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2010年6月 8日 (火)

転車台 その9

転車台シリーズはこれが最終回です。

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1979年8月25日 小浜

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1979年8月26日 西舞鶴

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1979年8月24日 天橋立

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1979年8月25日 園部

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1979年8月23日 福知山

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1979年8月24日 豊岡

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1979年8月28日 浜坂
(転車台の跡です(汗))

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1979年8月28日 西鳥取

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1979年8月28日 若桜

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2015年6月21日 直方

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1986年8月7日 香春

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1986年8月7日 行橋

蒸機の廃止と共に転車台も短期間で消えて行く運命と思っていましたが、現在でもその姿をとどめているものが思っていた以上に多いようです。
保存されたものやただ単に放置されただけのものもありますが、中には現役バリバリのものもあるようです。いつまでもがんばってほしいですね。

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コメント

四国の項がありませんので、こちらに書き込ませていただきます。

四国では、ここ数年、鉄道の日の協賛行事として、毎年10月の土日に高松運転所・多度津工場・松山運転所・宇和島運転区・徳島運転所・高知運転所(計6箇所)の一般公開が、日を変えて1日ずつ行われます。
(複数箇所が同日になることもあります。)
このうち、多度津工場を除く5箇所では転車台回転体験というものがあり、実際に回転する車両に乗ることができます。
気動車が大半を占める四国では、まだまだ転車台は現役のようです。

ちなみに、転車台とは関係ありませんが、高松・多度津・宇和島・高知の4箇所は来場者向けのアクセス列車(予約・申込等は不要)が運転されるので、その列車に乗るため、昨年は多度津、今年は宇和島へ行ってきました。

宇和島のアクセス列車は、実走距離わずか300mあまりで、入換信号機と操車掛の手旗誘導による簡素な移動(入換)だったにもかかわらず、列車番号が設定されていたのには驚きました。昨年の多度津も設定されていましたので、宇和島や多度津よりも明らかに実走距離の長い高松や高知も列車番号が設定されているものと推測します。
来年以降、可能な限り訪問したいと思います。

たとえコメント欄でも四国の話題は嬉しいですね。
自身は国鉄末期に、たった一回きりの機関区巡りでしたが、いろいろと思い出深い地域でした。
禁断のコメントになりますが、f54560zgさん未踏の中四国、南西九州、そして待望の北海道の配線図や空中写真等の項も、f54560zgさんならではの記事が近い将来に出現することを待ち望んでおります。

my2000さん、昔は車両基地に向かう車両に乗るなんてことは考えられませんでしたが、今はそのようなファンサービスが結構あるんですね。
E10さん、なかなか高レベルのご要望ですね(汗)。

「鉄道記念日」が「鉄道の日」に改められてから、多くの民鉄が車両基地イベントを開催するようになり、つられてJRも注力し始めたように感じます。

しかし、国鉄時代はそのようなイベントがなかったのかというと、そうでもないようです。
たまたま手元にあった交通公社時刻表1984年8月号を見ていたら、「夏休み機関車大集合」と題して、8月1日から31日まで丸々1か月間、毎日10~16時に浜松機関区が一般公開されるという、逆に今では考えられないような長期イベントが掲載されていました。
しかも、日曜日には三島または沼津から浜松機関区までの会場直通臨時列車1往復が設定されており、8/5・12・26が三島発着の9223M~9224M、8/19は沼津発着の9421レ~9444レ(なんと客車列車)だったようです。
古き良き時代でしたね。
(当時、私は国鉄完乗に向けて駆け回っていましたので、車庫線やイベントなどは眼中にありませんでした。ちなみに、私の国鉄完乗は1987年3月。JR化の約3週間前でした。)

