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2010年4月 1日 (木)

日暮里配線図

現在の日暮里駅を見る限り、常磐線の分岐駅ではあるものの分岐器はひとつもなく、線路配線的には興味の対象外なのですが、昔はいろいろありました。

まずは1951年8月。

195108

・電車線はまだ分離されていないのですが、それでも8本の線路が豪快に並んでいます。
・ホームも4本並んでいるところを見ると、当時は東北線の列車も日暮里に停車していたんでしょうね。
・東北線は青森方が東北線と回送線、東京方が高架線と地平線のそれぞれ複々線になっており、ここ日暮里でこれらの進路の振り分けが行なわれます。
・やたら分岐器がいっぱいありますが、通常使用されるのは青森方の渡り線(23イロ)と東京方の渡り線(14イロ)とその下のシーサスだけで、あとは非常用ですね。
・田端操と秋葉原を常磐線経由で結ぶ貨物線も描かれています。

続いて1958年3月。

195803

・京浜線と山手線が分離されて10線、5本のホームが並ぶようになりました。

続いて1961年3月。

196103

・特に変化はないようです。

続いて1967年3月。
これは以前上野の記事で掲げたヤツですね。

196703

・東北線のホーム2本が姿を消しました。
・最も東京方の渡り線もなくなっているのですが、本当に撤去されたのかそれともミスなのか、微妙です。

続いて1969年3月。

196903

・高架線と地平線の振り分けが尾久で行なわれるようになりましたので、東北線の渡り線群が一気に撤去されてしまいました。列車の運転面から見た日暮里駅に対する興味はこれで大半が失われてしまいました・・・。
・唯一常磐線の東京方に非常用の渡り線が残っています。

続いて1972年2月。

197202

・その渡り線も撤去されたようです。

最後に1980年3月。

198003

・秋葉原への貨物線も撤去され、分岐器が全くなくなりました。規模は大きいですが、いわゆる棒線駅になってしまったわけですね。
・ところで、「常磐線」は起点が日暮里駅になっています。従って常磐線の列車が走る配線図の最も下の複線の線路は、日暮里より岩沼方が「常磐線」、東京方は「東北線」ということになるんですね、きっと。

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

始めまして1961年日暮里生まれです。
以前よりちょこちょこ拝見しておりましたが、私でもお伝え出来る事がありましたので書かせていただきます。

1969年3月の時点では東北線のホームはありました。j乗客は改札口から通路を通って各ホームへ階段で降りるようになっていますが、東北線のホームへ降りる階段もありました。しかし簡単な木の板で塞がれてこのホームへは降りる事は出来ませんでした。それより前は鉄の鎖が一本引っ掛けただけで、ホームは使用出来る状態だったと思います。このホームに列車が停車していたのを見た記憶が微かにあります。ただ客の乗降があったかは覚えておりません。

この東北線のホームには屋根が全く無く、常磐線、山手線、京浜東北線のホームも上野寄りの何両かは屋根の無い部分に止まったと記憶しています。

日暮里1961さん、初めまして。そして情報ありがとうございます。
私も使われなくなった後も形をとどめていた日暮里駅の東北線ホームは記憶があります。いつ頃撤去されたのでしょうか。

ホームの撤去自体は東北新幹線のスペースを設けるために行われたものです。
ただこの工事期間が長かった様な覚えがあります。

東北新幹線の上野-大宮開業はS60/3改正の時ですが、赤羽-大宮間の反対運動でかなり遅れてしまっただけで、赤羽以南では早くから工事が行われていました。

幼い頃の記憶ではホームがあった所が囲われて、ホームが撤去されながら東北本線を常磐線側に寄せて、なのですが

丁度撤去最中と思われる1975年の空中写真が国土地理院の閲覧サービスで確認出来ます。

撤去工事自体は72年から74年の間に始めたのでは無いかと思われます。

79年の空中写真ではもうホームは無く、東北本線を寄せて出来たスペースでトンネルを作る準備に入っているようです。
一方で西日暮里付近はまだ東北本線の移設が終わっていません。

結論として撤去工事は72年から78年の間に行われていたのでは無いかと思われます。

情報ありがとうございます。使われなくなってから撤去されるまでずいぶんと長い間その姿をとどめていたわけですね。何とも言えないいい雰囲気だった記憶があります。

日暮里付近の新幹線工事の折当時既に珍しい工事用ナベトロを使用していました 気付くのが遅く何時頃から使用されていたか何時迄使っていたかは不明です京浜東北線南行ホームから直側に見たのですがナベトロは一輌だけでしたが一応写真は撮影したのですがネガが何処にあるか分かりません申し訳有りません
首都圏で鉄道工事で工事用ナベトロを使用されたのは此の時が最後ではと思います
田端操車場から常磐線への貨物線跡東北本線を潜るコンクリート製の隧道部分は構造上撤去が難しいので廃線後の現在も残っておるのです


 1964年9月から回送線との分岐が尾久に移って・・・・・とあります。
 配線はその通りですが、この分岐箇所の信号機は名称から見て上野駅の所属ではないかと思います。
 そうすると尾久を出発するときに運転士が見るのは上野駅の第1場内でしょうか?
 このあたり現地に詳しい方の説明を切望します。

C6217さん、みなさん。

現地にそれほど詳しくはありませんが、かぶりついて信号などは見てはおります。
Wikipediaの記述によると、

この尾久客車操車場(現尾久車両センター)への分岐・合流箇所は「井掘信号場」という名称で、列車ダイヤや乗務員用の運転時刻表ではこう呼ばれているが、尾久駅構内の扱いであるため、法令上の信号場ではない。と記述されています。
出典は岩成政和「信号場と信号所」、『鉄道ピクトリアル』(電気車研究会)2013年11月号p.18とあります。

yyoshikawaさん
東北線をくぐるトンネル部は現存しているんですね。

C6217さん、kスモスさん
改めて69/3、78/3、84/3の線路図に記載された信号機の名称を見てみたのですが、尾久駅のホーム部から上野駅方面に向かって順に、
「上出」→「1場」→「2場」・・・となっているんですね。 これだけ見ると、通称「井堀」の部分は独立した信号場のように扱われているかのようです。コスモスさんのおっしゃる通り正式には「井堀」という信号場は存在しないのですが。

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