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2010年7月 4日 (日)

東大宮配線図

1964年(昭和39年)開業の東大宮駅は複線区間に島式ホーム1面といういわゆる棒線駅ですので、興味は近接する東大宮操車場に向けられますね。

多くの車両基地は近接する駅との間で入換(通常は構内運転)による車両の出入りを行っていますが、一部には入出区専用の発着線を設けて回送列車として出入りする場合があります。

たとえば品川、尾久、向日町、宮原、そしてこの東大宮などです。

入出区用の発着線には列車が発着するわけですから、この部分は「停車場」でなければなりません。どこの停車場に属するのでしょうか。

推定ですので間違っていたらごめんなさい。
・品川、尾久そして向日町の発着線は近接する品川駅、尾久駅、向日町駅の管轄かと。
・宮原は近接する駅がないので宮原操車場として独立。
・東大宮は近接する駅があるけれど東大宮操車場として独立。
といったところでしょうか。

これ以外にも千葉気動車区とか大分電車区などはどうなっている(た)んだろう、と思いますね。

要するに、独立した「客車操車場」として停車場扱いされているのは、宮原とこの東大宮だけだったのではないかと思うんです。

どーでもいい話が長くなってしまいました。

まずは1972年(昭和47年)2月。

1972021

1972022

大宮駅の1969年3月の配線図には回送線が描かれていませんので、東大宮操ができたのはこれから1972年2月までの間ということでしょうか。
・着発線は3本あり、3番線には東北下り線からも進入できるようになっています。
・留置線は9~28と31~33番線で、12~20番線は行き止まりです。

続いて1978年(昭和53年)3月。

197803

・7・8番線が増設され、12~20番線は貫通になるなどの変化が見られます。

続いて1980年(昭和55年)3月。

Photo

(↑2010/7/22 KASAさんのご指摘により追加)

1980031

1980032

・29番線が増えました。

続いて1984年(昭和59年)3月。

198403

・着発線の東京寄りに土呂駅が開業しました。
・これと関係があるのかどうかわかりませんが、東北下り線から着発3番線へのルートはなくなりました。

最後に1993年(平成5年)3月。

199303

・本線寄りの部分に「訓練センター実習線」というのが設けられています。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

f54560zg様こんばんは
パソコンのメールが具合が悪くて受信は出来るのですが送信が出来ません。
東大宮の回送線下り場内2Rは2現示の灯具が使用されていました。
多分今もそうだと思います。

T.Mさん、了解いたしました。
「メールの受信ができて送信ができない」というのを聞いて安心しました。

1984年3月に
>・これと関係があるのかどうかわかりませんが、東北下り線から着発3番線へのルートはなくなりました。
とありますが、モロに関係あるかと思われます。
1980年を見ると、回送線の場内2Rと本線場内3Rのキロ程は同一のようです。
そして、
・場内と中島踏切の離隔が30m
・中島踏切と土呂駅ホームもすぐそば
(正確にはどのくらいかわかりませんが、感覚的には「すぐ」です)
・過走防護の関係で、場内から21号・22イまでは100m(当時の基準だと150mか?)は離れているはず
以上3点から考えると、22イロの渡り線があったのはちょうど今の土呂駅ホームのあたりだと思います。
ホーム設置に支障するので撤去されたんでしょうね。

ところで、下り本線は操車場へ進入する分岐があるだけなので、場内があって出発がないという形態ですが、
上り本線はどうなっているのでしょうか。
国鉄の規定的に上下線の片方だけ絶対信号機があるのはあり得ないでしょうし、
今の土呂駅のあたりが「上り1」で、次の場内が大宮場内ということはさすがにないでしょうから、
やはり場内だけあるのでしょうか。
(機能的には閉そくで十分だと思うのですが、、、)
分岐もないし、信号機の番号から類推すると場内信号機「イ」があったのかな、
と想像しますが。。。

名無し信通区さん、詳細な解説ありがとうございます。
大宮の配線図を見ると31.594kmに上り第1閉そくがありますので、34.007kmの上り第1閉そくの次には絶対信号機がありそうですね。ただ、それにしても記載されていないのが?です。もし存在するのならば下り場内3Rよりも青森寄りでないとおかしいですよね。下りの場内と上りの場内が背中合わせなんてヘンですから。ひょっとして、もしかして、万が一、「上り第1閉そくの先にあるはずの絶対信号機」って、回送線の出発信号機4L~6L? 
品鶴線の丸子信号場の上り線には分岐器はありませんがしっかり場内信号機は設けられていました。かと思えば五条川(信)は東海道上り線には場内信号機がありますが、分岐器のない下り線にはフツーに閉そく信号機しかありません。

>かと思えば五条川(信)は東海道上り線には場内信号機がありますが、分岐器のない下り線にはフツーに閉そく信号機しかありません

そういう例があるのですね、知りませんでした。。。
確かに上下の場内が背中合わせではおかしいですし、ひょっとして上り線は(東大宮~蓮田)上り1の次が、(東大宮~大宮)上り3、とかだったのでしょうか。(3という数字は適当です)

f54560zgさん、 名無し信通区さん、こんばんは。

コメントを興味深く拝読させていただいてます。

1972年と1980年の図にある「3RB」の信号機ですが、場内信号機ではなく、出発信号機ではいけないのでしょうか?

