« 川崎配線図 追加 | トップページ | 大森配線図 追加 »

2010年5月30日 (日)

蒲田配線図 追加

川崎駅同様、公開し忘れていた1961年より以前の蒲田駅の配線図です。

(1961年以降の配線図はこちら。)

まずは1935年3月。

193503

・見てびっくり。川崎同様何と4線を横切る線路が! しかし横切る線路の先は電車区?
どうも電車区の真ん中を通り抜ける専用線らしきものがあるようです。何て書いてあるんでしょう。 「知支線」?
・列車線は川崎同様上下本線の外側にそれぞれの副本線が設けられています。ホームらしきものも見えますが、点線で描かれています。
・電車線は島式ホーム1本、横浜寄りに回送出発用と思われる副本線(中1番線)があります。
・なぜか電車区には転車台らしきものも・・・・。

続いて1951年8月。

195108

・電車区の先の専用線は廃止されたのでしょうか、4線を横切る線路は撤去されてしまったようです。
・列車線のホームらしきものは姿を消しました。

続いて1957年3月。

195703

・列車線側しか描かれていませんが、大きくは変わっていないようです。

以下はこちらに続きます。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 川崎配線図 追加 | トップページ | 大森配線図 追加 »

コメント

仰天致しました、蒲田区に転車台があったとは。
そして…「知」支線ではなく、「矢口」支線で、多摩川縁にあった「矢口」発電所への石炭運搬用の支線です。「矢口」発電所は京浜電車化時に設けられた設備である事だけは知っていましたが…。大震災で損傷し、大正15年に廃止され、次いで5年後この線区では、と言うより首都圏の電車を支える、遙かに効率の良い国鉄川崎発電所が設けられました。現在の多摩川図書館・トミンタワー等が建つ箇所に旧「矢口」発電所があったわけで、蒲田区の南西方から曲線状の廃線跡が辿り得ます。
またしてもです。篤く謝意を呈します。

おおっと、これは致命的なミスをしてしまいました(汗)。そうですよね、「知」ではなく「矢口」ですよね、失礼いたしました。
昭和22年goo地図を見ますと矢口支線も転車台も確認できるのですが、それよりも山側に並べられた戦災車両らしきものに目が行ってしまいます。

 蒲田駅1935年版配線図で当時の様子を見ますに先ず矢口発電所への石炭輸送の為に東海道本線と京浜線を横断していた事 昔は大らかだったのでしょうか 1935年版の構内配線図は鉄道省の他に接続していた私鉄の配線も記載されており参考になります 目蒲電鉄目蒲線 池上電鉄線が京浜線と平行に乗り入れて居る事が解ります 当時目蒲と池上間には渡り線が無い事も解ります
 此の時代の写真を戦前の雑誌鐵道に載ってました事を思い出しました 写真には目蒲は510形池上は院電払下げ車でした 蒲田電車庫のターンテーブル 電車の方転に使ったのか?当時の関東の省電の電動車は全て奇数向きで制作され偶数向きは方向転換して使われていました向きを変える為に利用されたのか?御承知と思いますが省電国電釣り掛け電車は床下機器を車体中心線に対し片側電気機器反対側空気機器と云う状態で装荷されています 当時の省電は編成で見ると前後点対称になってました 戦後全ての偶数電動車は更新時床下機器の位置を奇数電動車に揃え直した(関西阪神間用43形は海辺を走る為電気側を山側に揃えて居た)そんな感じで電車で使用したのではと思う次第です

yyoshikawaさん、今では考えられない大横断ですね。
転車台は電車用? でもそうであれば、蒲田以外にも転車台を備えた電車区があちこちにあってもよさそうな気がするのですが・・・。

 昔は電車線は東京周辺部と関西だけでしたしそれ程長距離でも有りませんでしたので必要性は少なかったのでは一箇所有れば十分だったのでは 私鉄でターンテーブルが有ったのは東武を除いて 戦前東横電鉄元住吉車庫に有りました 東横電鉄は渋谷の急カーブで車輪の片減り防止に数年に一回全車方向転換して居たそうです 今は踏面研磨機で研磨するので必要性は無くなりました

yyoshikawaさん、昭和16年の空中写真を見ますとおっしゃる通りそれらしいものが確認できますね。ちょっとびっくりしました。ありがとうございます。

蒲田駅のおはなし懐かしいです。ところで海側の貨物線の話題をお願いします。確か昭和30年ごろまでは、蒲田駅前から南側少し離れたところは線路だらけのような気がしました。米軍羽田空港建設の為そして27年頃の返還まではすごかったらしいですね。この先京浜電鉄本線をクロスポイントで貫き第一京浜国道を横切りその先で京浜電鉄穴森線上り側に合流して空港島へ突き進んでいた話を聞きました。この時代の配線図を探しております。

