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2010年3月18日 (木)

東京配線図

東京駅の配線図につきましては、1967年3月時点のものを過去記事にしていますが、その後T.Mさんよりそれ以外の年代のものをご提供いただきましたので、それらをまとめて再度記事にします。

まずは1935年3月。

193503

いやいや、昭和10年ですね。戦前ですね。
八重洲側には客操設備が広がり、「東京機関庫」の文字も見えます。
電車線は京浜線と山手線がまだ分離されておらず、列車線も東京で行き止まりです。
ホームは中央線1面2線、電車線1面2線、列車線2面4線ですが、8番線は出発専用で到着はできないようです。

続いて1951年8月。

195108

客操設備はほとんど姿を消しました。
電車線はまだ複線のままですが、有楽町や新橋の様子を見ると京浜線と山手線の分離・複々線化工事が行なわれているところのようです。
列車線は3面6線となり、上野方へ本線が開通しています。
ホームのない11・12番線も本線のようで、中央線と電車線の間にもホームのない中線が設けられています。
神戸方に腕木式信号機のような記号が描かれているのですが、これは何でしょうか。少なくとも1935年の時点で腕木式信号機は見当たらないのですが・・・。

続いて1957年3月。

195703

列車線しか描かれていませんが、7番線から始まっているところをみると電車線の複々線化は完了したようですね。
細かな側線が何本かありますが、私の記憶にある東京駅にだいぶ近づいてきました。

続いて1961年3月。

196103

そう大きくは変わっていないようです。
残念ながら16番線は、私の記憶にはありません。

続いて1967年3月。

196703

新幹線が開業し、16番線はなくなりました。
過去の記事にいろいろ書きましたので、コメントは省略します。

続いて1977年10月。

1977101

1977102

14・15番線がなくなり、代わって新幹線の15番線が新たに設けられました。

最後に1986年3月。

1986031

1986032

引き続き新幹線の侵略が進み、13番線がなくなって新幹線の14番線が設けられました。
上野方への列車線の本線もなくなって、1935年当時と同様の行き止まりになってしまいました。

2011/1/30、1961年配線図の拡大版追加

196103z1

196103z2

196103z3   

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

1951年の腕木式信号機っぽいものですが、
番号・建植位置(10番線の出発信号機の脇あたりにも見えますね)を考えると、腕木式入換信号機ではないでしょうか。
また、1935年にも場内信号機の隣に記載があります。(ほとんど腕木に見えないくらい潰れていますが)
1935~1951の間に、1935の場内より神戸方に第一場内が、東京方に第二場内が設けられ、元の場所に腕木式入信が取り残されたように見えます。

他所様のページですが・・・
http://nekosuki.org/landscape/pieces/dsc20658.htm

何かの雑誌かウェブサイトかで東京駅構内の腕木式入信の写真を見たような気もするのですが記憶が判然としません。

名無し信通区さん、ありがとうございます。
1935年の図には記載されてないのに1951年になって突如腕木が出現?と思ってしまったのですが、1935年の図を改めてよく見ましたら、おっしゃるとおり確かに描かれていますね、失礼しました。
機械式の入信というと「二つ目玉の丸顔」を思い浮かべるのですが、腕木の入信も存在したんですね。

初めまして、
3DCGにて東京駅を再現しようと資料を探していたら、こちらにたどり着きました。
質問なのですが、1961年3月の配線図の高解像版とかありませんでしょうか?(数字が良く読めないもので)
もしくは、引用元は分かりますのでしょうか?

