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2010年6月 5日 (土)

大崎配線図 追加

公開し忘れていた1961年より以前の大崎駅の配線図です。

(1961年以降の配線図はこちら。)

まずは1935年3月。

193503

・品川電車区はまだ開設されておらず、山手電車線は島式ホーム1本のみです。
・山手貨物線は上下本線のほか中線が設けられています。
・ちょっと変わったルートとして、
  貨物線品川方→電車下り本線(外回り線)
  電車下り本線→貨物線品川方
が設定されています。特に後者は逆方向への出発になりますので特殊ですね。どんな列車が利用していたんでしょうか。

それと1957年3月。

195703

・特に変化はありません。

以下はこちらに続きます。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

 1935年品川駅構内配線図に寄せて大井町駅の話をコメントしましたが此の辺りは大崎駅と大井町駅をセットでコメントせねばならぬ場合が有ります
と申しますのも両駅の間に大井工場(現東京総合車両センター)の存在があります 現在は工場への車両入出は大崎駅側からセンターで働く人は大井町駅から通って居ります 其れはさて置き東海道本線と大井工場との間の線路沿いに今は舗装された道が有りますが一応大井工場の敷地内ですので門が有ります大崎電車区が出来る前此処の道は砂利道でしたが自由に通れました 大崎側から工場試運転線が東海道本線に沿う所迄伸びて来てました日清戦争時東北方面から軍事列車を直接東海道本線に向かわす為に引かれた短絡線の名残でした1935年品川配線図に記載の有った大井町駅の亘線は何時の頃か知りませんが私の子供の頃には既に撤去されていました 煉瓦建築物(旧変電所建物)が建つてますが以前試運転線から分岐して此の建物の裏に変電所の構内迄伸びた側線が有りました理由は知りませんが変電所への引き込み線の存在は西武鉄道の田無変電所にも有りました 試運転線では片運転台の電動車が単行で試運転してたりしてました非運転台側を先頭に走る姿は不思議な感覚でした此の試運転線と変電所の側線は大崎電車区工事の折全て撤去されました

yyoshikawaさん、大井町駅と大井工場を結ぶ線路、いったいどんな車両が通過したのでしょうか?

初めまして。私も試運転線についてはかねてより興味を持っていた一人です。

実際に京浜東北線北行の乗って電車区方向を見ていると、例の煉瓦建物北側の本線脇に、夏場は草生す空地があるのですが、そこには分岐器まがいの線路(5メートル位)と、その傍のてっぺんに電鐘にようなものが付いた(高さ3メートル位)が保存?されているのが確認できます。もしかしてこれは試運転線の遺構の一部かもしれません。

それに10年程前まで現存する変電所の北側には、アシュピット?付の短い線路もありました。これと向き合う変電所の壁にもシャッターがあったような気が…yyoshikawaさんのご指摘にもあった構内迄伸びた側線との関係が気になります。

(ちなみに私自身この側線を実際に見ていませんが、以前品川図書館で住宅地図の旧版を閲覧した際、その記載を確認しています)

 現東京総合車両センター試運転線 大井工場と大崎電車区との境部に電車区建設時移動しました試運転線末端部は二股に別れ可也以前101系Mc+Mユニットが押し込まれていました 後正門に飾ってあった院電と入れ替えにクモハ101‐900のみ一両展示されました後院電と合わせて鉄道博物館に収蔵されました 現在は209系が置かれています
 東北文化研究センター 東海道本線歴史的痕跡探訪記品川川崎間と云うサイトに旧試験線跡および変電所等の現状写真画像が提示されております 試運転線架線柱が数本現在も残っておる状況が紹介されてます 
 変電所の線路は承知しております 多分変圧器移動の為に引かれているののでは 以前鐵道資料と云う雑誌に阪神間電化時の記事がありました変電所平面図が提示されてました其の図面で変圧器を移動させる為のレールが引かれてました 変圧器の修理等で移動させるのに使うのではとおもいますが如何でしょうか

yyoshikawa様、ご見解ありがとうございます。あの線路は変電機器メンテナンスを円滑に進めるための設備でしたか。そういうことであればアッシュピットのような掘り込みも納得がいきます。なお品川駅の項でご指摘のありました大井町駅の折返線につきましては、地域文化のサイト<WEB東京荏原都市物語資料館・下北沢X新聞(1862)~写真詩「のすたるぢや」を紀行する~>のコメント欄が
その経緯について詳しいです。ただそこにある折返線設置の経緯について「~地元町民の強い要望もあり,品川寄りに折返し線を新設して混雑緩和を図ったが~」とあるのですが、本来省電途中停車駅である大井町駅に、どうして折り返し線の存在があったのか、しかもそれがどのように混雑緩和に繋がるのか、平成の世では理解に苦しむところです。

