« 大船配線図 | トップページ | 大磯・二宮配線図 »

2010年2月27日 (土)

平塚配線図

東海道線の貨物輸送という点においては、平塚駅は長い間旅客と貨物を分離するという重要な役割を担った駅でした。

まずは1935年3月。

193503

鶴見から続いた複々線は、ここ平塚駅の神戸方で複線にまとめられます。
旅客線・貨物線とも上下共用の中線を備えた配線になっており、従ってホームは2面ありますがうち1線は貨物の通過線です。
貨物扱い設備は配線図の下側すなわち貨物線側が中心ですが、上側にも専用線があります。貨物線の東京方から旅客線を横断して下り1番線に直接発着するルートが設定されているのはこの関係でしょうか。
専用線の左端にあるのは転車台?

続いて1951年8月。

195108

東京方に電車の引上げ線が設けられました。下り2~4番線には入換信号機(入換標識?)と車両停止標識があって、このあたりは電車の留置線として使用されているようです。但し貨物線から下り1番線に発着するルートは変わっていませんが。

続いて1957年3月

195703

大きな変化はありません。
配線図上側の専用線が両端とも行き止まりになっていますが、これは省略されてしまっているだけのようです。

続いて1961年3月。

196103

配線図上側(海側)の東京側の専用線が、東海道線の下をくぐって山側まで延びています。

続いて1967年3月。

196703

上側の専用線については大きな変化はありませんが、貨物線東京方から直接下り1番線に発着するルートはなくなっています。貨車の受け渡しは神戸方で本線を横切る入換作業によって行なわれるんでしょうね。神戸方には電留線も増設されていますので、このあたりの線路はますます電車用になってきているようです。
また、神戸方から貨物下り本線を通って上り旅客線に進出するルートが新たに設けられました。すなわち、今まで2面3線だったホームが実質2面4線になったわけですね。線路配線としてはわずかな変化ですが、信号を含めた列車の運転という点では画期的な変化だと思います。
ただ、貨物の下り本線に上り電車が発着するというのはちょっと違和感が・・・。

続いて1977年10月。

197710

いろいろと大きな変化が起こっています。
相模貨物駅が開業し、平塚駅の山側にあった貨物扱い設備は電留線に姿を変えました。この結果貨車は旅客線を横切って海側へ、電車は貨物線を横切って山側へ、という妙な形態が出来上がりました。
その海側への貨車は、かつては東京方に対して下り1番線から直接発着できるようになっていましたが、この時点では神戸方に対して下り3番線から直接発着できるようになっています。相模貨物駅との間に小運転列車が設定されていたのではないでしょうか。
神戸方の客貨の平面交差が立体化され、また貨物下り本線の位置が入れ替わってホームに面する線路は貨物下り1番線という副本線になりました。これによって貨物下り本線に上り電車が発着するという違和感は解消されましたが、立体交差の位置の関係でしょうか、電車が貨物下り1番線に進入する際は貨物下り線を横切らなければならなくなっています。せっかくの立体交差なのに・・・・。

最後に1986年3月。

198603

ここでもいろいろ大きな変化があります。
複々線区間が小田原まで延長され、さらに平塚~相模貨物間には貨物の小運転線が設けられましたので、この間は5線区間になりました。
神戸方の立体交差は複々線化によってほとんどその意味がなくなり、上記小運転線のためだけの設備になってしまいました。しかしその小運転線は結局旅客下り本線と平面交差していますので、なんとも中途半端な立体交差になってしまいました。
平塚駅の専用線が廃止されると(すでに廃止されているかも?)、この立体交差は完全に意味を失います。この立体交差を建設した時点で小田原までの複々線の延伸、平塚の専用線廃止がどの程度想定されていたのか、ちょっと疑問ですね。浜川崎の例といい、ちょっともったいない気がします。
ホームに面していた貨物の下り1番線は完全に旅客線となり、2面4線のホームが完成しました。

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 大船配線図 | トップページ | 大磯・二宮配線図 »

