜木町事件の影響で貫通戸を省略したのでした 隣接車が非貫通車の前に貫通戸の無い車両が連結された時は戸が無いので締めきれませんので蓋を取り付けておりました
 旧形国電は一両単位で管理されて居ましたので度々編成替えが有りました其の為偶に此の様な事が起きました

yyoshikawaさん、「蓋」とはいったい?
旧型客車列車の最後部もデッキに立てば扉なし状態でしたね。

 鉄道博物館で企画展大宮駅宇都宮線開業130周年記念企画展OH! MIYA HISTORY を見に行きました 本当は同時開催の企画展ボルチモア&オハイオ博物館展を楽しみに行ったのですが余りにもショボクれた(殆ど写真パネル展示のみ)でガッかりしました 其れに比べOH! MIYA HISTORY展の方は流石に地元ならでは色々な資料を展示しておりました 中でも配線図関係の展示は1885年頃の配線図を1917年に模写した配線図 明治30年頃の大宮工場全景写真1932年に赤羽大宮間電化開通の報知新聞記事(空撮写真)1972年版大宮操車場(含大宮駅)配線略図等展示されておりました 当初日本鐡道が宇都宮線(現東北本線)の分岐予定駅は熊谷 伊勢崎 桐生 足利経由の予定であった等 本命のボルチモア&オハイオ博物館展がショボかっただけにお腹一杯の展示でした お近くの御方は見学に出向いてみては如何でしょう

 OH! MIYA HISTORY展に展示されていた1885年の大宮駅配線図 丁度宇都宮線(東北本線)が開通分岐駅として設けられた当時の配線図です
 本線は未だ単線 駅舎は東側のみ当時は日本鐡道社内では前橋方面がメインライン宇都宮方面が支線と考えていた模様 前橋方面が相対式ホーム下り線ホーム裏に側線が一本駅舎側上り線ホームの外側に宇都宮方面用ホームと機廻し線二線の客車庫が機廻し線に合流機廻し線の先宇都宮方に二股に別れターンテーブルと二線機関庫 前橋方から宇都宮方へ亘線が有る 宇都宮方面ホーム東京方は行き止まりではなく其の侭上野方へ抜けられる様になっており駅舎から直接上りホームには出られぬ構造おそらく跨線橋で各ホームを結んでいたのではと思います 当時は未だ大宮工場は無く操車場も無い明治時代のシンプルな分岐駅其の物です1894年に汽車課として工場操業1896年大宮工場と名称変更当時の写真で既に現在と同等の規模の工場であった様です 流石に当時日本最大の私鐡であった証拠でしょうか  

yyoshikawaさん、東北線と高崎線の分岐となったことで大宮は大きく発展したわけですね。
貨物がなくなったとはいえ、工場の存在でまだまだ元気ですね。

昨夜ブラタモリで大宮が取り上げられました
日本鐡道が高崎迄開通した時点では大宮に駅が造られなかった 旧中山道の宿場町なのに駅が出来なかった理由に大宮宿は大名が宿泊する為に本陣脇本陣の数が多かった隣接した上尾等の宿場に比べ一般の人が宿泊する宿は少なかったのが原因だと申してました
大宮に駅を誘致しようと地元住民が氷川神社の境内に料亭を建て客が来る様駅を造らせた
東北本線を建設するのに分岐駅を大宮にするか熊谷にするか検討して河川との交差の少ない大宮を分岐にした又鐡道工場を建設するのに楽な大宮に工場を設置東北上越両新幹線を建設の折大宮工場直上に高架を建設出来た事等放送していました

ブラタモリ、私も見ました。
鉄道開通時に駅ができなかった理由や、駅誘致のための“リゾート開発”の話は、同じさいたま市の浦和区出身である私も初耳でした。日本地学会の表彰を受けた番組だけあって、全体としては見ごたえのある内容でした。
ただ、大宮駅が開設されたのは地元の熱心な誘致活動の結果…と受け取れる論調でしたが、東北本線の分岐駅になった事との因果関係がどうなのか、結局わからずじまいだったのは消化不良でした。それと欲を言えば、「大宮はなぜ鉄道の町になったか?」がお題なのですから、大宮操車場の存在にも一言くらい触れてほしかったですね。