項目にそぐわない内容になってしまい、失礼しました。

時期的なことはあっても、my2000さんはじめ読者の皆さんの中にも国鉄全線を完乗された方々はきっとたくさんいらっしゃるのでしょうね。実に羨ましいです(今後のmy2000さんのご活躍も含めて)。私の場合、鉄道少年の頃から機関区や転車台巡りをしながら国鉄全線完乗が夢でした。国鉄末期にも機関区跡や転車台が現存していた、若しくは現存していたかもしれない、渚滑機関区跡はじめオホーツク沿岸沿い各所、北見相生、深浦、大湊機関区跡、小野新町、常陸大子、高麗川、そして飯山線各所や房総半島各所、五條機関支区跡等、様々な想いを巡らせていたのですが願いは叶いませんでした。
my2000さんのおっしゃる機関区イベントなのですが、敦賀第二機関区や名古屋第一機関区を訪れた私のタイミングがイベント終了後だったようで、イベント時の写真を閲覧したりイベント資料を頂いたりしたことがありました。
また、実は当時、my2000さんの列記された四国の各所を巡りました。(その昔、SL設備の在ったであろう、伊予西条、八幡浜、伊予大洲、窪川、阿波池田等も巡りたかったのですが) 高松ではmy2000さんのおっしゃるアクセス列車の片道逆パターンで高松運転所からの帰路に高松駅までは、たまたまあった回送気動車の最後部に他の職員の方々と一緒に乗せてもらいました。高松駅で連結作業でもあったのでしょうか貫通扉を開けっ放しで発車して行き、列車の最後尾からしばらく見続けた去り行く四国最大の車両基地、高松運転所が非常に印象的でした。
当時を振り返り懐かしさが込み上げて来て、記事やコメントに感謝しております。

my2000さん、国鉄完乗ですか、スゴイですね。私も各地を巡れば結果としてそうなるかなと思っていましたが、何のことはない、北海道も四国も九州も行けませんでした(恥)。
E10さんの回送気動車の乗車体験もスゴイですね。これはめったに経験できないですよね。特に今のようなご時世では。

さてさて、予告していたコメントですが、本項に投稿することにしました。

先日(6/24)、津山駅に隣接する「津山まなびの鉄道館」の脇の車両基地(岡山電車区津山派出?)まで直通する「みまさかノスタルジー」(団臨ではなく、全車指定の多客臨で、キハ47ノスタルジー仕様車2両編成)が運転されました。津山線(岡山~津山間)に当日のみ1往復運転されたのですが、車両基地直通は往路(岡山→津山・9970D)のみ実施されたため、その往路のみ指定券を確保して乗ってきた次第です。(笑)
(この臨時列車についてはJR西日本HPで5/23にリリースされており、現時点でも閲覧できます。)

車両基地は津山駅の南西側に位置していますが、津山駅ホームに面した4線はいずれも車両基地との直接の出入りができない配線のため、入換で一旦東側(姫路方)へ引き上げてから折り返し津山駅南側の線路(ホームなし)を経由し、車両基地1番線に入線して降車となりました。僅かな距離なのでアッという間でしたが、個人的には満足の乗車体験でした。

ところで、この「津山まなびの鉄道館」は、旧津山扇形機関車庫に13両が収蔵・展示されている施設です。庫内(屋内)や車内には入れないものの、転車台の周囲を歩いて車両前面を間近に眺めることが可能です。近年開設された鉄道展示施設としては小規模なので面白味に欠けますが、転車台と扇形機関庫が保存されている貴重な施設であり、末永く公開し続けて頂きたいものです。

転車台が存在する、という理由だけで本項に投稿しました。そぐわない内容ですが、お許しください。

 津山の転車台は扇形庫に囲まれていい雰囲気で残っています。ご紹介ありがとうございます。

 この転車台は18mですが、庫内にはD51もいます。無事に載りましたかと尋ねたところ、D51は余裕がありましたが、キハ181は本当に余裕が数cmだっことのこと。車長は21.3mですから車軸間はいくらなのでしょう?


