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2010年3月 2日 (火)

国府津配線図

御殿場線の分岐駅であり、かつては国府津機関区、最近では国府津電車区が設けられた駅です。

まずは1935年3月。

193503

1935年3月といえば、丹那トンネルが開通してまだ数ヶ月しかたっていない頃で、御殿場線はまだ複線です。
トンネル開通前は御殿場線は非電化ですが、東海道線(熱海線)はすでに電化されていました。

続いて1951年8月。

195108

御殿場線は単線化されてしまいました。

続いて1967年3月。

196703

この時点まで、特に大きな変化はありません。

続いて1977年10月。

197710

大きく変化しました。
東海道線は上下本線が2・3番線から1・5番線となり、御殿場線がその間に立体交差で割り込む形となりました。
神戸方には西湘貨物駅が開業し、御殿場線貨物列車が折り返すための線路が設けられています。
また旧機関区部分はきれいに線路がなくなり、代わって御殿場線沿いに国府津機関区の電留線が設けられました。

最後に1986年3月。

198603

客貨が分離されて複々線になりました。
また電留線は規模が拡大され、国府津電車区に名前を変えました。

国府津機関区には箱根越えのためのD52が配置されていましたが、東海道線の電機にとってはパイオニア的機関区で、EF10~15、52~54、57などが配置されていました。
1935年頃の機関区にはいったいどんな機関車が休んでいたのでしょうか。

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

【国府津】
扇形車庫の造形美とは国府津機関区の扇形車庫の事を言うのでしょう。 ヨーロピアンスタイルの美しさには見惚れてしまいます。(短形庫では行橋機関区の4線式短形庫でしょうか‥)10番線級の扇形庫ながら威風堂々としており、その歴史は古く明治の頃らしく、日本国内初のコンクリート建築物だったようですね。  長野機関区、敦賀第一機関区、門司機関区などの扇形車庫も味わい深いのですが、国鉄時代末期に東海道本線で国府津駅を通過した時、既に扇形車庫や転車台は有りませんでしたが構内の東京方山側を眼にして、この国府津機関区の扇形車庫を現実的に見ていなくても、なぜか今そこに存在した錯覚に陥ったことを覚えています‥。やはり過去に見た趣味誌での国府津機関区の扇形車庫の印象がそれほど強かったのでしょう…。(この国府津機関区は、珍しく扇形車庫の解体より転車台の撤去が早っかったようです。扇形車庫の保存が検討されたようですね)  昭和6年(1931年)になりますが、既に電化の影響なのか意外と国府津機関区のSL配置は少なく、D50型が4両に入換用の古典タンク機1000型が3両いたようです。 1935年の配線図に扇形車庫の東京方にEL庫が見受けられ、f54560zgさんの列挙されたEL群がたむろしていたのでしょうか‥。当時は機関車交換の車両基地として先端の繁栄をしていたのでしょう。 丹那トンネル開通直前の御殿場ルート時代は山北機関区と沼津機関区に D50が重点的に配置されており、国府津〜沼津間は D50の天下だったようです。 戦後の昭和22年には一部休車ながら D52型の若番2〜5と7号機がこの国府津機関区に配置され、運用は御殿場線だったでしょうが、東海道本線のSL機関区としての体面を保っていたようです。 それにしても配線図音痴の私が見ても戦前の国府津は、駅やホーム、蒸電混在の機関区、幹線分岐点など理想的な配線に見えますが、想うに、歴史的に貴重な国府津機関区の扇形車庫が保存されなかったのは大変残念です…。 《12月頃よりのf54560zgさんとT.Mさんの貴重な資料に改めて感謝しております。》