確かにそうです大宮は大宮操車場と大宮駅大宮工場がセットになって初めて鉄道の町と云えます
操車場機能は廃止されましたが貨物列車用時間調整の信号所機能は健在です列車の入れ替えは有りませんが東北高崎上越羽越常磐中央東海道都心各方面へのジャンクション機能としての役割は残されてます

ブラタモリは見ませんでした(汗)。
ただの駅だけでは「鉄道の町」とはなりえないでしょうから、おっしゃる通り操車場と工場、さらに付け加えるなら機関区の現業機関との組み合わせによる結果なのでしょうね。

昨日暇でしたので仕事の帰りに品川新駅関係の工事情況を見物がてら大宮迄上野東京ラインに乗車品川工事と尾久大宮へ向かいました
先回鉄道博物館へ行った折に工場南側留置線に変な電車が留置されていたので改めて確認を兼ねて行ってみました
見た目は車体幅は上半身が広い今時型で無い最大幅2800㎜で四扉両開き下降窓極当たり前な車体の通勤車ステンレスボデーに京浜東北より淡いブルーの帯209系幅狭形とも少し違うりんかい線の70系とも雰囲気が違う 然も形式番号が4000代で帯にロゴが印刷されて居りよくよく見ると小田急のロゴでした何故小田急の通勤車輛其れも中間車が7輌も大宮に留置されてるのか謎です
何方か御存知のお方はいませんか?
旧川越線用ホーム線路は現在使用されず両端に枕木車止めが設置されてます分岐は両側共健在ですが使用出来ない状態です

yyoshikawa さま
小田急4000系が大宮に来るのは、JR常磐緩行線への乗り入れに必要な機器を搭載するためとのことです。中間車だけ留置されているのは、工場内で行われている先頭車の手術が終わるのを待っているのでしょう。
東京メトロ千代田線の両側からそれぞれ相互乗り入れをしている小田急とJRですが、2016年のダイヤ改正から、小田急車とJR車がメトロ区間を越えて互いの区間まで足を延ばす様になりました。そのため小田急車が大宮まで出向いて必要な改造を受けているという訳です。
それにしても相互乗り入れが始まってだいぶ経つのに、まだ改造が行われているんですね。

小田急4000系の大宮への入場は、千代田線へのホームドア導入に伴う関連機器設置のためだそうです。
当然JR車も同様の機器を設置するのでしょうし、既にE-231-500等で実績のあるJRへの委託となったのでしょう。

小田急車の大宮入場の件は存じ上げませんが、少なくともJR乗り入れ対応工事は、実態としてすでに全車完了しておりますね。

皆様情報有難うございます 謎が解けました感謝します

皆さま、情報ありがとうございます。小田急車をJRの工場で見かけたらそりゃ不思議ですよね。それにしても皆さまよくご存じで。

駅配線図に直接関係有りませんが品川駅にクモユニ74風の郵便ポストが設置されているのは有名ですが大宮にも茶塗りの郵便ポストが設置されいます鉄道の町を意識しておるのでしょう

すいません間違いでした品川駅のは正真正銘クモユニ74をデフォルメしてますが大宮駅のは蛙でした唯標識燈二ッ車側表示燈二ッをポストの上に取り付け行き先標サシを正面に取り付け大宮驛と記載してますポストの足元に貨車用車輪を半分に切り添えてあります 由来書きがポストの足元に表示されてます
由来書きにはかえるポストと書かれており使用した部品の由来も記載されてます
皆さん鉄道博物館へ行かれたおり大宮駅で探してみては如何でしょう?