yyoshikawaさん、オーイナル野焼きさん、いろいろと情報ありがとうございます。
大井町駅の折り返し線、信号設備的に見ると増結車の連結・解放用(北行に大井町で増結、南行から大井町で解放)のようにも見えるのですが、スミマセン、はっきりとはわからないですね。

f54560zg さま、ありがとうございます。大井町駅において車両の離合をすることで混雑に柔軟に対応、そういうことでしたか。信号機については私、全くの無知でしたのでその視点からの考察については思いが至りませんでした。
私のような片輪の理解力を補完していただける意味においても、こういったコメント欄の存在はありがたいものですね。

大井町駅に関しもう少し述べます 駅ビルに成る以前の大井町の駅舎は棒線駅の割には立派でした 品川区の入口にふさわしい駅でした そして五反田と並ぶ区内の繁華街です 然も東海道本線が初めて交差する踏切の有る駅です 大井町駅には島式ホーム北行線外側に短い荷物ホームが有りました荷物ホームと島式ホームとの間には短いがテルハも有りました荷扱い所には集配トラックが荷扱い出来る施設も有りました 大井町の渡り線私の知りうる限り荷物電車の折り返しに使用されてた記憶が有ります まだ客車特急つばめはとの時代頃です 棒線駅でも色々話題が出るものです

 蛇窪信号所付近に付いて新幹線が出来る以前品鶴線と大崎支線の合流地点は今より少し先新鶴見寄りでした其の為大井町線下神明駅の品鶴線乗り越し橋は複々線分の長さが有ります新幹線工事の折品鶴線の線路引き替えで現在の大井町線下合流に変更されました 品川Web写真館に私達の品川と云う小冊誌から転載された品鶴線豊町付近と云う表題の写真がでてました 大井町線を複々線で潜っていましたたまたま国鉄側は何も通てませんが 高架上の大井町線はデハ3500形三連が丁度写り込んでました 此れから判断するにつばめはとの方向転換の折最後部は今の西大井駅付近迄達してたのではと思います

 1935年版のコメントに有ります山手線外回りと山手貨物線上り間の渡り線に付いて申し上げます  当時山手貨物線品鶴線供全線非電化ですが例外として特別急行列車の方向転換の為 山手貨物上下線と大崎支線下り線品鶴線上り線のみ電化でした大井工場へ入出する省線電車は横須賀線を全て各電車庫から山手線経由で大崎迄来てこの渡り線を使い大井工場に入場 出場は逆に此の渡り線から山手線経由各電車庫へ戻りました
 横須賀線は推定ですが田町電車区から品鶴線山手貨物線経由大井工場へ来ていたものと思います 因みに当時山手貨物は9600形が主に牽引品鶴線はD50が牽引しておりました 1965年頃大崎電車区工事開始山手貨物と電車区入出区線との立体交差工事開始後渡り線は無くなりました
 完成後は大井工場内に入出区線と工場構内線との間に渡り線が設けられました 

yyoshikawaさん、ありがとうございます。大井工場がある関係でいろいろ複雑な運転ルートが設定されていたんですね。

 1935年版配線図に関して質問なのですが実線と一点鎖線二点鎖線の違いに付いてなのですが推測するに実線は電化本線 一点鎖線は電車線 二点鎖線は非電化線と考えて宜しいのでしょうか
だとすれば横須賀線電車を大井工場に入出させる為山手貨物線は実線で描き品川大崎間が電化されていた証でしょう

yyoshikawaさん、逆ですね(汗)。
一点鎖線=非電化線
二点鎖線=電車線
ですね、おそらく。
ただ、品川駅の1935年版では品鶴線は一点鎖線で描かれており、誤記が含まれている可能性はあるように感じますが、基本的にはおっしゃる通りかと思います。

 1935年配線図当時鐵道省の電化区間の殆どは東京地区に集中関西の城東線片町線1934年電化の阪神間 後は碓井越えと清水峠越えだけの時代 特に幹線電化は東海道本線沼津迄の時代
其の為わざわざどの線は架線が張られているかを実線一点鎖線二点鎖線で表示分けしてたのでしょう

