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2010年2月28日 (日)

大磯・二宮配線図

大磯・二宮両駅とも小さな駅なのですが、少し変わったところがあったので取り上げました。

まずは1935年3月。

193503

193503_2

何が変わっているかというと、見ての通り貨物用の上下本線が旅客用の本線と複線分岐のような形で分かれているんです。両駅とも。
線路名称は貨物上下本線ですが、通過列車を含むすべての貨物列車がここを通るわけではなく、待避や入換を行なう列車のみが発着するのだとは思いますが。
一般的には上下本線の内側に上下共用の中線を設けたり、もしくは本線の外側に副本線を設ける例が多いので、このような形態は珍しいと思います。
なお、二宮駅の配線図では「湘南軌道」の文字を見ることができます。

次に1967年3月。

196703

基本的には変わっていませんが、大磯駅は貨物側線がほとんどなくなってしまっていますので、この時点では貨物扱いが廃止されてしまっていたかも知れません。
二宮駅も微妙に変わっていますが、貨物営業が行なわれている気配はあります。

続いて1977年10月。

197710

両駅とも貨物扱いは廃止され、また待避機能も不要になったのでしょうか、貨物用の線路は全廃されてしまいました。

最後に1986年3月。

198603

小田原までの客貨分離が行なわれ、旅客線の山側に貨物の複線が新たに設けられました。

大磯駅や二宮駅のような配線は鴨宮駅以遠では見られず、この2駅のみの特徴でした。
想像ですが、近い将来の国府津までの客貨分離(複々線化)の計画があり、これに対する準備としてあらかじめ旅客線と貨物線とを分離した配線にしたのかな、などと思ってしまいます。
もしそうであれば、一時的に貨物線が撤去された時期はありましたが、最終的にはその用地が複々線化の際に有効に活用されたのではないでしょうか。

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

 はじめまして。配線図、興味深く拝見させていただいています。

 大磯・二宮両駅の副本線の配線についてですが、大磯駅は地形的制約、二宮駅は湘南軌道との接続の利便と推測しています。
 大磯駅の場合、東京方が深い切り通し、大垣方海側が築堤になっていて、さらに本屋に向かって地形が傾斜しており、
本線の両側や内側に分岐を設けるとなると、大幅に本線を曲げるか、かなり大規模な土木工事が必要となるようです。
大垣方山側に割と広めの余地があるので、そこに貨物施設を置くためこのような配線としたのではないでしょうか。

 対して二宮駅の場合、扱い貨物の多くが秦野から湘南軌道で運ばれてくるたばこ葉だった事から、山側に貨物施設が集中しているものと思われます。中線もしくは側線とすると、湘南軌道からの貨物受け渡しがかなり非効率的になるようですので。
もともと山側は畑地が多く、用地の確保もしやすかったのではないでしょうか。

長文ですが僕なりの考察です。失礼しました。

はまさん、コメントありがとうございます。
このあたりははまさんのホームグラウンドでしょうか。
恥ずかしながら私は両駅とも実際に訪問したことがなく、あくまで図面上でしか知りません。はまさんのように身近で観察なさっている方には到底かないません(汗)。

 こちらこそ、西湘貨物の探索時に配線図が非常に役立ちました。
貴重な資料の公開に感謝しています。ありがとうございます。

「300系=のぞみ、開発」の本 での
           昔の写真 ですと、

現在の
「ホームから→改札に
             =石垣のホーム」が、
その昔、
電車特急「富士」と
「新幹線の試験電車」のすれ違い で の、

電車特急「富士」が、通過していた「ホーム」で。

50年以上前大磯駅に廃車予定の客車を疎開留置していたのを見た事が有りそのせいで大磯駅に貨物扱い設備が有るとは気付きまでんでした(子供の頃の話です)変な配線の駅と云うのは其の頃から気随ていましたが
鉄道創世の頃本州の鉄道はイギリスの技術で建設され当然ですが駅も英国風の相対式ホームでした(中線無し)東海道本線全通時の写真では殆どこの状態でしたが何時の頃からか名古屋辺り迄の駅は殆ど島式ホームに替りました明治時代に撮影されたIWコレクションにも大磯駅の写真が有りますが当時は相対式ホームでした
相対式から島式に変更するのには可也大規模な土木工事をせねばならなかったでしょうが

追記 明治時代本州の鉄道はイギリスの技術で開業し尚且つシステムも英国流であったのを明治末鐵道院発足の頃ドイツ式に範をとる様になったのも影響が有ったのでは 例えば蒸気機関車の設計基準をドイツ式の動輪回転数毎分300回転で設計する様に成り径の大きい動輪をゆっくり回す 英米では毎分336回転を基準にしていたより高速で回す為の技術力が其れに加わる軸箱やクランク軸にボールベアリングを仕込んだり弁装置の改良等
昭和期に入り鋼製客車牽引に三気筒の8200形(後のC52形)投入時動輪径が1600㎜に対し当時の鐡道省技術人は不満に思いC53を作り出し失敗した
米の意見は動輪を高速回転で回せば加速度が速くなると主張然しドイツ式の低回転で慣れた鐵道省の技師はC52は不良機関車として認定瀬野八の後部補機に追いやりC53を量産結果は散々であったのは御承知の如くです
駅の相対式から島式にしたのもドイツに範をとったためなのか 
すいません又本来以外のコメントを長々と述べてしまいました