先日久々に大宮迄遠出しました目的は先般リニューアルされた鉄道博物館見物です 丁度博物館企画展
明治150年NIPPON鉄道の夜明展が開催されてましたので其れの見物を兼ね行きました 企画展の方は収蔵古文書多数展示双頭レールや測量機器実物トレビシックのベニダーレン号模型スティブンスンのロコモーション号ロケット号模型佐賀藩製造蒸気車模型複製ナポレオン号機関車模型複製等が展示されてました リニューアル後の状況では本館二階展示模型コーナーには多数の収蔵模型を展示中でも保線用モーターカー数量は意外であった交博時代に保線関係のジオラマに置かれてた車輛の様です新しく建設された南側新館は一階に山形新幹線400系つばさ先頭車と北海道新幹線はやぶさ用先頭車実物大モックアプ(現物は現役)と運転シュミレーターコーナー二階は半分吹き抜けで新幹線車輛を上から眺められます後半分に鉄道関係の各種仕事紹介コーナー三階には歴史コーナーになっており中央に年代別駅出改札部分実物大ジオラマ其回りに収蔵資料や模型等展示 日本の鉄道開業前の世界というパネル展示には独アンハルト駅1841年英パデントン駅1854年配線図が掲載されてます あと歴史コーナーにステンレス製引き出し式ロッカーが数個おかれてます中には色々な図面多分複製が展示されており其れ等の内の一枚は日本鐵道時代の我孫子駅のお宝配線図が有りました 新橋駅ジオラマも此方に移転されてました 本館模型コーナーに展示されていた弾丸列車用HD53模型も此方へ移転してます他は各私鉄車輛模型も久々に展示されました 実物車輛外展示では二階建て新幹線MAX先頭車さすが地面目線では大きいあと不思議な車輛として保線用軌陸三転ダンプカーが展示されてます 見物後大宮まで徒歩大宮工場脇をふらつきました途中晒首的なEF58とEF15先端がおかれてますあと大宮工場製D51がおかれてます 大宮で保管されてたガスタービン車は正門付近に展示されてますが外からは見えません(新交通システム車内からはみえます) 以上長々申し訳有れませんでした

yyoshikawaさん、久々の鉄道博物館を堪能されたようですね。残念ながら私はまだ行ったことがありません(汗)。交通博物館も相当昔に行ったきりでした。

そういえば大井工場でJRE常磐緩行線用車輛がよく大崎支線脇の留置線に留置されていたのも関連改造工事の為だったのですね 最近は見かけなくなっつたので改造工事は完了したのでしょう常に中間車のみ留置されていたのも頷けます

yyoshikawaさん、工場近辺だといろいろ楽しい目撃ができますね。

今は役目を終え朽ち果てている大宮運転区についてですが、とうとうこの場所へ大宮駅周辺に散らばっている保線・電気などの職員向け施設を移転・建替えするようです。
当時から今に至るまで、線路や架線はそのまま残されていましたが、それが無くなるのも近そうです。
与野新道を超える搬送線の橋梁は今後どうするのかは不明ですが…。

後、大宮駅南側の与野新道のアンダーパスを超え、貨物線下りと旅客線下りの間の空いているスペースで何やら2線ほど線路を引いて工事をしていました。

デリンさん
情報ありがとうございます。何やら始まるのですね。
>2線ほど線路を引いて工事
気になります。

デリンさんのコメントを確認の為大宮迄向いました
上野東京ライン車窓から見ると旧ハンプ線の有った辺りの空地に線路が敷設され尚且つ中間部に渡り線も存在してる様ですが本線部分に近い所は現在
未だ路盤整備等無い様です
東北新幹線高架反対構内は信号機等☓印が付けられ何れ線路撤去作業に移るのでしょう

yyoshikawaさん
情報ありがとうございます。

f54560zg さん

ご報告すべきと思いながらずっと忘れていて、今さら思い出したのでご報告します。

下記ブログで、昭和25年ごろ?のものと思われる学校教育用のスライド教材が紹介されました。
秋葉原を出発して東北本線へ向かう貨物列車を追跡し、主に貨物扱いの様子を撮影したものですが、全28コマの中に少数ながら線路配置が写り込んでいるものがあります。
このうち管理人氏が場所不明としていたコマについて、当記事の1958年3月の配線図がぴったり一致したので、私が紹介させていただきました。

