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2010年2月11日 (木)

尻手・向河原配線図

ようやく本題に戻ったばかりなのにまたまた寄り道です。

まず1961年7月の尻手駅。

196103
南武線の上下本線と浜川崎支線の発着線に貨物線と、合計4本の本線があります。
浜川崎支線の場内信号機を見ると貨物線のほうが優先のようです。
その貨物線は新鶴見操方に対しては場内信号機も出発信号機も設けられていません。
ということは5Lの右側は尻手駅の構内ではないということになるのでしょうか。

続いて1986年3月の尻手駅です。

198603
貨物用の線路が1本増えました。
但し上下本線として使い分けているのではなく、いわゆる1線スルーのような形態です。
4番線の浜川崎方への出発信号機7Lが妙な位置にあるのが気になります。
普通だったら6Lや8Lと並んでホームの浜川崎方に設けられると思うのですが、ホームの新鶴見操方に設けられています。従って5番線に比べ4番線の有効長がかなり短くなっていますが、基本的には「4番線には列車を停止させない。通過させるだけ。」という思想なのでしょうか。

続いて1961年7月の向河原駅です。

Image002

1927年3月に南武鉄道向河原駅が開業し、1929年8月には新鶴見操車場が開設されています。南武鉄道は翌月の1929年9月に向河原~市ノ坪(貨)を開業させ、市ノ坪(貨)で省線と貨物の連絡運輸を行なったようです。
1944年4月の南武鉄道買収時に市ノ坪(貨)は廃止されて新鶴見(操)に併合されたようですが、向河原~新鶴見(操)間の線路はそのまま残り、1973年10月に廃止となりました。
但しこの区間の線路は1961年3月の配線図を見る限り本線としての形態にはなっていませんので、入換での連絡だったようです。

続いて1986年3月の向河原駅です。

Image004

何にもなくなってしまいました。

南武線府中本町方面と新鶴見(操)の接点は、今では1976年3月開業の武蔵野南線を経由するルートがありますが、それ以前ではこの向河原~新鶴見(操)間の短絡線しかありませんでした。その短絡線も1973年に廃止、しかも廃止前は入換扱いであったわけですから、南武線と新鶴見操車場とはさほど密接なつながりがなかったということなのでしょうか。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
年表はJTB発行の停車場変遷大事典に基づきます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

はじめまして。
南武線支線の写真を撮ったことがあり、尻手駅について検索する中で、貴ブログに辿りつきました。
駅の配線というのは、時代と共に変化していくものなのですね。
興味深く拝見致しました。
今後とも、宜しくお願い致します。

風旅記さん、はじめまして。
線路配線の変更には、よりよい輸送を行なうためのものもありますが、不要になったものの撤去などもあり、特に後者の場合は寂しいものがありますね。
こちらこそよろしくお願いします。

はじめまして。
尻手駅の配線図の右側に矢向から川崎河岸まで行
っていた支線が写ってますね。
是非支線全部の配線図が見てみたいです。
できたら、矢向とか鹿島田の配線図も見てみたいです。
鉄道に興味を持った頃には、全て廃線になっていたので、余計に興味があるのです。
よろしくお願いいたします。