(たしかに1978年の図では「下場」となっていますが・・・。)

もし出発信号機ならば、その上りの「イ」の信号機が、3RBよりも東京寄りにあっても、おかしくないような気がするのですが・・・。

私の場合、基準規程とかには疎いので、全く見当はずれのことを書いているかもしれません。その場合はどうかご容赦ください。

ただ、JR四国の高松貨物ターミナルの貨物線が本線から分岐するところの信号機が、「貨物場内」と「予讃出発」だったような記憶があり、そこからの類推です。

名無し信通区さん、おっしゃるとおり上り1の次は上り3(とか4とか)が可能性が高いように思います。
専用線好きさん、昔の運転保安設備基準規定の中に、出発信号機の設置に関する規定として「場内信号機が出発信号機の機能を兼ねる場合は出発信号機を設けないことができる」とあります。たとえばスイッチバック駅を通過する列車に対する信号機は場内信号機であって出発信号機ではない、ということのようです。東大宮の場合も同様と思われ、3RBは「出発信号機の機能を兼ねる場内信号機」だと思われます。「場内信号機の機能を兼ねる出発信号機」でもかまわないとは思うんですけど・・・。

f54560zg さん、こんばんは。

>規定として「場内信号機が出発信号機の機能を
>兼ねる場合は出発信号機を設けないことができ
>る」とあります。

なるほど、こういう規定がある(あった?)のですね。
ご教示ありがとうございました。

場内信号機には、列車に対して停車場への進入の可否を表すという意味のほかに、停車場の境界を表すという意味があるため、出発信号機よりも重要な位置づけなのかもしれませんね(これも古い資料の受け売りですが)。

東大宮といえば、昔は上野発着の列車が尾久の留置線の関係で入りきらず、客車は留置されていた。という話を聞いたことがありますが

東大宮と尾久はほとんど一心同体、というイメージですね。ただしさすがに東大宮まで客車を推進で回送はできませんので、東大宮は電車が主体でしたね。

f54560zg様 

 第一回の上田駅より楽しみに拝見させていただいている者です。

 「名無し信通区」様が推測されているイの信号機ですが、東京北局の昭和55年3月現在の線路図には記載されています。公開された図に出ているものも含みますが、建植位置は青森寄りから以下の通りです。

上り第一閉塞 34K007M
イの信号機   32K852M
上り第二閉塞 32K306M
上り第一閉塞 31K594M

 イの信号機は、ブログで今回公開された図の範囲に含まれていないだけだと思いますので、今一度、原資料を確認してみてはいかがでしょうか。差し出がましいことを書いて申し訳ありません。

 それにしても、イの信号機は随分と大宮方にあるものですね。

KASAさん、鋭いご指摘、大変ありがとうございます。まったくおっしゃる通りでしたので、記事中にその部分の画像を追加いたしました。
自分が情けないのと同時に、名無し信通区さんって
スゴイ!

>名無し信通区さんってスゴイ!

こんなこと言われてしまうと恐縮してしまうことしきりです。。。
ただ、イがあると予想したのは、一部以前のコメントと重複しますが
・国鉄の規定では上下線片方だけ場内がある駅はない(と思っていた)
・連動図表の番号の付け方として、起点方から駅中心に向かって順につけていく
という原則と、UPしていただいた画像から
1:方向てこ
2:回送線場内
3:下本場内
4~6:着発線上り出発
となっており、かつ場内があるとしたら2R・3Rの位置より起点方と想像できたので、
数字に空きがないことを考えると、「イ」なのかなと思った次第です。
(もちろん上り線に分岐がないことも重要な条件です)