ブログ名:西乃湯 鉄道我楽多館
URL:http://train-garakuta.cocolog-nifty.com/blog/
該当記事:2019年1月7日 社会科スライド 「にもつの旅」
私のコメント日:8月14日

ご報告が遅くなり申し訳ありませんでした。

【追記】
1月21日にデリンさんがコメントされた「2線ほど線路を引いて工事」の件ですが、結局、たまに見かける保線区用?の訓練施設ができましたね。
かつて大宮操車場が健在だった頃、裏手の日本信号専用線より少し北側に、やはり訓練線?とおぼしき施設がありました。
踏切遮断機があって、いつ見ても上下動作を繰り返していたのが印象に残っています。

クモイ103さん
以前はそんなことなかったんですが、リニューアル以降いろいろと不具合が・・・。
>「にもつの旅」
貴重な資料をご紹介いただき、ありがとうございます。まさに高崎上り線を横断して東北線に向かっていくところですね。

 初めてお邪魔します。「閉そく」という言葉も初めて見たほどの素人です。
 古い配線図から往時を思い出し、時間を忘れて見入ってしまいました。コメントを書かれている皆さんとは関心の向きが違うかもしれませんが、国鉄時代にはよく見かけた40kg以下の軌条(特にほとんど使われていないような)が大好きです。

 日本信号専用線、これも良かったですね。交差している公道?を学生時代あえて遠回りして通っていました。この辺りは操車場との境界があいまいで、その気なれば場内を散歩できたと記憶しています(1983年までは)。

 皆さんご存知かもしれませんが、この時期に面白いことを発見しました。
 川越線のキハが大宮に到着後、乗客を新たに乗せて与野方面に出発するのです。臨時列車という雰囲気は全くありません。しばらくしてナゾは解けました。日本信号専用線付近で、キハから多くの人(ナッパ服ではない)が降りてくるのを目撃。操車場で働く職員を大宮駅から輸送していたのだと理解しました。

 話しが飛んですみません。立川駅(配線図)の事で教えて欲しいことがあります。古い青梅線ホーム青梅方の切り欠き(こんなものがあったことを初めて知りました)部分には、かつてレールが敷かれていたのでしょうか。 50年前の古い記憶では、立川駅の青梅線は3線あったのです(1~3番ホームではなく)。

TKB47様 操車場では多数の職員が居り其れ等の人々の通勤の為時刻表に載らない列車が存在してました 多分TKB様が視られた大宮操車場方面への列車は職員通勤の為の列車であった
嘗て新鶴見操車場では平行して南武線が有り尻手矢向鹿嶋田平間向河原五駅が有り其れ等の駅から通勤も可能ですが鶴見新鶴見間に南武線中原電車区所属のクモハ12013が専属で運行してました通常鶴見では嘗て手荷物用のテルハが有った下辺りに小さな簡易ホームが有り其処にクモハ12013が停車していました 新鶴見では構内の何か所かに同様な簡易ホームが有り其れ等を縫って通勤職員を運んでいました如何云う経路で新鶴見構内を運行していたかは定かでない 
同様な職員通勤列車が運行されていた所として松戸松戸電車区間国府津国府津電車区間等が存在してました 松戸では通常の回送列車に職員が乗車して通勤してました 国府津電車区では職員通勤用にクモハ40054とクモハ40074の二両を使用してました後に各地のイベント等で展示や特別運行等に使用後廃車になる筈であったが平妻旧国と半流旧国の数少ない生き残りであった為クモハ40054は青梅鉄道公園に展示保存クモハ40074は大宮の鉄道博物館に展示保存されました 
大井工場は車輛の出入りは大崎からですが職員は正門の有る大井町から通勤してました

TKB47さん、yyoshikawaさん
>日本信号専用線
大きい停車場の片隅にはアヤシイ線路がありましたね。
>職員輸送
現在でも職員(社員)の通勤に鉄道車両を使用しているケースってあるんでしょうか。松戸や国府津の現在はどうなっているんでしょう。
>立川駅
青梅線が3線あったという記憶はないのですが・・・(汗)。ご存知の方いらっしゃいましたらお教えください。