コメント

国鉄の川砂利採取線の配線を見たのは正直初めてで、記憶では他に旧五日市鉄道にあったような…・(震災後首都圏では各私鉄が総出で川砂利採取線を伸ばしたのですが)。仰せの通り、あのオーバークロスは30年来頭を悩ませてくれました…妙に中途半端で。さらに大船~平塚駅間を3複線化する計画もあったのですが、それも沙汰やみになりました。加えて湘南貨物駅同様、相模貨物駅の引き上げ線上にある、○に「井」は入換え合図器なんでしょうが、具体的にどのような使われ方をされたのでしょうか(初歩的で申し訳ありません)。なお、大船駅の「px」はPost exchangeの略称のようで「後払い」ではなく、「post」は即ち「駐屯地・駐屯兵」で、物品購買を意味しており、過去に耳目に触れた例は米軍軍用品のお下がり販売店を大方意味していたと思います。他方兵站(へいたん)はロジスティックで、浜安善駅のように、兵器はもとより燃料補給、食糧等総合的な後方支援全般を指すようで、感じとすれば「px」には軍事輸送全般の意味と末端の兵士を含め末端の個人相手の宿営地内の店舗とに分極しているようで、大船の事例はどちらか自身では定かに出来ませんでした。

SYさん、あの立体交差はちょっと解せませんよね。
3複線というのは、確か横須賀線を大船で分岐させるというヤツですね、ちょっと覚えがあります。
入換作業の場合は連結や突放など微妙な運転操作が必要となるため、地上側の操車担当から機関士に合図を出します。通常は緑色旗と赤色旗を使用するのですが、見通しが悪い場合は入換合図器を使用して機関士に伝えます。多数の貨車を持って引上線に引き上げる場合、操車担当は最後尾が転てつ器を抜けるのを確認するために最後尾付近にいなければならず、結果機関士との距離が大きくなるので入換合図器が使われるようです。
また、PXの解説ありがとうございました。

 平塚西側立体交差 以前鉄道ファン誌上でしたか上りブルトレが立体交差を下って来る写真が掲載されておりました平塚小田原間複々線化以前此処で旅客線と貨物線が合流するのに平面交差の為ダイヤ上ネックに成るので一時的にも立体化したのではと思います其の後小田原迄複々線された折中途半端な設備となったのでは?こういう設備は川口の立体交差塩浜から安善迄の立体交差等今や無駄な設備は結行あります
 平塚と云えば馬入川河原の砂利採取トロッコと土手下の引き込み線が有名でしたトロッコはクロスレールが有ったり列車乃窓から見ると結行楽しかった

y yoshikawaさん、おっしゃる通り「遺構」は結構ありますね。それにしても塩浜~安善の立体交差はもったいない・・・。

立体交差の件、平面交差ではダイヤが持たなくなってやむをえず施工したと聞いた覚えがあります。
複々線の延長計画の手前、ずっと我慢してきたのでしょう。複々線の用地は平塚以西に早くから姿を現していました。
この立交部分の勾配は急ですね。くホームへの下り込みは20‰くらいありそう。神戸方の上り勾配をご存じでしょうか。 
どの列車も高速惰行ですから20‰だったかも?

C6217さん、結果はどうであれ、当時は止むに止まれぬ事情があったんでしょうね。

複々線から複線に切り替わる地点では、線路別では、平面交差で合流する地点(駅
)もありますね。平塚では平面交差-立体交差化-延長により交差解消と、変遷がありました。
山陽本線西明石は今も平面交差ですが、列車容量的に余裕があるのか、複々線を西へ伸ばす予定があった(ある)ので、立体化しないのか気になるところです。

コスモスさん、線路別ですと将来のことも考えないといけませんのでやっかいですね。方向別ならあまり悩む必要はないのかもしれませんが。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/47676446

この記事へのトラックバック一覧です: 平塚配線図:

« 大船配線図 | トップページ | 大磯・二宮配線図 »

過去の記事

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