« 鶴見配線図 追加 | トップページ | 汐留配線図 追加 »

2010年6月 5日 (土)

大崎配線図 追加

公開し忘れていた1961年より以前の大崎駅の配線図です。

(1961年以降の配線図はこちら。)

まずは1935年3月。

193503

・品川電車区はまだ開設されておらず、山手電車線は島式ホーム1本のみです。
・山手貨物線は上下本線のほか中線が設けられています。
・ちょっと変わったルートとして、
  貨物線品川方→電車下り本線(外回り線)
  電車下り本線→貨物線品川方
が設定されています。特に後者は逆方向への出発になりますので特殊ですね。どんな列車が利用していたんでしょうか。

それと1957年3月。

195703

・特に変化はありません。

以下はこちらに続きます。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 鶴見配線図 追加 | トップページ | 汐留配線図 追加 »

コメント

 1935年品川駅構内配線図に寄せて大井町駅の話をコメントしましたが此の辺りは大崎駅と大井町駅をセットでコメントせねばならぬ場合が有ります
と申しますのも両駅の間に大井工場(現東京総合車両センター)の存在があります 現在は工場への車両入出は大崎駅側からセンターで働く人は大井町駅から通って居ります 其れはさて置き東海道本線と大井工場との間の線路沿いに今は舗装された道が有りますが一応大井工場の敷地内ですので門が有ります大崎電車区が出来る前此処の道は砂利道でしたが自由に通れました 大崎側から工場試運転線が東海道本線に沿う所迄伸びて来てました日清戦争時東北方面から軍事列車を直接東海道本線に向かわす為に引かれた短絡線の名残でした1935年品川配線図に記載の有った大井町駅の亘線は何時の頃か知りませんが私の子供の頃には既に撤去されていました 煉瓦建築物(旧変電所建物)が建つてますが以前試運転線から分岐して此の建物の裏に変電所の構内迄伸びた側線が有りました理由は知りませんが変電所への引き込み線の存在は西武鉄道の田無変電所にも有りました 試運転線では片運転台の電動車が単行で試運転してたりしてました非運転台側を先頭に走る姿は不思議な感覚でした此の試運転線と変電所の側線は大崎電車区工事の折全て撤去されました

yyoshikawaさん、大井町駅と大井工場を結ぶ線路、いったいどんな車両が通過したのでしょうか?

初めまして。私も試運転線についてはかねてより興味を持っていた一人です。

実際に京浜東北線北行の乗って電車区方向を見ていると、例の煉瓦建物北側の本線脇に、夏場は草生す空地があるのですが、そこには分岐器まがいの線路(5メートル位)と、その傍のてっぺんに電鐘にようなものが付いた(高さ3メートル位)が保存?されているのが確認できます。もしかしてこれは試運転線の遺構の一部かもしれません。

それに10年程前まで現存する変電所の北側には、アシュピット?付の短い線路もありました。これと向き合う変電所の壁にもシャッターがあったような気が…yyoshikawaさんのご指摘にもあった構内迄伸びた側線との関係が気になります。

(ちなみに私自身この側線を実際に見ていませんが、以前品川図書館で住宅地図の旧版を閲覧した際、その記載を確認しています)

 現東京総合車両センター試運転線 大井工場と大崎電車区との境部に電車区建設時移動しました試運転線末端部は二股に別れ可也以前101系Mc+Mユニットが押し込まれていました 後正門に飾ってあった院電と入れ替えにクモハ101‐900のみ一両展示されました後院電と合わせて鉄道博物館に収蔵されました 現在は209系が置かれています
 東北文化研究センター 東海道本線歴史的痕跡探訪記品川川崎間と云うサイトに旧試験線跡および変電所等の現状写真画像が提示されております 試運転線架線柱が数本現在も残っておる状況が紹介されてます 
 変電所の線路は承知しております 多分変圧器移動の為に引かれているののでは 以前鐵道資料と云う雑誌に阪神間電化時の記事がありました変電所平面図が提示されてました其の図面で変圧器を移動させる為のレールが引かれてました 変圧器の修理等で移動させるのに使うのではとおもいますが如何でしょうか

yyoshikawa様、ご見解ありがとうございます。あの線路は変電機器メンテナンスを円滑に進めるための設備でしたか。そういうことであればアッシュピットのような掘り込みも納得がいきます。なお品川駅の項でご指摘のありました大井町駅の折返線につきましては、地域文化のサイト<WEB東京荏原都市物語資料館・下北沢X新聞(1862)~写真詩「のすたるぢや」を紀行する~>のコメント欄が
その経緯について詳しいです。ただそこにある折返線設置の経緯について「~地元町民の強い要望もあり,品川寄りに折返し線を新設して混雑緩和を図ったが~」とあるのですが、本来省電途中停車駅である大井町駅に、どうして折り返し線の存在があったのか、しかもそれがどのように混雑緩和に繋がるのか、平成の世では理解に苦しむところです。

yyoshikawaさん、オーイナル野焼きさん、いろいろと情報ありがとうございます。
大井町駅の折り返し線、信号設備的に見ると増結車の連結・解放用(北行に大井町で増結、南行から大井町で解放)のようにも見えるのですが、スミマセン、はっきりとはわからないですね。

f54560zg さま、ありがとうございます。大井町駅において車両の離合をすることで混雑に柔軟に対応、そういうことでしたか。信号機については私、全くの無知でしたのでその視点からの考察については思いが至りませんでした。
私のような片輪の理解力を補完していただける意味においても、こういったコメント欄の存在はありがたいものですね。

大井町駅に関しもう少し述べます 駅ビルに成る以前の大井町の駅舎は棒線駅の割には立派でした 品川区の入口にふさわしい駅でした そして五反田と並ぶ区内の繁華街です 然も東海道本線が初めて交差する踏切の有る駅です 大井町駅には島式ホーム北行線外側に短い荷物ホームが有りました荷物ホームと島式ホームとの間には短いがテルハも有りました荷扱い所には集配トラックが荷扱い出来る施設も有りました 大井町の渡り線私の知りうる限り荷物電車の折り返しに使用されてた記憶が有ります まだ客車特急つばめはとの時代頃です 棒線駅でも色々話題が出るものです

 蛇窪信号所付近に付いて新幹線が出来る以前品鶴線と大崎支線の合流地点は今より少し先新鶴見寄りでした其の為大井町線下神明駅の品鶴線乗り越し橋は複々線分の長さが有ります新幹線工事の折品鶴線の線路引き替えで現在の大井町線下合流に変更されました 品川Web写真館に私達の品川と云う小冊誌から転載された品鶴線豊町付近と云う表題の写真がでてました 大井町線を複々線で潜っていましたたまたま国鉄側は何も通てませんが 高架上の大井町線はデハ3500形三連が丁度写り込んでました 此れから判断するにつばめはとの方向転換の折最後部は今の西大井駅付近迄達してたのではと思います

