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2010年2月22日 (月)

横浜配線図

横浜駅は貨物輸送の点ではあまり重要な駅ではありませんが、360万人都市に敬意を表して・・・・。

 

まずは1935年3月、昭和10年です。

 

193503

 

・旅客線の下り場内信号機には誘導信号機が設けられています。
・神戸方のシーサスを含む渡り線群で、旅客線と貨物線の行き来が可能になっています。
・但し、旅客下りから貨物下りに進出できるのは旅客下本、貨物上りから旅客上りの場合は旅客上本に限定されるようです(旅客下1から下り貨物及び上り貨物から旅客上1というルートは不可のようです)。 
・東京方にも渡り線がありますが、これは非常用のようです。
・旅客上り本線からは下りの出発が可能です。
・現根岸線(この当時は東海道線?)はまだ桜木町(かつての横浜)までです。

 

次に1951年8月、昭和26年です。

 

195108

 

・東京方の渡り線が微妙に変わり、下りの貨物→旅客、上りの旅客→貨物へのルートが可能になりました。
・下り貨物は旅客下本・旅客下1のどちらへも進入可能で、また旅客上本・旅客上1のどちらからも貨物上りに進出が可能なようです。

 

次に1961年3月。

 

196103

 

・ほとんど変化がありません。

 

次に1967年3月。

196703ry
・連動装置が継電化されたようです。
・ほとんど変化ありませんが、東京方で貨物下り→旅客下1のルートは廃止されたようです。

 

次に1977年10月。

197710ry
・ほとんど変化ありませんが、旅客上1から貨物上りへのルートは廃止されたようです。

 

最後に1986年3月。

198603ry
・貨物線は横須賀線に転用され、ホームが設けられました。
・1977年には廃止されていた旅客上1から貨物上りへのルートが復活しています。
・旅客上本から貨物下りというルートができました。
・貨物上りから旅客上本というルートも新たに設けられています。

 

細かなルートの改廃はありましたが、線路配線としては1935年とほとんど変わっていないですね。

 

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。

 

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コメント

横浜駅と言えば、教科書に載っていた砂州の上を走る開業当時の錦絵を必ず思い浮かべます。その先にあった初代の駅は現桜木町乃至旧東横浜(貨物)駅で周知の通りです。皆によく知られていない二代目はブルーライン線高島町駅辺りに設けられた駅です。桜木町でスイッチバックする線形に弧を為す形で設けられ、8年しか使われなかった欧州風の駅舎です(因みにその駅舎のすぐ前を高架で高島方から保土ヶ谷へ向かう貨物線があり、光景としては個人的には無粋の極みで・・・)。そして3代目が現駅でその駅舎は昭和モダニズム的でした。新規開設から数年後の配線は図を拝する限り、仰せの通以降大差がないと思います(図上、東急の部分的単線化を見、現相模鉄道の有様を伺えて感謝致します)。大陸にはよく見られる構造で、横浜駅も軍事輸送も絡みますが、鶴見~川崎・新鶴見~浜川崎同様、謂わばインターチェンジ的な形態を採ったとも言えます。ともあれ、横須賀線分離以前は、乗降客の多さ故川崎駅と横浜駅で、本線・副本線で交互発着を強いられたとか、拝した図からその様をも思い浮かばさせていただきました…すでに相鉄が西口開発を受け、東急は地下に潜り、願わくば現横浜駅は胸を張ってず陽の当たるところで健やかに…。

SYさん、横浜駅付近の変遷ついての解説ありがとうございます。このあたりは国鉄(JR)以外の京急・東急・相鉄なども無視できないですね。それにしても東急の単線など、よくご覧になっていますね。

横浜駅の改良工事が10年以上前に行われていました。当時の勤務先の傍が東神奈川駅が近くでした。ちょくちょく東神奈川駅構内の保線区に他と違う銀色の塊をよく見ました。気になり勤め帰りに、保線区に入って傍にいる人に、聞いてみたところ今夜間に横浜駅構内の地下通路拡張の為、京浜東北線を始め各線路に仮支持桁の取り付け工事をしている。この桁を運搬する操重車が、保線区に来ていると話してくれました。実物は昔、浜川崎貨物線撤去以来だったので、見たかったので声をかけたのですが会社が違うので判らないと言われましたが勝手に見に行きました。車輪が一杯付いていて”むかで”のようでした。見ていたら車両から降りてきた人が居たので、声をかけました。この車は横浜駅構内工事が終わると廃車になると言いました。傍には黄色い貨車と自動車の合いの子みたいな車もありました。スクラップは残念ですねと、話すとこの車は博物館に行くよと言われました。作業するところは見れないですが、少しでも移動する所が見たいと話をしたら、ここの構内の線路は貧弱だから、必要以外に動かせないですよ。どうしても見たければ日中に来れば見れる可能性がありますよ。もちろん見に行きましたが、まさか自走するとは思ってもみませんでした。偶然その人がいたので少しだけブーム(腕)を少しだけ動かしてくれました。聞いていた通り、車輪が沢山ある為に少しのカーブでもキシミレールと車輪の間から錆等が煙となって出てきました。
この時も、担当者にお礼を言って失礼致しました。
工事の話がありましたので書かせてもらいました。