ともあれ、モヤモヤがすっきりしました。KASAさん、f54560zgさん、ありがとうございました。

名無し信通区さん、これからも鋭い指摘、お待ちしています。

 東大宮はその後に検修設備が設けられました。最新の資料もお願いできれば・・・・・・。

C6217さん
申し訳ございません、限界です(汗)。

東大宮の客車留置

明確に記憶にあるのが1977~78頃の「能登」か「越前」 機関車はEF58のような気がしますがアイマイ。
8時頃大宮発の東武野田線と並走していました。

通行人さん
貴重な情報ありがとうございます。
尾久まで推進で、尾久で機回しして東大宮まで牽引・・・ということでしょうか。

大宮の時点では機関車は前位ですから・・・野田線車中で見ていただけなので、これ以上の情報はありません。大宮同時発車だったらしく毎日野田線と並走。EF62だったような気もしていますがアイマイ。

こんばんは。オール阪神小市民です。
東大宮については小生も[ここはいったい独立した停車場なのか否か?]とかねがね疑問に思っており、管理者様のこだわりを嬉しく思っております。
まず手持ちの資料から一部ご紹介します。
大宮駅100年史(昭和60年大宮駅発行)136ページに[昭和44年(1969)4月25日、大宮駅長管理下の東大宮車両基地の一部が完成·使用開始し、(中略)この工事が完成(昭和46年3月の予定)(以下略)]とあります。また同書巻末の年表には[44·4·1 東大宮操車両基地を開設(開業4月19日)][44·4·25 東大宮操駅が第1種継電連動装置を使用開始。 尾久客車区東大宮派出所を開設][47·3·3 東大宮操回送線を新設][53·9·21 東大宮操の29番線が使用開始][54·4·1 東大宮操車両基地の汚物処理装置が使用開始][55·8·1 関東鉄道学園の実習線が東大宮操構内で使用開始]と記載されています。
年表で4月1日開設、4月19日開業とされてるのに本文では4月25日完成·使用開始かつ年表で連動装置使用開始と食い違いがあったり、連動装置の使用開始前に開業?じゃあ開業時点では連動装置無いんかい?そもそも開設と開業と完成と使用開始とどう違うねん!とツッコミどころ満載の資料ですが、おおよその変遷については把握出来ると思います。また、車両基地·操·操駅の表現が混在し、東大宮の停車場としての位置付けについてはこの資料では不明確(というか、全く考慮されてない。)です。
管理者様ほか皆様が重用されている停車場変遷大事典は極めて信憑性の高い資料ですので、これを元に敢えて断定的に申しますと、東大宮という旅客駅は存在しますが、東大宮操車場若しくは東大宮操駅は存在しないことになります。
ちょっと時間切れになってしまいました。
続きについてはまた後日コメントさせていただきます。

イゴマルさん、通行人さんの投稿を拝見して、長年の謎が解けたように思います。昭和50年代前半のことですが、上野から夜行の妙高に乗ったことがあります。そのとき列車は大宮方から高架ホームに機関車先頭で入線してきたような記憶がずっとありました。乗ってから外を見ていると、ホームの向こうの線路を機関車が通過していくのも見たように思います。とは言え幼少時の、それも深夜のことで、その後上野発着の客車列車は尾久との間で推進運転を行うことを知ると、あれは記憶違いかあるいは何かのイレギュラーかと思っていましたが、あの客車は東大宮滞泊で上野駅で機回しが行われていたということですね。東京駅では日常の風景でしたが上野でもあったとは意外です。

オール阪神小市民さん
東大宮に関する詳細な情報ありがとうございます。ホントにあいまいな表現が多いと思います。
結論としては、書類上は全部ひっくるめて東大宮駅であって、実際の運用上は車両基地着発線部分を東大宮操車場として別扱いしているようですね。