 1935年配線図当時鐵道省の電化区間の殆どは東京地区に集中関西の城東線片町線1934年電化の阪神間 後は碓井越えと清水峠越えだけの時代 特に幹線電化は東海道本線沼津迄の時代
其の為わざわざどの線は架線が張られているかを実線一点鎖線二点鎖線で表示分けしてたのでしょう

 又入力間違いました申し訳有りません

 目黒川信号所について嘗ての目黒川信号所は現在位置品鶴線と山手貨物線が分岐しておる場所より品川寄りに有りました 場所的には東海寺墓所付近で分岐しておりました当然信号扱所も現地に有りました 品鶴線が東海道本線をオーバーパスしてから下目黒川橋梁迄の間でした新幹線を建設するおり用地捻出の為信号扱所は解体分岐部を現在の位置に移動させ山手線品鶴線をカーブの内側へよせ出来た用地に新幹線を建設して現在も毎日各種列車が引きり無しに通過しております下目黒川橋梁の橋台は其のおりの改造跡が残っております 本来の橋台は山手品鶴別々に作られており弱間高さが違っております其の為カーブ内側に寄せた折品鶴線上り線が丁度両方の橋台の間に来てしまいました其の為両方の橋台の
ガーター受に跨らせ新にコンクリートでガーター受
を作り橋梁を架けた おそらく新幹線の建設を急ぐ為橋台を新しく作る時間が無かったのでこういう状態で工事を行ったのでしょう

yyoshikawaさん、いつもながらですが貴重な情報ありがとうございます。

 蛇窪平面交差解消に大崎短絡線計画が有りますが現状未だ用地の確保はされたもののまだ手付かず状態です 平面交差手前の西品川辺りに横須賀線の駅を作れば平面交差の競合の時間調整が出来地元でも駅が出来れば有り難いのですがと思うのですが
 山手貨物線は湘南新宿ライン埼京線成田エクスプレス等相互乗り入れ等で一部の列車特に埼京線は新宿折り返し埼京線と相互乗り入れの東京臨海高速臨海線の一部大崎折り返しせねば成らぬ状況です相互乗り入れでも複数路線が一箇所に集中すると必ず起きる問題だと思うのですが


yyoshikawaさん、大崎短絡線構想は知りませんでした。確かに短絡線ができれば非常に有効に機能しそうですね。

 少し問題が有ります此の短絡線は品鶴線(横須賀線)大崎支線ガードの直前品鶴線(横須賀線)が品川方向に曲がる辺りより分岐確か15/1000位の下り勾配で尚且150Rの急曲線で大崎駅8番線現在のホームの40m位先の辺りで合流する当然現在のホームでは長さが間に合わず五反田方向にホームをのばさねばならぬさらに下り勾配の万が一滑走予防等考えると可也先迄伸ばせねばならぬ現状山手通り大崎陸橋部がギリギリ状態更に旧貨物扱い分部は都営住宅が建ち用地が取れるか如何かも疑問です山手貨物線との合流分部の分岐取廻しも現状と変ります 5年位前短絡線に付いてのJR東日本の説明会が有り聞きに行き担当者はいとも簡単な考えを述べて居ましたが 短絡線が下ってくる所には区役所通りと百反通りのT字路尚且つ山手通り方面等へ向かう地下道等ある大崎の要衝可也難しいと思いました それよりは横須賀線の目黒川と蛇窪の間に駅を作れば良いのではと思うのです 相対ホームが建設出来る用地はあります

大崎短絡線構想は興味深いです。こちらにpdfファイルで出ているようです。

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00061/2005/32-04-0005.pdf

yyoshikawaさん、KASAさん、情報ありがとうございます。短絡線については、課題はあるもののこれを実現する方向で進められているということなんですね。確かに横須賀線と湘南新宿ラインが平面交差では支障も大きいでしょうから。

 11月30日新形電車235系山手線デビューとなります さて此の235系よくよく見て見ると先祖帰りした様です 231系233系と続いて来た半流線形の正面マスクを捨てて63電車張りの切妻に 更に72920番台の雨トヨ隠滅デザインの再登用等60年前の最新デザインがリメークされて再登場した感が有ります

yyoshikawaさん、歴史が繰り返されているようですね。

 今日15時18分遂に新形式電車235系が運行開始しました 大崎駅4番線で出発セレモニーテープカッツトくす玉割等行いました 当然ながら地元ですので初運行に乗車しました スマホ見たいな正面だと言う一般人の感想ですが現車を直接見るとやはり63電車に先祖返りしたとしか思えない 
233系迄は半流であったのに切妻に戻され
戦時中のモハ60迄の半流から突然戦時設計の切妻のクハ79が登場した時と同じパターン見たいです 更に雨樋を側板の影に隠したデザインもモハ72920番代とまったく同じ斬新だと言うがそんなに変わらないとしか思えません

