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2010年5月23日 (日)

赤羽配線図

赤羽についても以前記事にしていますが、ちゃんとしたもので改めて。

(1984年以降の配線図はこちら)

まずは1958年3月。

195803

・京浜東北線の線路が分離されているのはここ赤羽まで、ここから大宮方は旅客線と共用になります。
・大宮方の複々線は、京浜東北電車は旅客線、貨物列車は貨物線しか走れませんが、旅客列車は旅客線・貨物線のどちらも走れます。詳しくは知りませんが、ラッシュ時と日中とで走る線路を振り分けていたのではないでしょうか。関西のような方向別の複々線ではありませんので、ちょっと使いづらいとは思いますが。
・赤羽線(図では「池袋線」と記されていますが)のホームは1面2線になっています。
・ホームと直列の貨物線群の配置は特殊な形態ですね。ただ、副本線がありませんので入換を行なう際は本線を支障する時間が長くなります。
・旅客線と電車線の分岐、旅客線と貨物線と分岐、東北貨物線と赤羽線の分岐など全体としては結構複雑な構造の駅です。

続いて1969年3月。

196903

・京浜東北線が分離されて大宮方は3複線になりました。
・赤羽線ホームは島式ホームの片面1線だけになっています。
・下り1番線に出発信号機9Rが設けられ、東北貨物線のみに出発できる副本線になっています。但し、大宮方からの進入はできません。出発専用です。本線を支障することの対策でしょうか。

続いて1972年2月。

197202

・大きくは変わっていないのですが、1958年→1969年→1972年と見ていくと、東京方の渡り線がそれぞれで微妙に変化しています。

最後に1980年3月。

1980032

・貨物線関係が大きく変わっています。
・まず、1976年に貨物扱いが廃止され、貨物線群が撤去されてしまいました。
・赤羽線とは線路が分断されてしまいました。この時点では板橋駅の貨物扱いは行なわれていましたので、池袋方からの出入りのようですね。
・さらに貨物線は赤羽駅構内が単線になってしまっています。赤羽線の高架化工事の関係のようです。

1980年というと、私にとってはかなり「最近」のように感じるのですが、実際には何と30年も前のことなんですね。東北貨物線での電車運転(その後の湘南新宿ライン)、埼京線開業など、赤羽駅はその後の変化も大きいようです。

大宮寄りの旅客線←→貨物線の渡り線、今はもうなくなっていますよね、きっと。
かつては分岐・振り分けが行なわれていた日暮里駅が今ではいわゆる棒線駅状態になっているのと同様、この赤羽駅も今では棒線駅でしょうか。私個人の趣味的にはちょっと寂しいですね。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

はじめまして。

赤羽の貨物~旅客の渡り線はありますよ。
浦和駅の工事の際に大活躍です。

ご無沙汰です。
かつて赤羽にあった、客⇔貨の渡り線機能は、現在は荒川を越えた先の川口の構内に移設されています。
推測ですが、赤羽駅を高架化するにあたって、工事中何年も渡り線を使用できない状況が生じてしまうのはマズイということで、
高架化工事に先立って川口に渡り線をを新設したのではないのかと思います。
高架化工事は1線ずつ切り替えていくので、「上り線は高架になったけど下り線は地平のまま」なんていう状態では渡り線の設けようがありませんので・・・

KJさん、コメントありがとうございます。
そして名無し信通区さん、お久しぶりです。
名無し信通区さんのおっしゃるとおり、高架化工事の際は渡り線は邪魔になるでしょうから多分撤去されてしまったのではないかと思っていたのですが、場所を変えて生きていたんですね。
ただちょっとわからないのが、KJさんのコメントの通り工事の際には使用されたようですが、日常定期的にこの渡り線が使用されることってあるのでしょうか。それともあくまで異常時対策でしょうか。

