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2010年6月17日 (木)

高崎操車場配線図

高崎駅、高崎機関区と来たら次は高崎操車場ですが、その前に配線図を。

まずは1958年3月。

1958031

1958032

・高崎第ニ機関区部分も描かれており、そこには立派な扇形庫らしきものも描かれています。
・私は、高崎第一機関区(この当時は高崎駅北東にあったはず)はSL・DL・DC、高崎第ニ機関区はEL(あと暖房車も)という分担だと思っていたのですが、この図を見るとそう単純ではなかったのでしょうか。疑問が次から次へと。
1)操車場の入換用SLはここをねぐらにしていたのでしょうか。
2)これらは第ニの所属?それとも所属は第一で第二に常駐するような形態?
3)それとも電機用の扇形庫?
4)高崎第一機関区が高崎駅北東部から現在地に移転したのはいつ?
 (多分1970年前後ではないかと思うのですが)
5)移転前からDCが配置されていたようですが、これらは扇形庫をねぐらにしていた?
 それとも移転前から現在地に分所のようなものが設けられ、DCは最初から現在地?
どなたか詳しい方、教えて下さい。
・高崎駅方面から第ニ機関区に入庫する機関車用は本線を走ってきて、第1場内信号機で入庫用の線路に入るようです。高崎駅方面に出庫する機関車はどうするのでしょうか。一旦下り着発線まで行くしかなさそうですね。
・上り・下りの着発線群のそれぞれに第ニ機関区とを結ぶ機走線がつながっており、かつこれらは本線とは立体で交差する立派なものです。
・ハンプの押上線が1線しかないのがちょっと不思議。
・第ニ機関区と上り着発線群を本線平面交差で結ぶ「非常亘り線」も不思議。

続いて1978年3月。

1978031

1978032

・ハンプの押上線が4線に増えました。
・またハンプにかかる上り列車は直接押上線に到着できるように変わりました。
・高崎駅と第ニ機関区を結ぶ機走線が本線に並行して設けられ、高崎駅方面から入庫機関車が本線を走ってくるようなことはなくなったようです。

続いて1984年3月。

1984031

1984032

・図面上は1978年の時とほとんど変化ありませんが、実態上は大きな変化が起こっていたはずです。
・ひょっとしたらすでに貨車の墓場と化していたかもしれませんね。

最後に1993年3月。

199303_3

・描かれている線路の数がだいぶ少ないですが、撤去されたのかただ単に省略されているだけなのか、ちょっとわかりません。
・少なくとも存在するはずの上り機走線は描かれていませんね。

もともと上下本線間に抱き込む形で設けられた操車場でしたが、操車場機能の廃止に伴い現在では下り線が上り線側に移設されています。

新鶴見や吹田は操車場から信号場に名前を変えましたが、ここ高崎が相変わらず操車場を名乗っているのには訳があるのでしょうか。

2010年6月20日 写真1枚追加

19770323b01
ほとんど高崎操車場の雰囲気を伝えることができておりませんが(汗)、
1977年3月23日、下り着発線付近を走行する上野発高崎行き2321列車です。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 高崎操車場の配線図を掲げていただき、先に謝しておきます。
 同操車場は戦時中のS18年設置で、北西部の機関区も、同年高崎機関区高崎操車支区として生まれ、両者は機能的に一体であったと思え、45年(S20年)には高崎第二機関区として独立しております。52年(S27年)には高崎線全線電化、56年には80系電車が名目上配され、59年にやっと新前橋電車区(現車両センター本所、高崎側が支所扱いで…些か名称上の違和感も抱きますが)が設けられました(上越南線はもとより電化を前提にしており…)。
 図を拝してけだし、61年(S37年)高崎~横川駅間電化、S40年の時点で第1区にSLが配されていたこと(八高・両毛線担当)などを考えると、機関区は構造からもSLとELとの交換を主目的に設計されていたと思えました。どちらに対しても直で入出区可能な配線です。
 なお、若かりし時分には、高操の改良の文字を散々見た覚えがあります…ダゥティ方式という油圧式の…。かくして2600両扱いのハンプ式の、より近代的な操車場になったのが、時代の変遷とともに倉賀野貨タもあり、単に敷地を供するだけになってしまいました…いつしか信越線は貨物には使わず、そして途切れ。

私は高崎駅の北東にあった旧高崎第一機関区が新幹線工事により現在地に移転する際、転車台を高崎第ニ機関区付近に移設したのではないかと思っていたのですが、そうではないんですね。移転前から第ニ機関区にも蒸機が出入りしていたということなんですね。このあたり、ちょっと複雑ですね。
写真を1枚追加しました。

『箱根越え』(プレスアイゼンバーン)に山北機関区の扇形庫を移築した高崎第二機関区の写真がありますが、この区はいろんな意味でおもしろい歴史がありそうです。私は所蔵していませんが国鉄末期に高鉄局で刊行された『轣轆』にそのあたりの経緯が詳しく書かれているはずです。

どうやら扇形庫はEF55と暖房車が使っていたようです。蒸機が利用したかどうかは分かりません。本線用の機関車ではなく操車場の入れ換えはキューロクなので微妙だと思います。扇形庫は6線の木造です。「轣轆114」と「高鉄十年のあゆみ」に載っていると思います。

沼津区さん、高崎第二の扇形庫は山北の移築ですか!ちょっとびっくり。
1089さん、情報ありがとうございます。高崎第一というものがありながら高崎第二にも扇形庫なんて、ちょっと不思議でした。

写真の2321列車って高崎、長野で列車番号を変えながら新潟まで行く鈍行列車ですね。
ゴハチ(ですよね?)と旧客の組み合わせだけでも涙モノなのに、運行区間も鈍行列車らしい設定なのが泣けてきますね。これは至宝の1枚ですよ。

長野に祖父母がいた関係でこの列車にはずいぶんとお世話になりました。個人的には最も思い出に残る列車ですね。
50-3の時刻表上では2321列車は高崎止まりになっていましたが、その一部は高崎駅に到着した瞬間に長野行き321列車に変身していました。長野からも長野発新潟行きの323列車というのがあるのですが、321列車の長野着が12:53、323列車の長野発が16:12ですので、車両は直通していたかもしれませんが乗客は一旦は降ろされていたかと思います。但し上りの1324~324~326~2326はひょっとしたら新潟~上野を実質直通していたかも。

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