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2010年1月23日 (土)

安善・武蔵白石・大川配線図

鶴見線その2は安善~武蔵白石、武蔵白石~大川です。

196107_2

196107

浜川崎からの3線は、武蔵白石駅手前で貨物線が大胆に複線の電車線を横切って反対側に位置を変え、そのまま鶴見方面へ3線区間が続いています。
それにしてもこのあたりの駅の境界は実に微妙です。
勝手に想像するに、武蔵白石駅のホームの浜川崎寄りの信号機5Lから安善駅のホームを過ぎたところの信号機31までが安善駅の構内ではないかな、と思います。つまり武蔵白石駅のホームはすっぽり安善駅構内に含まれるように思います。
ところが、貨物線が電車線を大胆に横切るあたりに「武蔵白石東部信号」と書かれた信号扱所が描かれていますので、この付近は武蔵白石駅構内になるのかな?と。繰り返しますが勝手な想像です。
武蔵白石駅からは大川支線が、安善駅からは浜安善支線がそれぞれ分岐しています。距離的には浜安善支線のほうが若干長いようですが、大川支線が本線であるのに対し、浜安善支線は側線です。
やはりこのあたりにもたくさんの専用線がありますね。

続いて1986年3月です。

198603_2

198603

浜川崎駅からの貨物線は電車線と共用になり、代わって塩浜操方面からの貨物単線が新たに設けられています。浜川崎駅からの貨物列車は武蔵白石駅手前の渡り線でこの貨物線に合流します。
昭和駅~扇町駅間の一瞬単線になる区間及び支線を除けば鶴見線は客貨が完全に分離された線区でしたが、上記により武蔵白石駅~浜川崎駅間は客貨が同じ線路上を走ることになったわけですね。
鶴見方面から大川支線には直接入ることができませんので、弁天橋を出庫した大川支線用の電車は入換信号機31L・32Rで行ったり来たりして大川支線に入るのだと思われます。
ところで、大森川崎でも気になっていたんですが、電車線の信号機にイとかロとか記載されたものがあるのですが、これは何でしょうか。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

f54560zg さん、こんばんは。

電車線の信号機にイとかロとか記載されたものですが、信号機を操作するためのスイッチに付された符号ではないでしょうか。

複線自動区間で転てつ器や線路の交差のない駅に半自動の信号機があるとき、このイとかロがでてきますよね。

これは、連動表の番号欄に記載する符号の凡例の中で、丸で囲んだイ、ロ、ハ等が「信号機を操作するためのスイッチ」となっていることからの私の類推です。全くの見当はずれかもしれません・・・。

専用線好きさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
う~~ん、おっしゃるとおり確かにそう書いてありますね。
だけど、連動表の番号欄にイとか書いてあるのって見たことがないんです・・・。普通は「1L」とかですよね。
たとえば川崎駅を例にとり京浜東北線の信号機を見てみますと、1967年3月時点では下り(南行)の場合、イ、閉そく、ハ、ホの順で、上り(北行)の場合、ヘ、ニ、閉そく、ロの順で信号機が並んでいます。
これが1977年10月の時点では、下りの場合1L、2L、3L、4L、上りの場合5R、6R、7R、イとなっています。
本来であれば1977年時点のような1Lとか7Rなどの番号が付けられると思いますので、何か理由があって暫定的にイ、ロとかにしたのかな?なんて思っているのですが。
しかし、暫定にしては期間が長すぎるでしょうし、1977年時点でイだけが残っている理由もわかりません。
結局???です。

イ、ロ、ハ・・・と名づけられた信号機は、回路遮断器の設置された信号機です。仕組みからいうと、「赤にするスイッチの付いた閉そく信号機」です。しかしながら、人の意思が介入できるので「半自動」であり「絶対信号機」です。
棒線駅で場内・出発を持っている駅に多く設置されています。東北線だとATOS化前の赤羽・浦和が該当しました。
では川崎駅1977年10月で、イと1L・2Lといった数字を付与された信号機と何が違うかというと・・・
「その信号機の防護区間(≒次の信号機まで)が他の信号機の進路とかぶっているか」、すなわち「連動に組み込まれているか」だと思います。

1977年の川崎の例だと、
・1L・2L:入標21Rと支障する・・・2Lはホーム中程にあるようで、一方21Rではホーム起点方端まで進むと考えるのが自然ですから、21Rと1Lが同時に進路構成できてはまずいです。
・3L:21R・22Lと相互に支障します。・・・等々。
・一方、イは進路上に転轍機もなく、進路が競合する信号機もありません。

では、1967年はどうかというと、この時点では京浜線関係には入標がありません。また、関係する分岐器101号・102号にも常時鎖錠のシンボルがあります。
1967~1977の間に、京浜用の連動が新設されると同時に101号・102号の常時鎖錠が解かれたと思われます。
しかしその際にも、京浜上り出発だけは連動に組み込む必要がないので回路遮断器のまま残された、ということと思われます。

すばらしい、そしてわかりやすい解説ありがとうございます。常時鎖錠の記号まで注目されていて、恐れ入りました。
連動には組み込まれていないもののスイッチで赤にできる信号機があるとは、正直知りませんでした。
おそらく大森の記事でもコメントいただいた方ではないかと思うのですが、お名前を入れていただけるとありがたいです。

たいへん勉強させていただきました。

私の場合、f54560zgさんのように精緻には考えておりませんでしたが、それでも長年の疑問が氷解した思いです。

ありがとうございました。

>鶴見方面から大川支線には直接入ることができませんので、弁天橋を出庫した大川支線用の電車は入換信号機31L・32Rで行ったり来たりして大川支線に入るのだと思われます。

晩年のクモハ12鶴見~大川直通はその通りに運転されてました。白石で乗降を終えてから扉を閉めて入れ替えして大川行きホームでもう一回ドアを開けます。

浜安善の行き止まりの所は名義はゼネラルだったのか…。
橋本産業ではないのね。
三菱化成の化成品タンク貨車がよく止まってました。

武蔵白石東部信号
まさに富士電機のための信号所ですね。
いまは日本AEパワーシステムズ?で京葉臨海の京葉市原発着の富士電機のシキ輸送ですが、当初は安善駅常備でした。
最初何で武蔵白石~浜川崎間に有る工場なのに武蔵白石駅常備じゃないんだろう?と、思ったらここまで貨物的に安善駅構内にしていたのですね。
今でも残ってたら、東芝シキと富士電機シキが安善駅構内でたむろしていたのかもしれないと思うと胸熱ですね。

ゆかわあきらさん、貴重な情報ありがとうございます。鶴見線では電車も貨物も変わったモノが多かったですね。

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