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2010年6月 6日 (日)

汐留配線図 追加

公開し忘れていた1961年より以前の汐留駅の配線図です。

(1961年以降の配線図はこちら。但し1967年の配線図はこちら。)

まずは1935年3月。

193503

・電車線、旅客線関係の信号機は色灯式ですが、汐留線は腕木式のようです。
・配線図左上の中央市場付近に小さな円がいくつも描かれています。貨車用の転車台(?)でしょうか。
・新橋~浜松町間の電車線・列車線を横切る「大井工場線」というのも気になります。

続いて1951年8月。

195108

・信号機関係は芝浦支線も含めて色灯化されました。

続いて1957年3月。

195703

・貨車用の転車台らしきものは姿を消してしまいました。

以下はこちらに続きます。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
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コメント

 旧新橋駅は工場設備を有していたのですが、図は1935年ですから、震災時の火災を蒙った後の、昭和9年後半から貨物駅(即ち汐留駅)へと変貌し始めた瞬間を切り取った貴重な図面と拝しました。現在の車両センターである大井工場は大正半ばに設置され(無論全施設完全竣工ではないでしょう)、同派出所が浜離宮寄り南南東側にこの敷地内にあり、早くから検修の研修を行っていたことが窺えます。北北東方にある転車台群は貨物用ではなく、工場施設のままで(径は不明、台車単位か車体単位なのか)、かつて器械や挽木の職場があった辺りです。さらに図中「大井工場線」は高架線部と地平部を考えると、高架線部に桁が架かっていた部分に恐らく引越し用のトロッコ線が設けられたのでしょう、転用可能な旧資材を日比谷通りへと送るような…。後年の他の図を見ると、手小荷物到着ホームから同積出しホームへ連絡部分がこの部分と思えます。
 なおこれらの図の含みには、首都圏が電化されていく土壌へと変容し始めたことがあるとも言えるかもしれません(横柄ですが)。
 ともかく、汐留駅の揺籃期を掲げていただき、お二方に心底深く謝したいと思います。

あの小さな転車台のように見えるものは昔の工場の名残ですか!
そしてまた「大井工場線」とは、資材搬出用のトロッコですか。
いつもながらSYさんの博識にはただただ脱帽ですね。ありがとうございます。

こんばんは、新橋駅の転車台について調べていたら、ここで言及されている貨車用(?)の転車台の写真が載っているブログを見つけました。

http://blog.livedoor.jp/netatowako/archives/50727164.html
すでにご存じでしたらすいません

oomatipalkさん、おお~、コレですか。情報ありがとうございます。知りませんでした。ところで何で転車台上の線路は十文字なんでしょう? 普通の転車台のように一文字でもいいような気が・・・。

転車台が十字なのは連続して転車するときに車両を迎えに回転させる手間を省くことができるからです。配線を十字に交差させることとセットで実現します。港で手押しのトロを扱うところにも沢山ありました。

enaさん、なるほど、そういうわけですか、ありがとうございます。

すみません、上記コメントは私です。

大崎駅でコメントさせてもらった件と若干重複する内容になりますが、そもそも'16年に廃止された山手西南線が存続理由の一つは、この大井工場線と呼ばれるトロッコと関係しているのではないでしょうか?
つまり新橋工場の資材を京浜電車線脇にトロッコで運び、夜間運転のない京浜電車線を利して大井町駅に、さらには試運転線に乗り入れ大井工場に運び入れる目的があった…あくまでも推測の域を出ませんが。

オーイナル野焼きさん、yyoshikawaさんのコメントをいただきたいですね(汗)。

上記の配線図ではその記載を確認できませんが、トワイライトゾーンという本の中に昭和28年度版全国専用線一覧?の複写の記載があり、この中の芝浦駅の項目において<作業㌔0.3㌔・駐留軍接収中>と注記のある専用線の存在が確認できます。これは現在も当地で盛業中の冷凍倉庫と芝浦駅構内を結ぶ側線でした。戦後すぐGHQにより接収され、海岸地区の芝浦駅構内線に強引に90度折り曲げて接続したものです。10年ほど前にその線路跡と思われる、一般道路脇の片側のみに存在する植え込みと不自然に広い歩道を確認しています。

 1935年版汐留配線図に大井工場線に関しては気付きませんでした 1935年時点では既に新橋工場の施設の全ては大井工場へ移転が済んでいた筈ですので謎です 

 
 