保土ヶ谷駅の項目がなかったので、失礼ながらここに書きました。東海道線で横浜を下り始めると山側の窓に貨物線(現横須賀線)の線路の向かい側に黄色い電車が、走ったり、金太郎塗装の丸い軽い音の電車が並んで走ってました。いつも東海道線に乗るとこの風景が好きで、線路を追いかけて見ていました。いつだか、保土ヶ谷駅東京方の貨物のヤードに電車の台車を履いた電車と同じ丸い感じの国鉄のELより明るい茶色の小さいELを見ました。子供心になぜよその機関車が、と思い父親に聞きました。”この駅から相模鉄道線にセメントや燃料を運んでいる”と教えてくれました。これを聞いてからどこから保土ヶ谷駅のヤードに入るのか気になり始めました。いつも乗る電車は湘南電車なので保土ヶ谷駅を高速で通過しますので子供の目ではなかなか追いかけられませんでした。段々目が慣れてきてヤードの東京より先端が1本の線路になりずっと伸びてどこかの工場に入る線と、それよりまだ伸びてる線が相模鉄道線にぶつかっていました。子供心にここの感じが、判らずじまいでした。大きくなるにつれて、車内からも判る様になり貨物線は、相模鉄道線の下り線をクロスポイントで横断して上り線に合流して西横浜駅ホームに繋がって見えました。時が過ぎ残念ながら相模鉄道線に乗り合わせた時には、もう無くなっていました。それとともに貨物の工場引込線もこの工場は電気鉄道の製品メーカー東洋電機の工場でした。またこの当時は保土ヶ谷駅ヤードでは、たまに茶色や湘南・須賀色のバラバラ編成がたまに止まっていました。父親に聞いたら、”大井工場で修繕した車の試運転で、平塚駅までの貨物線を利用して本線試運転をしているよ。これらの車は台車の軸受けが、メタル仕様だから焼付きやすいので、止まって点検してるのでは”実際に新鶴見入り口で何回か白青い煙や火が出ているのを見た事が有りました。時が経ち、保土ヶ谷駅ヤードが無くなり、今は2本の引き上げ線が、有るのみで、その他の場所はマンション等になってしまいました。
只一つとても気になる物が残っています。それは保土ヶ谷駅から大船寄りの急カーブの途中に旧東海道と交差する踏切が有ります。今ここで大規模な工事を行っております。この踏切道をまたぐように1本の浴びれて朽ち果てそうな架線柱が有ります。この架線柱は東京から大船間が電化された時の物だと思います。おそらく関東では最後の1本でしょう。現在急速に円柱仕様のものにどんどん変えています。この記事を読んだら確認して下さい取り換えられていたら”ごめんなさい”の状態です。
以上書くところが判らなかったので書かせてもらいました。

DEHA1000さん、お父様もずいぶんとマニアックな方ですね(笑)。そのうち保土ヶ谷駅も記事にしますね。

 嘗て終着駅で有った頃の桜木町駅もユニィークな駅だと思います 国鉄と東京急行が同じ敷地に
並んで然も何方も終着駅おまけに駅舎も共用していたこんな駅日本中で桜木町だけではないでしょうか 根岸線が開通して中線折り返しだけの中間駅となり東急線はMM線に移行桜木町から撤退してしまいました唯根岸からの石油タンク列車と本牧からの海上コンテナ等の貨物列車が関内石川町の市内高架線を通るのが唯一他の電車線と違うかなと思います 

yyoshikawaさん、関内や石川町といった一見電車専用のような駅を貨物列車が通過するというのはなかなか珍しいですよね。

 鉄道開業頃の錦絵に良く出て来る車両が有りました客車の前に連結された姿で描かれております形状は有蓋車ですが窓が有り乗客が乗車した状態で描かれておりました
 開業時用意した客車は単車でオープンエンドの近代的なスタイルでしたが 上等車中東車のみ一般人は乗車せぬ筈(徒歩が当たり前の時代金払ってまでわざわざ一般人が乗車せぬだろう)と思っていたが いざ開業すると日本人特有の新し物好きで乗車したがった為仕方なく有蓋車に乗車させた(代用客車)ただ錦絵のこの車両本当に存在したのか長年趣味人の間で話題になってました
近年開業直後の横浜駅を野毛の大地から撮影した写真に拡大すると横浜到着列車の機関車の次に錦絵と同じ有蓋車に窓を開けた車両が写っていたと汽車好きクラーケンのホームページに記載されてました