 1935年版のコメントに有ります山手線外回りと山手貨物線上り間の渡り線に付いて申し上げます  当時山手貨物線品鶴線供全線非電化ですが例外として特別急行列車の方向転換の為 山手貨物上下線と大崎支線下り線品鶴線上り線のみ電化でした大井工場へ入出する省線電車は横須賀線を全て各電車庫から山手線経由で大崎迄来てこの渡り線を使い大井工場に入場 出場は逆に此の渡り線から山手線経由各電車庫へ戻りました
 横須賀線は推定ですが田町電車区から品鶴線山手貨物線経由大井工場へ来ていたものと思います 因みに当時山手貨物は9600形が主に牽引品鶴線はD50が牽引しておりました 1965年頃大崎電車区工事開始山手貨物と電車区入出区線との立体交差工事開始後渡り線は無くなりました
 完成後は大井工場内に入出区線と工場構内線との間に渡り線が設けられました 

yyoshikawaさん、ありがとうございます。大井工場がある関係でいろいろ複雑な運転ルートが設定されていたんですね。

 1935年版配線図に関して質問なのですが実線と一点鎖線二点鎖線の違いに付いてなのですが推測するに実線は電化本線 一点鎖線は電車線 二点鎖線は非電化線と考えて宜しいのでしょうか
だとすれば横須賀線電車を大井工場に入出させる為山手貨物線は実線で描き品川大崎間が電化されていた証でしょう

yyoshikawaさん、逆ですね(汗)。
一点鎖線=非電化線
二点鎖線=電車線
ですね、おそらく。
ただ、品川駅の1935年版では品鶴線は一点鎖線で描かれており、誤記が含まれている可能性はあるように感じますが、基本的にはおっしゃる通りかと思います。

 1935年配線図当時鐵道省の電化区間の殆どは東京地区に集中関西の城東線片町線1934年電化の阪神間 後は碓井越えと清水峠越えだけの時代 特に幹線電化は東海道本線沼津迄の時代
其の為わざわざどの線は架線が張られているかを実線一点鎖線二点鎖線で表示分けしてたのでしょう

 1935年配線図当時鐵道省の電化区間の殆どは東京地区に集中関西の城東線片町線1934年電化の阪神間 後は碓井越えと清水峠越えだけの時代 特に幹線電化は東海道本線沼津迄の時代
其の為わざわざどの線は架線が張られているかを実線一点鎖線二点鎖線で表示分けしてたのでしょう

 又入力間違いました申し訳有りません

 目黒川信号所について嘗ての目黒川信号所は現在位置品鶴線と山手貨物線が分岐しておる場所より品川寄りに有りました 場所的には東海寺墓所付近で分岐しておりました当然信号扱所も現地に有りました 品鶴線が東海道本線をオーバーパスしてから下目黒川橋梁迄の間でした新幹線を建設するおり用地捻出の為信号扱所は解体分岐部を現在の位置に移動させ山手線品鶴線をカーブの内側へよせ出来た用地に新幹線を建設して現在も毎日各種列車が引きり無しに通過しております下目黒川橋梁の橋台は其のおりの改造跡が残っております 本来の橋台は山手品鶴別々に作られており弱間高さが違っております其の為カーブ内側に寄せた折品鶴線上り線が丁度両方の橋台の間に来てしまいました其の為両方の橋台の
ガーター受に跨らせ新にコンクリートでガーター受
を作り橋梁を架けた おそらく新幹線の建設を急ぐ為橋台を新しく作る時間が無かったのでこういう状態で工事を行ったのでしょう

yyoshikawaさん、いつもながらですが貴重な情報ありがとうございます。

 蛇窪平面交差解消に大崎短絡線計画が有りますが現状未だ用地の確保はされたもののまだ手付かず状態です 平面交差手前の西品川辺りに横須賀線の駅を作れば平面交差の競合の時間調整が出来地元でも駅が出来れば有り難いのですがと思うのですが
 山手貨物線は湘南新宿ライン埼京線成田エクスプレス等相互乗り入れ等で一部の列車特に埼京線は新宿折り返し埼京線と相互乗り入れの東京臨海高速臨海線の一部大崎折り返しせねば成らぬ状況です相互乗り入れでも複数路線が一箇所に集中すると必ず起きる問題だと思うのですが


yyoshikawaさん、大崎短絡線構想は知りませんでした。確かに短絡線ができれば非常に有効に機能しそうですね。

 少し問題が有ります此の短絡線は品鶴線(横須賀線)大崎支線ガードの直前品鶴線(横須賀線)が品川方向に曲がる辺りより分岐確か15/1000位の下り勾配で尚且150Rの急曲線で大崎駅8番線現在のホームの40m位先の辺りで合流する当然現在のホームでは長さが間に合わず五反田方向にホームをのばさねばならぬさらに下り勾配の万が一滑走予防等考えると可也先迄伸ばせねばならぬ現状山手通り大崎陸橋部がギリギリ状態更に旧貨物扱い分部は都営住宅が建ち用地が取れるか如何かも疑問です山手貨物線との合流分部の分岐取廻しも現状と変ります 5年位前短絡線に付いてのJR東日本の説明会が有り聞きに行き担当者はいとも簡単な考えを述べて居ましたが 短絡線が下ってくる所には区役所通りと百反通りのT字路尚且つ山手通り方面等へ向かう地下道等ある大崎の要衝可也難しいと思いました それよりは横須賀線の目黒川と蛇窪の間に駅を作れば良いのではと思うのです 相対ホームが建設出来る用地はあります

大崎短絡線構想は興味深いです。こちらにpdfファイルで出ているようです。

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00061/2005/32-04-0005.pdf

yyoshikawaさん、KASAさん、情報ありがとうございます。短絡線については、課題はあるもののこれを実現する方向で進められているということなんですね。確かに横須賀線と湘南新宿ラインが平面交差では支障も大きいでしょうから。

 11月30日新形電車235系山手線デビューとなります さて此の235系よくよく見て見ると先祖帰りした様です 231系233系と続いて来た半流線形の正面マスクを捨てて63電車張りの切妻に 更に72920番台の雨トヨ隠滅デザインの再登用等60年前の最新デザインがリメークされて再登場した感が有ります

yyoshikawaさん、歴史が繰り返されているようですね。

 今日15時18分遂に新形式電車235系が運行開始しました 大崎駅4番線で出発セレモニーテープカッツトくす玉割等行いました 当然ながら地元ですので初運行に乗車しました スマホ見たいな正面だと言う一般人の感想ですが現車を直接見るとやはり63電車に先祖返りしたとしか思えない 
233系迄は半流であったのに切妻に戻され
戦時中のモハ60迄の半流から突然戦時設計の切妻のクハ79が登場した時と同じパターン見たいです 更に雨樋を側板の影に隠したデザインもモハ72920番代とまったく同じ斬新だと言うがそんなに変わらないとしか思えません