 DEHA1000様蒲田より羽田へ向かっていた進駐軍専用線現在も其の跡は道路として存在しております 1951年版配線図貨物側線上方の側線が多分羽田への貨物線の跡では?と思います 蒲田より略直線で京浜蒲田へ向かい京浜蒲田の雑色よりで京浜急行線と直角平面交差後其の先穴守線は複線の片方を改軌して羽田へ向かっていた
 当時の様子は京浜急行の運転手をされて居た方が写真集を出しており其れに現役時代の羽田専用線の写真も有りました 因みに使用していた機関車はC11でした 昼夜関係無しに建設資材を運んでおり其の都度京浜急行は平面交差部で停止を余儀なくされた事でしょう

 日本国有鉄道発行鉄道終戦処理史S56に蒲田羽田空港間連絡線配線図が掲載されてました 
 蒲田と京浜蒲田の間は現在の太田区役所前より蒲田4丁目交差点を通り太田年金事務所前より京浜蒲田へ向かう道路が当時の連絡線の廃線跡
です 可也以前より東急蒲田駅より京急蒲田へ結ぶ蒲蒲線計画が有りますが此の計画線が略羽田連絡線跡をなぞる形で引く予定らしいです 太田区役所には蒲蒲線用用地が有るそうです 蒲蒲線は多摩川線矢口の渡しから単線」で地下に入り蒲田へ其処から先は1435mm単線で羽田へ向かう計画です蒲田は島ホームの両側に京急と東急が其々単線で入りドアtoドアで乗り換える様にするそうです京急は糀谷の先で地上に出て羽田線に接続する計画です 又国鉄駅配線と少し外れましたがお許し下さい

海側の貨物線、昔の空中写真を見ましたが、結構すごいことになってますね。

やっと皆様気が付いてくれたようですね。空襲で街が焼かれすぐに米軍に接収されたようです。蒲田の街の敷地の南西1/3位は、線路と資材置き場ですね。この付近街の開発は昭和40年の始めの頃までかかりました。
当方は、国鉄が京浜電鉄本線をクロスしている画像を以前から探しています。中々見つからないのでここにも掲示した次第です。クロッシングレールはゲージが異なるのでとても気になる画像になると思います。yyoshikawaさんが見られた資料は、この本人から話をたくさん聞いております。でもこの方も画像は無いとのお話を伺っております。この部分は高架線になってしまいましたが、京急線際の山側のお寺の前あたりです。どういう運転取扱方なのかとても興味があります。よろしく気にかけて下さい。

 最近発売されたJTBパブリッシングで発行された宮田憲誠著京急電鉄明治大正昭和の歴史と沿線と云う本を秋葉原書泉ブックタワーで見付け購入多くの写真(絵葉書)と共に古い配線図等が掲載されて居りました(京急電鉄)中にP209に蒲田付近の1947年進駐軍撮影の空中写真が有りました
 羽田空港工事用貨物線解る写真でした 今では蒲田駅前の繁華街の辺りに当時貨物ヤードが有り無蓋車と思しき貨車が20輌位留置されておる他に鉄道省とのカーブした連絡線辺りにも10輌位の貨車が留置されておる 更に京急電鉄との平面交差部分の特定も出来る 省蒲田駅前よりの大通りから斜めに分かれた通りが第一京浜国道と合流する辺りの京浜蒲田よりで平面交差していた事が解る 更に大田区産業プラザの辺りに砂利砕石場と其処に敷設された線路も確認できます 蒲田電車庫のターンテーブルや矢口発電所に向かう線も確認出来る 更に廃止された東京急行目蒲線の旧ルートも確認できる P211には海老取川の先羽田空港内の米軍資材線分部の空中写真も掲載されておりました 此の本今迄解らなかった戦前の京浜電鐡や湘南電鐵の駅配線図が多数掲載されて楽しめるほんです

蒲田電車区検査建屋が解体される様です

yyoshikawaさん、検修が浦和に集約されてずいぶん時間が経っていますので、その点ではとうとう、なのかもしれませんね。電車区らしい設備がなくなるのは寂しいです。