地平時代の赤羽は、東北旅客線ホームからよく見える、貨物線上野方のポイントが印象的でした。駅のまんなかから唐突に分岐しているようで。
貨物側線の北側の2連のDSSなんてどうやって使っていたのでしょうか。興味津々です。戦前、軍用線があったころの名残りもあるのでしょうか。
東北貨物線が単線になっていたのもつい最近のように思えますが、本当にあっという間ですね。今では浦和が、通るたびに変貌してますね。
最近知ったのですが、川口の渡り線は尾久からの通称「高試客」6991レが長年ほぼ毎日使っていたようです(上りについては定かでないですが多分同じかと)。
ここ2年くらいはめっきり減りましたが、今でも尾久からの大宮入場ルートはそのままだと思います。まあ迂回しても入れるでしょうから、工事・非常用の色彩が強いのだろうとは思いますが。

貨物側線はDSSも含めてちょっと変わった配線ですね。
渡り線は・・・、なるほど、尾久と大宮工場間の連絡用ですか。通常の営業列車のことしか頭にありませんでした(汗)。ありがとうございます。

f54560zg さん、みなさん、こんばんは。

川口の渡り線なのですが、下の映像にも写っているのですが、

http://www.youtube.com/watch?v=oHs59oYXxMI&feature=related

下り旅客線→下り貨物線(映像の中の電車が渡っている渡り線)

上り貨物線→上り旅客線

の渡り線の他に、

下り貨物線→下り旅客線

の渡り線(こちらは上りはなし)があるのですが、この渡り線を通る列車ってあるのでしょうか?

以前から疑問に思っていたのですが、こちらならどなたかご存じの方がいらっしゃるのではと思い、書き込ませていただきました。

専用線好きさん他の皆様、ありがとうございます。
赤羽の渡り線は撤去?→現存→但し川口に移動→しかも貨物下りから旅客下りへの渡り線がプラスされている、等、次から次への情報に感謝します。
動画ではレールが光っているように見えたのですが、それにしても下りだけ?

 御存知の如く赤羽大宮間は東海道本線品川平塚間と同じに早い頃から貨客分離されておりました 大宮以北東北本線高崎線が分岐当時も現在も両線共対北海道日本海方面への重要な路線で有る 戦前省線電車の京浜線は赤羽迄来て居りましたが大宮へは未だ進捗して居りませんでした 赤羽大宮間は今日程では無いが当時もダイヤ上可也混んでたのではと思います 比較的余裕の有る貨物線に一部の旅客列車を振り分けていたのでは 其の後京浜線を大宮迄伸ばすおり旅客線に乗り入れる形で伸ばしました 其の状態が1958年の配線図です電車線が大宮迄伸びてから余計ダイヤが込み居る事に成りラッシュ時間帯に長距離旅客列車を貨物線に振り分けさせたが結局線増と云う形で大宮迄三複線化により解決させました 昭和40年両親と松島へ夏休みに旅行に行く時夜行急行列車松島号で出掛けました赤羽から貨物線に入りノロノロ大宮迄向かいましたが隣りの京浜東北線の各停が駅間で急行に追いついて来ました当時ですので73形でした ノロノロの原因は混んでるダイヤのせいだったのだと今思うのです其の後国鉄五方面作戦の始めのプロジェクトとして中央線三鷹迄の複々線化と同時に大宮迄の三複線化施工に踏み切った 後に其れを利用して湘南新宿ライン運行にも役立っておると思います 

赤羽~大宮間の貨物線に電車が走るようになったのはヤード系貨物輸送が廃止された1984年のことだったと思います。貨物線を走る下り電車に乗ればそれまで見ることのできなかった大宮操車場の西側を眺めることができたはずなのですが、その機会を逃してしまったことが残念です。

池袋発着の東北、高崎線へ直通中距離電車には、新幹線への連絡用に便利だった事と、貨物線を通るのが珍しく時間が合えば乗車していました。赤羽駅前後で電車は減速し、車体が大きく揺れるので「ここだけ単線になっているのかな?」といつも訝しんでおりました。 
そんな事は忘れてしまっていたようにしていましたが、このネット時代となりふと思い出したように検索したところ、こちらのサイトに辿り着き配線図を見、当時単線であったことを確認して、得心した次第であります。
今では湘南新宿ラインとなり、赤羽駅もすっかり近代的な駅に変貌しました。
この池袋発着電車は、時刻表の浦和駅の表記は「ㇾ」ではなく「||」だったと思います。
最近は、少し前の事だと思っていても平気で20年、30年前の話になってしまいます。
長文失礼いたしました。

MANTETSUさん、コメントありがとうございます。
残念ながら私は貨物線を走る電車には乗りそびれてしまいました。大宮操車場あたりなんて、それまで見ることのできなかった景色ではなかったかと思うのですが。
>少し前の事だと思っていても平気で20年、30年前
全く同感です。操車場がなくなったのなんてついこの間ですよね?