 235系運転初日大崎で盛大なセレモニーが開かれ順風満帆の船出と思いきやトラブル続き早々運休となりました まさかとは思いますが最前部の車輌には5~60人がスマホ 携帯端末 携帯電話等で出発式を撮影しておりました 其の影響で235系に搭載された新形運行システムに其れ等が影響を及ぼしたのでは?飛行機では携帯電話を使うと飛行危機に影響を及ぼし墜落事故に成りかねぬ為使用禁止処置を施した
 精密な電子機器精密に成らば成る程外部からの影響が有りうるのではとふと思いました 
 

yyoshikawaさん、携帯端末の電波の影響ということはないかと思いますが、やはり残念な結果でした。

 さて華々しくデビューした途端故障でニュース番組を賑わした235系の最近の状況を伝えます
 現在大井工場西側大崎支線脇の新性能車専用工場(VVVF車用)前ヤードに6輌と5輌に分割留置されております 今朝方仕事の帰り散歩がてら西大井より湘南新宿ラインに乗車車窓より偶然大井工場を見て居たら留置されておるのを見かけました 235系の廻りだけ華々しいデビュー後の裏寂しさ感が漂っていました 

yyoshikawaさん、早期の復帰を期待したいですね。

一寸パソコンの調子が悪いので暫くご無沙汰して居りました
 数週間前例の235系の事でコメント致します大井工場西端の新形車両用建屋前の留置線に6輌と5輌に分けられ留置されてました其の後又何処かに移動した様です 大井工場保管クモハ12051か52一輌今だに雨ざらし保存されて居るのを湘南新宿ライン乗車のおり拝見出来ます

yyoshikawaさん、235系は3/1再デビューのようですね。鉄道車両もソフトウェアのトラブルが発生するご時世のようで。

件の235系2月末に昼12時頃内廻りで久々に試運転されていました

yyoshikawaさん、その後の235系のご機嫌はいかがなんでしょうか。

大井町駅のコメントでも記載しましたが品川歴史館特別展品川産業事始展示について大崎関係を述べます
1910年の大崎駅から当時は相対ホームの様ですダブルポールの院電が停車中(おそらく池袋方面行き)
跨線橋が一つ駅舎は東側に一つだけ西口は未だ無い西側には既に貨物関係のヤードが有る
明電社の操業当時の鳥瞰図にも大崎駅が相対ホームとして描かれております貨物ヤードは描かれてません1952年頃の大崎付近の航空写真の展示他各種地図の展示も有りました 地図展示に中に大崎より東海道本線に略直角に向かう線路が記載された1911年の地図が有りました此れは山手線と大崎大井町間短絡線の間に引かれた線で末端には車庫と書かれてます車庫の所には東京市電気局発電所と書かれてます謎の引き込み線です位置てきには現在の第一三共製薬工場敷地内です

こんばんは、yyoshikawa様。

東京市電気局発電所についてですが、省線矢口発電所と同じく。関東大震災の罹災により閉鎖されました。

車庫とあるエリアまでの線路は、のちの三共製薬専用線に引き継がれたものと思われます。

江見水蔭という人の書いた小説「蛇窪の踏切」には、最初に敷設された大崎-大井聯絡所の短絡線の描写とともに、その発電所の存在にも触れているとのこと。
以前にも紹介致しました<WEB東京荏原都市物語資料館>にその詳細が詳しいです。

(当該踏切は品鶴線ではなく、東海道線を横切っていた蛇窪道の踏切です。)

オーイナル野焼き様ご指摘ありがとうございます近々WEB東京荏原都市物語資料館覗いてみます
さて大崎駅は当初は相対ホームであったのが何時の頃から島式ホームに変更されたのか?
品川大崎間貨客分離工事の折に島式に変更したのではと思うのですが如何でしょうか

yyoshikawaさん、オーイナル野焼きさん、大崎駅が昔は相対ホームだったとはちょっと意外ですね。

今回は新幹線開業前の目黒川信号所大崎駅蛇窪信号所の位置関係及び蛇窪の渡り線に付いて述べます
新幹線工事開始前品鶴線目黒川信号所分岐は東海道本線乗り越しトラス橋を過ぎて直ぐ東海寺墓所脇で山手貨物線が分岐しておりました其処に墓所を背に目黒川信号所建屋が有りました 目黒川橋梁部は複々線で渡ってました(東海寺墓所には沢庵和尚や鉄道の父井上勝の墓が有ります余談ですが)山手貨物線は其の先山手線と共に下りカーブして大崎駅へ向かいます 
品鶴線は築堤で大崎支線交差部へ向かいます交差部を越えて一旦鎗ヶ崎の台地に降り直に次の戸越台地迄再び築堤で向かいます戸越台地の北大井町線高架下で大崎支線と合流しますが当時は直ぐには両線が合流せず複々線で下村踏切先漸く両線は合流蛇窪信号所となりますが信号所建屋の位置は見てませんので解りません
杜松踏切の先に渡り線が有り其処迄方向転換の為つばめ号はと号は回送されていた様です現在の西大井駅辺りで折り返していた
東海道新幹線工事開始時東海道本線乗り越し部トラス橋は撤去新たに特殊ガーター橋で新幹線と品鶴線が越え 目黒川信号所付近は御殿山の崖を切り崩し山手線を崖の淵へ移設品鶴線と山手貨物線分岐を現在位置へ移設新幹線用地を捻出目黒川架道橋部橋台は此れらの関係で複雑な形状になってます目黒川信号所建屋は撤去此の区間は
全体的にカーブ内側へ移設されました
新幹線は目黒川を渡る辺りから高架とカーブで鎗ヶ崎の台地上の上がり品鶴線と交差蛇窪へ向かいます 蛇窪付近は大井町線交差部下で品鶴線と大崎支線を合流住吉踏切そばに杜松踏切先にあった渡り線を移設現在の姿になりました此処から西大井手前迄は高架と地平の複々線で向ます用地は嘗ての貨物複々線用地を活用しております西大井から馬込の先迄は切通し区間でしたので新幹線は直上高架で建設されました品川駅から新鶴見迄の工事区間は新幹線では難工事区間として後世に伝えられてます

yyoshikawaさん、あまり派手な印象はないのですが、大崎付近は新幹線建設の際にその用地ねん出のためずいぶんと苦労したんですね。

つばめはとの蛇窪廻しに付いて補足致したいと思います 先ず蛇窪の地名の由来ですが立会川沿いの低地の窪地で蛇がゾロゾロ出没する様なジメジメした所であった其処から蛇の棲む窪地蛇窪と命名された
私の家の近所に大正6年道標が有ります品川区の史跡の立て札もたってます 此の道標の四面其々に片仮名でマヘ オホサキテイシャバ マヘ オホヰ マヘヘビクボ マヘ キリガヤと書かれてます 今でも其々の面の方へ向うと確かに其の場所へ行ける 大正時代の道標当時もまだ蛇窪の地名がメジャーであった後に品鶴線が開通した折今の西大井駅の辺りの築堤部分の架道橋に下蛇窪と上蛇窪の名前が付けられました 貴下掲載1935年配線図の大断面に架道橋名が記されてます
現在は東急大井町線架道橋下で品鶴線(横須賀線)と大崎支線が平面合流してますそして今は徹去されましたが背向の片渡りが有りました
此処が蛇窪と云われてますが此処に移る前はもっと新鶴見寄りの現在の西大井駅の辺りが本来の蛇窪信号所で其処迄複々線で来てました其れは1935年の配線図を見ると一目瞭然です記載されて居る踏切名や架道橋名から解る事です
丁度西大井の辺りは杜松踏切と原踏切の間最大15輌編成が停車しても踏切を塞ぐ事は無い場所です其の為現在は西大井駅が此処に造られました 其れより品川寄りですと住吉踏切下村踏切杜松踏切が連続して居る(現在杜松踏切は廃止地下道化)
当時の蛇窪廻しは大崎から現在の西大井迄大崎支線を推進運転して蛇窪信号所迄向い杜松踏切の処にあった渡り線で上り線へ転線品川へ牽引運転戻っていた 

yyoshikawaさん、いつもながら地理的・歴史的観点からの解説ありがとうございます。実寸の世界では変化していても、略図にしてしまうとその変化がわからない場合がありますよね。