 貨車用ターンテーブルは本来直角方向の側線に貨車を押し込む為の設備です 機関車の方向転換の為のターンテーブルと性質が違うのです 貨車を押し込んだ後戻さないで済む用直角交差した状態に線路を引いて有るのです 
 汐留駅の並んだターンテーブルは汐留川から艀貨物を貨車に積み替える側線の為の設備です
 1904年頃撮影の新橋駅上空俯瞰写真や1911年版の新橋駅配線図等に本来の側線と直交する汐留川沿い側線が引かれており13個の貨車用ターンテーブルが設地されてます 其れが1951年頃迄残っていたのです 尚1911年版配線図の新橋工場構内には小型ターンテーブルが15個と普通のターンテーブル1個設地されて居ました 此の時代既に新橋駅構内は蟻の這い出る隙間もない状態で中央ステーション構想と大井移転構想が持ち上るのも当然の話でしょう 
 大井工場線と云う線仮に新橋工場設備移転の為のトロッコ線にしても新橋工場は新橋駅の海側 間には新橋駅が有る1935年版に記載の大井工場線の位置からだと新橋駅構内を横断する状態と判断するのか或は新橋駅構内を迂回していたのか?其れより設備の移転は通常の貨車で運び建屋移転の為の運搬軌道ではないでしょうか 以前の大井工場の建屋は殆ど煉瓦造りでした 明治村の旧新橋工場建屋も大井工場から移転しております 今と違い使える物は大事に使う時代 建屋も破壊せずばらして運び再建したのでは 建物部材を陸路で搬送する為も依りの道路へ運び出す軌道と云う考えは如何でしょうか

以前新橋ー浜松町間には京浜電車線と繋がる保線車両留置の為の短い側線がありましたが、その側線と隣接する形で「東日本電気エンジニアリング」という、大正から昭和のかけて作られた省線変電所然とした建造物が現存します。さらにはその敷地と近接して、ここと汐留側を結ぶような小ガードも存在します。私はこれと大井工場線なる謎の軌道線らしきものとの関係を疑っています。

小ガードについての補足なのですが、件の敷地の新橋寄り、浜松町寄り、どちらにも存在するのですが、汐留側の再開発のせいもあり、現在地図上でその表記を確認することはできせん。
私が怪しいと睨んでいるのは新橋寄りに存在する小ガードの方です。

 大正2(1913)年現在の「新橋停車場平面図」が、鉄道省『日本鐵道史・下巻』180ページ以下にあります[国立国会図書館・近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127183/110
(土木学会付属図書館所蔵 http://library.jsce.or.jp/Image_DB/s_book/jsce100/htm/081.htm からPDFをダウンロードしたもののほうが見やすいかもしれません)]。
 その画像を見ると、浜松町方の架道橋(新銭座町:画像右方)から烏森(2代目新橋)方の架道橋(汐留橋:画像下方)まで新線が通じ、それによって新橋停車場構内と鉄道院官舎(画像右下方の三角地帯)とが分断されたため、新線をくぐる連絡通路らしきものが汐留橋架道橋に近い位置に設けられているように見えます。
 大正3(1914)年の鉄道院東京改良事務所『東京市街高架鐡道建築概要』と照らし合わせると[国立国会図書館・近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1914851/66
]、ここは径間 11.60(尺)≒3.5mの暗渠という扱いになっていますが、断面図を見ますと、水路ではなく、空頭を確保した連絡通路(人道)と考えられます。
 大正3(1914)年末に列車線を新線にゆずって、汐留貨物駅として再出発した際には、不要設備の撤去・搬出や、必要資材の搬入などに貨車を用いても何ら不都合はなかったと思われます。
 昭和9(1934)年からの大規模改築については、土木学会誌・昭和10(1935)年第9号の『汐留駅改築工事に就て』[土木学会付属図書館所蔵 http://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00034/21-09.html のPDF]に詳しく述べられております(改築直前の線路配置や数次にわたる線路切替などの図版が極端に荒れているのが難点ですが)。
 この工事では、貨物営業を支障しないよう、配線変更と業務移動を繰り返しながら全く新しい駅を作り上げる必要があり、現場の中に工事拠点を設けることができなかったようですので、推測ですが、官舎の規模縮小で空地が確保できたであろう三角地帯を搬入資材、搬出廃材、再利用材などの置き場とし、構内現場との間に上記の連絡通路を利用した「大井工場線」が敷設されたものだろうと思います。
 昭和11(1936)年の空中写真http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=689600
でも、有ると思って見ると連絡通路が見えるような気がいたします。
 なお、グーグルマップのストリートビューにて、鉄骨補強されたらしい連絡通路の現在の姿を垣間見ることができます。経緯度は 35.66274,139.758412
(ググテツ)

 上記、リンク範囲を上手に区切ることができませんでした。見苦しくてゴメンナサイ。(ググテツ)

ググテツ様、空中写真確認致しました。確かに当該位置に鉄道線をくぐるような小道らしきものが確認できますね。

う~~ん、おっしゃる通り、その気になればそのような通路があるようにも・・・・

こんばんわ!!
初めてコメントさせて頂きます!!
汐留貨物駅って言うと、貨物・物流の東西間輸送の歴史を感じます!!

HIDEさん、はじめまして。
あれほどの貨物駅がなくなっちゃうんですから、時代の変化ってスゴイですね。

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