 235系運転初日大崎で盛大なセレモニーが開かれ順風満帆の船出と思いきやトラブル続き早々運休となりました まさかとは思いますが最前部の車輌には5~60人がスマホ 携帯端末 携帯電話等で出発式を撮影しておりました 其の影響で235系に搭載された新形運行システムに其れ等が影響を及ぼしたのでは?飛行機では携帯電話を使うと飛行危機に影響を及ぼし墜落事故に成りかねぬ為使用禁止処置を施した
 精密な電子機器精密に成らば成る程外部からの影響が有りうるのではとふと思いました 
 

yyoshikawaさん、携帯端末の電波の影響ということはないかと思いますが、やはり残念な結果でした。

 さて華々しくデビューした途端故障でニュース番組を賑わした235系の最近の状況を伝えます
 現在大井工場西側大崎支線脇の新性能車専用工場(VVVF車用)前ヤードに6輌と5輌に分割留置されております 今朝方仕事の帰り散歩がてら西大井より湘南新宿ラインに乗車車窓より偶然大井工場を見て居たら留置されておるのを見かけました 235系の廻りだけ華々しいデビュー後の裏寂しさ感が漂っていました 

yyoshikawaさん、早期の復帰を期待したいですね。

一寸パソコンの調子が悪いので暫くご無沙汰して居りました
 数週間前例の235系の事でコメント致します大井工場西端の新形車両用建屋前の留置線に6輌と5輌に分けられ留置されてました其の後又何処かに移動した様です 大井工場保管クモハ12051か52一輌今だに雨ざらし保存されて居るのを湘南新宿ライン乗車のおり拝見出来ます

yyoshikawaさん、235系は3/1再デビューのようですね。鉄道車両もソフトウェアのトラブルが発生するご時世のようで。

件の235系2月末に昼12時頃内廻りで久々に試運転されていました

yyoshikawaさん、その後の235系のご機嫌はいかがなんでしょうか。

大井町駅のコメントでも記載しましたが品川歴史館特別展品川産業事始展示について大崎関係を述べます
1910年の大崎駅から当時は相対ホームの様ですダブルポールの院電が停車中(おそらく池袋方面行き)
跨線橋が一つ駅舎は東側に一つだけ西口は未だ無い西側には既に貨物関係のヤードが有る
明電社の操業当時の鳥瞰図にも大崎駅が相対ホームとして描かれております貨物ヤードは描かれてません1952年頃の大崎付近の航空写真の展示他各種地図の展示も有りました 地図展示に中に大崎より東海道本線に略直角に向かう線路が記載された1911年の地図が有りました此れは山手線と大崎大井町間短絡線の間に引かれた線で末端には車庫と書かれてます車庫の所には東京市電気局発電所と書かれてます謎の引き込み線です位置てきには現在の第一三共製薬工場敷地内です

こんばんは、yyoshikawa様。

東京市電気局発電所についてですが、省線矢口発電所と同じく。関東大震災の罹災により閉鎖されました。

車庫とあるエリアまでの線路は、のちの三共製薬専用線に引き継がれたものと思われます。

江見水蔭という人の書いた小説「蛇窪の踏切」には、最初に敷設された大崎-大井聯絡所の短絡線の描写とともに、その発電所の存在にも触れているとのこと。
以前にも紹介致しました<WEB東京荏原都市物語資料館>にその詳細が詳しいです。

(当該踏切は品鶴線ではなく、東海道線を横切っていた蛇窪道の踏切です。)

オーイナル野焼き様ご指摘ありがとうございます近々WEB東京荏原都市物語資料館覗いてみます
さて大崎駅は当初は相対ホームであったのが何時の頃から島式ホームに変更されたのか?
品川大崎間貨客分離工事の折に島式に変更したのではと思うのですが如何でしょうか

yyoshikawaさん、オーイナル野焼きさん、大崎駅が昔は相対ホームだったとはちょっと意外ですね。

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