現在撤去された蛇窪の背向渡り線 当初の位置から品川寄りの住吉踏切脇に移設されたのは新幹線高架工事に伴う品鶴線を一時的に単線化した折大崎支線と合流部迄を単線にしていました 合流部を東急大井町線高架下に移設その為当該位置に渡り線を設け其処より先は複線に復帰してました
品川区の所諸な画像サイトに新幹線工事中と工事完成後の下神明駅の航空写真を見付け確認しました

yyoshikawaさん、一時的に品鶴線が単線だったことがあるんですね。情報ありがとうございます。

yyoshikawa さん、4月の目黒川信号所移設のコメントとあわせて、勉強させていただきました。

鉄道ピクトリアル誌に工事に関する記事はないかとあたってみたところ、編集部編の「日本国鉄電車特集集成」(第2分冊)に東海道新幹線の東京~横浜間の工事に関する記事が載っており、その232~233ページに「新幹線(品鶴線沿い)八ツ山~多摩川間線路略図」が掲載されていて、その図中、品鶴線の工事前の在来線が点線で示されているのですが、 yyoshikawa さんご指摘のように、目黒川の分岐は、目黒川橋梁の品川寄りにあり、蛇窪に関しては、東急大井町線の高架下は、品鶴線、大崎支線の完全なる複々線で、新幹線工事のため、品鶴線を大崎支線側に寄せる形で、東急線の高架下付近で合流するようになったことが示されておりました。

ただ、恥ずかしながら、私の場合、yyoshikawa さんのコメントを拝読後、その図をあらためてじっくりとながめて気がついた次第です。ご教示ありがとうございました。

それから、品川区の画像サイトは貴重な写真の宝庫ですね。品鶴線の御殿山踏切の写真には、感動しました。

http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/?id=pv&pn=134

ご紹介ありがとうございました。

蛇窪及び住吉の片渡り線に付いて 蛇窪の渡り線は杜松踏切の先に設けられ蛇窪廻しの折の転線用に使用 位置的には今の西大井駅の品川(大崎)寄りに
設置された
東急大井町線下の大崎支線合流部から杜松踏切先迄は複々線であったが新幹線工事が結定し工事が始まると同区間は複線に変更し用地を捻出工事期間中品鶴線目黒川信号所から大井町線交差部迄単線化し工事を進めた其の為現在の品鶴線と大崎支線が合流する所に合流部を蛇窪より移設単線の品鶴線用に改めて末𠮷踏切に片渡り線を設けた其れが後年迄存在した渡り線でした

余り関係無い話ですが近所のそよかぜ公園でリニア工事の為の地質調査ボーリングを始めました丁度品川から東京総合車両所下を通り此の公園の下辺りを通る様です其の先洗足池公園方向へ向かうのです

yyoshikawaさん、リニアはまだまだ遠い先の話のような気がしているのですが、いろいろと手がつけられているんですね。

久々に大きなイベントである渋谷駅配線替え工事が始まりました 大崎駅では今日5番6番線をりんかい線折り返しに使用7番8番線を湘南新宿ラインが折り返しに使用してます 列車本数の関係からかりんかい線は5番6番線両方を使用してますが湘南新宿ラインは8番線を使用して折り返ししてます 普段は滅多に使われない8番線下り側出発信号が今日ばかりはフル稼働です 湘南新宿ライン折り返しの為グリーン車車内整備作業の担当者がホームで待機してるのが普段と違う 其れと一列車分の乗客が山手線へ乗り換えるので何時も以上に乗客の数が多い感じです 

久々に配線変更工事に伴う行き先変更というイベント当然の事大崎駅7 8番線南端部には数人の鉄がカメラ片手にウロウロしてました
今朝仕事(清掃アルバイト)の帰り散歩がてら大森から西大井駅迄行き湘南新宿ライン大崎行に乗車滅多に無い大崎行を楽しみました 西大井での列車行き先案内放送も次ぎの湘南新宿ライン大崎行と放送してましたコンピューター音声なのにプログラムの変更して放送しているのでしょう
駅の行き先案内も全て大崎行と表示しているのも新鮮な感じです

yyoshikawaさん、先日ご提供いただいた写真の大崎駅の信号機、大活躍ですね。

今日から今年も恒例の夏コミケが始まりました早朝にも拘らずりんかい線に向かう熱心なオタク連中がゾロゾロと乗り換えてました 大崎駅南口夢桟橋では恒例のコミケシェルターを開催してます・・・

yyoshikawaさんも東京ビッグサイトに突入でしょうか(笑)。

今年もあと僅か7時間で終わります毎度の事で年末恒例の冬コミケ大崎駅でも南口連絡橋でコミケ関連のコミックシェルターと云うもようしを毎年開いてます少し同人誌の販売や炬燵のサービスや御当地ゆるキャラの大崎一番太郎もますコミケ帰りの客を接待しております 今年は豊洲市場が開業したため混雑が予想された為りんかい線では臨時列車増発で対応すとあらかじめ案内がありました
来年が皆さまに良い年でありますようにお祈り申し上げます

yyoshikawaさん、今年もよろしくお願いいたします。

東京総合車輛センター(大井工場)に最近中央線用235系が大崎支線傍らの側線に編成をばらして留置されてます (以前は千代田線直通運用の車輛改造工事でちょくちょく留置されてた)
恐らく中央線にグリーン車投入関連工事で入庫してるのではと思います理由は先頭車が側線に留置されておる事からの推察です千代田線直通車工事は先頭車が入場しており中間車が留置されていました

yyoshikawaさん
面白そうな目撃情報ありがとうございます。

最近りんかい線地下へ潜る所の上の大崎支線上下線間の空地でクロスレールを組み立ててます蛇窪の平面交差のクロス部の取り換えするのでしょうか不明です

昨日大崎駅改札口に来る11月16日品川駅新線切り替え工事に伴う代替輸送時刻表が掲示されました愈々次の週末は滅多に無い山手線折り返し運行楽しみです 通常りんかい線は大崎駅始発電車は5時40分が最初ですが11月16日は運休の山手線内廻りに替り初電は4時34分大崎発東京テレポート行きです(りんかい線内で渡り線が有るのは東京テレポート駅天王洲アイル駅側のみです)一編成で二往復してから通常の運転に戻ります
運休の大崎上野間はりんかい線大井町経由品川乗り換え東海道本線新橋再乗り換えという状況か逆に外廻りで上野迄行京浜東北線に乗り換える 新宿若しくは代々木乗り換え東京若しくは秋葉原乗り換え等プランは色々ですね

yyoshikawaさんのワクワク感が伝わってきます(笑)。

11月16日品川駅配線替え工事に伴う山手線大崎折り返し状況に付いて 大崎に到着した内廻り列車は一番二番線を交互に使用して到着列車を捌き到着後一旦入出庫線に引き上げダブルクロス部分迄移動停止折り返し三番四番交互に入線後発車してました

