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2010年6月20日 (日)

新前橋配線図

新前橋といえば新前橋電車区。小山電車区とともに東北・高崎線用の115系を受け持っていましたが、両者の運用の受け持ちは実に複雑でした。
小山はほとんど115系というイメージなのですが、新前橋のほうは急行型があったり両毛・信越ローカル用の旧型があったりで、多少バラエティーに富んでいた印象があります。

まずは1958年3月。

195803

・大宮方が右側で描かれています。
・SYさんのコメントにもありましたとおり新前橋電車区は1959年の開設ですので、この時点では何もありません(工事は始まっていたかもしれませんが)。
・この数ヶ月前に前橋までの電化が完成しています。
・配線図を見る限り、「幹線の上越線から支線の両毛線が分岐する」といった雰囲気はあまり感じられず、両者は対等のような印象を受けます。前橋方の開業が渋川方の開業よりも37年も早いという歴史の関係でしょうか。

続いて1978年3月。

197803

・「両毛下り本線」といったような線路名称が単純な数字表現に変わりました。
・上越線は下り本線が4番線、上り本線が2番線だと思うのですが、いずれも分岐側を通過する部分があります。いまだに両毛線に遠慮しているかのようです。
・高崎方から進入できるホームのある線路は3・4番線で、これらからは高崎方への進出ができません。すなわちホームでの折り返しは不可能です。ちょっと「あれ?」っと思って1978年10月の時刻表を見てみたのですが、新前橋始発・終着の列車って思いのほか少ないんですね。高崎線下りでは高崎行きが13本、前橋行きが10本に対し新前橋行きは6本のみでした。従って直接折り返す必要がなかったのかもしれません。入出区のための回送列車も設定されていたかもしれません。

続いて1984年3月。

198403

・特に大きな変化はありません。

最後に1993年3月。

199303_2

・前橋付近の高架化の関係でしょうか前橋方の配線が変更され、前橋方と4・5番線との接続がなくなりました。
・今まで0・1番線は上り専用でしたが、高崎方に渡り線が設けられて0・1番線への進入が可能になったほか、0・1番線から上越線または両毛線に出発するルートも新たに設定されています。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

f54560zg様こんばんは
高崎~新前橋間は昔は両毛線と上越線の単線並列区間でした。
何時から複線区間になったのですかね?

T.Mさん、こんばんは。
う~ん、確かにおっしゃるような記事を読んだような記憶も・・・。
高崎~新前橋間の「複線化」は1957年12月のようですし、1958年3月の配線図ではフツーの複線区間として描かれていますので、もし単線並列の時代があれば1957年12月以前でしょうか。
ただ、同じ1957年12月に新前橋~前橋間が電化されていますので、単線並列の時代は電化の上越線と非電化の両毛線の並列ということなんですね、きっと。

私の地元、新前橋駅の配線図興味深く楽しませて頂きました。ちなみに0番線は撤去されてもうありません。0番線、貨物1番の前橋方の両渡り線とかは残ってますけど,前橋から0番線に移る亘り線は撤去されています。
下り線側では5番線はまだ生きています。
高崎方から6,7番線に入る分岐はありません。7番の中程に牽引機?を入れておく屋根付きの車庫ができたので6番はこの小屋から高崎方の線路は撤去されてます。
googleの航空写真で目を凝らせば確認できます。
ところで複線の中間駅で隣接する工場へ引き込み線が延びるような駅の配線図ありませんかねぇ?できれば首都圏内で...欲を言えば高崎、上越線内で...

f54560zgさん、 T.Mさん、まるちーず さん、みなさん、こんばんは。

興味深い配線図をいつもありがとうございます。

高崎~新前橋間のことですが、昭和58年に出た小学館の国鉄全線各駅停車の第6巻「中央・上信越440駅」の172ページの本文上段の4~8行目に、

(高崎~新前橋間の)「複線使用開始は、昭和三十二年十二月二十日だが、かなりまえから線路が二本敷設され、両毛線と上越線とがそれぞれ別に単線運転を実施していた。」

とあります。 f54560zg さんが書かれている前橋までの電化とあわせていうことなのでしょうか。

 現在の図は、こうなっているのか、という驚きで一杯です。カーブ・勾配はもとより、編成車両数による停車位置指定も掲げているのか、というものです。区を脇に擁する新前橋駅のことですから、分割併合があるが故の特段の表記なんでしょうか?それともフリクエンシー確保の為に生じた単編成用で、至る所で見られる付加的な表記なんでしょうか。ともかく地上子恐るべしです…自身は事故に接した関西在住の者で…。
 なお、沼津駅で提した、上野~高崎駅間の草創期の設立の、自身の疑問については、どうも荒川の舟運に頼っていたらしく、現在の川口市の舟戸(示唆的な地名です)辺りで、そこから南へは荒川橋梁をまず木製にして、一年余りで一気に上野方から熊谷への開通を図ったようです。この勢いが高崎線・東北線の基盤と言って良かろうと思えます。  
 以上、付言に終始しました。

まるちーずさん、コメントありがとうございます。
先を越されてしまって少々あせっております。
専用線のある駅の件ですが、たとえば高崎線ですと上尾や桶川、吹上、籠原、岡部、神保原、新町などいっぱいあります。ただ、まるちーずさんの期待されているものとはちょっと違うかな?、という気もします。具体的な駅があればお知らせ下さい。

専用線好きさん、情報ありがとうございます。「かなりまえから」というのがアバウトでいいですね(笑)。
1)最初に両毛線が開通。非電化。
2)次に上越線が開通。当初より電化。
3)その後単線並列に。電化と非電化。
4)両毛線を電化して複線に。
と考えると、3)の際に非電化の線路を開通させたことになり、ちょっと不自然さを感じます。2)=3)と考えるのが自然でしょうか?

SYさん、おっしゃるとおりずいぶんと印象がちがう図面ですね。停止位置目標については新前橋に限らずほぼすべての駅に記載されています。逆に信号機の番号やその現示の種類、転てつ器の定反位の記載がないなど、図面の目的が変化しているのかな、と感じます。でも、個人的には、何か無機質で味気なく感じてしまいますが。

f54560zg さん、こんばんは。

上越線も開業当初は非電化だったようで、高崎~水上間の電化は昭和22年4月1日のようです。

高崎~新前橋間が上越線の電化以前から両毛線との単線並列だったのかどうかなどは、手許の資料などからはわかりませんでした・・・。

専用線好きさん、大変失礼いたしました。開業当初から電化されていたのは水上~石打でしたね。
ちょっと古いのですが、鉄道ピクトリアル1967年9月号(上越線開通35年特集)の29ページに「上越線複線完成調」という表があり、これによれば高崎~新前橋間は大正10(1921)年(7月1日に複線化となっています。この日は新前橋~渋川間開業の日ですので、これが正しければ新前橋~渋川間開業と同時に高崎~新前橋間が複線化されたということでしょうか。
ただしこの時点での実態が単線並列で、本当の意味での複線化が1957年だとすると、36年間も単線並列が続いたことに?

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