シーマ(仮)さんコメントありがとうございます。
分割になりますが、1961年版の拡大図を追加しました。多分読めると思いますが・・・。

ありがとうございます!
これで配線図を起こせます!!
しかし・・・改めて見ますと・・・
東海道本線の品川方ポイント郡はこんな複雑だったんですね・・・

昭和30年代前半 東京駅15番線ホームは特急列車専用でした 当時未だつばめ はとは客車列車の時代当然最後部には展望車が付いて居ました
当時の特急列車は余程の事が無い限り乗車する事は無く 一般の人の旅行は長距離急行列車に乗車するのが普通でした特急料金が高かく列車本数も少ない其れなりにスティータスが有りました 当時の子供には凄く憧れの存在でも有った 或る時丁度家族旅行で東海道本線を利用する事が有り東京駅15番線ホームへ 丁度15番線には特急はとが入線しておりました 父が私を連れて最後部の展望車の所迄行き展望デッキの前で記念写真を写してくれました そして特急はとが発車した後14番線に停車して居る普通急行列車に乗車して旅行に行きました

y yoshikawaさんのコメントには妙に親近感を感じてしまいますね(笑)。私が子供の頃の唯一の長距離旅行は大阪万博でしたが、この時はさすがに新幹線でした。

 つい最近迄仕事用に会社から支給されたパソコンは有りましたがあくまで仕事用の為昼休みのみインターネット閲覧しておりました 会社を退職して自分用のパソコンを購入 日がな一日ネット三昧の生活を送っています 駅構内配線は若い頃から好きで偶然貴殿のサイトを見つけ自分のボケ予防も兼ねて思い出した事を色々コメントさせております若い人が知らない時代の事を次の世代に残すのは大切な事と思います 
 今回は東京駅のC62に付いてコメントします
 昭和30年代朝夕の通勤時間帯に常磐線から東京駅迄直通列車が設定されていました 牽引はC62でした 或る日父親に連れられて東京駅15番線ホームに行くと隣りの16番線にC62が停車していました東京駅とC62がミスマッチに思えました
 子供心に東京付近に旅客用蒸気機関車事態有る事が不思議に思うのでした 然もその時のC62は動力逆転器で無くスクリュー式逆転器でしたそれが余計不思議に思ったのです(後年常磐運用のC62は全てスクリュー逆転器装備と知りました)
以上

y yoshikawaさんの貴重なコメント、大変ありがたいです。今後もお待ちしております。
昭和30年代の東京駅とC62は不思議な組み合わせですね。逆転機が動力かスクリューかを気にする子供さんも相当不思議な気もしますが(笑)。

 1935年版 1951年版 1957年版 1961年版各配線図を見比べ感じた事を述べます 話は少し広範囲になる事をお許し下さい 1935年版の東海道本線配線図は前年11月丹那トンネル開通により東京沼津間電化運転開始其れに伴い発行されたと推察されます 1935年版東京駅配線図にターンテーブルが有りますが電化後も前年迄超特急つばめ号牽引の為 C51形が任に付いてましたその為方向転換で使用されていた あと前年蛇窪信号所開設される前迄特別急行列車用客車の方向転換に使用されていた いちいち編成をばらして一両ずつ転向していた 蛇窪信号所開設後大崎デルタ線を利用して編成ごと方向転換出来るようになり必要性が無くなったそんな時代背景を読み解くのも配線図趣味の醍醐味ですね 中央線と山手京浜共用線との間に有る中線此の時代はまだ両線間に背行ながら連絡していました普段増結編成の留置に使用していました後山手京浜共用線神田側には折り返し用中線が有ります 電車線の有楽町駅と神田駅には渡り線が有りますが後の時代には撤去されて居ます 
 1951年版では山手京浜東北線の分離準備工事の前段階として旅客線の新高架への移設開始中央線と山手京浜東北共用線間の留置線の共用線側の分岐は撤去されています 共用線の中線は未だ健在です    
 1957年版では旅客線が全て新高架へ移転 図では電車線は複々線化後で省略されておりますが中央線ホーム拡幅で留置線は本線に格上げされたこの時点で煉瓦積の高架線は全て電車線コンクリート高架線は旅客線と棲み分け化が完了した まだ客車特急つばめ はとの時代当然毎日蛇窪廻しは恒例でした  
 1961年版は東海道在来線全盛時代一番輝いていた時代 151系特急電車153系急行電車20系寝台特急10系寝台急行80形湘南電車70形須賀電車等百華繚乱在来線優等列車最後の時代全てのホームに次々列車が出入していた一番良い時代の配線でした 以上    