品川駅配線変更工事に伴う山手線内廻り大崎上野間運休代替にりんかい線が今日だけ通常始発時間より早い4時35分大崎発東京テレポート行きが運行されます(通常ですと大崎発は5時40分新木場行きです) 面白そうなので東京テレポート迄乗車してみようと思い4時15分大崎駅へ何時も大崎に駐泊している埼京線の233系を使用するのかと思ってましたがりんかい線70系が東臨車庫から東京テレポート発の大崎行きという運用で大井町からの乗客を運んできました大崎駅五番線に逆走入線してきて折り替えし東京テレポート行きとして運用します天王洲アイル駅東京テレポート駅間にある対向渡り線から大崎方向線へ逆走し東京テレポート駅へ到着折り返し大崎行に其の侭乗車大井町迄戻り下車しました途中東臨車庫から出庫した回送列車が平面分岐部に逆走状態で待機してるのを見ました

東京臨海高速鉄道りんかい線は普段は途中折り返し運行は存在されてませんが今回の山手線大崎上野間全面運行休止は開業以来初めての事とマスコミは盛んに放送で取り上げてました 運休区間の大崎品川間代替輸送をりんかい線が担う事になり早朝のニ運用がりんかい線としては初めての途中駅折り返しとなりました沿線には東京テレポート駅のみ上下線間の亘り線が存在する為折り返し列車を通常の始発以前に運行したのです

yyoshikawaさん
>4時15分大崎駅
朝早くからお疲れさまでした。

来る11月30日相鉄と埼京線の相互直通運転が始まりますポスター等で告知されてます 今迄臨時列車や湘南ラーナー以外の旅客列車が通らなかった東海道貨物線を常時定期運行する様になります 是非とも初日に乗車したいものです 以前鉄道友の会の臨時列車行き先不明貨物線の旅ツァーで東海道貨物線を通って以来になります 唯鶴見羽沢間は殆ど隧道と高架区間でも線路を覆う騒音対策のシェルターで何も見えません羽沢から先の相鉄新線も全区間地下ですので車窓風景は期待できません

yyoshikawaさん
次のお楽しみですね。

11月30日にダイヤ改正で愈々相鉄と埼京線が相互直通運転開始します数日位前に大崎駅改札口に湘南新宿ライン埼京線りんかい線の新時刻表が張り出されました ラッシュ時間帯は片道一時間当り三本10時頃からのは一時間当り二本で

yyoshikawaさん
楽しみが増えますね。

今日の事田町より乗車した山手線外廻り乗車直ぐ車掌が車内放送で「今日に限り大崎で車輛交換する」と述べていた大崎は何番線に付くのかと期待していた 大崎では三番線に入線四番線にはすでに交換の列車が停車していました乗替え客は急ぎ乗り換えてました 三番線到着という事は普段使用されるのは稀なシングルスリップ分岐側使用されるので大崎駅南跨線橋で車庫への回送状況を撮影しました 毎年年末恒例のコミケが国際展示場で開催されてます今朝未だ始発電車が無い時間のりんかい線ホームには既にコミケへ向かう為の客が待つてました未だ山手線の大崎へ到着する外内廻りの始発列車の無い時間なのに何処から来たのか 大崎迄徒歩で来たのか駅前のホテルセ宿泊していたのか・・

追伸 コミケ開催の折は大崎駅ではコミックシェルターを開催して居り南跨線橋で同人雑誌等の販売もしています 硬券復刻販売等もありました

一つ前のコメントで一字間違えがありましたホテルセ宿泊・・ホテルに宿泊です申し訳有りませんでしたお詫びします

yyoshikawaさん
>車両交換
何かトラブルでもあったのでしょうか。
>コミケ
コミケ客の単なる素通り駅にならないよう頑張っているようですね。

相鉄線と直通運転する様になり大崎から嘗て二回乗り換えせねばならなかった相鉄沿線に直接乗り換え無しで行けるのは夢見たいな状況になりましたが殆ど利用する事は無いのが残念です 
今から40年位前大崎は東京電環駅でも最下位の駅の一つでだだ広い貨物用側線が有るだけで駅前商店街も無い寂しい駅でした明電舎本社大崎工場SONY大崎 三共製薬 高砂ポンプ 金曜社等の工場や倉庫が乱立してました其の為都内の駅なのに暗い夜空に星が見えるくらい寂しい駅でしたが高砂ポンプ工場跡地に先ずニューシティビルが出来てから様子が代わりました其れ迄大崎はTVドラマでもめったに撮影される事が有りませんでした 映画スーパージェッツターでしたか大崎駅の山手通り陸橋が出ていたりTVドラマ鉄道公安○○で貨物側線で撮影していた位でした 所がニューシティーが出来た途端賀来千香子主演のTBSドラマで一躍有名になりました其れから徐々に駅前再開発が進み御殿山や五反田付近迄高層ビル群が立ち並び様変わりしました其の後貨物ヤード廃止した跡にホームを二本増設し埼京線湘南新宿ライン運行開始りんかい線の乗り入れで漸く東京電環駅一番など田舎駅が輝かしい駅に変身今や小田原方面逗子方面厚木方面新木場方面高崎方面8宇都宮方面川越方面へ乗り換え無しで行ける様になるとは40年前では夢にも思わない今日ですでも今でも大崎名物最終大崎止まりは存在してます 

yyoshikawaさん
劇的な変貌ですね。

今朝大崎駅に張り出されたポスターに来る1月18日205系に替り長年山手線に君臨していた231系最終編成のお別れセレモニーが執り行われるとの事
235系が山手に投入浮いた231系が総武緩行線に移動総武緩行線の209系及び231系が他線へのダルマ落とし式転属は今に始まった事ではないですが・・

231系お別れセレモニーは1月18日大崎駅四番線に12時30分より14時30分迄ホームに231系を展示特製へッドマークを最前部車輛に取り付けるとの事です

yyoshikawaさん
情報ありがとうございます。
205系ですらなじみがないのですが・・・。103系世代ですので(汗)。

231系500番台お別れセレモニー当日ホームでの実物展示は直前に急遽中止となりました理由は多分ホームが大混雑する事を駅としては見過ごせないので中止にして駅北コンコースでさよならヘッドマーク(レプリカ)の展示南ラチェ外でグッズ販売等やってました 
231系500番代は一月末迄運行の模様です 今後山手線から総武緩行線へ転籍総武緩行の231系6扉編成と209系広幅車の他線への転籍 武蔵野線の205系廃車というパターンになるのでしょうか

yyoshikawaさん
情報ありがとうございます。

渋谷駅工事に伴う湘南新宿ラインと埼京線運休で大崎と新宿両駅で恒例の折り返し運行となってます大崎では5番6番線がりんかい線線内折り返し運用に使用7番8番線を湘南新宿ラインと埼京線折り返し運用に使用されてます先回の渋谷工事では埼京線は新宿折り返しでしたが今回は埼京線相鉄線相互乗り入れが開始されましたので相鉄相互乗り入れの埼京線233系が7番8番線折り返しとなった次第ですさらに今回レアーなのは相鉄線乗り入れ車輛での大崎行きでしょう 昨日西大井駅で待ってると相鉄線からの直通列車が来たのですが残念ながら埼京線が来てしまいました
今回湘南新宿ラインは大崎折り返しは全て横須賀線逗子行きです 新宿では1番2番線埼京線折り返しに3番4番線が湘南新宿ラインが折り返しに使用してます