yyoshikawaさん、汽車好きクラーケンさんのサイト、スゴイですね。かなりの上級者ですね。

所用で今日久々に桜木町へ行きました以前は通勤で毎日通過していたのですが此処十五六年此方方面に来る事が無かったので余りの様替わりに唖然としました旧東横浜駅と三菱造船所跡はみなとみらい地区高層ビル群となり 唯一東横浜から新興埠頭へ伸びていた臨港線の海上築堤が遊歩道として健在なだけです 
MM線に移行した旧東横線高架は横浜から桜木町迄の間今だに健在です

yyoshikawaさん、東横線が地下に潜るとは想像もしていませんでした。高架橋は今後どうなるんでしょうか。

横浜駅構内の旧東急高架線は完全に消滅し横須賀線湘南新宿ラインホーム拡張用地として線路寄りの一部再利用されました
旧高島町桜木町間は現在もまだ高架橋は残ってます
解体出来ないのは高架下が歩道ですのでおいそれとは出来ないのでしょう現在みなとみらい線は根岸線より海寄り地下を通ってます

yyoshikawaさん、都会の真ん中にまだ遺構が残っているんですね。

今朝仕事の後横浜駅へ行きました先日の京急事故後どんな運行状況なのか見に行きました(馬鹿な暇人ですね)事故現場は神奈川新町駅の横浜寄りです御承知ですが神奈川新町は品川側の車庫が有ります車庫の入出庫線は駅の品川側ですので現場とは支障は有りませんが 事故時に途中区間で停車したままの列車も有り品川方向への出庫列車が有ったのかは不明です神奈川新町の車庫に留置車輛で満線になってます 
京急では普段横浜折り返しの列車運用は有りません過密ダイヤですので難しいです 此の様な事故の時だけ折り返し運行されるのです 京急横浜の品川寄りに背行渡り線が存在してます普段は殆どこの渡り線は使用されません今回滅多に使用されぬ此の渡り線が大活躍してます横浜以南から来たの先列車が横浜で乗客を降ろした後品川方向へ回送渡り線の先迄行本線折り返し渡り線で下り線へ転線乗客を乗せ戻って行きます 昔京浜急行では下り特急パルラータ運転時退避線の無い黄金町駅で先行普通列車が客扱後当時黄金町に有った渡り線で上り線へ転線待避特急通過後再び下り線転線して發車してた 子安駅での複数待避等昔は面白い運用が有りました

追記 以前京浜急行では退避駅が少なかった為子安駅での複数待避等が有ったのです先行の普通が退避線到着後一旦バック空いた退避線前方に次ぎの急行が本線に到着客扱後前進待避線先でバックして入線空いた本線に其の後の特急列車が到着客扱ご発車続いて待避線の急行が特急の後を追い發車急行発車後普通列車が後を追い發車して行きました
此の様な事が出来たのは列車編成が短かった事も有りました

京急では京浜急行時代から駅の名称を停車場と停留場に分けてます停車場は分岐が構内に存在してます(出発信号が有る)停留場は構内に分岐が無いですので国鉄JR東との連絡駅である品川と横浜列車待避駅の有る各駅は停車場其の他は路面電車と同じく停留場となります 京急横浜駅の渡り線は横浜が停車場である為何時の時代も分岐を残しているのです 今回の事故で横浜で折り返し運転が出来たのですね 

yyoshikawaさん
異常時を想定した設備は大切ですね。

京急横浜駅は数度に渡りホーム変更が有りました京浜電軌時代は島式ホームでした京浜電軌が1372㎜軌間時代一時的に横浜黄金町間建設時同区間は湘南電鐵に合わせ1435㎜で建設横濱駅乗り換え連絡してました 戦後1962年に海側にホーム増設し上り線と下り線乗車客を分離しましたが其の後1975年に再び島式ホームに再変更其の後又海側にホーム再増設し現状の姿になり私鉄最長の12輌編成優等列車が常時停車する様になりました 相鉄横浜駅は東急東横線高架下に平面ターミナルでした何か軒先を借りている感ありありでしたが高架化とターミナルビルジョイナス髙島屋百貨店となり西口発展の元になりました中小私鉄では異例の常時10輌編成の列車が出入りする立派なターミナルです 東急東横線も当初高架上に島式ホームでしたが後年相対式ホームに変更上り線は駅ビルに改札口が有りました横浜高速との相互乗り入れで完全地下化で再び島式になりました

東急線の桜木町付近の高架線跡が今だに存続しておる理由が最近判明しました高架下を芸術家や工芸家のアトリエとして貸し出しているとNHKの夕方の番組で紹介されてました 前のコメントで横浜高速はみなとみらい線です

