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2010年2月25日 (木)

大船配線図

大船駅は横須賀線・根岸線の分岐、大船電車区、大船工場、湘南貨物駅など、趣味的には大変興味深い駅です。

まずは1935年3月。

193503

旅客関係の本線は概略下り3線・上り3線の計6線で、これに貨物用の本線が5線あります。
東海道線上下直通列車及び横須賀線下り直通列車には複数の進路が用意されていますが、横須賀線上り直通列車場合のみ旅客上り1番線の1線しか進路がありません。逆に横須賀線上り列車は旅客下り3番線で久里浜方に折り返しができますが、それ以外は折り返しができません。
東京方に渡り線があり、旅客線←→貨物線間で転線ができるようになっています。神戸方にもそれらしき渡り線がありますが、こちらは非常用か何かでしょうか、列車の運転には使用できません。
横須賀線と貨物線を結ぶ大胆な交差が設けられており、貨物上り2番線から横須賀線に向かう場合は合計5線を横断することになります。
この時点では大船電車区も大船工場も未開設です。

続いて1951年8月。

195108

大船工場が開設され、久里浜方に入出場用の線路が設けられました。
駅左下側には貨物側線群が新たに設けられています。
駅上側には左上から右上までつながった怪しげな線路が描かれています。これはいったい何でしょうか。

続いて1957年3月。

195703

特に大きな変化はありませんが、駅上側の怪しげな線路は左右とも行き止まりになっています。

続いて1961年3月。

1961031

1961032

大船電車区が開設され入出区線が設けられていますが、東海道線の上り電車は大船電車区には入区できません。
また入出区線が設けられた関係で、貨物上り2番線から横須賀線に向かうときに横切る線路の数が6本に増えました。
横須賀線が旅客下り3番線で折り返しができる以外は折り返しができない状況は、電車区ができても変わっていません。
神戸方の旅客・貨物線間の渡り線は姿を消しました。
駅左上側のナゾの線路は「PX専用」と書かれています。何でしょう?

続いて1967年3月。

196703

大きな変化はありませんが、連動装置が継電化されたようです。
その関係でしょうか、旅客線の線路名称が変更されて1~6番線になりました。

続いて1977年10月。

1977101

1977102

いろいろと大きな変化が起こっています。
まず、大船電車区に隣接して湘南貨物駅が開業しました。
この関係で大船駅の貨物線は専用線を除きほとんど整理され、ホームと並列の部分では上下本線だけになってしまいました。
但し専用線発着の貨物列車のためでしょうか、東京寄りに「田立1番線」という貨物用の着発線が設けられています。
東海道線上りホームは貨物線をつぶした跡地に移設されたようで、旧上りホームの両側には線路がない状態になっています。
また、根岸線が大船まで延長開業して新たにホームが設けられたのと同時に、東海道貨物線から根岸線に入るための立体交差が作られました。
代わりに貨物線と横須賀線とを結ぶ大胆な平面交差はなくなっています。横須賀線の貨物列車は根岸線~高島線経由で東京方面に向かうか、定かではありませんが本郷台で折り返して湘南貨物駅方面と連絡するものもあったような・・・。
東海道線の神戸方に上下線間の渡り線が設けられ、これにより東海道線上り電車の折り返し及び大船電車区への入庫が可能になっています。
東京方の旅客線と貨物線を結ぶ渡り線は撤去され、相互の行き来は不可能になってしまいました。

最後に1986年3月。

1986031

1986032

ここでも大きな変化がありました。
東京方において複線分の線増が行なわれて東海道線と横須賀線が分離されました。
両者は戸塚で線路別から方向別の複々線に変わり、大船の手前で立体交差を行なって再び線路別に戻ります。
また湘南貨物駅は廃止となり、上下線間の微妙な隙間にわずかにその名残が感じられるだけになってしまいました。湘南貨物駅の生涯の短さにはただただオドロキです。
神戸方に渡り線が設けられ、再び旅客・貨物線間での転線が可能になりました。
ホーム部分は東海道線も横須賀線もだいぶすっきりとした配線になりましたが、しいて言えば横須賀線の上り直通列車が5番線にしか入れない状況は昔と変わっていません。6番線にも入れるようにするとよりスッキリするような気がします。