Nakaさん、コメントありがとうございます。
1961年7月の矢向駅ならOKですね。鹿島田はスミマセン、です。

ありがとうございます。
矢向駅だけでも結構ですので
よろしくお願いします。

Nakaさん、今日の記事で矢向・川崎河岸、ついでに西国立の配線図をUPしました。1961年7月時点のものだけですが・・・。

尻手駅の7Lの位置ですが、安全側線を確保できなかったため、過走余裕距離をみた位置にしたのではないでしょうか?
と、現場を見て思いました。

尻手駅のホームから見ていた限りでは、5番線に待機していた貨物列車はあっても、4番線は通過するだけだったように思います。
38年前頃の記憶。

向河原は新鶴からDLが貨車を数両くっつけて行ったり来たりしていたかと。廃止直前でそれもほとんど見られませんでしたが。

Nさん、おっしゃる通りかも。
cubicsさん、ちょっと長い列車だと4番線でははみ出てしまいますものね。

1970年代の南武線の貨物輸送に付いて述べます 当時南武線で貨物扱い駅は(専用線扱い含め一部社名不明)川崎(東芝 明治製菓) 川崎河岸 (川崎市場) 鹿嶋田(日立精機)向河原(日本電機)武蔵中原 武蔵溝の口 津田山(ヒューム管工場)稲城長沼(倉庫会社)等でした 区間貨物列車の他に奥多摩から産出する石灰石 立川横田向けジェット燃料等の直行貨物列車の二系統運行されて居りました 当時直行系はED16が牽引しておりました 区間貨物系は多分DD13が牽引しておりました 川崎向け貨物は浜川崎から矢向迄来て折り返し川崎へ返送は逆ルートで浜川崎へ戻るのではと思います因みに川崎の東芝柳町工場引き込み線でワム60000のファーストナンバーが入線してて偶然写真撮影出来ました
 鹿嶋田は特殊配線でした上下線間に渡り線が有り下り線から分岐した引き上げ線が下りホーム裏に突込みスイッチバックして日立精機構内に引き込まれて居りました 構内側線は二本有りましたが奥はそのまま渡り線等無く車止めで終わってました たまにトラクラスの無蓋車が二三輌入線して居りましたただ出発信号等無いので矢向駅の構内扱いだったのではと思います 向河原は図の貨2番の延長のまゝ日本電気構内に引き込まれて居ましたが延長はそれ程長く無くせいぜい貨車二三輌程度でした 中原は記憶に有りません 溝の口は上り線側に貨物上屋が有りましたが主な貨物扱いは下り側の側線で扱っていました 津田山のヒューム管工場は貨車が入線してた様子は有りませんでした 稲城長沼は駅から少し離れた所に倉庫が有り其処まで側線が伸びて居ました 以上私の記憶から述べました 何時も長々申し訳有りません
 

尻手駅で浜川崎線が別れて居りますが1970年代浜川崎線内各駅は旅客列車同士のすれ違いが出来ませんでした 八丁畷は今だに一線 川崎新町は小田操車場は有るが当時旅客ホーム一線 浜川崎は島ホーム両面扱いでした 当時中原所属のクモハ11400代MT二輌編成が運用されていました 平日ラッシュ時は二編成投入してましたがすれ違いは出来ませんので続行という形で運行されてました尻手では三番線に二本続行状態で停車されてました 昼は一編成が往復していました
 或る日仕事の帰り尻手駅で異様な光景を見ました浜川崎方向から貨物列車が丁度来ましたが最後部にチキの上にEF15の車体が載せられその後に台車だけがガラガラ音を出しながら繋がって行きましたが残念な事にそうゆうう時に限りカメラを持つて居ませんでした

 昨日記載致しました南武線の貨物輸送について少し漏れが有りましたので再度記載致します
 川崎の東芝と明治製菓 鹿嶋田の日立精機 向河原の日電等の引き込み線は全て非電化でした 川崎河岸貨物駅もやはり非電化でしたこれ等の工場及び川崎河岸向け貨車の集配は推測ですが浜川崎から仕立てて矢向迄一般貨物列車に連結矢向で切り離し各引き込み線及び川崎河岸駅向けにDD13が牽引して配送していた荷扱い済発送貨車は矢向に集め一旦浜川崎へ其の後新鶴見操車場へ其処から全国発送されたのではと思います 南武線各貨物駅向け一般貨車は下りは新鶴見操車場から浜川崎向け貨物列車に連結浜川崎で再度列車仕立ててED16牽引で南武線各貨物駅へ届け発送貨車と空貨車を集め立川迄向かう 上り貨物は立川で仕立てて沿線各駅へ空車及び発送貨車を集め浜川崎へ其処から一旦新鶴見操車場へ全国発送した あくまで推察です ヤード系貨物は可也複雑な方法で日本全国へ貨車を送り届けていたのです日本全国に送れる代わりに何回もヤードに入る為 到着するのか読めぬ為トラックに食われてしまったのが現状でしょう

yyoshikawaさん、南武線の貨物扱いに関する貴重な情報ありがとうございます。個人的には南武線と聞くとやっぱりED16の石灰石列車の印象が強いですね。
>チキの上にEF15の車体
何とまあすごいものをご覧になったんですね。
>向川原
向川原~市ノ坪間の線路って、どのような使われ方をしていたんでしょうか?