今日のBSプレミアムシネマで1956年公開小津安二郎監督作品映画早春の冒頭1955年当時の蒲田周辺が写し出されています
当時当然ですが京浜東北線は旧国全盛時代来る電車来る電車全て8輌編成の73形ばかりです確か撮影当時は制御電動車は未だ頭にクを付けてない時代が映像から見て取れます 当時の蒲田周辺京浜東北線は島式一本二面接続している東京急行目蒲線池上線は線路移設後の京浜東北線に直交する平面駅 駅周辺は戦後のバラック木造建物ばかりでした当時蒲田駅南側は京浜東北線はシンプルンカテナリー北側からコンパウンドカテナリーであった事も映像から見て取れます其の後横浜付近迄コンパウンドカテナリーに吊架されるのです(現在はインデグレート架線に再吊架されてます) 1950~1960年代の映画には今では見られ無くなった現風景がでてきます勿論鉄道風景も含みます其れ等はタイムカプセル見たいなものです 早春では空襲で焼失仮修復された東京駅も写し出されました

yyoshikawaさん、現在の蒲田駅周辺の画像も50年後にはこれと同じ感覚で人々の目に映るようになるんでしょうね。

たまたま録画していましたので、yyoshikawaさんのおっしゃる場面を見てみましたが、なるほどなるほどの連続で、yyoshikawaさんの視点の凄さに敬服です。
ラストシーンの数分間に、三石駅周辺からのカットがあるのですが、D52型牽引の貨物列車と C59型牽引の旅客列車が映し出されており、前から8両の普通車両と、その後ろに2両の今で言うならグリーン車(10両目でカットが割って11両以降は不明)を連ねた旅客列車を見ながら、「あの列車に乗れば東京に帰れるんだな」と言う台詞があって、実車なら、どの列車なのか調べてみたのですが、わからずじまいでした。

E10さん
スミマセン、見れませんでした(汗)。

蒲田電車区検修庫は略解体されました
最近の東京各所における大々的な改良工事が進んでます 品川駅 新橋駅 川崎駅渋谷駅 原宿駅 飯田橋駅千駄ヶ谷駅等オリンピック関連や曲線ホーム改良等日々ダイナミックに変貌遂げようとしてますね

yyoshikawaさん、品川のような大物以外にも、規模は小さいとはいえ今まで手が付けられなかった改良がいろいろなところで進んでいるんですね。

進駐軍の蒲田〜羽田の路線についてはトワイライトゾ〜ンManual10のp8〜23に特集されてます。
そこに空中写真と配線略図などもあります

名無しさん
情報ありがとうございます。

今年は京急創立120年にあたります 交通新聞社発行トラベルムック新しい京急電鉄の世界という本の中に戦後終戦処理史1957年羽田航空基地線略図が掲載されてます今回は大判印刷されており配線状況が良く見えます

yyoshikawaさん
貴重な情報をありがとうございます。

旧蒲田電車区検車建屋解体後跡地に線路の引き替え工事が進められてます電車内よりの確認ですがダブルクロス一組普通分岐一ッ敷設されてます近次か再度確認に訪れたいです

yyoshikawaさん
情報ありがとうございます。
旧蒲田電車区では何が始まろうとしているのでしょうか?

f54560zg様
ご無沙汰してますパソコンの調子が悪くメーカーに検査の為入院させてました
昨日東海道本線上り乗車時鎌田電車区旧検車庫跡に車内より見た所訓練用の車輛が留置されてました
二軸単車程の車長の車輛二両背中合わせに連結されてました正面は233系を模した様です寸詰りの車体はプラレールかチョロQ見たいです敢て言えば鉄道博物館の乗車トロッコモデル見たいなものです
近次か仕事帰りに見にい行こうと思います

今朝旧蒲田電車区検修建屋跡に出来た施設を見てきました JRの職員研修施設として開設された模様です 其の為改めて線路を敷設し分岐等を設けたのです 二両の小型の車輛を使い職員の研修に用いるのです
車輛は両運転台車体中央に両開きの扉があり正面は一枚窓 端梁には自動連結器とブレーキホースが有るので連結運転も出来そうですが制御用ジャンパー栓は無い様です 足回りは頑丈な台車枠で出来てる様です

yyoshikawaさん
PCは無事退院できましたか。
>二両の小型の車輛
なかなか面白そうですね。

小津映画の話が出ていました。
大人の見る絵本 生れてはみたけれど (1932)
https://www.youtube.com/watch?v=IDy4RsxDuy4
子供たちの遊び場が蒲田電車区の隣の空地です。
このほか、目蒲線(矢口小学校から多摩堤通り踏切・矢口渡駅方向を見たところ、蒲田-矢口の踏切)、池上線(西口サンライズ通りの交差する踏切)とみられるシーンも見られます。

たくみさん
いやあ、いい遊び場ですね。昔はこういうところがあちこちにありましたね。

最近蒲田方面へ行く機会が有りませんでした 今朝現在所属しておる会社の本社へ行く為久々に蒲田に来ました気が付かなかったのですが最近蒲田駅にもホームドア設置工事が進められており現在9分通りの状態です(本体設置済み)
目を転じ東急蒲田駅付近を漫ろ歩きししてみました

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 蒲田配線図 追加:

« 川崎配線図 追加 | トップページ | 大森配線図 追加 »

過去の記事

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