渋谷駅工事に伴う湘南新宿ラインと埼京線運休で大崎と新宿両駅で恒例の折り返し運行となってます大崎では5番6番線がりんかい線線内折り返し運用に使用7番8番線を湘南新宿ラインと埼京線折り返し運用に使用されてます先回の渋谷工事では埼京線は新宿折り返しでしたが今回は埼京線相鉄線相互乗り入れが開始されましたので相鉄相互乗り入れの埼京線233系が7番8番線折り返しとなった次第ですさらに今回レアーなのは相鉄線乗り入れ車輛での大崎行きでしょう 昨日西大井駅で待ってると相鉄線からの直通列車が来たのですが残念ながら埼京線が来てしまいました
今回湘南新宿ラインは大崎折り返しは全て横須賀線逗子行きです 新宿では1番2番線埼京線折り返しに3番4番線が湘南新宿ラインが折り返しに使用してます

yyoshikawaさん
相鉄乗り入れで折り返しの形態にも変化が生じたのですね。

有名youtuberのスーツ氏が大崎短絡線の現地取材をしていてふと思ったのですが、なんで最初の建設時点で「平面交差で反対側に分岐して立体交差で品鶴線をくぐる」という無意味な線形になったのでしょうか?

品鶴線開業前後の地図が見つからず短絡ルート上に重要な施設があるのかわかりませんでした。戦後は住宅しかなかったようですが貨物しか走らなかったので機を逃したみたいです。

太田拓也さん
このあたり、yyoshikawaさんがお詳しいような・・・。

1920年代鐡道省は東海道本線の逼迫した輸送量の解決策として品川から平塚迄貨物別線の建設を計画当時既に手狭になった品川操車場の代替操車場の建設も視野に新線建設を開始 京浜間に張り付け複線建設するには既に人口密集地である為易々と用地確保するのは難しい特に広大な面積を必要とする貨物操車場を東海道本線沿いに新たに設けるのは至難の業であるので品川より東海道本線と別れ既存の山手貨物線の目黒川付近で分岐し西進丸子付近で多摩川を越え比較的人口密度の低い鹿嶋田付近に広大な用地を確保 貨物操車場を建設鶴見川手前で東海道本線に再合流し平塚迄路線別複々線線増とする計画の元進められた
其れに伴い関東以北から東海道方面への貨物 東海道方面から関東以北への貨物を受けもっていた山手貨物線関係の貨物列車を仕立てていた品川操車場も新操車場に移転となると山手貨物線と新貨物線間の貨物列車を品川経由で運用するより新線と山手貨物線間に別に連絡線を建設し新線へ直接貨物列車を運行したほうが賢明である 山手貨物線の南側で貨物を扱う駅は北から恵比寿大崎の二駅であり新線と連絡線を設ける場合 恵比寿分岐より大崎分岐の方が距離的には大崎分岐の方が新線には短い距離で済む其れと既に稼働状態の大井工機部用地を利用出来るので其の先の用地取得だけで済む距離的には大崎起点2㎞弱で済む 
こうして計画された新線は工事開始され線名を新線は品鶴線と命名連絡線は大崎支線と命名された
品川より既存の山手貨物線を利用し目黒川手前で複線平面分岐の目黒川信号場設け目黒川を越えその先は暫く築堤で鐡道省大井工機部線を架道橋で越え槍が崎の大地へあがり先は再び古戸越川の谷筋を築堤で進み戸越台の大地に移り大崎からの連絡線と合流暫く路線別複々線で進み立会川の谷筋手前で両線が平面分岐で合流近くの地名を取って蛇窪信号場とし谷筋を築堤で越えた先は鹿島台地の切通区間となり先の馬込台地等の間を築堤と切通市で抜けて多摩川付近で平地に出て新操車場である新鶴見へ向かうのである 新線計画の折通過区間は当時台地と谷筋で人口密度も比較的少ない辺りでしたので用地の確保が楽だったのでしょう 大崎からの連絡線は既存の大井工機部構内線を渡る新線架道橋を潜り直ぐに勾配を右曲がりで上がり権現台の大地へあがり左曲がりで新線と合流した
此れにより品鶴線と大崎支線山手貨物線の三線が変形デルタ線を形成副産物として展望車を連結した特急列車の編成ごと方向転換が出来るようになった 其れ迄東京駅の客車区構内のターンテーブルで編成を分解し客車を一輌一輌方向転換していた手間が解消されたことです
戦前に父親が撮影した品鶴線槍が崎付近での品川からのD50牽引の貨物列車の写真では上り線のみ当時電化されていた蛇窪回しが当時から行われていたことの証です

yyoshikawaさん、ありがとうございます。
既存の大井工機部用地を利用出来たことの影響が大きい、ということですね。

公益財団法人特別区協議会デジタル古地図東京府15区8郡時代町村区分地図東京府下大崎町全図品川町全図荏原町全図(大正15年発行)を見つけました未だ品鶴線や大崎支線工事前の此の辺りの様子が記されてます 品川町全図には既に操業しておる鐡道省大井工場と大崎駅大井町駅間の大井短絡線が記載されてますが短絡線から分岐した側線白煉瓦工場の引き込み線か当時未だ三共製薬は工場は有りません此方の地図は品鶴線と大崎支線はまだ予定線記載は有りません 京浜電鐵は八ッ山橋脇迄来てます
荏原町全図には品鶴線大崎支線目蒲電鐵大井町線池上電鐵の工事予定線が記載されてます 今の大井町線下神明駅付近は下蛇窪の地名が記載されてます

yyoshikawaさん
品川町全図に4年後に開業する品鶴線の予定が描かれていないのは不思議ですね。

毎年年末恒例で有るコミックマーケットもコロナの影響で中止となり何時もの国際展示場へ向かう為早朝の始発列車を待つコミケファンの姿は壊滅的で静かな年末でした 昨年は色々な鉄道関係のイベントも全て中止となりオマケに四年に一回行われる世界的大イベントのオリンピックも延期となった 他にも地域の色々なイベントや祭禮も全て自粛 国勢調査も調査方法が変更になった国勢調査員に指名されましたが御蔭で楽な調査で済みました 年末恒例の防火パトロールもなく意外に楽な一年でした 年末年始の終夜運転も中止されましたが 初日の出は何時も家の近所の新幹線高架下で見る事にしており今年も同じ所で見てましたが朝日が建物の上に出た直後に横須賀線の電車が目の前を横切って行きましたが今年hじゃ寒い初日の出でした

コロナの影響でいろいろな行事が中止されていますが、面倒な自治会関係の行事も縮小されてちょっと助かっています(汗)。

TMS2021 2月号に宮澤孝一氏の時速120kmの木造国電という記事が発表されてました 1948年4月に東海道本線三島沼津間で行われた高速試験に当時高校1年生であった著者が知り合いの鉄道職員から「今度高速試験が有るからよかったら来なさい試験列車に乗せてあげるよ」という今では考えられない経験の記事でした 其の記事の最後に当時の大井工場の西側敷地に二棟有った御料車用煉瓦車庫と其の二棟の間に引かれていた側線の末端に有ったターンテーブル(東京急行大井町線高架付近)と車庫の間から顔を出した東京省電区間では絶体お目にかかれない流電モハ52005とターンテーブル上の配給車サル28何方も珍品車輛と当時の大井工場(工機部)の風景 雰囲気は其の後1958年頃と変わらない 大井工場が大々的に大改造されるのは1960年代に入ってからです先ずトラバーサーの廃止多数存在していた煉瓦建屋の廃棄(内一棟は明治村へ移築)写真に写りこんでいた手前の御料車庫も解体され跡地に品川区役所が建設されました 