国府津駅の機待線の位置や本数を見て、御殿場線が実際に「本線」としての位置を占め、しかも「複線」であったと改めて認識させられる、貴重な図版です。通例複線化において腹据で設けられるものですが、同線の山越えでは上下線が離れ、狭い渓谷を挟んで走っていた箇所もあった姿が呼び起こされます。単線に戻り遅れて電化され、国府津駅方から山を越えるという印象よりも、管理局の所為か、なぜか静岡側から電車が降りてくる印象が刻まれています。掲げておられる図では、駅本屋には「保安式」と、片や東京方の信号所には「電気機(?)」と記され、電機と蒸機の交換同様、この駅が一つの結節点であったことが窺えます。“E10”さんの仰るとおり、その結節点としてのシンボルが、名高い扇形庫と、電機庫なのでしょう。確か小学館シリーズの広告用の図は複々線化された同駅の略図だったと思います。アイキャッチャーとして同駅が採用された理由は恐らく、見た目の線形のスマートさはもとより、電車区への引き込み線や貨物連絡線があり、単なる通過点ではない姿をもち、同時に絶対的な歴史上の地位が在った所為でしょう。篤く謝意を申しあげます。

E10さん、お久しぶりです。
雑誌か何かで、線路のない扇形庫と、その中に確かD52が1両、保存を待つかのような状態であったのを見たような記憶があるのですが・・・。
国府津のD52の変遷がよくわからないのですが、1968-8-8付で70、72、101、236、335、403が廃車になっていますので、電化までD52の活躍が見られたようですね。

SYさん、私にとって国府津機関区はちょっと神秘的な機関区で、本線用の蒸機基地、補機基地、本線用の電機基地・・・というイメージなのですが、これで正しいのかな?
いずれにせよ、東海道線の重要基地であったことには変わりありませんね。

 E10さん確かに国府津機関区扇形庫鉄筋コンクリート造りとしては日本で最古参クラスで建築学的にも貴重な建物でした其の為保存の話も有りましたが結局平塚小田原間複々線線増の居り解体されました 同じ頃の鉄筋コンクリート造りの建築物としては端島(軍艦島)に一棟と横浜に一棟有るのみ其れ以外は殆ど煉瓦造りでした
 東海道本線全通時箱根越えと関ヶ原越えは沿線最大難所で有 碓井峠の様な特殊装備(アブト式)は無いが其々の時代毎に粘着式の最強力機を投入してきた 特にマレー式機関車の本格投入は白眉と云えましょう 只何れにしろ輸送上ネックで有る事に変わりりなく結果丹那トンネルへ変更となる 鉄道博物館展示9850機の側のモニターTVに大正12年頃の箱根越えのマレー機全盛時代の映像を流しております 当時マレー前部重連に後部にもマレー補機が付き三重連で約40両編成の貨物列車を牽引していました 映像にはフワ30000や三軸単車のタンク車ワやトやレ等連いで動いておる映像は今では貴重なものとおもいます 

マレー式機関車、御殿場線が有名ですが、関西線や信越線でも使用されていたんですね。

 すいませんが鉄道博物館箱根越えの影像に付いて誤りが有りました撮影は1922年頃 前部主機一輌貨車3~40輌後部補機二輌の三重連で箱根を乗りきっていたのです それにしてもCC型マレーの三重連動輪が18輪が動く様は感動物です 此の時代未だ螺旋連環連結器真空制動の頃其れでも40輌編成の貨物列車やはり何時の時代も日本の大幹線で有る事に変わり無いのでしょう

何時の事でしたか東海道本線の電車列車に乗車した時国府津駅下り1番線に乗車した列車が入線した
が後部の数輌がホームからはみ出し然も自動ドアーが開きました乗客は如何して降りるのやら
当時下り1番線は他のホームより短かかったので此の様な事が発生したのです 何時も利用しておる者はホームの有る車輛に乗車 事情を知らぬ者は戸惑うのでしょう 地面に飛び降りてからホームへ向かうのでしょうか

yyoshikawaさん、3両のCC型マレー、大迫力ですね。
ホームからはみ出してドアが開いた件、乗客の転落が心配ですね。

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