刻苦七十年さん
東大宮滞泊となる客車列車、今頃で申し訳ないのですが、面白いですね。
一度整理して記事にしてみたいと思います。

こんばんは。オール阪神小市民です。
先日の続きを述べさせていただきます。
KASA様のご指摘で追加との1980年(昭和55年)3月現在の拡大図にあります「イ」という信号機ですが、名無し信通区様も言及しておられますが、小生はこれが東北本線の大宮駅上り第1場内信号機だと思います。(信号機のシンボルの柱部分のところに小さな丸印がないので、半自動の信号機、即ち係員の操作出来る信号機であることが分かります。)
ご承知の方もあると思いますが、絶対信号機(場内、出発)は必ずしもその内方に転てつ器があるとは限りません。
転てつ器が無くても、信号担当係員が停止信号を現示して列車を止める必要のある箇所(例えば線路閉鎖工事といってレールを更換するような場合にその区間の境界になる箇所とか、地下区間で異常時に確実に列車を止めなければいけないような箇所)のほか、複々線で一方の線路には転てつ器があるけど、他方には無いみたいな箇所では閉そく信号機ではなく絶対信号機を設けることがあります。このような場合、信号機には2Rとか3Lといった番号ではなく、イ・ロ・ハ・・・という番号(記号?)を付けます。
何故○印が付いてるのかは不明ですが、イの外方(青森方)の信号機が上り第1閉そく信号機、つまり次は場内信号機ですし、「小運転線その4」の1978年3月の配線略図ではイを挟んでまた閉そく信号機の番号が更新されて上2、上1となってますから、イが場内信号機であることは間違いないです。(小運転線その4の配線略図ではイのシンボルが自動の信号機=閉そく信号機になってますが、これは誤記でしょう。ただ、イが第1場内であるなら31k068の信号機は第2場内、次の4番線の信号機は第3場内でないとおかしいのですが。)
東北本線下り線を使って入区については2つのルートを設け、回送線は単線でありながら実質的に複線にしている実に巧妙なコスト削減策かつ(1972年3月の回送線新設までは出区も本線運転してたということですから)、平面交差解消策だと思います。
一般的にはこのような区間は入換信号機による運転になる(入換えなら車掌は乗務しなくていいが、列車だと基本的に車掌が乗務する必要があります。今ならEB装置があれば車掌乗務は必須ではありませんが、でも開業当時は車掌の乗務省略出来なかったはず。)のですが、停車場外の本線上を走る以上は列車として運転しなければならず、後年回送線が新設されても回送線だけ入換信号機による運転にしなかったのは関係者の錯誤防止のためと思われます。
名無し信通区様のコメント「国鉄の規定的に上下線の片方だけ絶対信号機があるのはあり得ないでしょうし」について小生の私見を申しますと、多分明文化されたものは無いと思います。ただ、上下線の片側が停車場内、他方が停車場外というのは名無し信通区様ご指摘の通り通常はあり得ないと思います。それは乗務員や保線・電力・信通区など設備メンテナンスに携わる係員が錯誤して重大事故や労災につながる可能性が高いからです。この点管理者様が紹介しておられる五条川信号場の例には驚かされました。
前回「東大宮操車場も東大宮操駅も存在しない!」と大見得切ったのですが、ここまで資料を調べながらコメント書いてきて、かなり自信が揺らいできました。
というのも、イが大宮駅上り第1場内信号機であるとして、東北本線下り線にあった22イ分岐器(場内信号機3RD3、3RBから少なくとも100m青森方)まで381mも離れているこの区間、まさに名無し信通区様のおっしゃる上下線で停車場内だったり停車場外だったりのおかしなことにならないか、との疑念が持ち上がってきました。
この辺りの細かな事情は開業時に部内向けに説明した資料(国鉄では労働組合に詳細説明し、いろんな文書を労使間で交わすのが通例でした。JRでも程度の差はあれ、それは変わりません。)を発見しない限り難しそうです。
やはり管理者様コメントが一番的を得ているのかも知れません。
長々失礼致しました。


オール阪神小市民さん
詳細な解説ありがとうございます。

>「イ」という信号機は大宮駅の上り第1場内信号機
う~ん、私はやっぱり東大宮駅の場内信号機(出発を兼ねる)ではないかと思うのですが。31k068の約1.8km手前、かつ途中に閉そく信号機が2基ありますので、これを大宮駅の場内信号機とするのにはちょっと無理がありそうに思います。

「それを言っちゃあオシマイ」なのかもしれませんが、東大宮駅は一般的なルールが当てはまらない例外的な駅のような気がします。

それにしても、「小運転線その4」に掲げた配線図までご覧いただいているようで、冷静・緻密な洞察に感服いたします。

こんばんは、オール阪神小市民です。
確かに管理者様ご指摘のようにちょっと無理があるかな〜という気がしてきました。(大きな停車場構内では閉そく信号機が連続する場合もあるにはあるのですが)
配線略図の下に記載されている連動表があれば信号機の所属停車場も一目瞭然なのですが、うーむ(⁠+⁠_⁠+⁠)
いずれにしても自分の解釈に合わないものを簡単に「誤記」と切って捨てるのは、良くないと反省しきりです。以後戒めとしたいと思います。
管理者様のように各地巡って詳細に調査してる方でも例外という言葉使わざるを得ないところを、小生のように関西人で現地を全く知らない(資料から推理するしかない)者に東大宮は正直謎解き可能か分かりませんが、引き続き資料を漁ってみたいと思います。
失礼致します。

オール阪神小市民さん
いえいえ、とんでもございません。オール阪神小市民さんの鋭い観察力に感服しております。
新しい情報がありましたらよろしくお願いします。

>誤記
とりあえず誤記と解釈して納得するのも精神衛生上よいかもしれません(笑)。実際誤記は多いですし。

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