10月6日13時35分投稿コメントは私です

yyoshikawaさん
情報ありがとうございます。

神奈川県内のみの中小私鉄である相模鉄道(相鉄)中小ながら他の中小私鉄と比べると例外的な路線です全線複線急行運転10輌編成の列車を多数運行している準大手と言われてます
此の相鉄が創業100年を迎え更なる飛躍の為JR線直通運転を11月30日開始する其の為新形車の導入駅等トータルにデザインし新時代へ向かおうとしてます此れ迄神奈川県のみの路線を新線敷設により東京新宿副都心迄更には今後東急との相互運転も予定されており そうなると私鉄線だけで秩父寄居と海老名が繋がる海老名で小田急に乗り換えると上手く行くと沼津迄私鉄車輛で行ける何て夢見たいな事が実現しそうです

JR相鉄相互乗り入れ初日各駅でカメラを構える人達が多数いました 大森での仕事の帰りに西大井迄散歩丁度海老名行きが到着寸前でした改札を抜けホームへ埼京線の233系が来ました乗車して武蔵小杉迄は湘南新宿ラインや横須賀線と同じですが武蔵小杉を出て新鶴見信号所手前の分岐で貨物線に進入すると何時もの車窓は少しだけ違う此の先羽沢迄は東海道貨物線です鶴見を過ぎると地下へ後は隧道が続きますが横浜線の上を通る部分は高架ですが防音の為シェルターですので外の様子は見えませんが走行音が違います 隧道部では音が籠りますが高架部分では音が籠りません武蔵小杉から羽沢横浜国立大学迄は中間駅は有りません 羽沢貨物駅の手前で久々に外に出ると東急線方面への連絡線が既に敷設完了してました(当然ですが分岐部は立体交差です)羽沢貨物駅の新鶴見寄りで再び地下へ羽沢横浜国立大学からは相鉄線です羽沢国立大学ではホームに再び多数の人々がカメラやスマホを構えてました 羽沢横浜国立大学を発車すると西谷は直ぐです
西谷では横浜からの相鉄本線の外側に到着します西谷は御存知東海道新幹線が上を通過してます新宿行を待つ間数本の新幹線が通過してました 暫く待つと新宿行がやって来た今度は相鉄の車輛でした結行混んでましたが發車後羽沢横浜国立大学に付くと可也の乗客が下車しました 再び羽沢で東海道貨物線に合流(合流部は立体交差です)少しだけ羽沢貨物駅を見た後再び隧道区間に突入鶴見手前で地上に戻り新鶴見へ通常のコースでなく新鶴見機関区の裏側を通過し武蔵小杉手前で湘南新宿ライン横須賀線と合流します 新宿行乗車中そばの親娘が何で電車が少ないのと会話してましたので此の先で電車込み合うからだよと教えました 其親子は羽沢横浜国立大学で下車しました 東京総合車両センター構内に山手用231系編成から抜き取られたサハ231-4000番台が一両構内に留置されており其の手前には235系最新編成が留置されておりいずれ最新編成に組み込まれるのでしょう

yyoshikawaさん
開通初日のレポートありがとうございます。新宿駅で相鉄線の電車が見られるなんて、時代の変化を痛感しますね。新川崎にホームを設ける計画はないのでしょうか。

横浜駅京浜東北線ホームはホームドアー化が完了してますが東神奈川桜木町間には横浜線も乗り入れております 此処で御存知のごとく京浜東北線は10輌編成なのに横浜線は現状8輌編成です 2輌分横浜線は短い 同じ様な状況は田町田端間の山手線京浜東北線方向別複々線区間で山手線11輌編成京浜東北線10輌編成ホームドア化結定の折山手線10号車に変則扉間車を投入して対応したが横浜駅でのホームドアー化では横浜線8輌編成8王子寄り先頭車停車位置のホームドアーを他のホームドアーより開閉幅の広いドアーの採用で解決させた という事は逆に変則扉車製造よりましだったのでは・・・一つにはJR東の新形車輛では車体長を長くせず運転台奥行拡大し旅客室を短縮する事で対応した結果の産物です私鉄では先頭車の車体長を伸ばす事で対応東急東横線西武池袋線東武東上線が相互のりいれしておる副都心線では東急の8輌編成車と他線の10輌編成車では客用扉ピッチは揃えあります同じ事は東急田園都市線と相互乗り入れしておる東武伊勢崎日光線も同じ状況です 唯基本編成+付属編成を組む場合は車輛長を揃え客用扉ピッチを変則化した方が列車長の長大化の阻止になるのでJRでは客室を減らす方向で対処したのでしょう

yyoshikawaさん
ホームドアを考えると扉位置は頭痛の種ですね。

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