yyoshikawaさん、駅の配線にもイギリス式/ドイツ式ってあるのでしょうか。

そもそも英式独式(欧州大陸式)米式の違いは英式は高床ホーム 独式(欧州大陸式)はレール頂面の低床ホーム 米式は独式(欧州大陸式)と同様低床ホームですが殆どホーム其の物が無い駅も多い
其の為車輛面でも基本形状が違います 英式客車では高床ホームですので乗降ステップが精々一段位です
独式(欧州大陸式)米式客車では乗降ステップが三段位有ります 独式(欧州大陸式)はステップですが梯子状です 更に米式では踏み台を使う場合が有りました米式客車では階段状のステップですので車内に食い込んで居る為床に穴が生ずる為事故防止に上げ蓋が有ります客用扉を内側に開き次に上げ蓋を上げ扉の止め金で止める発車時には逆の作業をする尚上げ蓋を上げぬと高床ホームでの乗降出来るのです 米式を参考にした大陸鉄道は略同じですが上げ蓋を先に上げてから扉を開ける方式です
日本では創業時本州は略英式北海道は米式九州は独式を採用したので規格がまちまちでした 国有化後年月をかけて標準化して行ったのです

その昔、クリスマスだと言うのに配線図巡りをしていた f54560zgさんの足元にも及びませんが、私も f54560zgさんに習いクリスマスにコメントです。
yyoshikawaさんの C53型 C52型のお話は非常に興味深いですね。
数あるblog内でも、3シリンダー車の両機の話題は唯一のコメントだと思いますが、この両機に関しても我々の世代では幻の車両とも言える存在で、制式蒸気の中では極めて資料の少ない型式なのでしょう。
C52型に関してはパシフィック群の中では動輪径が小さく貧相なイメージでしたが、アメリカンスタイルが特徴的で特異な活躍をした経歴だったようで、私の中では共感出来る好ましい型式でした。
それに引き換えC53型の場合、3シリンダー車で馬力が増え、既存の C51型に取って代わり活躍したイメージなのですが、その保守のややこしさに加え、運用によっては走行中の油脂不足問題が露呈し、第三の機関助手とも言える保守要員のアクロバット乗務(高速走行中に軌道直上の台枠間にモッコで吊り下げられながら走行装置に油脂補給をしていたらしいです)を必要としたり、2シリンダー車に改造検討したり(意味は違えど後年のEF70型直流化検討を連想しますが)と失敗作だったのは間違いないようですが、個人的にはボイラー上の小振りなひとこぶスタイルと、流線型C5343号に保存機のC5345号が印象や存在感を高めてくれています。
上記の裏付けのようなお話を機関区巡りをしていた時に現場の方からお聞きする機会が有りました。
まだ瀬戸大橋開通前、高松運転所を訪問した時に案内いていただい方(この方は偶然にも若い頃は姫路第一機関区に在職されていました)に、昔のSL時代のお話をお聞きしたところ、たまたま近くにいらっしゃった構内の清掃作業をしていた年配の方に話しを聞いて下さり(定年退職された国鉄OBの方だったようです)その方のお話を伺うことが出来ました。
その国鉄OBの方がその昔に糸崎機関区へ研修に行った時、C53型とC52型の検修を同時期に見たことがあり、C53型に比べてC52型の3シリンダー機構は非常に良く出来ていて、さすがに舶来の機関車だと感心したと言っておられました。
その場にいらっしゃった案内していただいた方が「C53はC52を参考に造ったんじゃないんですか?」と質問されたのですが、「あれは失敗作や、C52のほうがよっぽどよう出来とった」と即座に答えられた場面を今でも鮮明に覚えています。
このネタ話は高松か糸崎の記事出現まで封印して置こうかと思っていたのですが、この機会を下さった f54560zgさん、T.Mさん、そしてyyoshikawaさんに感謝いたします。

追記になりますが、yyoshikawaさんのコメント内の、低床ホームから数段のステップを踏んで客車のデッキに乗り込むのは鉄道少年の頃からの憧れでした。やはり当時に隆盛を誇っていた洋画や海外ドラマの影響なのでしょう。
小樽の博物館とかで、開拓時代の復元客車で体験とか出来ないかな…。

E10様私目のC52 C53の拙いコメントからより素晴らしいコメント頂き嬉しいです
C53の失敗の一つが中央シリンダーの弁作動にC52と同じグレースレー式を採用しましたが問題は其の作動梃子を軽量化と称し丸穴を明けた事でした其の為力が架かる部分が撓み段々弁作動の状態が狂い其の為中央主連棒大端部の発熱其れを抑える為台枠内に注油の為の要員を乗せるという前代未聞の状況をきたしたのです C52はアメリカンロコモティブ製ですが同じ頃同じ米国ボールドウイン製の東南アジア向けに製造された三気筒パシフィック機は中央シリンダー用に左側主連棒端よダブルりワルシャート式で作動する物です構造や整備も簡単でしたのでタイやカンボジアで使用されてました 若しC52がアルコで無くボールドウインで作られていたらもう少し歴史も変わったかもしれません

yyoshikawaさん、E10さん
結果としては3シリンダは陽の目を見なかったわけですが、課題解決のためのチャレンジ精神は見習う価値ありと思います。失敗は成功の基ですね。でもさすがにアクロバット給油は・・・・。

>クリスマスだと言うのに配線図巡り
ほっといて下さい(笑)

>高松か糸崎の記事出現
いつになることやら・・・ですね(汗)

E10さんの現場でのお話はホントにいい思い出ですね。

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