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

軍事輸送上軍都であった横須賀へ通じるべく、大船駅の鈍角での平面交差-大渡りが設けられた様を拝見致しました。戦前の昭和10年ですから、一体どんな列車が行き交ったのか、想像をかき立てられる程の、もう目にしようのない貴重な資料であることは確実です。次いで大船電車区や、西湘駅とともに短命であった湘南貨物駅の構造を知り得、感謝申し上げます。さらに根岸線の延長に伴う本郷台駅への貨物連絡線(開設当時意味がよく判らなかったのですが)や、仕上げである東海道・横須賀線の分離化等々、図が示している以上に再考する契機になりました。重ねて謝したい思いです。ところで東側の引込み線は謎めいているのですが、「px」とも読め、兵站関係のものでは?航空写真でその遺構らしきものを一応は探してみたのですが…。

大船駅ですねー。私は本郷台出身なので非常に親しみがあります。
さてPXですが、本郷台駅前付近は戦前海軍の第1海軍燃料廠がありました。終戦後御多分にもれず米軍に接収され大船PXとなりました。

私が生まれたときにはとっくにないんですけどね・・。

海軍燃料廠というのは現警察学校にあたる区域なのでしょうか。大船駅から直ぐ離れて伸び、一部台地を開削し正門らしきところでまで途絶える道路がその跡なのでしょうか(駅周辺ばかりを探していたので…)。逗子の米海軍池子も丘陵地の谷間にあったと想起し、兵庫県の旧高砂工場同様、深沢の国鉄大船工場も軍事工場の転用乃至跡地利用だったなと思い出しました。大船駅は帝都の関門にあった軍用施設群に囲まれていたと理解しても良いのでしょうね? 大阪では京橋~森ノ宮駅間に空襲を受けた陸軍砲兵工廠の錆びた鉄骨群が、OBPとして開発されるまで、中心部にありながら30年余放置され続けました。高くそびえる大阪城天守閣と無残に広がる残骸という、息が詰まる環状線からのコントラストでした(その大阪城天守閣脇に司令所があったのですが)。

大船駅というのは軍事施設との関係が深かったのですね。ところで「PX」とは何の略なんでしょうか。
SYさんのおっしゃるとおり、「OBPができる前って、一体何があったの?」と思うことがあったのですが、錆びた鉄骨が30年の放置とは驚きです。

はじめまして。
大船駅配線図の遍歴、とても貴重な資料ですね。
戦時中および戦後まもなく大船駅から延びる「怪しげ」な線について、私のブログ記事でまとめたことがあります。
参考までに
http://kaminagaya.net/blog/archives/001801.html

kamenoさん、コメントありがとうございます。
大変わかりやすくまとめられていて、1951年の配線図と対比させると大船付近の状況がよく理解できました。ちょっとルートは変わりましたが、「怪しげな線」は、言ってみれば後の根岸線なんですね。

はじめまして
大船駅のPX線というべき線路で小さい頃の記憶が2件あり、今でもネットで検索していたところ、ここにぶつかりました。

1つ目は、大船駅の根岸線ができるはるか前にホームがあり、電車(気動車?)と人がいた記憶
2つ目は、笠間十字路の北側の大船ルーテル教会に両親に連れていかれたとき、暇で近くの川の脇に線路があった記憶

ともに45年前の1966年頃だと思います。記憶違いもありますが、線路の記憶は間違いないと思います

hekusokazuraさん、コメントありがとうございます。
小さい頃は大船周辺にお住まいだったのでしょうか。大船あたりだといっぱい線路に関する記憶をお持ちなんでしょうね。

はじめまして。PX引き込み線については幼い頃の思い出があります。1967年(昭和42年)当時、笠間十字路の大船方面に向かうバス通り沿いに線路があり、SLが数両の貨車を引いて走っているのを見ました。機種は「C12」とプレートに書いてあったのを記憶しています。
今も笠間町の切通しにある石の壁は、当時のまま残っているものではないでしょうか?また、昭和48年頃、本郷中学校と共済病院の境目辺りに線路の跡があり、掘り返すと砂利がごろごろ出てきたのを覚えています。

MONMONさん、コメントありがとうございます。
PX引き込み線についての皆さんの関心の強さにちょっとおどろいています。小さいころに見た不思議な線路、というような形で皆さんの脳裏に焼き付いているんでしょうね。

子供の頃、佼成会の下辺りで蒸気機関車が行ったり来たりしていたのが遠い記憶で懐かしく思い出されます。

長尾景虎さん、コメントありがとうございます。
昔の蒸気機関車を思い出していただけてうれしく思います。

湘南貨物駅懐かしい・・・・私は藤沢市に住んでいた際、小学校3年生の市内めぐり研修が湘南貨物駅でした。もう30年以上前の事であんまり覚えてはいませんが、貨物ヤードに観光バスで直接乗り付けたのだけは覚えています。余談ですが茅ヶ崎駅も構内が広かったですね。よく駅西方の踏切が閉まっていました・・・・・