 早速のご返答ありがとうございます。

 今ではありそうもないことですが、貨物駅などの職場が多かった時代には、職員専用の通勤列車も普通だったということですね。

 立川に青梅線が3線あったというのは、子供の頃のあいまいな記憶で、単なる錯覚だと思っていました。しかし、古いホームには切り欠きがあったことを初めて知り、実はそうだったのかという疑問が再発した次第です。

大宮駅のスレですけど…

立川駅の青梅線ホームに「切り欠き」があったとのことですが、私の見たところこれは切り欠きではなく、行き止まりだった「青梅着発線」の有効長延伸に伴い、その両側ホーム1番線と2番線のホームが継ぎ足されたため、向かいの3番線との間にホーム端のずれが生じたのだろうと思います。

KASAさんのサイト「国鉄 停車場 配線略図」に、立川駅の配線図が掲載されています。

昭和37年 (1962年) 3月現在
青梅線旅客列車用の着発線は中央本線の副本線である3番線を含めて2線で、後の時代と同じです。
但し渡り線の配置が異なっており、青梅着発線のホームを出たすぐ先に分岐器がありました。
線路の有効長が「100」と記されています。入線できるのは最長4両編成だったでしょう。

昭和46年 (1971年) 3月現在
線路配置が変更され、青梅着発線の最初の分岐器はずいぶん遠くのシーサスとなりました。
ホームも継ぎ足されている様です。後の昭和52年3月に私が訪れた時もこうでした。
有効長は「138M(6B)」と書かれていて、6両編成が入線できるよう改良が行われたことが分かります。

> 職員輸送
かつての事例で、幕張電車区もありましたね。
津田沼駅との間をクモハ40030が行き来していましたが、幕張本郷駅の開業に伴い廃止されました。
ちなみにクモハ40が検査の時は有り合わせの代車を充当していた様で、人の話によるとある時はクモヤ143だったり、またある時は165系3連という豪華版もあったそうです。

みなさん、こんばんは。

クモイ103さん、拙HPについて、フォローしていただきまして恐縮です。ありがとうございます。

整理が不十分で分かりにくくて恐縮ですが、立川駅(青梅線関係)に昭和19年3月の配線図をアップしており、それによると切り欠き部分に線路があるようなのですが、黄色い蛍光ペンで塗られており、どうやら廃止を前提している様子がうかがえます。

http://railwaytrackdiagrams.web.fc2.com/tokyo_west/oume/tachikawa_oume.html

あわせてご高覧いただければと思います。

手許にはないのですが、昭和25~26年頃の線路図があれば、その消長がもう少しはっきりとはすると思うのですが・・・。

皆様
>立川の青梅線
おそらくTKB47さんのご質問に関しては、クモイ103さんのコメントの通り切り欠きホーム形状は延伸により形成されたもので、この部分に線路が敷かれていたことはないと思います。
ただこの件とは別の話でKASAさんから「もう一つの着発線」の存在をお教えいただき、ありがとうございます。なかなか複雑ですね(汗)。

KASA さん

昭和19年と47年の立川駅配線図もあることを見落としており、失礼しました。
「中央本線」の項目だけに飛びついて、「青梅線」の項目が目に入っていませんでした…。
少なくとも戦前は確かに3線(というより青梅線本来の着発線が2線)あったのですね。

中央本線の上り2番線(後の時代の旅客案内上の3番線)に「省上り二番」と記されていて、青梅電鉄が買収された直後であることを物語っていると共に、線路とホームの配置から独立した私鉄らしい雰囲気が感じられます。

TKB47 さんが目撃されたのはこの頃なのでしょうか?

 職員輸送について。宮原操車場・機関区・客貨車区・電車区の職員はほとんどが回送列車に乗って大阪駅から通勤していました。
 入区便は規制がないので、特急の181系などが人気でした。出区便はさすがにきびしく制限されていたそうです。
 入区便も後には制限されて編成端の1両が指定されました。これは乗客誤乗と見分けがつかないという部内事情によります。
 見学の部外者も黙って乗っていました。誰もとがめることはありませんから。

C6217さん
そうですよね、宮原も通いづらいですよね。今はどうなっているのでしょう?