コロナ禍で終電時間が繰り上がり大崎発最終が品川行ですが此処で疑問です御承知の如く品川電留線は既に廃止されてます品川で客を降ろして田町迄回送して折り返し中線に入線大崎へ回送なのでしょうか謎です

yyoshikawaさん
ぜひ真相究明お願いします(笑)。

真相究明に行くと帰りは夜の道をトボトボせねばならないかもしれません・・(笑)

今朝仕事帰りに東急下神明駅近くに有る品鶴線住吉踏切を渡ろうとしたが品鶴線大崎支線共貨物時代より運行列車が増えた為開かずの踏切状態になっておる住吉踏切は現在自動車専用地下道が略完成します此れが完成すれば都道26号線は全線開通になり品川区内を東西に縦貫する幹線道路となり区民にとって便利になります 今朝は偶然ですが品鶴線品川方向へ向かう列車と大崎支線より小杉方面へ向かう列車が丁度すれ違うと思いカメラを構えていると両方向共何と215系ダブルデッカー同士のすれ違いであった何という偶然か・・両列車が顔をそろえた所をカメラに収める事が出来ました 現在住吉踏切では前記の自動車道路が略完成し何れ地下を通る様になります人専用の横断は橋で越える予定で現在工事がすすんでおります 

人専用の橋ができると写真撮影には好適ですね。

今年大崎は開業120年となりますがコロナ禍の昨今イベントも無く記念入場券の販売も延期となってます記念として南側跨線橋で近所の幼稚園の園児達の描いた絵が展示されてるだけで寂しい状況ですせめて過去の大崎駅周辺の風景写真展示でもすれば楽しいですのに・・

3月28日に大崎駅夢桟橋(空中連絡通路)で同人誌の即売会が開かれていました色々なジャンルの同人誌が並んでいました其の中でRAILROAD研究所発行複分岐めぐりとレールの基礎という二冊を見付けて購入しました其の折山手貨物線を品川方より田端方向へ何とあのクルーズ列車四季島が通過していました気付くのが遅く四季島だと声に出すだけでしたが本を販売していた人達も珍しいと言っていました 複分岐の話でそう云えば大崎にも複分岐があったとと言いました 同人誌には随分面白い本が売られており他にブロック塀研究会で発行した超時空遺産透かしブロックという同人誌も面白い物ですあんなに種類が有るとは思いませんでした

yyoshikawaさん
同人誌と四季島と、ステキな出会いでしたね。

山手線に新しい駅が誕生しました と言うのは冗談ですが大崎駅南口ラチェ内にお茶の水駅で設置されて話題になった消毒駅の大崎版が設置されました消毒駅の設置した台には最近大崎駅の駅キャラクターおおうさぎのイラストが描かれています 大崎においでのおり見物してください

大崎駅には駅キャラがいるんですね。

コロナ禍のご時世ですが大崎駅秋恒例のイベントおおさき夢桟橋が今年も来る10月9~10日の二日間開催されます ポスターには恒例の地方物産展等は無さそうです残念・・

yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。

今年の夢桟橋は時節柄食べ物関係のブースが殆ど無い地方物産ブースも鹿児島県大崎町のブースだけ出店他は手芸品等の出店だけで例年より少し寂しいイベントとなりました 10日の日は首都圏で停電事故で一時列車が運転見合わせになってしまい今年は地元だけのささやかなイベントとなった様です

yyoshikawaさん
来年に期待、ですね。

25日早朝前日の渋谷駅山手線内廻り線路引き換えとホーム幅員拡幅工事に伴う運休で埼京線等の増発の影響か大崎駅5番線から8番線迄珍しく埼京線233系4編成が駐泊していた 普段は6番線に一編成駐泊してるのに25日は全部のホームに駐泊していたのは滅多にない風景でした 

yyoshikawaさん
珍しい光景がご覧になれましたね。

10月23日~24日の山手線内廻り渋谷駅移設工事に伴う運休措置で外廻り一部大崎折り返しに付いて
述べます 外廻りは略一本置きに大崎止まりを四番線に入線三番線環状運転列車と接続後入出庫線へ一担引き上げてから折り返し一番二番両線に据え付けて折り返し内廻り運用についてました

yyoshikawaさん
情報ありがとうございます。
面倒な作業が行われていたのですね。

今度のダイヤ改正で特急湘南が大崎に停車する事になりました 大崎駅に優等列車が停車し旅客扱いするのは開業以来初めての快挙です 運転停車は偶に有ります新宿行き成田エクスプレスが信号待ちで運転停車する時は有ります

今朝大崎駅の駅員さんにダイヤ改正後の早朝の始発電車の時間を聞くと早朝は通常通りのダイヤですとの事 ダイヤ改正で特急湘南が大崎停車しますねというと駅員さんも120年目にして初めての快挙ですと言ってました唯特急湘南は元湘南ライナーと同じく平日朝の上りと夜の下り運用ですので地元大崎では余りメリットが無いです 尚特急湘南は平日運用ですので運用初日は3月14日の月曜日からです

yyoshikawaさん
>特急湘南
スミマセン、知りませんでした(汗)。
快挙、おめでとうございます。

毎年お馴染みの夏のコミケが今年も東京ビックサイトで開催されました毎年大崎駅ではお馴染みコミックシェルターを開催今年は13日が台風接近で中止今日14日に開催されました今回会場で購入したコミック誌は大崎おさんぽガイド相模レトロ自販機さんぽ新鮮大崎大崎今昔物語全30話アーカイブスダブルスリップスイッチめぐりVol1の四冊でしたダブルスリップスイッチめぐりは先回複分岐めぐりを出版した方で大崎駅に嘗てダブルスリップシングルスリップ等有ったというと興味を示しました大崎今昔物語全30話には内の父が撮影した昭和35年頃大崎駅前景が掲載されてました

yyoshikawaさん、コミケ、楽しまれたようですね。
台風もあって大変だったようですが。

10月8日~10日迄3日間第35回恒例の品川夢さん橋2022が今年は3年振り完全開催されます青空バザー夢さん橋ステージ子供コーナーノンストップ山手線一周夢さん橋号運行 同時に大崎ニューシティのO美術館では品川夢さん橋特別展を開催します区内の鉄道のある風景を写した品川鉄道100景が併設されます

yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。楽しそうな催しですね。

10月16日昼の事大崎山手貨物線に湘南新宿ライン運用の231系付属編成が品川方向へ通過して行きましたした唯湘南新宿ライン運用の車輛が其の儘品川へ向かうと品川で東海道本線の231系や233系とは向きが反対になる唯此の侭東海道本線の付属編成として連結しても電気連結器で有る為引っ繰り返っても連結運行は出来る実際見てみたいものですが偶々何等かの事情で品川方向へ向かったのでしょう

