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2010年3月 9日 (火)

小田原配線図

現在では小田原駅で客貨が分離されていますので、東海道線東京口の貨物ルートという観点ではここが最後になるかと思います。

まずは1935年3月。

193503

島式ホーム2面4線の整然とした配線です。
箱根登山鉄道の小田原~湯本間はまだ開業していません。

続いて1951年8月。

195108

箱根登山鉄道が開業しています。

続いて1961年3月。

196103

特に大きな変化はありません。

続いて1967年3月。

196703

大きな変化はありませんが、上り2番線~4番線あたりは電留線っぽくなったような気がします。
東京方面からの下り電車の折り返しには下り1番線しか使用できない状況も変わっていません。

続いて1977年10月。

197710

上り2~4番線あたりには入換標識や車両停止標識などが設けられて、完全に電留線になったようです。
下り2番線の東京方に忽然と大雄山線との連絡線が出現していますが、スミマセン、このあたりはよく知りません・・・(汗)。

最後に1986年3月。

198603

東京方の複々線化により大幅に配線が変更されました。
平塚の場合と違ってホーム部分は方向別で、東京寄りで立体交差で線路別になっています。
ホームは2面4線のままですが、本線が外側となって内側2線が待避・折り返し用になりました。外側に貨物線がありますので、電留線も内側に移動しています。

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 小田原駅までの間、図上での4次元の旅をさせていただき謝しても尽きません。たとえ 図であっても リアルに再構成できうるほどの精確な資料でした。最初の官営鉄道がここを走り、我々の記憶にある、ブルートレイン・こだま等戦後名のある一番列車は大方東京駅東海道線口から始まり、各図の上を軽やかに走っていきました。自身が大船駅で「どんな列車」と言い良い及んだ部分には、御用邸や横須賀港での観艦式へのお召し列車、出兵、復員用の列車が脳裏にありました(前天皇は全国行幸等、ことのほかお召し列車によって足を運ばれた印象をもっています)。よって各貴重な資料は、歴史の一断面をも充分に傍証しうるものなのでしょう。そこで小田原駅ですが、登山鉄道市内線が描かれ、、ついで分離された市内線(600V)と小田急駅方へ伸びた登山鉄道(1500V)が同一図にあります。これも歴史の一断面なのでしょう。とあれ、知らぬ間に小田原~湯本間の軌道は小田急側の狭軌になって了っており、種々スマートな線形への変化も、歴史の合理的な指向性なのでしょう、きっと。
 重ねて多謝申し上げます。

(多分)SYさん、小田原駅の海側の線路、何の線路かよくわからなかったのですが、登山鉄道の市内線でしたか。納得しました。
一応東海道線の貨物ルートというテーマでは一区切りですが、T.Mさんからはこの近辺の資料をまだまだいっぱいご提供いただいており、またそれらをそのままにしておくのは大変もったいないので、散発的にご紹介させていただこうと思います。
いつもご丁寧にありがとうございます。

箱根登山軌道線は4フィート6インチ馬車軌道として国府津から箱根湯本迄開業其の後電化 熱海線開通で国府津小田原間を廃止小田原駅を起点に変更その状態が1935年配線図上方の破線で記載されております 駅前広場入口で二股に別れ直接駅前に来てるのが旅客車線右方向に分かれて貨物駅方向に向かっているのが貨物車線 昭和中期迄自動車が少ない頃ですので荷物運搬手段は馬車 大八車 リヤカー等でした街中を走る路面電車でも荷物を運んでおりデワやデトを保有してました或る程度輸送量が有る線では付随貨車も保有してました 箱根登山軌道線にも付随有蓋車が有り電車が引いていました 小田原駅貨物扱い所に入っていた線には機廻し出来る配線に成ってます国鉄線から貨物を載せ替えて沿線に運んでいた訳です

コメント名を間違えました

y yoshikawaさん、箱根登山軌道線は貨物営業も行ていたんですね。

これみると、
一貫して国鉄(JR)と小田急のやりとりは、
神戸方からしか来れない。
また、東京方にしか出れない。
でしたのですね。
小田急との貨物や甲種に関しては、
東京方面からはいったん沼津ぐらいまで行ってから折り返しで。
神戸方に出るときは、
西湘貨物か相模貨物まで行ってから、
神戸方だったのでしょうね。

(今はすべて松田でやり取りなので、連絡線自体あるか知りませんが…。)

ゆかわあきらさん
複線時代はひょっとしたら本線横断していたかもしれませんが、複々線になるとさすがに無理ですね。

最近モデル8から出版された箱根登山鉄道全盛期のモハ1とその仲間たち模型製作参考資料集Hという本の中で1937年4月3日宮松金次郎撮影丁度貴下掲載1935年3月配線図の二年後小田原駅構内貨物扱い所に入っていた箱根登山鉄道の引き込み線に入線していたユ1形有蓋電動車と廻りの風景が写りこんでました

yyoshikawaさん
情報ありがとうございます。

小田急線は、

甲種輸送で、

JR松田駅=1番ホームから、連絡線で小田急へ。

小田急線側に入ったら,転線で、下り線へ。

そこから、新松田駅へ。

「youtube」に、出ています。

この新松田の甲種輸送、小田急行き輸送なら松田の1番の出発の現示で出て新松田の場内を兼ねる出発信号機の現示を確認して超えて上り本線上で停車(ここまでが列車扱い)、折り返し手信号でホームに押し込む・・・。
切り離された機関車は手信号で上り本線上の単機停止位置まで、(ここから列車扱い)で機関車の小田原・御殿場側ENDから前方を見ると貨物用と書かれた場内信号が有るのでそれで連絡線へ進入。

とおりすがりさん
>貨物用と書かれた場内信号
妙に背の低い信号機のことですね。

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