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2010年6月 1日 (火)

大森配線図 追加

蒲田駅同様、公開し忘れていた1961年より以前の大森駅の配線図です。

(1961年以降の配線図はこちら。)

まずは1935年3月。

193503

・蒲田駅と同様に列車線にもホームがあります。しかも点線ではありません。
・下り1番線は東京方に対しても神戸方に対しても進入・進出ができます。

続いて1951年8月。

195108

・列車線のホームは姿を消しました。
・下り1番線は、神戸方からの進入のみができなくなりました。なぜこんな中途半端なことを・・・。

最後に1957年3月。

195703

・電車線関係が省略されていますが、大きな変化はありません。

以下はこちらに続きます。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

 鉄道とは少し関係有りませんが 明治初期アメリカ人のモースが大森貝塚を発見したのは歴史の教科書に必ず乗っておる話です モースが新橋横浜間の列車に乗車中に大森駅に差し掛かる時に見つけたのです 其れを記念して大森駅のホームに巨大な縄文土器形記念碑が有ります さて此の事でややこしい話が有ります 大森貝塚はどの区なのか と云うのも此の辺り東海道本線と京浜東北線は品川区と大田区との区界に線路が引かれている為です 品川区では早い時期に線路際に大きな記念碑を建て其の周りを公園にしました 一方大田区は区界ぎりぎりの所の線路際にやはり品川区より小さいがやはり記念碑を建てました  大森駅の近くに大森貝塚記念碑が線路際に二つ存在するのは嘗て両区が本家の張り合をしていた名残でした 以上配線図と関係無いコメントでした

 以前鉄道開業140年の年に品川歴史館では記念企画展を開催しました 思って居たより立派な企画展でした 展示品の数々の中に一枚の写真が有りました 其れは電車運転開始直ぐの頃の大森駅電車線ホームの写真でした 丁度大森駅の東京寄りから大井町方向を向いて写されていました 其の写真には後の時代には存在しない折り返し用中線が写っていたのです 電車運転開始時に設置されたが其の後撤去されたのでしょう ただ何時頃撤去されたかは不明です1935年より以前な事は確かです
 

yyoshikawaさん、大森駅にも折り返し用中線があったのですか。初めて知りました。情報ありがとうございます。

 多分当時京浜線は最長5~6両編成くらいでしたので現在のホーム長よりは短く蒲田寄りで有ったので中線敷設用地は有ったでしょう 駅ホーム上屋を見ると蒲田側が古い木造で軒飾りも凝ったものです ホーム上屋を見ると其の駅が初めて作られた後に改築された歴史が解りますが最近は駅直上に駅ビルを建設して仕舞うと上屋がそっくり無くなる場合も有り検証が難しい場合も有ります

yyoshikawaさん、駅の歴史を知るにはホーム上屋から、ですね。ありがとうございます。

 京浜間の大森蒲田川崎への貨物は新鶴見で仕立て品川経由で各駅へ発送されてた事は以前コメントしましたが具体的に如何入れ替えしていたか
大森駅を参考にコメント致します 品川を出発すると八ッ山陸橋下の品鶴線下り線から品鶴線上り線をダブルスリップで横断東海道本線下り線に進出東海道本線を下り大森にやって来る大森で下り一番線に入線機関車が切り離され下り二番線に留置中の発送貨車を連結引き出し編成中の到着貨車を連結後其の侭引き上げ線迄一端引き上げ到着貨車を下り二番線に突放其の後下り一番線留置中の貨物列車に連結発車時間迄待機時間になったら次の蒲田へ向かいました下り二番線に置いていかれた到着貨車は入れ替え機のDD13が貨物扱いホームへ押し込む荷扱い済の発送貨車を下り二番に押し込む毎日此れを繰り返しておりました 大森は蒲田川崎に比べ用地の関係で貨物関係の線路配線が単純であった
 配線図を見るといつも如何入れ替えをやるのか考えるのが楽しいものです