うさおさん、コメントありがとうございます。
小学校の研修が湘南貨物駅とはなんとうらやましい。湘南貨物駅の廃止は今から26年前ですから、研修の数年後には廃止されてしまったのではないでしょうか。

はじめまして。
昔住んでいた土地を懐かしく検索していて、ここにたどり着きました。昭和37年頃から27年間ほど、横浜市立本郷中学校近辺に住んでいました。PXについては、米軍関係の施設で、昭和45年前後の記憶では、施設は運営されていませんでしたが、開放・放置状態となっていて、中に入って(自由に入れました)よく遊んだものです。当時、近隣の人達も、その名の通り「PX」と呼んでいた施設です。その頃は既に建物は残っておらず、貯水池のような池や、現本郷台駅裏の山には、防空壕も数本掘られており、中に入った事もあります。施設の入り口は、本郷中学校前にあり、門柱と警備小屋のようなものもあったような記憶が。もちろん、大船駅からの引込み線も憶えていますし、部分的ですが、通っていたルートを覚えている場所もあります。使われていた頃の記憶はありませんが。(^-^)

証文の出し遅れのようで恐縮です。昔の記憶を辿っていて参上しました。大船~PX支線のほぼ中間の岩井口バス停近く、線路から15メートルあたりの旧海軍住宅に住んでいました。私の父は大船PXの前身、第1海軍燃料廠の技術将校でした。幼少時(S25~30くらい?)タンク式の機関車がけっこう頻繁に往復していました。砂利道に沿った保護柵もなにもない路線(路面電車のイメージ、ただし単線)で、レールに鉄釘を置いてペチャンコにし、ナイフを作ったりしました。置石はしませんでしたよ。家の前のその砂利道で、オート三輪!が車両火災。現在、大船駅から笠間十字路へ至る道路の左側にある公共施設(労基署・公務員住宅など)は廃線跡地です。

水戸の梅さん、コメントありがとうございます。PX引き込み線についての思い出をお持ちの方が多いのでちょっとびっくりしています(汗)。

PXは日本だと酒保と呼ばれる物ですね。
兵隊向けの売店でwikipediaによると郵便を取り扱える物をPost eXchangeと称していたものの略語です。
連合軍に接収された施設や車両がPXになったものもそれなりに有ったようです。

第二次世界大戦末米軍は空襲で日本本土を撤底的に破壊した鉄道も例外でなかった
然し戦後日本に進駐して来た米軍はあれ程空襲で破壊しつくした筈の日本の鉄道が曲り也にも運行していた事に驚愕した 空襲で破壊されても翌日又は翌々日には鉄道職員の努力で修復し運転を継続していた
同じ第二次世界大戦で枢軸国であったドイツでは国内で陸上戦が繰り広げられた関係で鉄道は撤底的に破壊され戦後東西に分裂したりして可也後迄戦前の水準に戻れなかった
米軍は日本に進駐する折日本の鉄道が壊滅的打撃を受けておると考え進駐後の軍事物資輸送用に鉄道車輌をフィリピンに送り込んでいた ミカド型蒸気機関車や後にDD12になる8500形ディゼル電気機関車他用意していた 然しいざ進駐してきて鉄道がきちんと運行していた 結局蒸気機関車は改軌して東南アジア各国に送り込まれた 8500形ディゼル電気機関車のみ進駐軍施設で使用後国鉄及び名鉄で購入1970年頃迄使用されました
進駐軍は鉄道運輸管理為RTOを組織其の基に戦前の優等客車を接收改造し専用形式番号を付け使用 可也後迄タキ3000形も特別番号を付けて使用(俗に米タン)等有った
1960年代後半迄夕方品鶴線下りに汐留横浜港間に運行されていた8620形牽引の荷物車一輌の列車が有りました其の荷物車は特別な車番号とUSメールと車体に表記されてました米軍関係のメール輸送専用列車でした末期にはDD13が牽引してましたが何時の間にか見られなくなりました
時代は既に船便より航空便の方が早くて便利になり自然淘汰されたのでしょう
貨物は未だ横田基地向け航空燃料輸送が続けられており米タンナンバーは有りませんが専用タンク車は今も存在して居る様です

名無しさん、PXはPost eXchangeの略ですか。ありがとうございます。
yyoshikawaさん、米軍は日本で使用するための蒸機を用意していたんですか。情報ありがとうございます。

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