 大宮に関係ないことで大変お騒がせして恐縮です。

 昭和19年からの推移をみると、確かに立川駅青梅線ホームの「切り欠き」に見える部分は「継ぎ足し」だと思いました。私の生まれは昭和38年なので、19年~37年の姿を直接見てはおりません。古い写真で見たものを、実体験だと錯覚していたのでしょう。

 職員輸送の例含め、多くのことを教えて頂きありがとうございました。

TKB47さん
今後もよろしくお願いします。

本日購入した鉄道ピクトリアル2020年11月号は東武野田線の特集号。P.24~25のグラフを見て驚きました。
1952(昭和27)年の夏、東武東上線から船橋へ向けて、「ブルーバード号」用の5310系電車による海水浴臨が走ったんですね。
川越から9600形蒸機に牽引されて国鉄川越線を大宮まで走り、野田線へ直通したようです。
大宮駅で野田線の旅客ホームから1本離れたところに停車している写真がありますが、ここまでキューロクが牽いて入ってきたんでしょうか。

クモイ103様 ひじょうに興味深い話ですね是非とも見てみたいです
大宮で東武野田線は国鉄との間で貨車の授受をしていたので今回の様な東上線から川越線経由の海水浴臨時電車の運転が出来たのですね川越線の9600が東武の電車を牽引したとは面白いものですね
東上線と言えば東上線を9600が走行していた記録が有ります随分前のピクトリアル東武特集号でグランドハイツ向けの貨物輸送に国鉄から直通運転していた写真が掲載されてました 因みに東武鉄道で運行最大の蒸気機関車は根古屋線に入線していたC58でした

>川越線から野田線へ直通
すごい経路ですね。川越線から野田線ホームに直接進入するルートはないと思いますので、大宮では東北線や高崎線を横切って入換が行われたということなのでしょうか。ただただ驚きです。

1958年版配線図には大宮駅北側の川越線から直接東武野田線迄進入できる背向渡り線の連続で高崎線東北本線を越えてます多分此の経路で野田線に進入したのではと思いますが如何でしょうか

ピクトリアル同号の本文記事にも、この直通海水浴臨のことが触れられていました。P.63~の花上嘉成氏筆「東武野田線回想記」のP.71です。
それによるとこの列車は1951・52年に運転され、「川越線内と大宮構内は蒸機96が牽引し」と述べられている所を見ると、大宮構内で入換が行われた様に読めますね。
考えてみれば、もとより川越線の列車が東武の構内へ直接進入するような進路が設定されていたとは思えません。くだんの海水浴臨以外でそのような運転の必要性はまず考えられませんから、危険度の高い本線横断の進路を使いもしないのにわざわざ設定するのは「百害あって一利なし」ですね。
そう考えると、やはりこの列車は川越線から進入可能な国鉄線(東北上り中線?)に到着し、96が機回しして電車の反対側に付き、下り方(東北下り本線?)に引き上げてから改めて東武構内へ押し込んだ、と考えるのが妥当な気がしてきました。

鉄道ピクトリアル11月号東武野田線特集花上嘉成トピクス東武野田線回想記記事に1950年代の東武野田線大宮駅構内の様子の状況の説明やJR移行時に川越線を東武鉄道に譲渡する話があったともし此れが実現していたら東武本線系と東上線系が完全連絡していたかもしれません逆に埼京線は大宮止まりになったかもしれなかった更に京浜東北線と野田線との相互直通運転の話もあった様です唯野田線の列車長が最大6輌編成10輌編成の景品東北線を受け入れるにはホーム延長工事等が有り立ち消えになった中を取って8輌化すれば現在の横浜線直通列車と同じ状況になったのでは思えば残念な話です大宮駅では京浜東北線終端と東武野田線終端は相対しておるので線路を繋ぐ事は簡単でしたが・・ 著者の花上さんは東武鉄道博物館の元名誉館長さんでした
私的意見ですが横浜線と八高線と川越線と東武野田線が繋がれば武蔵野線の外側に大環状線が出来たのに各所で連絡用新線の建設は必要ですが利用者には可也便利になるのでは