yyoshikawaさん、同様の入換作業を行うため、DD13がこの界隈をチョコマカ動き回っていたんですね。いい時代だったなぁ・・・。

 戦前大森駅前に大森海岸から京浜電鉄が乗り入れてました 川崎から品川迄全通以前は一時季暫定終着駅でした大森駅前にリーバース線を敷設トロリーポールを付け替えずに戻る事が出来た 日本では京浜電鉄大森川崎 箕面有馬電鉄箕面 小田原電軌国府津箱根湯本 都電南千住渋谷位でした 海外ではごく当たり前に見られます
シカゴの高架環状線は内周りは終日環状運転外周りは郊外から乗り入れて一周して其の侭リバース線で郊外に戻る運行しています戦前有名なノースショアー電鉄の流線型エレクトロライナーも此のリバース線で乗り入れて居りました

yyoshikawaさん、海外では、日本では考えられないようなシロモノが見られますね。合理的と言えば合理的なので、日本で採用されない理由を明確に示しづらいところがあるのですが、直感としては違和感を感じざるを得ませんね。

 品鶴線開通前は当然乍貨物列車も上下共東海道本線品川鶴見間を通っていました 幹線である東海道本線ですので当然長編成の貨物列車も此の区間でも運行していた 長編成の貨物列車はヤード間を繫ぐ列車最長30~50輌編成の貨車を繋いでいた 旅客列車で云えば長距離特急急行に当たる列車 途中駅で入れ替えをやりながらヤードに貨車を届ける各駅停車の普通列車と同じ役割でしたのでそんなに長編成では無いせいぜい20~30輌位ですので大森蒲田等の有効長の長く無い駅でも退避及び入れ替えが出来たのでしょう 話は変わりますが大森駅の其の後について述べます貨物扱い廃止後嘗て有った東海道本線ホーム跡の撤去及び東海道下り線の山王側(山側)へ移設東口駅舎の解体駅ビル及びホテル建設大井方には保線区建屋と保育園建設 保線車両留置用横取線敷設等の用地になりました
 明治時代に掛けられていた跨線橋の橋脚が大森駅駅前広場に移転展示されております
 大森駅前に来ていた京浜電軌の跡は未だ確認できません

 大森駅の京浜電軌軌道跡に付いて述べます
京急の大森海岸から大森に向かうバス通りが嘗て軌道線が通っていた線路敷跡でいすゞ自動車本社前交差点からバス通りは大森方向へ曲りますが太田区営立体駐輪場脇を其の儘直進する細道が嘗ての軌道跡で末端部は一軒のビルの辺りが嘗てのリバース線の跡で車庫の跡でも有ります大森駅からは少し外れた位置に京浜電軌のターミナルが有ったのです
 都会地では廃止線路跡は再開発等で消える事が多いですが稀に此処の様に道として残る場合も有るのです

蒲田のコメントで記載しましたが京急電鉄明治大正昭和の歴史と沿線に明治半ばの官鐡大森駅の南側から見た写真が有り相対ホーム跨線橋海側に駅舎と背向の片渡りと山側に貨物用側線が一本有るだけのシンプルな中間駅でした何時相対式から島式になったのか御存知の御方居りませんか 京浜電軌大森支線大森駅の配線図が掲載されてますループ線を廃止して車庫位置変更の配線図でループ時代と改良後両方記載された配線図です

大森駅に併設されおる保線用側線本線への横取ポイント及び上下線連絡用横取ポイントが撤去された様です普段より保線車輌が入線しているのを見た事なかったので此の侭廃止になるのでしょうか

yyoshikawaさん、当然ですが横取装置の新設・廃止も行われているわけですね。地味ですが。

廃止は早とちりでした今日見たところ撤去されたはずの横取ポイントを改めて敷設し始めてました東海道本線上下線間の渡り部も新しい枕木を敷設しておりました 偶にしか使われぬ横取ポイントも更新されるのですね

yyoshikawaさん、新設・廃止のほかに更新があるわけですね。

横取り分岐にも入替信号機相当の信号が存在している様です 大森駅北側の山王道連絡跨線人道橋傍に横取り用と書かれた特殊信号発光機が備えられております 横取り側に転換されておる時にのみ発光して保線作業者に知らせて保線作業車両を収容後に転換忘れの無い様示す為に接置されておるのと思います 他の所は如何かは未だ確認してません悪しからず

yyoshikawaさん、確か近鉄線で横取装置の戻し忘れによる事故がありましたね。通常の分岐器であれば信号と連動しますので転換し忘れはありえなのですが、横取装置は盲点なのかも。

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