yyoshikawaさん、コメントを拝読させていただきました。当時の南武線の配線とともに貨物扱いの貴重な情報は、たいへん読み応えがありました。ありがとうございます。

f54560zgさん、市ノ坪からの連絡線に関する現役当時の情報や写真などは、あまりみかけることがないですよね。廃線跡情報ならば時々みかけますが・・・。私も是非知りたいと思いました。

東京・高輪の物流博物館で開催中の、

「追憶・西関東の鉄道貨物輸送 ~鉄道貨物研究家・渡辺一策氏のフィールドノートから~」

http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2014/05/post_452.html

という企画展のことが気になっています。市ノ坪連絡線のことも、もしかしたら触れられているのでは・・・と、ちょっと期待しています。

KASAさん、「追憶・西関東の鉄道貨物輸送」、もし行かれたら教えて下さいね(汗)。

 本日昼 物流博物館特別展 「追憶・西関東の貨物輸送」見て来ました 流石に渡辺一策氏 セメント 石灰石 砕石 川砂利 石油 等の資材貨物輸送に関する展示が主でしたが ひじょうに面白かったです 国鉄私鉄含めて展示して居りました南武線に関しては一般貨物扱い駅は溝の口と登戸二駅 市ノ坪向河原間に関しては何も表示されてませんでした
 余談ですが物流博物館では日本通運が長年に渡り制作した 物流関係の映像を多数収蔵しており 地下展示室の映像モニターで自由に見る事が出来ます時々入れ替える様ですが1946年代から1960年代頃の物流映像は非情に興味深い物です

 物流博物館特別展 追憶・西関東の鉄道貨物輸送 展示カタログが発行されました濃い内容なのに一冊600円です見学記念にどうぞお買い下さい
配線図ファンにも貨物列車ファンにも貨車ファンにもお勧めです

f54560zgさん、 yyoshikawaさん、

物流博物館特別展 追憶・西関東の鉄道貨物輸送をみてきました。

yyoshikawaさんがコメントされているように、市ノ坪向河原間に関しては何も触れられてはいませんでした。

たしかに、図録は内容が濃いですね。

図録には渡辺一策さん作成の「西関東地区貨物列車ダイヤ(昭和40年6月調整)」が付録としてついてくるのですが、その南武線のところで、向河原と鹿島田の間に、横点線が描かれており、市の坪と記載があります。そして、あの貨物線を入換で行き来する貨車が一日に5往復ほどあったことがみてとれます。

講演会に出席して、あの貨物線に関して渡辺一策さんに図々しくも質問すれば、貴重な情報をご教示いただけたかもしれません・・・。

yyoshikawaさん、KASAさん、面白かったですか?
私は残念ながらなかなか東京まで行く機会がありませんで・・・。 

地下の常設スペースを含め非常に興味深い博物館でした。また訪れてみたいと思いました。

KASAさんが「また訪れてみたい」と感じられるのは相当なものですね。

 物流博物館は今では見かけなくなった 荷物梱包を当時のまま保存展示しております(建物が狭いので企画展の時は倉庫に保管) 米俵 ビール瓶の木箱梱包 瀬戸物の藁梱包等一回も荷ほどきして居りません 今では段ボール箱梱包 エアーキャップシート梱包 ラップ梱包 パレット等簡素化されてしまい見る事は出来ません 地下には日通の各種トラック模型やコンテナ列車模型 物流ジオラマ等展示しております
 

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