> JR移行時に川越線を東武鉄道に譲渡する話があった
譲渡するなら西武へと考えてしまうのは、なまじ歴史の断片を聞きかじった半可通の発想でしょうか。
大宮~川越間には昭和15(1940)年まで西武の路線があって、国鉄川越線の開業に伴い廃止されていますから。
今でも大宮駅西側のニューシャトル乗り場を見上げる場所に、かつての線路敷が道路として残っているようです。

京浜東北線と東武野田線の直通話があったというのは、ずいぶん昔に岩槻在住の人(鉄とは無関係の一般女性)から聞きました。野田線利用者の立場からは、各駅停車の京浜東北線に乗り入れても意味はなく、乗り入れるなら東北・高崎線へと言っていました。なるほどその通りですね。一方の京浜東北線利用者であった私から見ても、地元の混雑が増すのは目に見えていますから、有難くない話でした。
単に「目の前にあるからくっつけちゃえ」という、実用性無視の短絡的な発想だと思います。

> 中を取って8輌化すれば
将来日本の人口減少で京浜東北線の利用者が減少すればあるいは…(笑)。

連投失礼します。
野田線を北大宮駅あたりから地下に潜らせて埼京線へつなげられないか? と突然思いつきました。京浜東北線と違って快速運転できますから。

1950年代末頃迄大宮で国鉄東武間貨車授受が執り行われていましたが国鉄側は東武向け貨車を大宮操車場内で仕立てていたのでしょう入れ替え用機関車が構内運転で操車場から下り貨物1番線若しくは2番線に入線後高崎線下り線に出て先のダブルクロスで東北本線下り線へ出場一端停止後推進で東北本線上下線間の背向渡り線で上り線経由東武野田線との間の授受連絡用背向渡り線で東武野田線構内へ推進して入線し側線に貨車を留置後国鉄向け発送貨車っを連結して牽引して一端東北本線下り線で一端停止後推進で東北本線中線に入線し其の儘推進で大宮操車場へ向かったのでしょう 貴下の1958年配線図では東武側配線は解りずらいですが鉄道ピクトリアル東武野田線特集で24ページのグラビア大宮駅で出発を待つ海水浴臨時の写真から判断すると臨時電車が停車しておるのはホームの隣の線臨時電車の前に分岐が見えておるのから判断すると機回し線であったのでは と云うのも臨時電車が停車してる線の有効長が17~8m4輌でギリギリです 其れから判断すると臨時電車が停車している線は機回し線臨時電車の左側の線が貨物列車の着発線で臨時電車の前の分岐は左渡り線であったと判断してます ホーム側の線は旅客専用仮に此の線に貨物列車が入線すると貨車を留置線に入れ替えする間旅客列車は駅に入線出来ない事になるいくら貨物優先の私鉄であっても旅客列車数の多いのであるから旅客ホーム側の線は空けて置かねばなりません更には当時は客扱ホームは東北本線上りホームに隣接した一線だけですので余計入れ替えで長時間塞ぐ訳にはいかないので当然貨物着発線を別に設けて対応していた 東武側の到着貨物列車は貨物着発線に到着後機回しして到着貨車を一担引き上げ留置線へ突放若しくは推進で押し込み最後部に連結されていたワフ若しくはトフを着発線末端へ移動させてから国鉄よりの東武向け到着貨車を連結して列車を仕立てて発車時間になると出発するパターンだったと思うのです 一応貨車入れ替えのセオリーで述べたのです

大宮駅の川越線の記事とどちらに書くか迷いましたがこちらに。

気動車時代に使われていた地上の川越線12番線ですが、今年に入り線路や関連するポイントが撤去されてしまい空き地になりました。
来年度以降、もしかしたら過去の例を見る限り使用中の11番線ホームの拡幅等々動きがあるかもしれません。

ちなみにですが、大宮運転区の線路群は全撤去され、大宮支社の現業施設ビルの建設に邁進中です。

最近の12番線は使用された形跡がありませんでした。まだまだ変化は続いているのですね。

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