今日昼前大崎で中央線233系二階建てグリーン車挿入編成の試運転列車を見ました此れで二回中央線233系グリーン車挿入試運転列車を確認してます

グリーン車営業開始までは1年以上あるようですが、早くも試運転が行われているのですね。

今日山手線渋谷駅外廻り工事に伴い大崎池袋間運休の為大崎駅外廻り線ホームのエスカレーターは全て登り運行してます 外廻り始発の代わりに普段大崎駅六番線に駐泊している埼京線車輛に灯りが灯っており4時28分発始発電車の代替として運用されています

最近大規模工事では終日運休して工事を進めるパターンが当たり前ですが東海道新幹線工事前後に執り行れた大崎駅及び大井工場を含めた付近の大々的な配線変更工事の折は列車運休等無かった様に思うのです 大井工場構内の建屋更新及び構内配線変更不必要になった蒸気機関車性能試験建屋及び宮廷車輛用車庫西庫東海道本線と大井工場のあいだに存在した職員官舎等を取り壊し大井短絡線跡の試運転線廃止後手狭な品川電車区移転品川区役所移転国鉄アパート建設等の用地に充てた 其の折品川電車区入出庫線と交差する山手貨物線の高架及び立体交差化工事 島式一面二線の山手線大崎駅に今一つホーム増設工事 大崎駅貨物線部の大規模配線変更東側と西側に別れていた駅舎の橋上統合化でした工事開始から完成迄5年位掛かったのではと思いますが小学校高学年から中学位の頃です 父親が当時の工事の様子を写真で少しだけ撮影してますが其れを見るだけで可也な規模であったことは推測できます列車の運休はせずに執り行った 大崎配線図の内山手貨物線が単線表示の配線図が此の当時の状況です 尚配線変更直後五番線迄あった貨物側線の内道路側の一本完成直後に撤去され歩道化された事は西口駅舎廃止で平行する区役所通りは当時道幅が狭いのに完成直後歩道も無く自動車の通行も多く危険な為旧西口利用者の陳情でつくられたのです 其の後にりんかい線が大崎に乗り入れる為使用されてない側線全て撤去して島式ホーム二面を建設対応した当時は大崎支線を運行する列車は少なかったので運休する事はなかった
新幹線工事の折目黒川蛇窪間の品鶴線は単線化して対応其の折住吉踏切先に背向渡り線を設け対応した 大崎付近の大工事について述べてみました  以上

工事の際には、いかに運休せずに工事を進めていくかに工事関係者は頭を悩ませるのでしょうね。
地方であればスペースが確保しやすいですが、都会ではスペースがない代わりに代替交通機関があるので運休しても影響が最小限に抑えられるのかもしれません。
陸西線や災害により長期運休している線区は今後が心配になります。

2月7日相変らず首都圏では列車ダイヤの乱れが広範囲に亘り発生しました夕方所用で渋谷のイモン渋谷店に行こうと大崎へこの混乱で丁度8番線に湘南新宿ラインが入線してきました其の直ぐ後相鉄線からの新宿行きが7番線に入線してきました駅の放送では新宿行きが先発との事入線して来た新宿行きは相鉄の車輛でした相鉄車輛が大崎の7番線に入線する事自体非情に珍しい事です多分初めてではないか?其の儘湘南新宿ラインは大崎で退避新宿行き相鉄直通列車が追い抜いて行きました渋谷へは相鉄列車に乗車しました後発の湘南新宿ライン電車は特別快速との駅放送が渋谷で述べていました 私が大崎から渋谷や新宿へ行く場合混雑する山手線を避け湘南新宿ラインか埼京線に乗車した方が比較的空いて居る事が多いので其方を利用する様にしてます

yyoshikawaさん
貴重な目撃ですね。

今年も夏のコミケの季節が来ました大崎駅では大崎コミックシェルターを開催します同人誌の販売も有ります今日は早すぎて準備中でしたので明日見に行こうとおもいます分岐だけの同人誌や地元品川の街路灯を紹介した同人誌等も有り毎回楽しみです 本家のコミケには一度も行った事は有りません・・
此の後にJAM2023が18 19 20日の三日間ビックサイトで開催されますが今年は出掛けようか迷ってます暑いし最近歳のせいか遠出するのも億劫になりだしており今年は一日だけにしようと思ってます

大崎コミックシェルターを見に行きました今回鉄道関係の同人誌を出してるブースは一つだけ分岐関係の同人誌は出てませんでした 女の子が大崎等の同人誌を出してる昨年もだしており品川の暗渠道や古道の話で盛り上がる品川という同人誌を販売していたので購入他には時を旅するビンテージ紙ものという同人誌を購入海外のチケットラベル等が掲載されてました面白いです

yyoshikawaさん
本当に暑い日が続いております。
あまりご無理をなされないようにして下さい。

今朝早朝4時30分代何と上下新幹線が運行していた前日の静岡付近の大雨による運休の影響での臨時運行か回送なんでしょう 通常の運行時間で無い時間帯に走る列車は新鮮な感じですね

yyoshikawaさん
本来は走って欲しくない時間帯の列車ですね。

今日は首都圏各地で異常音による列車の遅れが多発した早朝の根岸線山手駅での異常音で北行列車が遅れたのを皮切りに各地で異常音多発で直通運転してる路線で一部直通運転中止の処置を取った埼京線でも板橋か十条かで異常音による遅れが発生し直通運転しておるりんかい線川越線が直通中止となった丁度新宿に買い物に行き帰路埼京線乗車すると今日は大崎で折り返しとのアナウンス大崎では何番線に到着するのか楽しみであった結局大崎七番線に逆進入到着した因みにりんかい線は六番線折り返ししてました

異常音ですか?何があったのでしょうか。
トラブルが発生したときに、ついつい普段では見られないものを期待してしまうのは、事業者の方には申し訳ないですね(汗)。

今朝何時もの品川発の横須賀線始発列車が品鶴線を通過していたが品川へ出ると横須賀線地下区間で落下物が有り運行を中止してると放送していた仕事が終わり買い物がてら新宿へ行き帰路丁度湘南新宿ライン特別快速小田原行きが来たので乗車すると今日に限り大崎から終点小田原迄各駅停車に変更すると車内放送があった今朝の落下物の影響でこの時間は運休の為の処置として時別快速を各停に変更して対応していました

yyoshikawaさん
柔軟な対応が行われているのですね。

品鶴線と東海道新幹線が線路入れ替えの立体交差区間で此れ迄新幹線橋脚に取り付けられていた品鶴線の架線用碍子が最近環状ビームを設置しており若しやと思っていたが最近架線が移設されて
恐らくJR東日本とJR東海との間で水面下で軋轢があったのでは これはあくまで個人の感想です

yyoshikawaさん
それって、東海の橋脚を東が使うことを東海が嫌がった、ということでしょうか。

多分此の辺りの架線柱と架線ビームの寿命がきたので最新の管ビーム式の架線柱に交換されだしており立体交差部分も新たに管ビーム式架線柱を植えて吊りかえた
のでしょう

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大崎配線図 追加:

« 鶴見配線図 追加 | トップページ | 汐留配線図 追加 »

過去の記事

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