 東京駅が開業して今年100年目になります 其の間常に日本の鉄道駅の頂点に輝く駅 日本の首都の玄関駅としての風格を持つて作られました 普通駅舎を作る場合其の都市の中心の繁華街側に向いて建てられるのが通例ですが 東京駅は繁華街である 銀座京橋日本橋側には背を向け開業時未だ一面荒地であった三菱ヶ原側に総煉瓦造りの巨大駅舎を建設しました然も当初長距離客と通勤客の出入り口を完全に分け尚且つ通勤客は乗車口と下車口が別れてました 其の為通勤電車は其々の口で停車して乗客に乗降させてました 開業当時省線電車は最大でも3~5両編成でしたのでホーム前後で停車して客扱いが出来たのでしょう 此の乗車降車で口をわけていた名残が現在の北乗り換え通路と南通路です 中央口は長距離客専用口としてつかわれてました 駅舎が丸の内側に向いて居た理由は当時宮城に背を向けて駅を作るのは不敬にあたる 政治の中心である霞ヶ関や大手町に近い側に向ければ 天皇陛下が行幸に向かう時直ぐ御召列車に乗車出来ます 首相や大臣が地方に行くにも直ぐ乗車出来る様丸の内側に駅舎を建設した理由です
 丸の内駅舎前には巨大な駅前広場を作り首都の中央玄関の様相整えた 中央郵便局も駅前に出来地下には郵便局と東京駅間に地下郵便輸送軌道を建設(日本で初めての地下鉄) 三菱ヶ原も丸ビル等建てられ一大ビジネス街になりました
 八重洲側は戦後迄客車操車場の名残が残ってましたが跡地に駅ビルを建設大丸百貨店が入店しました 私鉄がターミナルに百貨店を作た例は戦前多々有りましたが国鉄駅に百貨店が併用されたのは当時珍しかったです 
 話は変わります 東京駅は東京の中心的駅ですので度々大改良されてきましたが 当初の儘のホームが一本残っています 現在山手外廻り線と京浜東北南行線が使っている第三ホームが昔の東京駅ホームの様子を残してます ホーム上屋の屋根形状がホーム前後が山型中央がW型然も有楽町寄り上屋の柱はギリシャ建築様式の上部飾りが施され然も架線柱も兼ねて架線柱先端には王冠風の擬宝珠が付けられ 架線ビームも直角三角形に円形の飾りが施され凝りに凝った造りです矢張り日本の玄関口を意識したのでしょう 
 嘗て16番線と大丸デパートの間にホーム状のコンクリート製たたきが有りましたホームを作るつもりだったのかは今となっては不明です後に新幹線ホーム建設時無くなりました
 

yyoshikawaさん、山手外廻り線と京浜東北南行線が使っているホームの有楽町寄り、昔の荷物ホームあたりはいい雰囲気ですね。

 東京駅はいよいよ開業100年を向かえます今日湘南上野ライン試運転列車を東京駅で撮影しました 11月末北連絡通路が現在位置よりさらに北側に移動階段等変更になります 略昔の儘の通路が新しい通路に替りますが何故か通路の路面は今迄と同じレベルなのは疑問思うのです 昔から東京駅北通路は改札面より高い位置に作られており途中数段の階段が存在してます 新しく連絡通路を作るなら低い位置に作り改札と同レベルにすべきと思うのですが 其れとも連絡通路の下に何か秘密の地下室でも有るのか?ま冗談ですが・・・

yyoshikawaさん、以前にもお願いしたかと思うのですが、是非写真を掲示板にUPお願いしますね。

 鉄道博物館企画展東京駅開業100年記念100年のプロローグ展を見に行きました 流石鉄道博物館 夥しい図面と写真の展示は凄い 工事中の東京駅の写真図面だけでなく新永間高架線工事の写真図面 関連する東北本線上野東京間中央本線飯田町東京間総武本線両国橋御茶ノ水間等の計画図等各種図面 東京駅復元時の各種建物装飾実物展示等見所充分な展示でした
 尚計画図には当然配線図等もありました 中央駅(東京駅)当初の計画では八重洲側外堀付近に貨物駅も併設する計画図も展示されて居りました

