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2010年3月 6日 (土)

西湘貨物・鴨宮配線図

まずは1935年3月。

193503

ごく普通の中線のある中間駅です。
神戸方の海側・山側のそれぞれに砂利線が設けられています。
「省砂利線」「専用砂利線」と書かれていますが、それぞれどのような用途なのでしょうか。

続いて1967年3月。

196703_7

大きくは変わっていませんが、東京方にも専用線が設けられました。
神戸方山側の砂利線は新幹線の保守基地になっています。

続いて1977年10月。

197710

西湘貨物駅が開業しました。
鴨宮駅のホームは島式1本に変わっています。
鴨宮駅海側の専用線は鴨宮駅構内では本線との接続がなくなり、西湘貨物駅から伸びる側線により接続されるようになりました。この側線、西湘貨物駅の東京方で本線の下をアンダークロスする形になっており、結構贅沢なつくりになっているように感じてしまいます。
また新幹線保守基地への出入りのために、鴨宮駅山側に「1番線」という副本線が設けられています。

最後に1986年3月。

198603

山側に貨物用の複線が設けられました。
先ほどアンダークロスを「贅沢なつくり」と書きましたが、こういう形態になるとそれほど贅沢でもないような気がしてきました。
貨物線は山側を走っていますので、平塚もそうでしたが、海側にある専用線との接続に苦労したんでしょうね。
ただ、この海側の専用線、多分今では廃止されちゃっていますよね? このアンダークロスが活躍した期間が短かったのであれば、結果としてはやっぱり「贅沢」だったということになってしまいますね。

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

まずは貴重な資料提供に感謝申しあげます。鴨宮と言えば、即東海道新幹線という図式が頭の中で確立しております。そして、西湘貨物駅ですが、人口もさほどなく、産業基盤も整わないこの駅の後背地(≒市場)をもって考えるに、この規模の大きさは如何に、と思ってしましました。駅自体が「贅沢」なのでしょう。とうに海岸側への出入路は無論のこと、駅の敷地もリゾートセンターの大きな建物に現今生まれ変わっているようで…。一旦設けられたものは充分に生かし切って欲しい、と思った次第です。
しかし、“T.M”さんの貴重な資料の数々、無尽蔵で、資料館が設けうる程ではないでしょうか。

ご無沙汰しております。
映画「天国と地獄」でのこだま号から身代金を
酒匂川を越えた所で放り出すシーンの手前、
ホキが映ってるのがずっと気になってました。
地図を見ても側線らしきものは何もなし・・・
「酒匂川砂利専用線」というのがあったのですね。
長年の疑問が解決しました。ありがとうございます。

SYさん、湘南、相模、西湘のうち生き残っているのは相模だけですね。湘南と西湘は短命でした。おっしゃるとおり、贅沢でした。T.Mさんの資料はホントにすごいです。余裕で資料館が作れると思います。

natsuさん、ホントにお久しぶりですね。
映画を見ていても、ついついそういうところに目が行ってしまいますね。私の場合、たとえば昔の駅のシーンを現在の駅で撮影したものなどのアラを探すのが好きです・・・・。

貨物駅のアンダークロスの連絡線線路はまだ一部健在です。その連絡線には地下?踏切までありました。
酒匂川砂利線の跡も、よく形状が残っていますよね。
東海道線の車窓で目を離せないポイントのひとつです(笑)

LUNさん、TBありがとうございます。正直言いますと、LUNさんのこの記事は知っており、記事中にLUNさんの記事へのリンクを張ろうとして忘れていたんです(汗)。
確か、平塚~相模貨物間の高架橋の遺構についてのLUNさんの記事も見かけた記憶があり、探したんですが見つかりませんでした・・・・。

いやー、鴨宮生まれの44歳としては、本当に懐かしく拝見しました。(勿論、隣接の西湘貨物、国府津、小田原も) 今の単純な配線と比べると、本当に昔は楽しかったなと感慨にふけってしまいました。

早川以西は無いのですか?特に沼津なんて興味あるのですが。

Fredさん、コメントありがとうございます。
熱海・来宮は1935年~1980年があります。沼津は1935年のみあります。
機会がありましたら公開したいと思います。

 里山工房のサイトに酒匂川の砂利取りトロッコ線のGLと砂利運搬貨車の画像が存在しております
 新幹線開業前鴨宮はモデル線区の基地が有ったのは御承知の事です 其れは当時の鉄道少年の憧れの場所でした二輌編成と四輌編成のDC8風の流線型の試作車 其れ迄の鉄道車両とまったく違う新しい時代の鉄道の象徴と云う感じでした
 ノボーとした形状の軌道試験車も鉄道車両の未来形として鉄道少年の目に焼き付いた 当時東海道本線に乗車鴨宮に近付くと自然と山側に乗客の目が行くのでした誰しも憧れがあったのでしょう
 今年は新幹線開業50年其の間失った物の多さは計り知れぬ事です

「天国と地獄」のスチル写真やこだま型の写真にもこの砂利線は売っていますね。
下り第2こだまから三船敏郎が確認する少年はこのそばに立っていた、と言うことになりますね。
黒澤監督が、「あの家の二階をどうにかしないと、子供が写らないぞ。」といった「家」の正体、作業小屋説もあるようです。

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西湘貨物駅。06年5月26日に巡礼しました。 この貨物駅は国府津駅と鴨宮駅の間にあります。 鴨宮駅から山側を東海道本線沿いを歩く道はありません。 少し離れて、「巡礼街道」という線路巡礼者には曰くありげな道を歩くと、その名も「貨物駅」という交差点があり、ここに「西湘貨物駅」という立派な看板があります。 でも看板の上には「コロナ」という大娯楽施設の名前が・・・。 貨物駅特有のホームの上屋は残っており、コンテナも積んであるのですが、すでにほとんどのレールは剥がされていました。東海道貨物線..... [続きを読む]

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