前コメントで「岡山電車区津山派出?」と書きましたが、「岡山気動車区津山派出」の可能性が高そうです。申し訳ありません。

>C6217さん
キハ181の寸法を調べたところ、前後の台車中心間が15000mm、1つの台車の車軸間が2100mmでしたので、最前部車軸と最後部車軸との間は、単純計算で17100mmです。
一方、津山の転車台の寸法は18280mmとなっており、その差は1180mm。つまり、前後に各590mm(各59cm)もの余裕があったことになりますが、真偽のほどは…?

my2000さま
ありがとうございます。図面を見れば解ることなのに気動車は車長が長いことばかり考えていました。
転車台の長さに端数があることも初耳でした。お恥ずかしい。


から 

>C6217さん
いえいえ、私もこの分野は門外漢です。
車両図面も転車台も、寸法はネットで調べただけであり、私の知識ではありません。というか、このようなことを調べるきっかけを作っていただいたことに、むしろ感謝です。私自身の知識の蓄積にもなりますから。
ただ、転車台寸法については、mm単位で公表されているものの、どの部分を測ったものなのかは不明です。「全長」と記されているものの、台座枠(鋼鉄部)の長さなのか、台座上のレールの長さなのか、回転部(くぼみ部分)の内径なのか…
それぞれ、微妙に違うはずですが、どの部分をもって「全長」とするのが一般的なのでしょうか?

my2000さん、またまたスゴイ乗車体験ですね。最近はこのようなイベントが多いように思いますので、情報収集力がカギですね(笑)。
C6217さん、転車台の寸法等は私もチンプンカンプンですね。「公称18m」だとしても、my2000さんがおっしゃる通りどこが18mなんでしょうね。

おっしゃるとおり、情報収集が重要なんですよ(笑)。
乗車対象がJRだけではないため限界があり、難しいところですが、今後も情報収集に注力したいと思います。

ちなみに、5/3には、とさでん交通(旧・土佐電気鉄道)のイベントで、桟橋車庫(構内)と本線との入出庫線を走る電車に乗ってきました。わずか70mほどですが(笑)。

my2000さん、エネルギッシュに活動されてますね。私は最近はちょっとグータラです(汗)。

 Googleの地図を散歩していたら、関西本線の柘植駅構内に「柘植の転車台跡」という注記がありました。
 航空写真をアップすると元の機関車駐泊所の位置に円形の跡が見分けられます。地形ではなく植生の違いです。
 柘植はす廃止され、痕跡もあやしいのに注記された理由はなんでしょうか? 地元の観光協会の意向??

C6217さんがご指摘されたgoogle mapの空中写真を見てみました。ターンテーブルのあったところの植生の色が周囲と違っていて、丸く見えます。この注記を表示するのは、googleの利用者が自分で仕込むことができたとおもいます。注記のマークをダブルクリックすると画面の左側に関係写真や説明が表示されます。「 倉垣俊篤」という方の名前や同人が地上からターンテーブル付近を撮った写真も見ることができます。仕込みの仕方は、私自身はよくわかりません。m(__ __)m

コスモスさま
 ありがとうございます。どういう基準で記入するのか考えあぐねていました。
 自分で書き込みができるのなから鉄道関係でも書き込みしたいところが山ほどあります。

趣味誌や他のネット上で既出かもしれませんが、旧人吉機関区に在る現行の転車台、回転操作が自動運転で、自動的に任意の番線に停止します。
鉄道に興味を抱いてきたこの半世紀、鉄道業界の技術進歩も目覚ましいのですが、鉄道模型では知っていましたが、転車台の自動運転なんて思い付きもしませんでした。
鉄道技術先進国の独国の転車台とかは、SL現役時代から自動運転だったのかな…。

E10さん、転車台もハイテク化されるんですね。

他に適切な項目が思い当たらず、こちらに。
一戸の項で、豊後竹田とか言っていたのですが、コメント後、気になって豊後竹田駅をグーグルアースで見てみると、的確な例えではなく、転車台は矩形庫に並列に設置されていたようです。(昔の空中写真では未確認ですが)
一戸駅の側線群の位置に、給水炭設備、転車台、矩形庫の並びが直列にあったとイメージしていて、豊後竹田機関支区は違っていたようで、いつもの慌て者ぶりで申し訳ございません。
ただ、今のグーグルアースでは、車庫のとなりに浜坂駅のような転車台跡のピットの外ぶちが見えていて、以前から転車台調査の第一人者のお一人である レールエンジニアリングさんのサイトにも掲示されていませんので、現地調査の要ありで、自身が赴くことが出来れば良いのですが、今のところ難しく、地面派の方々でご興味のある方々、宜しくお願い致します。

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