yyoshikawaさん、う~ん、やっぱり東京近辺ですといろいろ情報が豊富ですね(泣)。

 3月14日ダイヤ改正で愈々東京上野間連絡線が再度運用再開されます今度は殆どの列車が直通運用となる様です 此れ迄の東京折り返し上野折り返しに比べ利用者には可也便利に成りますが
 現在の東京駅の配線は少しマズイ様に思います何故なら東北新幹線東京乗り入れ時連絡線を断ち切り完全終着駅化東北新幹線ホーム増設により現在の配線に切り替えた 現状の配線は終端駅なら未だましですが直通運転化ではボトルネックに成りそうです 其れと云うのも東京駅の新橋側に有る平面交差と二組のダブルクロスポイントです 以前湘南新宿ラインの折も新宿駅の湘南新宿関係の配線の一部分がボトルネックになり一日運休して配線替えした経験を活かしきれない同じ轍を再び踏みそうに思うのですが何で今の配線にしたのか将来的なビジョンで配線のレイアウトがかんがえられぬのかとおもうのですが

yyoshikawaさん、神田側の配線がわからないので何とも言えない部分はありますが、個人的には新橋側の配線は直通運転用としてもそれなりに機能してくれそうな気がするのですが・・。

 改めて考えると上手い具合に機能しそうな気もします 3月14日ダイヤ改正で東京折り返し普通列車は減るでしょうし東京発の伊豆方面特急列車と唯一の夜行寝台特急電車サンライズ瀬戸出雲だけでしょうから問題無いかもしれません 上野側は極普通の退避線付4線駅と同じですので問題無い筈です上下線間にダブルクロスが一つ有るだけです 戸塚大宮間で湘南新宿ラインと東京上野ライン離れた複々線となりますね

 02/04にyyoshikawaさんが書かれた有楽町方の現在配線の感想に同感です。
 複線を平面交差で2組の複線に分岐してそれぞれをクロス配線で折り返しに備えています。直通のみを考えれば無駄ですね。
 でも現在配線で直通にも対処できるので当面は困りません。今後は不用の配線撤去に向かうものと推定します。
 この機会に各線のポイント制限を大阪駅のように60km/hにできないものかと夢見ています。残念なことに神田方のポイントには45km/hの制限標が見えています。

 C6217様 駅の退避側線分岐部の速度制限は何とかならないのでしょうか今だに蒸気時代の儘なのでは 或る国鉄配線関係の技術者が自著本で嘆いて居ました 氏は東海道本線横浜駅を例に電車時代にそぐわぬ制限スピードだと述べて居ました

yyoshikawaさん、C6217さんの関心の高さがうかがい知れますね。個人的には味気なさが感じられる・・・って、スミマセンです。

 山手京浜東北用5~6番線有楽町寄り上屋架線柱兼用柱昨夜撤去されたとTBSニュースで放送されました 今後は保存するとの事 最近の簡素な鉄管製架線柱の味気なさ らしさがどんどん無くなるのは残念です

 東京駅東海道本線上野寄りポイント速度制限は7番出発55Km/h 8番出発45Km/h9番出60Km/h
10番出発45Km/h先のダブルクロスは9番10番線側からは65Km/hの制限表示です7~10番線全て上野方向に出発信号が接置されており上野側新橋側とも全ての番線から出発可能な状態です
 制限標識から7番8番合流は普通分岐9番10番合流がY分岐又は振り分け分岐先のダブルクロスの9番10番から上野方面への進出側がY分岐他の3組の分岐は普通分岐の模様です 後日再確認する予定です


yyoshikawaさま
 ポイント制限をありがとうございます。雑誌の写真を見ての判断でしたので軽率でした。それなりに現場での努力を買いたいと思いなおしています。
 でも、北行き主方向の7番・8番の進出が55・45km/hなのはやはり残念です。