 赤羽駅は今は単純な集合分散通過駅(埼京線と京浜東北線は折り返し運用が有りますが)ですが嘗て日本鐡道時代品川線の分岐駅でした
 品川線は東北上州方面からの貨物を官設鐵道東海道線方面へ直送する為に赤羽品川間に建設した路線です 其の後品川から常磐方面或はその逆の貨物を扱う為池袋から田端へ向かう豊島線を建設支線としました
 当初は現在の山手線は赤羽品川間が本線池袋田端間が支線でした 
 其の頃の赤羽駅の様子をプレスアイゼンバーンの月刊誌レイル(当時は月刊誌でした号数失念)に記事が載せられておりました 日本鐵道の機関車関係の記事でしたが記事のなかに当時の赤羽駅の配線図も掲載されておりました
 東北線は単純な相対ホーム二面下り側ホームの反対側品川線のホームとなっておりました 此の頃は東北線は此の辺りは複線でした品川線は上り線から片分岐で別れ下り線とダブルスリップで交差品川線ホームへホーム末端で東北線方面に再び戻るのと品川方向に別れる(単線)品川線の比較的単純な配線でした 明治時代の駅はおおむね単純な配線の駅が殆どです 複雑な配線の駅は機関庫の有る駅位でした

yyoshikawaさん、日本鉄道の各駅の線路配線、興味深いです。

1970年代後半東北上越新幹線の開業が真近に迫った頃東北上越の在来特急を撮影する為赤羽へ行きました 其の折DD13が数量の貨車を牽引して大宮方からやってきました 駅構内を過ぎた所で停止暫くすると推進運転で渡り線を渡り赤羽駅貨物側線へ入線しました 本来ならば大宮方から入線する筈なのにと思うのですが

yyoshikawaさん、変わった運転方法ですね。工事の関係でそうなったのでしょうか。

横から失礼いたします。(青森配線図以来のお邪魔となります)
赤羽駅の貨物ヤードは、京浜東北線の車窓からいつも眺めるお馴染みの風景でした。
ただそこに実際に車両が出入りする光景を見る機会には恵まれませんでした。
この貨物関係の配線をよく見ると、東北線上下・赤羽線の3方向すべてにおいて、到着列車が直接進入できず、一旦行き過ぎてバックしなければならないことがわかりますね。
その事は子供時代から何となく察していましたので、実際そのような運転が行われていたというyyoshikawaさまの目撃談は、私にとっても貴重なお話しでした。

クモイ103さん、スミマセン、私は勘違いしていたかも。
おっしゃる通り赤羽駅の貨物線には副本線がありませんので、私は貨車を本線上に残したまま素早く入換作業をするのかと思っていたのですが、編成丸ごと引き上げて本線を空けないと無理っぽいですね。ただし、引上げるにしても、いったんは出発信号機の手前で停車するとは思うのですが。

此れは私の私感ですが赤羽駅の貨物扱いひょっとして山手貨物線の貨物列車がメインだったのでは東北本線高崎線系の貨物列車では入れ替えの為に本線を塞いでしまう 東北本線貨物線は長距離便メインの為敢て貨物扱いしにくい配線にして 山手貨物線に貨物をシフトさせれば貨車入れ替えには問題は少ないのではと思います 特に山手貨物線上りですと入れ替え作業は良好である配線だと思うのですが如何でしょうか

yyoshikawaさん、43-10の貨物時刻表を確認してみたのですが、不思議なことに山手貨物線(板橋経由)の列車が掲載されていませんでしたので、山手貨物線経由で赤羽に停車する貨物列車の状況はわかりませんでした(汗)。ただし東北線(田端操経由)で赤羽に停車する貨物列車は3往復程度あり、これらは列車の合間を縫って入換していたんだと思います。

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