 東海道本線7・8番9・10番新橋側速度制限は全て45Km/h7・8番線ダブルクロスは7番線側の定位方向が全て分岐側反位方向が直線8番線側は定位方向は直線反位方向は分岐其の先で9番線進入と平面クロス後10番線と反位分岐方向で合流
9・10番線ダブルクロスは9番線側が定位方向が分岐側反位方向直線上り側から進入方向は定位方向直線反位方向分岐の通常形状10番線側は通常のダブルクロス同様定位側全て直線である
上り列車が駅進入直前の各番線振り分ける分岐はY分岐又は振り分け分岐で各番線へ分けています

 東海道本線各ホーム上野方分岐は各線供合流はY分岐若しくは振り分け分岐二組先のダブルクロスは東京方は何方もY若しくは振り分け分岐上野方は通常のターンアウトタイプそんな関係から7番線9番線の制限速度が55Km/h60Km/h他の分岐に比べ少しだけ早い速度設定になっている様です

yyoshikawaさん、上野方への出発で、速度制限が一番高いのが9番線というのはちょっと意外ですね。7番線ではないんですね。

 山手外周り及び京浜東北南行使用5番6番線用ホーム南分部上屋は現在唯一残っている開業以来の構築物でしたが老朽化との事で作り直す事になり現在既に新しい上屋用骨組が組みあげられ何れ新しい上屋に替わる様です 5番6番銭ホームは上屋形状が種々存在南鉄柱鉄トラス桁上屋木造上屋鉄骨組上屋(此処のみ現在Y屋根)木造上屋の順に続いています 各新幹線用ホーム建設関連で殆どのホームは番線移動等の折に上屋が鉄骨Y型上屋に改築唯一何の手も入らなかった5番6番線ホームのみ当初の儘残ってしまったのですが遂に此処も手が入る事となったのでしょう

 東京駅5番6番線ホームの上屋形状が現在各種有るのは昭和20年東京大空襲で駅本屋ホーム上屋等が焼失辛うじて残ったのが南側の鉄トラス組上屋分部なのです木造上屋分部は戦後作り直された分部鉄骨Y屋根上屋分部は特に老朽化したので作り変えたのではと思うのですが 
 先日ニュースになった柱撤去は南側の一番古い上屋分部の柱です 柱頂点はギリシャ建築風の飾りのある見事な芸術品なのです 昔の物は機能性+芸術性も兼ね備えていたのですね

 5番6番線ホーム上屋について追加事項 鉄骨上屋はY屋根では無くW屋根でありましたそれと一番北側上屋鉄骨Y屋根ですおそらく一番最後に造られた様です 
 東海道本線ホーム駅名表示東京上野間連絡線廃止後終着駅であった関係上此れ迄は北方向次駅は有りませんでしたが3月14日上野東京ライン開業に向け駅名表示に上野が書き加えられテープで視えないようして準備万端整えてました

本日、上野東京ラインのマスコミ向け試乗会があったようですが、産経新聞社の公式チャンネルで、前面展望映像を含む動画がアップされていました。秋葉原附近~東京はノーカットで収録されているようです。

http://youtu.be/t1smXTe4FyY?t=41s

yyoshikawaさん、上屋はなかなか気づきにくいですが、開業時のものがいまだに残っていたんですね。保存話はないのでしょうか。
KASAさん、動画を見て初めて知ったんですが、神田付近は部分的に3階(?)なんですね。新幹線に取られちゃったから、考えれば不思議はないですね(汗)。

 東京駅山手外周りと京浜東北南行使用しておる5 6番線ホーム南端の開業時より残っておる鉄トラス組木造上屋更新工事上屋柱一体架線柱も風前の灯になりそうです と云うのも直ぐ脇にJR東日本専売の非芸術的で無粋な鉄管架線柱が組み立られておりました東日本の美的感覚を疑いたく思います
 鐵道院鐡道省時代の建築土木技術者は国家の中心企業としての気合いからか美しい構造物を作りだしていたのでしょう

yyoshikawaさん、昔のものには誇りといいますか情熱といいますか、そんなものが感じられますね。今は機能とコストオンリーになってしまいました。

 東京駅7 8番線ホーム階段上の番線行先表示や駅名表示も新しい表示をテープで隠し縦貫線運行準備が整い直通運転の日を待つ状態です
 ホーム上屋の柱に取り付けられておる駅到達時間表示も新しい縦貫線仕様の表示に変えられておりました

 愈々明日のダイヤ改正で東京縦貫線運行再開されます 準備状況を見るべく仕事の帰り品川東京上野の三駅へ出掛けました
 東京では7 8番線ホームの階段上の番線表示は行き先を隠してます 発車時刻表は上野東京ラインの時刻表を掲載3月14日ダイヤ改正と書かれた紙を張り付けています 構内放送では明日より東京始発の下り列車は特急踊り子号サンライズ早朝普通以外は直通運転となりますとアナウンスしておりました9 10 番線ホームは明日から下り(南行)専用になる為表示変更はなされてませんでした

 3 14ダイヤ改正で縦貫線の運行が再開され東京駅は7 8番線は北行及び東海道本線東京折り返し
9 10番線は南行線専用となりました
 新ダイヤでは早朝及び夜間の東京発以外は全てスルーになりました

yyoshikawaさんのご期待の大きさがよく伝わってきます。

 最新号鉄道ピクトリアルは縦貫線特集です 鉄道博物館も北陸新幹線上野東京ライン開業記念展ふたつのスタート展を6月21日迄開催との事です

y yoshikawaさん、早速購入しました。

 上野東京ライン開業で東京が終着駅で無くなり通過駅となり東海道を上って来た上り列車が東京を過ぎると下り列車になる矛盾
 一その事京浜東北線と同じく湘南新宿ラインとの分界点である戸塚と集合点である大宮間は北行は北行南行きは南行と言ってみてはと思いますが如何でしょう
 何時も思うのですがJR東日本の運転指令所は何故融通が利かぬのか先日の神田秋葉原間の架線補助柱倒壊事故の折も長時間列車を停止したり 線路内人立入りで運行停止させる強引さ駅に進入中の列車をあと20m位で停止位置なのに其処で強制停止させる少し位融通出来ぬものか乗客の事は彼等にはないのか 先日も其の事で車掌や駅員に意見したが指令所がだめなのでの一点張り 昔は融通を聞かしていたのにと思うのだが 先日の神田補助柱転倒事故現場方向別複々線区間 補助柱が斜めになって居ると運転手の連絡した時点で直ぐに外側線に山手京浜線共用運行にして工事すればあの様な事にはならなかったのではと思うのですが如何でしょうか

東京駅開業前山手線のみ先行乗り入れしておりました 但し東京駅の北呉服橋に仮駅を設置東京駅開業迄の間仮運行してました 当時せいぜいボギー車二輌編成若しくは単車三輌編成全てポール集電車
当時既に東京の通勤ラッシュも始まっておりボギー三扉車が多数を占めてました
旅客線の先端部引き上げ線の辺りに日本で初めての鐡道博物館が造られました高架上に新旧の実物車輌を展示その他の展示物は煉瓦高架下に展示されました 後に鐡道博物館は萬世橋に移転
展示されていた旧実物車輛は大井工場等に分散保存してましたが戦時中の鉄材供出の犠牲になり解体されました日本最初のテンダー機関車5000形やアブト式の3950形等でした他に客貨車も保存されてましたが其れ等も犠牲になってしまいました
今思うと残念の一言です 明治大正期の客車で現在もまともに残っているのは御料車の一団と極一部の客車のみです 
イギリスやアメリカドイツフランススイス等では保存車輌の多さにはゆらやむばかりです 
各国で鉄道開業150年の記念で各種の実物車輛を動態運転してますが まもなく迎える日本の鉄道開業150年にはおざなりの車輌を動かすだけなのでしょうか 又配線図の話しから外れましたが申し訳有りません

yyoshikawaさん、その頃すでに車両展示が行われていたんですね。それらが違った意味で戦争の犠牲になったとは、おっしゃる通り残念の一言ですね。

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